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聖銀と巨大都市《メガロポリス》  作者: 久野 貴文
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2−4.日を浴びることが出来ない少女

 吸血鬼が憲兵団本部に入り込んで来た事件の後、俺の予想通りに――当たって欲しくなかったが――街の中で発見される吸血鬼の数は極端に増えた。それはあの二人の吸血鬼が居なくなることで出来た空白を奪い合うかのようだった。そしてその被害は勿論鰻上りで、それに付随してその報告書の数も比例して増えていた。最初の頃よりは落ち着いたと言えるが、それでも時間に余裕があるのかと言われれば、全く無い。と断言するのが今の俺の現状だった。

 その為、クラインから催促された吸血鬼、エミィの教師探しは全くしないまま、五年が過ぎようとしていた。……そうだ。何もしないまま五年が過ぎた。最近はクラインの催促も頻繁になってきて、少し鬱陶しい。最近はこちらで探す、という旨が暗に示された手紙も届いている。

 しかしその当人はまだ六歳だ。――保護した時が一歳だと仮定するとだが――クラインが言うような、王様が感動して処刑はしないと言わせるような崇高な勉強どころか、簡単な計算すら覚束ないような歳なのだ。あまりに急ぎすぎだと感じる。

 俺は今朝届いたクラインからの手紙を、そんな理由で納得させるような手紙の返事を書いた。……クラインに伏せている本当の理由を言うなら、俺はクラインの掲げる理想には反対なのだ。彼等と生きることは人間にとって荷が重すぎる。

 それにエミィは吸血鬼だ。クライン達リゲル派が保護している人喰いとはまた違う問題がある。彼等は日に当たることが出来ないということが、どんなことが分かっていないのだろうか。

 苛立ちを抑え、俺は書類を処理し続けた。しかしいくらやっても紙の山は中々減らなかった。

 そんな時、扉からノックの音が聞こえてきた。誰かが来たようだ。俺は手を止め、扉の方を向いた。

 「入れ。」

 「失礼します。」

 入って来たのは主に捕らえた吸血鬼や人喰いに対処する部隊の隊長だった。確か今日は最近捕らえた吸血鬼をここの牢屋に入れ、情報を吐かせる為、拷問を行っていた筈だが。

 「何かあったか?」

 「思ったよりも早く吐いてくれました。団長にも直接聞かせたい内容も有りますので、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

 「ああ、分かった。連れて行ってくれ。」

 俺は直ぐに椅子から立ち上がった。確かに書類を処理する速度は遅くなるだろうが、今はとりあえずそれ以外のことがしたかった。





 俺は北棟にある牢屋へ歩く彼の背中を追っていた。日は既に頭の真上を通り過ぎ、やや傾いている。少し強い日差しだが、その熱を風がどこかへ持っていき、丁度良い気温になっていた。この中で風を感じながら昼寝をしたらさぞ心地良いことだろう。

 そう大人の俺が思うのだから、子供が思わない筈もなかった。中庭には多くの子供達の姿が見えた。しかし子供は元気が有り余っているようで、昼寝をする者の姿は無く、走り回っている姿しか見えなかった。

 勿論、その中にエミィの姿は無い。当たり前だ。彼女は日を浴びることが出来ないのだから。

 彼女の様子は定期的に孤児院へ見に行っているが、彼女は日を浴びれない事を随分と気にしていた。そして何時も一人でいた。それもそうだろう。周りで自分だけが太陽の下へ出ると燃え尽きるというのだから。

 そしてそれは誰にもどうすることも出来ないものだ。彼女はこの人間の世界にいる限りそれを抱えて生きて行くだろう。仮に処刑から免れ、レグル派の元へ行くことが出来たとしても、彼女だけが日に当たることは出来ない。人喰いでさえ日を浴びることが出来る。どうなったとしても一人で一生暗闇にいることだろう。彼女は、この街で唯一の吸血鬼なのだから。





 北棟の地下は薄暗く、地上とは違う異質な臭いがした。武装した兵士と度々すれ違い、その度に彼等はこちらに敬礼をした。敬礼されるのは今でも慣れない。多分これからも慣れないだろう。やはり俺は椅子に座るより、剣を持っていた方が気楽でいいようだ。今のこの状況は身動きが取れずむず痒い。早く他の誰かが団長になってくれないだろうかと常々思う。

 地下の奥の部屋に兵士が5、6人集まっていた。彼等はこちらを見るとやはり敬礼をした。それからその一人が彼らの隊長に少し大きい手帳の様な物を手渡した。隊長はそれをちらりと見ると、それをこちらに渡してきた。

