表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/50

50★約束

 

「待ってってばーぁ、もぅっ」


 クターバックスカフェの自動ドアが開くと、冷えた風が髪を舞い上げた。席取りに使ったマフラーをぐるぐると首に巻きつけ、しゃきっと背筋の伸びた聖ちゃんの後を追う。ハラペチーノを一気に飲み干したせいで、せっかく店内で暖まり始めた身体も震える程冷えきっていた。


 言葉の続きを待つ代わりにちらちらと顔色を窺いながら、無言のまま寮までの道のりに足を進める。たまに吹く強い風が聖ちゃんの短い髪を揺らす。それをうっとおしそうに押さえながら聖ちゃんはこちらを向いた。


「寮までは少し歩くから、話せる時間はあるわよね?」


「時間? う、うん。でも話なら歩きながらじゃなくても……ちゃんと座ってさぁ……」


「ちゃんと話したいから、よ」


 そう言い終わると、聖ちゃんはぷいっと向き直ってまた足を進めた。半歩後ろを歩く私をどんな風に思っているのか、どんな事を考えているのか、どんな話をしたいのか、私には全く分からない。


 ただ一つだけ分かる事があるとすれば、顔を叛けた時の聖ちゃんは、いつも以上に真剣な表情をしていたという事……。


 話をすると言いながらも黙って歩く事数分、私たちの視界にはもうすでに見慣れた星花女子学園の敷地が広がっていた。ゆっくり歩いているとはいえ、後五分もあれば私が入寮している桜花寮に辿り着く。話すつもりなくなったのかな、と思い切って聖ちゃんの前に立ち止まった。


「話、したくないなら無理しなくていいよ。私はそんな堅苦しい話がしたいんじゃない、聖ちゃんと楽しい話がしたいんだもん」


「楽しい話、ねぇ……」


「言い出しにくい事だか話づらい事なんだか知らないけどさ、せっかく私といて楽しいって言ってくれたばっかりなのに、云わない話を無理矢理引っ張り出そうとしてつまんない時間を過ごしたくないの! 私は、私と一緒にいて楽しいって言ってくれる聖ちゃんと一緒にいたい!」


「……つまらない?」


「つ……つまんない! つまんないつまんない、つまんないー!」


 まるでダダをこねる子供のようにばたばたと手をぶらつかせながら俯いた。分かってる、こんなのワガママだって分かってる。だけど、だけど私は……。


「じゃあ栗橋さん、楽しませてあげられるか分からないけれど、ここで待っていてくれる?」


「……ふぇ?」


「だから、泣かないで?」


 言われてほっぺたを触ると、そこには涙の痕が一筋あった。バカみたい、ほんとにワガママだだっ子みたいな自分が恥ずかしくなって、コートの袖で涙を拭いそのまま黙って下を向いた。


「ごめん、泣くつもりなんてなかった……。ごめんね、私らしくないよね、ごめんね、バカみたいな事言って困らせて……」


「……本当よね、そんなに泣く程私との時間を楽しみにしてくれているなんて。……話はちゃんとするわ。だから、少し待っていて?」


「……だから、何を?」


 言い終わる前に聖ちゃんは私の横をすり抜け、すたすたと歩いて行った。もう一度ごしごしと袖で頬を拭い顔を上げると……聖ちゃんの向かう先には懐かしいような、見慣れたような、愛おしいような人の影があった。


「きょ……郷奈ちゃん……!」


「莉亜……部屋に戻ったら姿がなかったから心配したのよ? まさか川原で星を観ながら寝てしまったのではないかとね。だけど……そう、外泊だったのね。休みの日にあなたがこんな朝早くから出掛けるなんておかしいと思ったわ」


「聖ちゃんちにお世話になってたんだよ……。でも郷奈ちゃん、冬休み中は実家に帰るって……」


「そうね、そう言ったけれど……その方がお二人には都合良かったかしら?」


 久しぶりに見るルームメイトの姿は、どこかよそよそしくて私の知ってるルームメイトじゃないような変な感じがした。じっと目を細めて私と聖ちゃんを見比べる郷奈ちゃんは、とても冷たい目をしていた。


