1-1.夢
初投稿です。
小説を書くのは初めてなので至らぬ点が多々あるとは思いますが、どうぞよろしくお願いします。
ここはどこだろうか。視界を黒いものが覆っていて、目に映るものは闇しかなかった。
あぁ、何だ。いつもの夢か。
俺は瞬時に理解した。これは十五年前の記憶だ。そうと分かると気分が悪くなった。俺はこれから、自分の記憶の中で一番嫌なものをまた見なければいけない。
憂鬱になっている俺の腕の中で何かが動いた。意識しなかっただけで、俺はずっと抱きかかえていたようだ。抱き抱えていたそれは、まだ小さな赤ん坊だった。ぐっすり眠っていているようで微かな寝息が聞こえる。
俺はまだ小さな腕で、自分よりずっと小さな赤ん坊を強く抱きしめた。その赤ん坊は俺の三つ離れた妹で、家族の中ではよくエミィと呼ばれている。母親から受け継いだ薄い金色の髪は、暗闇でも輝いて見えるくらいに綺麗だった。
俺は二人を覆っていたものをどけた。すると阻むものが無くなり、肌をひんやりとした空気が覆った。
どうやら俺達は小舟に乗っているらしい。暗闇に包まれていて周りは殆ど何も見えないが、僅かな木々のざわめきがあちこちから聞こえることから、俺達は森の中にいるのだろうと想像することが出来た。
「大丈夫だよ。アラン。もうすぐだからね。」
頭の上から突然声が降ってきた。振り向くと闇に慣れた目に二十歳くらいの男が俺の目に映った。男は櫂を両手で持ち、小舟の端に座りながら俺達に笑って見せていた。
「アルノーさん……」
「もう少しで皆と合流できるから。」
アルノーさんの優しくも力強い言葉に幼い俺は安心した。外套に隠れた顔は見えにくかったが、柔らかい表情をしているのは口元だけで分かった。
心が緩んだ、その時だった。安心した心を跳ね飛ばして驚かすように足元が大きく傾き、そして小舟が軋んだ。
反射的に振り返ると、そこには男が一人立っていた。まるで最初からそこにいたように。
「……っ!」
確かにこの小舟には俺達三人しか乗っていなかった筈だ。辺りは静かな夜の森で、足音を消して近づけるような環境ではない。しかし、それにも関わらず、男はそこにいたのだ。
「ようやく追いついた。」
男の声は感情が排除されたような声色だった。向けられたその目は鋭く冷徹で、まだ子供だった俺が腰をぬかしてしまうには十分に恐ろしかった。
男は黒っぽい軍服に薄汚れた灰色の外套を羽織り、腰に一振りの剣を携えていた。もしかしたら助けに来てくれた仲間かも知れないなどと、楽観的に考えることは少しも出来なかった。その男が放たれる殺気を受けて、本能は俺達にこいつは敵だと伝えていた。
アルノーさんもまた男の気配を察知出来ていなかったようだった。しかしアルノーさんは俺とは違い、驚いたとしても体はすぐに動き、俺達を男から遠ざけようと素早く抱き上げた。
「その子供達を渡せ。」
男はまた短く言葉を紡ぐ。狙いは俺達らしかった。
「そしてこの子たちをどうするつもりだ?」
「それを決めるのは俺じゃない。王様が決める事だ。」
「じゃあ渡せないな。」
そう言ってアルノーさんは俺達を抱えて、小舟から勢い良く飛び出した。俺は体が空中を浮遊しているのがはっきりと分かった。
落ちる、と俺が思った時にはアルノーさんは地面に着地していた。俺が咄嗟に船の方を見ると、男もアルノーさんを追って飛び出した。
更に男は腰にあった剣を抜き、アルノーさんの首をめがけて真っ直ぐに斬りかかってくる。銀に光るそれはアルノーさんの首を正確に捉えようとしたが、アルノーさんはそれをかろうじて腕で防いだ。
金属と金属がぶつかる音がする。どうやらアルノーさんは腕に篭手を着けていたようで、それが男の剣を弾いてくれたのだ。