 そこには捕らえられている吸血鬼の言動が纏められていた。それを確認すれば何故自分がここに呼ばれたのか、すぐに理解する事が出来た。

 「大方は喋らせたと思いますが……どうしますか?」

 「少しこいつに聞きたいことがある。入っても構わんか?」

 俺は部屋の更に奥にある扉を向きながら言った。

 「ええ、どうぞ。今は落ち着いていると思いますよ。」





 部屋の中には椅子に座らされ、腕と足をまるで鉄塊の様な拘束具で身動きが取れない状態になっている男がいた。俯いておりその茶色の前髪で顔が見えなかった。

 「おい、起きてるか?」

 声をかけるとようやく頭を上げた。顔は憔悴していることが簡単に見て分かる程に痩せていて、既に威嚇するような気力も残っていないようだ。

 「何だぁ?……誰だお前? 初めて見るな。」

 「俺が誰なんてどうでも良いだろう。お前に質問がある。」

 「何だよ。話すことは全部話したぞ。もう良いだろ。何度同じことを話しゃいいんだよ。」

 「質問を始めるぞ。」

 「……」

 男は黙っていたが抵抗はしないようだ。

 「最初の質問だ。お前の名前は?」

 「……ケネス。」

 「出身地は?」

 「んなこと聞いてどうすんだよ。言ってもどうせ知らねぇだろ。」

 「いいから早く言え。」

 「……ヘイゼルだよ。ほら、知らねえだろ。」

 「いや、知っているぞ。行ったこともある。」

 「はあ? あるわけねぇだろ! ここからどれだけ離れてると思ってんだ!」

 「知ってるさ。カルレイトの北。南に山があるお陰でずっと影が出来てる場所だろう?北西には湖があったな。」

 「なっ! ……本当に知ってるのか?」

 男は驚きで目を見開いた。この具体的な答えは予想していなかったらしい。

 それから男は質問以外のことも喋る程、素直になってくれた。故郷を知っていると言われそれが本当らしいと分かって、どこかに何の根拠も無い安心感が出来てしまったのだろう。しかしそれは仕方ないことだ。彼の体を見るに随分と痛めつけられているようだ。この孤独な空間で、適切な判断が出来る者は少ない。

 それからの質問はスムーズに進んだ。彼は警戒心が消えかかっていたし、大体の質問は、既に彼は何度も答えていたからだ。

 「――それで、何でお前はこの街に入り込んだんだ?」

 「命令されたからだよ。それしかねぇだろ。」

 「……どんな命令だったんだ?」

 「吸血鬼の子供を殺せ。っていう命令だよ。ここにいるんだろ?」

 吸血鬼が吸血鬼を殺す。彼から出てきた言葉は大きな意味を持っていた。つまり彼とその後ろの奴らは、あの作戦の時、子供を逃がそうとしていた奴らとは別の者達であるということだ。

 「それでな、その時命令した奴がな。すんげえ嫌な奴でさ。」

 「そいつの名前は?」

 「コードって呼ばれてた。」

 「コード……ね。」

 「……な、なぁ。」

 「何だ?」

 「これ、どうにかしてくれねぇか?腕が痛くて仕方ねぇんだ。」

 男は自分の腕が拘束されている後ろ側を見る。随分と窮屈そうだ。

 「それは出来ない。そんな権限、俺には無いからな。」

 「そ、そうか……」

 「今日はありがとう。それじゃあな。」

 俺は扉から出る。質問したいことは十分出来た。





 部屋に戻ると兵士達がこちらに目を向けてきた。

 「どうでした?」

 「確認したい事は確かめられたよ。ありがとう。」

 「いえ、それでどうします? あの吸血鬼。」

 「聞きたいことは聞けた。何も生かす理由が無いなら、殺すしか無いだろう。」

 「はっ、了解しました。ではそのように致します。」

 そう、吸血鬼の命なんて本来はこんなものなのだ。彼等は本質的に人間の捕食者であり、そこに慈悲を与える隙はない。だからこそあの少女は特異な存在であり、だからこそその立場は不安定で歪んでいる。

 俺はその場を後にする。暗い通路を抜け、北棟から出ると既に日は沈んでしまっていた。どうやらかなりの間地下にいたようだ。

 中庭にいた子供達は当然姿を消している。辺りは静けさで耳が痛い程だった。しかし誰もいないと思っていたその暗闇の中に誰かがいるのを見つけた。しかも一人ではなく二人いた。それは孤児院院長のレイリーと吸血鬼であるエミィだった。