「ちょうど良かったわ、城谷さん。あなたにも聞いてもらいたい話があるの」


「話? 私は砂塚さんと話す事はないわ。私は莉亜に話があるから戻ってきたの。……冬休みに帰る家のない莉亜を、うちで過ごさせようかと思って」


「あら、奇遇ね……」


 郷奈ちゃんと聖ちゃんの間に、私には見えない意思疎通があるように思えた。長い髪をかき上げながら余裕の笑みを浮かべる郷奈ちゃんとりんと涼しい顔の聖ちゃん、お互いの表情や立ち振る舞いこそ違うものの、言わんとする事は同じのようだった。


「栗橋さんはうちで過ごしてもらうわ。もちろん、栗橋さんがいいと言うならだけれど。それと……」


「あら、一晩お世話になったくらいで莉亜の面倒が見られると思って? 私は莉亜の親友でも恋人でもないけれど、莉亜がお姉ちゃんのようだと甘えてくれる以上は私が面倒見るわ。この学園に入ってからずっと同じ部屋で過ごしてきたんですもの、私にはどこででも莉亜の姉になれる自信があるわ」


「城谷さん、話は最後まで聞いてくれるかしら?」


「……いいわよ。それ以上言える事があるならだけれど?」


 郷奈ちゃんはフッと一つ鼻で笑って私の方を見た。続けて聖ちゃんもため息のようなものを一つ吐いてから私を見る。二人の視線にびくっとした私だったけど、今までとは違う真剣な迫力を感じてごくりと喉が鳴った。


「ちょうどこれから話そうと思っていたの。城谷さん、あなたにも聞かせたい」


「だからなぁに? 冬休みの間は莉亜を泊まらせたい、でしょう?」


「それだけじゃないわ。栗橋さんには、卒業したらうちで暮らしてもらおうと思ってるの」


「……え?」


 驚いた郷奈ちゃんの声と同時に私も同じ言葉が出た。正確には、口は開いたのに言葉にならなかった。それ以上声を発せられない郷奈ちゃんと私を見て、ゆっくりと聖ちゃんは続けた。


「城谷さん、あなたが栗橋さんを大事に思う気持ちは分かるわ、分かってるつもりよ。でも、あなたがしている事は栗橋さんの感情にフタをしていると思うの。自分の好き勝手に栗橋さんを束縛している、それは本人の意志とは関係ない傲慢なお節介だと思うわ」


「な……お節介ですって? 何? ずいぶん分かった風に言うのね。莉亜の感情? じゃああなたは莉亜に何をしてあげられると言うの?」


「栗橋さんは私をずいぶん変えてくれたわ。色んな事を話してくれて、色んなものを見せてくれて、色んな感情を持たせてくれた。でも、それは私だけではなくて、私に色んなものを与えてくれるうちに、栗橋さん自身も変わってきているのよ 」


「……た、確かに莉亜は好きだの嫌いだのという隔たりの分からないところがあるわ。でも、それとこれとは話が別よ。復学したばかりのあなたには分からない事だって、私には全て分かるわ」


「あなたこそ分かっていないわ、城谷さん」


 ちらりと横目でこちらを見た聖ちゃんと視線が交わる。私には分からない私の話に、私はただ息を飲んで見守る事しか出来なかった。口を出したら何かが崩れてしまいそうで……。


「城谷さん、確かにあなたは栗橋さんのお姉さん的存在かもしれない。でも、妹というのは、兄や姉にいつまでも甘やかされたくないものなのよ? 一人っ子でお嬢様育ちの城谷さんには分からないかもしれないけれど。私は今でも兄に子供扱いされてかわいがられているわ。でもね、かわいがるのと甘やかすのとは違うのよ。甘やかすだけでは何も成長しない、栗橋さんはずっと成長しないままになってしまうわ。ずっと好きも嫌いも分からないまま大人になってしまう事はあなたの望ではないはずよ? それとも、今までの栗橋さんを変わらないまま傍に置いておきたいのかしら?」