しかしそれに男は何の反応も見せず、今度はアルノーさんの頭を狙い剣を振り下ろした。アルノーさんはこれを後ろに下がって避けるが、男はさらに続けて一歩踏み込み、突きを放ってくる。
紙一重でアルノーさんはそれを躱し、更に男との距離を少し空けることに成功する。俺はただ妹を離さないように、アルノーさんに捕まっているしかなかった。しかしその目まぐるしい立ち回りで、掴まっているだけの俺は目が回りそうだった。
一つ一つが即死に繋がる男の攻撃は一旦止まった。しかし男はその鋭利な殺意を未だにこちらに向けており、今にも飛びかかってきそうだった。
「……何で僕達の場所が分かった? あの時は確かに人は居なかった筈なのに。」
「どうして追いつけたかなんてどうでもいい。さっさと渡してくれないか。そうしたら逃してやってもいいぞ?」
男は既にその剣を何度も振っているのにも関わらず、降伏を勧めてきた。どうやらこの男は嘘が下手らしい。男の大柄な体躯から滲み出る気迫は、依然として確実に俺達を殺そうとするものだ。
きっと男本人も本気で降伏するとは考えていないだろう。取り敢えず、そう言う決まりだから言っている、そんな考えが見て取れた。
「この子達は絶対に守ってくれって言われてるんだ。渡す訳にはいかないよ。」
「そうか。それは残念だ。」
男はその答えを予想していたかのように無表情で言うと、先程とは段違いの鋭さで剣撃を放つ。
アルノーさんはまた一歩下がり躱した。剣先がアルノーさんが居た空間を抉る。更にアルノーさんが避けた先に、男は更に素早い追撃を繰り出した。
体勢が崩れていたアルノーさんはそれを篭手でなんとか受け止めたが、その衝撃に堪らずたたらを踏んでしまう。
男はそんな大きな隙を見逃すような者ではなかった。男は大振りに、そして力強く剣を横に払った。どうしても避けきれない斬撃だった。
そしてその剣先にいたのはアルノーさんではなく、俺達だった。その時、俺は自分の体が真っ二つに別れているところを頭の中で想像した。
「くっ!」
しかし、その予感は現実にならなかった。アルノーさんが咄嗟に自分の体を盾にして、俺達を守ってくれた。
そして、その代わりに、男の力の入った斬撃は、僕達を守るアルノーさんの背中を切り裂いた。
森の中に絶叫が響き渡る。
傷を負い、アルノーさんは地面に倒れ込んだ。俺達を抱き締める力が弱まっているのが直に分かった。その溢れ出る血の量は子供だった俺が絶望してしまうくらいに多かった。
アルノーさんはそれでも直ぐに立ち上がろうとした。けれどあまりに傷が深過ぎたようだ。途中で膝が折れて、アルノーさんは地に膝を打ちつけた。体に力が入っていないようだった。俺達を抱える腕も痙攣し始めている。
アルノーさんはもう動けないと男は判断したようだった。俺達をアルノーさんから無理矢理奪い取り、左脇にまるで荷物のように抱えた。
「その子達を、返せっ。」
「諦めろ。聖銀にそんなに深く斬られたんだ。もう碌に動けないだろう。」
アルノーさんは藻掻くようにして立ち上がろうとする。しかし体を思うように動かせていない。俺はそれを見て、俺だけの力でもこの危機から脱出しなければならないと直感した。
「このっ、離せ!」
なんとか男から脱出しようと必死にもがくが、勿論男の力に打ち勝つ事は出来ず、俺の抵抗は無意味に終わった。男は俺の抵抗など気にした様子もなく、懐から何かを取り出した。男がそれを口に持っていき、それに息を吹き込むと、甲高い音が森のざわめきを切り裂くように鳴り響いた。
「頼むっ、その子達はクレアから預かった大切な子達なんだ。その子達に何かあったら、僕はクレアに顔向け出来ない!」
「……ああ、安心しろ。どちらにせよ――」
その時だった。一条の矢が男に向かって飛んできた。しかし男はそれを頭を少しずらすだけで回避した。
「アルノー! 大丈夫か?」
「ギル!」