 五年の間で孤児院に行き、吸血鬼であるエミィと接触したことは何度かある。それは預かっている者として、最低限やるべきと思ったことだったし、更にクラインの手紙にはエミィの様子を伝えろと毎回要求されるので、様子を見ない訳にもいかなかった為だ。

 近づくとエミィが花壇のレンガブロックに座り、レイリーはそれを見守っているということが分かった。

 俺が二人に近づくとレイリーが俺の存在に気がついた。

 「ローガン、どうしたんだい。こんな所で?」

 「それはこっちの台詞だ。何をしているんだ?」

 「エミィがどうしても外に出たいって言うからね。散歩させてやってるのさ。この子は昼間に外に出られないからね。」

 レイリーはエミィを見ながら言った。その当人の彼女はこちらの話などには興味を示すことなく、先程と変わらず花壇の花を眺めていた。

 「ほら、エミィ。挨拶くらいしなさい。」

 レイリーに肩を叩かれようやくこちらに気がついたようだ。エミィは花壇に座ったままこちらを向いて、渋々といった様子で挨拶をした。

 「こんばんは、ローガン。」

 「ああ、こんばんは、エミィ。」

 孤児院の子供達は大抵俺のことは団長と呼ぶ。兵士なども大体はそのような呼び方で、本部の中では俺は団長と呼ばれることが殆どだ。

 しかしエミィは違っていた。それはおそらくレイリーの影響があるのだろう。彼女は俺とは旧知の仲で、本部の仲で俺のことを呼び捨てで呼ぶのは彼女ぐらいだ。それでエミィは普段一番近くにいる人物の呼び方を真似した為、こんな呼び方になったのだろう。

 これは数年前の初めて面と向かって会った時からずっとだ。それは本部にいる多くの兵士や同年代の子供達の呼び方に、この数年で直されないくらいにレイリーがエミィに付きっきりであるというのが理由だろう。つまりそれだけこの少女は、レイリー以外の存在から距離を取られているのだろうと容易に想像出来た。

 「何をしているんだ?」

 「花を見ているの。」

 「何で花を見ているんだ?」

 「花を見たくなったからよ?」

 それもそうだ。花を見たいという理由以外で花を見るなんて、学者くらいのものだろう。この質問は何も意味を為さないものだったようだ。

 「……本当は。」

 エミィが呟くような、少しでも風が邪魔すれば消えてしまいそうなくらいの声で言った。

 「昼の間の、この花を見てみたいの。」

 「……フードを被れば、見に行くことぐらい出来るだろう?」

 「ううん。違うの。そうじゃないの。」

 エミィは小さく首を振る。その目線の先は変わらず花に注がれていたが、エミィ自身は何か別のものを見ているように思えた。

 「ねえ、何で私は日を浴びれないの? 皆はいつも外へ出たって平気なのに。」

 右手の先を抑えるようにエミィの左手が動いた。太陽の光の中にその手をやった事があるのだろうか。表情はそれを思い出したのか歪んでいた。

 「それは、お前が吸血鬼だからだろう。」

 「何で私だけ吸血鬼なの?」

 「……」

 その疑問には直ぐに答えることは出来なかった。その言葉にはどういう意図があるのか正確に掴むことは難しく、たとえ分かって答えることが出来たとしても、その答えに大して意味は無いように思った。

 「……何で、私だけなの?」

 いつの間にかエミィの目には涙が溜まっていて、彼女はそれを掌で拭った。しかしそれでもその頬を伝うものは、止まることは無かった。それには彼女の中に今迄生きてきた想いが籠っているのだろう。

 しかしそれを見ても俺はこの少女に慰めの言葉をかける気には一切ならなかった。慰めたくもないし、いくら俺がここで慰めたとしても、事実が変わりはしない。現実をいくら誤魔化そうとしても、幻想で目隠ししても、彼女に取り巻く問題は残ったままだ。

 だから、慰めの代わりに俺はエミィの前まで近づき肩を叩いた。

 「諦めろ。」

 「……え?」

 「どんなに自分の生まれを憎もうが、お前が吸血鬼であることは変わらない。日を浴びることは出来ない。」

 彼女の顔に一瞬だけ、驚きが浮かんだ。しかし言葉の意味を飲み込む内に、その表情には驚きの代わりに悲しみのような悔しさのような、様々な感情が織り交ぜられたものが映し出されていた。そしてその感情達の全てを表すように、その目からは涙がまた溢れ始めた。

