深夜の訪問者
引っ越して、大家と不動産屋くらいしか住所知らないはずの家に、いきなり訪問者が来たら怖いなと思って書きました。
俺はスパイだ。
その町に溶け込み、本当の姿は誰にも知られてはいけない。
私鉄の各駅停車しか止まらない平凡な街の平凡なアパート。
そこにごく平凡のサラリーマンとして潜伏し、来る日に備えて、任務を待つのだ。
意識高い系のファミリーが入居してくるほど新しすぎず、奇特ものと思われない程度には古すぎず、うわさ好きの主婦や、無神経に入り込んでくる子供もいないアパートの一室。
無関心な大家は、敷金と前家賃を入れたら偽名でも全く疑うことなく部屋のカギを出してきて手渡してきた。
山本、鈴木、田中、この辺りを名乗れば、日本人で一番多い姓なので全く怪しまれることなく、印象にも残ることなく潜伏できるのだ。保証人なんてものも、100円ショップで売っているハンコを押しておけば、アパートの契約書程度ではいちいち存在の確認なんてされない。
階段を上がり、鍵を入れてドアノブを回して部屋に入ると、ブレーカーを上げて電気をつける。
電力メーターのワット数を控えて、電力会社への契約へのはがきを投函したあと、部屋に戻り一息をつきながら、帰りのコンビニで買ってきた弁当をかきこむ。
コンビニからの夜道で弁当が中途半端に冷えてフタに水滴がついて気持ち悪いが、ガスは封ロックされて、明日、ガス会社が来るまで使えないから我慢する。
とにかく、ここに潜伏して、任務を待つのだ。
その時だった、誰も知らないはずの俺の家のドアがドンドンと叩かれたのは。
「山本さーん。いないんですか、山本さーん!」
今日から使い始めた偽名なので、大声で連呼される名前が俺のことだと、気づくのに少し時間がかかった。
ちなみに、昨日までは鈴木だった。
相棒のコルトガバメントのスライドを引き、背中の後ろに隠しながら玄関に向かう。
その間にも、大声攻撃、ドアバン攻撃は続く。
ここまで玄関先で大騒ぎをされると、近隣の住人に不審がられるから、出ないわけにはいかない。
ドアの横に半分身を隠し、背中に隠したコルトをいつでも撃てるようにしながら、一気にドアを開ける。
「わ、山本さん、脅かさないでくださいよ」
パンチパーマで、頬に傷のあるチンピラ風の侵入者は、開いたドアの隙間に半身をねじ込み、ドアが閉まらないように足で押さえてくる。
まさか敵対組織か?しかも、なかなかの手練れだ、引き金にかけた指に力がこもり、指が白くなった。
「○○新聞です。お引越ししてこられたみたいなので購読のお願いに来ました」
新聞の拡張団か!?しかも、長々と玄関先で話をされてドアが閉められない。なんという不覚。
背中に隠したコルトを見られるわけにはいかないが、鉄の塊を持っているようなものだ、しかも汗で滑ってきた。
仕方ない、6か月分購読契約をしてさっさと追い払った。なお、サインは片手でした。
奴が去った後には、洗剤が積み上げられていた。身一つで引っ越してきて、洗濯機もないのに。
引っ越し蕎麦と書かれた、カップめんの蕎麦バージョンを置いて行ったが、お湯も沸かせないのに食えるはずもない。
とりあえず押入れにしまう。
ようやく落ち着いて、チャンバーから実弾を抜いて安全装置をかけてコルトを仕舞った。
乱数表の確認と本国からの短波ラジオの受信状況を確認しないとな。
窓側に行き、アンテナの向きを調整していると、またドアがドンドン乱暴に叩かれた。
しかも強引だ。
「NHKです。山本さん、いるんでしょう?
電気付いてたから来ました、引っ越してきたなら受信契約をしてもらわないと」
ドア越しに大声で契約を迫る。
何時だとおもってるんだ。階下から苦情が来たりしたら住人に俺の存在を覚えられてしまう。
ドアを開けて、声を落としてテレビがない旨を言う。
「テレビなくても、ワンセグとかあるでしょ。ちょっと部屋の中を見せてもらいますよ」
奴は強引に部屋に入ろうと身を乗り出してきた。住居侵入や不退去で通報したいところだが、俺も警察に連絡できない身だ。警察には頼れない。ドアを閉めようとするが、強引に開けて入ってこようとする。
「なんでそんなに拒むんですか?やっぱりどこかにテレビが隠してあるんじゃないですか?」
玄関で騒がれると厳しいものがある。
「夜中だから、ちょっと静かにしてくださいよ」
俺がそう言って力が抜けた隙に、押し入ってきた。
「最初から、素直に見せればいいんですよ。そうすればすぐにすみますから。
テレビは、見たところないみたいですね。この中はどうですか?
まだ開封していない荷物の中とか」
「あ、その箱は!?」
指令を解読するための乱数表が納められている。見られるわけにはいかない。
「そうですか、そんなに見られたくないなんてますます怪しいですね」
制止を振り切って開けられてしまった。
「なんですか、この紙は。ナンプレですか?
テレビはないみたいですね」
「はいはい、テレビなんかどこ探してもないから、早く出てってください」
とりあえず一安心して、ドアの方に押しやり退室を促す。
しかし、奴はいきなり押入れを開けた。
「こういう所にテレビを隠す人が多いんですよ、ほら!なにか入ってるじゃないですか」
そこには、新聞屋が置いていった洗剤が積みあがっていた。
「洗剤?でも、奥にもまだ何かありますね」
奴は手を突っ込み、ガサゴソと、押し入れの中を漁る。
「もうやめてくださいよ!」
制止を聞き入れることなく、ガサゴソ。ガサゴソ。
「ん、なんだこれは。
銃?」
奴は押入れから取り出した銃を手に、スライドを引いたり、安全装置を動かしたりして、もてあそんでいる。
「それ、モデルガンだから、勝手にいじらないで。
早くしまって」
「いいじゃないですか、僕もモデルガンにはハマっててね。
ハワイで本物を撃ったことがあるから、使い方もちゃんと知ってるんですよ。
こういう銃身が金属で重量感があるのは最近規制されてるから、珍しいですよね。
いいなー、うらやましいなぁ。
感触も本物そっくりですよ」
といいながら、奴はしばらく銃をもて遊んだあと……。
引き金に指をかけ……。
そう、俺は制止したんだ。銃をもぎ取ろうとしたんだ。だけど……。
引き金を引いてしまった。
人のいない、部屋の天井隅に向けて引き金を引いたことなど、何の慰めにもならない。
バンッと、乾いた銃声が、地方都市の閑静な夜を切り裂き、やけに大きく響き渡った。
衝撃音で、新聞屋の置いて行ったカップめんが転がり落ちた。
銃声がすると通報され、警察がやってきて、俺は逮捕された。
終わった、終わってしまった。
強引な勧誘や、携帯を持っているだけで契約させようとしたり、家に上がりこもうとする話を聞いて書きました。
受信契約をさせる団体の名前は、伏字にしたほうがいいかしら。