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3-1 負けずぎらい

六月六日(火)


 翌朝、登校したカソルはホームルーム前の時間にハルとナノと談笑していた。

「カソル・アルフマン」

 そこにやってきたのは、真面目くさった顔で瞳に闘志を燃やしたエルレイだった。カソルは顔を上げて小首を傾げる。

「うん?」

「今から『魔術の心得』を読むぞ。よく聞いておけ」

 そう言って手に持っていた古典の教科書を開き、胸の高さに持ち上げた。

 先日の出来事が悔しかったのか、自分も読めることを示して張り合おうとしているらしい。

 突然の行動にハルとナノがあっけにとられるのにも構わず、エルレイはエルレイらしい自信にあふれた調子で文章を音読していく。淀くことなく、つっかえることもなく読み進め、やがて最後の一文まで声に出したところで息をついた。

 ふふん、と鼻息を鳴らして誇らしげな顔をする。

 カソルはなんだかほほえましい気持ちになった。

「すごいね」

「どうだ。古代ユグド語の読解など俺の手にかかれば造作もない」

「あとは読み方の慣例を覚えればいいだけだね。例えば『逢うて』は口に出して読むときは『あうて』じゃなく『おうて』と読む」

 得意げにに胸を張っていたエルレイは、予想していなかった指摘に目を剥いた。カソルは立ち上がってエルレイの教科書の本文を指差す。

「あと、これとかこれとかこれの場合、『む』は『ん』って読むんだ。同じようにこっちとこっちは『ふ』を『う』って読まなきゃいけない」

 眉根を寄せたエルレイは本文の別の部分を指差した。

「……ここも『ん』と読むのか?」

「いや、そこは『む』で大丈夫。面倒なことに厳密なルールがあるわけじゃなくて、本当にただの慣例なんだ」

「そ、そうか」

 エルレイはうなずき、また真剣な表情になって本文を食い入るように見つめる。

 少ししてから我に返って顔をあげると、悔しさの滲む表情でカソルを見据えた。

「……くっ、今回のところは指導に感謝しておこう。しかし次は訂正する余地など与えないからな!」

「うん、頑張って。でも一日でここまで読めるようになるなんて本当にすごいと思うよ。わざわざ勉強したの?」

「昨日図書館で教本を借りて、ほんの少し勉強しただけだ」

 よく見るとエルレイの目元にはうっすらとくまができていた。ハルがそれに気づいて苦笑いした。

「どんだけカソルに負けたくないのよ……」

「負けたくないとかではない。負けることが許されないだけだ。ソージア家に生まれた男児として」

 それを聞いたナノは、カソルの机に頬杖をつきながら盛大に溜息をついた。

「かわいそう。文字が読めるようになったからって埋まる差じゃないのに……」

 そんなナノをエルレイがギロリとにらみつける。

「なんだと?」

「あ、ううん、なんでもない」

 ナノが首を振って視線を切る。エルレイはナノとカソルを交互に見たあと、その間のそれほど広く空いていない距離に目を留めて眉間に谷を作った。

「お前ら、妙に親しげじゃないか?」

「ふふん、まあね。昨日ちょっといろいろあって、ねー?」

 ナノは喜色も露わにカソルに顔を向ける。エルレイの眉がぴくりとはねた。

「いろいろ、だと? フリアス、お前は少し脇が甘すぎるぞ」

「どういう意味?」

 噛みつかれたナノはむっとしてにらみ返す。

「お前に魔術の名門の子女としての、フリアス家の人間としての自覚はあるのか? あまり軽々にそのようなどこの駄馬の骨とも知れんような――」

「エルレイくん」

 エルレイの説教を、ナノの氷点下を感じさせるほど冷たい声がさえぎった。エルレイもナノのそのような声は聞いたことがないらしく、背筋をぞくりと震わせて固まった。

「次カソルくんの悪口言ったらノートの背表紙じゃ済まないからね?」

 エルレイが一歩後ずさりして喉を鳴らす。

「な、な……何をするというのだ」

「魔法化学大事典の角」

「待て、それは」

「ケース付き」

「凶器だ! 魔術合金製ケースの角にあの重量を乗せたらもはやただの殺人だぞ、フリアス!」

「うん、だからクラスメートを犯罪者にしないよう口には気をつけてね」

 ナノの迫力に圧されたエルレイはずるずると後ずさりしてからカソルの方を見やった。視線を受けたカソルは何を言っていいかわからず両手を持ち上げて肩をすくめて見せる。

「お、覚えておけよ!」

 古典的な捨てぜりふを吐いたエルレイは、逃げ帰るように自分の座席に戻った。それを見届けたナノはカソルに向かって親指を立てた。

「私はカソルくんの味方だから!」

「……あ、ありがとう? でも友だちは大切にした方がいいんじゃない?」

 困惑しながらもうなずいて返すカソル。

「カソルくんは心が広いね。むかついたらぎゃふんと言わせちゃっていいんだからね」

 ナノは軽く握った拳をしゅっしゅっと左右一回ずつ素振りする。まったく腰の入ってないパンチを繰り出す姿は、どこか猫のそれに似て愛らしかった。

 昨日のことで恩義を感じているのだろうか。恩を売る気はまったくなかったのでここまで感謝の気持ちを露わにされても当惑するばかりで、どうしていいのかよくわからない。

 カソルはとりあえずエルレイの頭部の無事を祈っておくことにした。

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