 「何で! どうしてなの?」

 エミィは立ち上がり肩に置かれた手を掴んだ。掴んだ手は微かに震えていたが、同時に何かを訴えかける様に力強く握っていた。エミィのその思いは幼さ故に、上手く言葉にすることは出来ていなかったが、それでも俺の言葉を根本から否定しているということは十分感じられた。

 「エミィ、落ち着きな。ローガン、こんな小さい子に言い過ぎだよ!」

 レイリーが俺の手をエミィから払った。そしてエミィの元へしゃがみ込み、ポケットから取り出したハンカチでエミィの目から溢れ出す涙を拭った。

 「エミィ、こんな奴の言う事なんて真剣に聞いちゃいけないよ。こいつは子供の頃から戦争馬鹿だったんだ。気にすることないよ。」

 レイリーは繰り返すように言う。エミィはそのうち落ち着きを取り戻して、また花壇に座り込んだ。

 エミィが泣き止むのを見ると、レイリーはこちらを睨みつけながら、詰め寄ってきた。

 「ローガン! あんたは何でこんなことを言うんだい? あんたは心ってものが無いのかい?」

 「じゃあレイリー、お前だったらなんて言うんだ? きっといつか人間になれるなんて言うのか? こいつは勘違いをしているんだ。吸血鬼はそういうものなんだよ。そんなものだと認めるしか無い。それとも何だ? 太陽の下に連れて行って、いつか平気になると言って、焼け死ぬまで放っておくのか?」

 「そうじゃないよ。ただそれ以外にも言い方ってものがあるだろう? それじゃあエミィを傷つけるだけだよ。そんな事言うんだったら、もうエミィには近づかないでくれ!」

 「もう止めて!」

 言い争う俺とレイリーの間に、エミィが割って入った。

 「ごめんなさい、私が悪いの。私は何とも思って無いから。」

 「エミィは悪くないよ。この馬鹿が悪いのさ!」

 「いいの。レイリー。本当のことだから。」

 エミィはレイリーの腰に抱きつき、二人の距離を離そうとした。そのエミィの様子に頭に登った血が降りたのか、レイリーは抱き着いているエミィを抱き返した。しかしその目はこちらを貫いたままだ。

 「ローガン、お前はもうエミィに近づくんじゃない。あんたは嫌いなんだろう? 丁度いいじゃないか。それだったらあんたも煩わしいと思っていることも、一つ減るだろう?」

 「ああそうだな、それがいい。生きていてくれるなら、もう何でもいい。」

 レイリーはエミィの手を引き、孤児院の方へと歩き出した。その姿は直ぐに植え込みの影に消えていった。ここには自分一人だけが残された。

 夜の暗闇の中で冷たい風に吹かれてなお、煮え滾った感情は中々冷めなかった。それはレイリーのあの態度が原因だ。何だ? あのレグル派みたいな言動は? 吸血鬼が人間と混ざり合って過ごせると、本当に思っているのだろうか?

 確かにあの質問の答えとしては、あれは不適格だろう。他にも言い様はあった筈だ。言うにしても時期というものがある。しかしそれをして何になる? そんなもので人間と吸血鬼との間にある崖を埋めたりする事なんて出来ない。それは俺が一番よく分かっている。どんな言葉だろうと人間と吸血鬼を近づけるには至らない。






 ――ならば何で俺はあの時、あの吸血鬼の子供を生かしたのだろう。何を思っていたのだろう。頼まれたから? いや、違う。迷っていたからだ。どちらを選べば良いのか分からないから、言い訳が出て来たのを良い事に、それを建前に行動しただけだ。

 風がまた吹いた。それは熱を少しづつ奪い、やがて過剰だった熱はようやく今日の生暖かい風と同じくらいの温度になった。

 もう吸血鬼のことについて考えるのはよそう。俺が何もしなくとも、レイリーやクラインなどの者達が勝手に何とかして、いつかここから何処かへ行き、どうにかなるだろう。

 それに関してはもうどうでも良い。吸血鬼に何が起ころうと俺には関係ない。やはり、頼まれたからと最低限でも近付こうとしたのが間違いだった。ただ俺はあいつが逃げ出した時、確実に追い詰めて今度こそ息の根を止める。これだけを覚えておけばいい。

 また風が吹いた。その風は砂を巻き上げ、俺の体にぶつけていた。それはまるで、いつまで経ってもあやふやな意思を持ち続ける自分を、世界が嘲笑っているかのようだった。

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