声のした方へ目を向けて見てみると、アルノーさんや俺の両親の大親友であるギルさんがそこにいた。
更に辺りを見渡すと、森の緑に溶け込めるような、ギルさんと同じ色の服を着ている人達が男を囲み、弓を男に向けていた。全員がその眼を鈍く赤く染めている。
「その子達を離せ。」
ギルさんが冷ややかに言う。
周りの人達も弓を引き絞って今にも男に放とうとしていた。どこにも男の逃げ場など無かった。
「いい加減にしてくれ、今日は気分が悪いんだ。命が惜しかったらさっさと散れ。そうしたら命は助けてやる。」
しかし、男はこんなに囲まれているにも関わらず悠々と話す。まるで自分は絶対に殺されないという自信があるかのようだ。そんな男をギルさんが睨んだ。男もギルさんを睨み返した。
緊張が場を支配する。誰も動けず、時間だけが過ぎていく。
その沈黙の中で、俺の腕にいたエミィが動き出した。今迄の騒動でとうとう起きてしまったのだ。妹が起きてしまった事に俺は焦った。そして焦った頭で俺は考えた。時間が過ぎれば男の仲間がここに来る。そうなったらもうおしまいだ。この緊迫の状況の中で、俺は無駄だと分かりつつも暴れだした。
「離せっ、この野郎っ!」
俺が暴れ出したことにより、男の意識が一瞬こちらを向いた。ギルさんはその隙を見逃さなかった。ギルさんの放った矢は男に真っ直ぐ飛んでいく。男は間一髪でそれを避けた。
しかしギルさんの弓に応じるように周りの仲間も弓を放っていた。俺はそれを妹にだけは当たらないように、自分の体で妹を覆い隠した。俺に当たる物はすぐに治ってしまうのだからどうでも良いが、赤ん坊の妹に痛い思いはさせられない。ギルさん達だって俺がエミィを守るのを見越して矢を放っているだろう。
しかし結局、矢は俺達のどちらにも当たる事は無かった。男が全てそれを剣で弾いたり回避しているのだ。
「ッ!」
しかし、あれ程の剣の腕を持っていた男だが、流石にこれだけの数の矢を全ては捌き切れなかった様だ。男の右足に一本の矢が刺さった。
「今だ、皆!」
ギルさんの掛け声に皆が男から俺達を取り返そうと走り出す。
しかし、今度はギルさん達に向かっていくつかの矢が飛んできた。それによりギルさん達の足は止まってしまう。そしていくつもの馬の蹄の音がすぐそこに近づいて来ていたのが、俺は今になってようやく気づいた。
「大丈夫ですかっ、隊長!」
男の仲間がここにたどり着いたのだ。
このままでは二人共捕まってしまう。俺はどうにか男の手から妹だけでも逃がそうと、最後の力を振り絞り暴れだした。
「チッ、いい加減に大人しくしていろ!」
その言葉と同時に頭に強い衝撃が落ちる。それは俺の意識を奪い取り、視界は暗闇に飲まれていった。腕の中からエミィがすり抜けて落ちていく感覚だけが妙にはっきりと感じ取れた。
あぁダメだ、エミィを守るって母さんと約束したのに……
目を開ける。この夢から覚めるといつも目が冴え渡っている。見ると外からは僅かに木漏れ日が差し込んでいて、部屋の端に落ちていた。
俺はボロボロの布を被せただけの寝心地の悪いベッドから出た。そして腕を上に伸ばし、思いっきり伸びをする。その時に少し木でできた天井に当たった。
人から居場所をできるだけ隠すため、俺達の村ではこのように小さく家が作られているのだ。
あの夢の後、俺が気を失ってからアルノーさん達は俺達を取り返そうと奮闘したらしい。しかし隙をついて俺を取り戻すことが精一杯だったそうだ。結果的には俺だけが、ここで15年暮らすことになった。
けど、それは今日で終わる。
俺は胸の中でこの言葉を自分に言った。それから俺は外套を身に着けフードを深く被り、ドアを開けて家を出た。
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