「……どうやら本当に変わったようね、砂塚さん。目つきもずいぶん穏やかになったし、積極的に会話だって出来るようになったみたいね。そんなによくしゃべるとは思わなかったわ。人を寄せ付けないオーラを放っていた頃とは大違いね」


「そうね、それもこれも栗橋さんのおかげと言っても過言ではないかもしれないわ。だから私は栗橋さんにお礼がしたい、お返しがしたいの。今度は私も栗橋さんを変えたい、一緒に変わりたい」


 語気の強まった聖ちゃんの言葉が私の胸を締め付ける。りんとした横顔には、嘘くささも照れくささも感じない。突然の事で信じられないけど、それが真実なら……。


「聖ちゃん、それ……ほんと? ほんとに私と一緒にいたいと思ってくれてるの……? じゃあ、じゃあさっきの続きは……」


 声が震える。聞きたい、知りたい、でも怖い。


「ずっと一緒に、栗橋さんと一緒にいたいと思ってるわ。……それがさっき私が伝えようとした続きよ」


「ひ、聖ちゃんがそんな事言ってくれるなんて……う、嬉しいけど……キツネにつままれてるみたいで……ちょっと信じられない……」


「……失礼ね、誰がキツネよ。……信じないなら別に構わないのだけど? 同じ事は二度も言わないわ。この学校を卒業して寮を出る事になったら、私の家に来て欲しい、そう言っているのよ。もちろん強制はしないわ。それは栗橋さんの意思だもの、返事は二年後までにくれればいいわ。よく考えておいてね」


 そう言って聖ちゃんは優しく微笑んだ。それは今までのどんな笑顔よりも暖かかった。ほんとに、ほんとに信じていいの? ともう一度聞き返したくて口がぱくぱくと動いてしまう。そんな私を見て、聖ちゃんは小さく首を傾げた。


「知っている? キツネもタヌキも同じイヌ科だし、場所は違えど森林に住んでいるのよ? 私たちは決して似た者同士ではないけれど、どこかで繋がっているみたい。帰る森がないタヌキなら、キツネの森に来ればいいわ」


「じ……自分だって……キツネって……うっ、うっく、キツ……うっく」


「泣いてたら何言ってるか分からないわよ。返事は二年後までにしてくれればいいと言ったでしょう? もしかしたら私の気が変わるかもしれないし、その時は新しい森を見つけるか、あるいは城谷さんのところへお世話になるか選べばいいわ。それは栗橋さんが決める事だもの」


 涙で霞んで見える聖ちゃんは、もうキツネ目なんかじゃなかった。決して釣り目が直った訳じゃないけど、例えて言うなら、ふかふかのおっきいイヌみたいに強くてかっこよくて、暖かい目をしていた。


 私には帰る家がない。それを寂しいと思った事はない。でも不安ならたくさんあった。ここを卒業したらどこへ行けばいいんだろうという不安。夏休みも冬休みも、私には帰る場所は寮だった。じゃあ、じゃあ卒業したら……ほんとは考えるのを避けていた現実。逃げていたのが事実。私の行く当てはない、居場所はない……それを受け入れるのが怖かった……。


 でも、でも今は……。


「ありがと、ありがと聖ちゃん! ありがとう! 郷奈ちゃんもありがとう! ごめんね、二人とも私の事たくさん考えてくれてたのに、私なんにも気付かなくてごめんね……」


「莉亜、謝る事はないわ。砂塚さんの言う通り、莉亜が決めればいいのよ? 泣くなんてあなたらしくない、笑って? 私も砂塚さんも、あなたにいつでも笑っていて欲しいから考えている事なのよ? そうでしょう、砂塚さん。莉亜がどんな選択肢を選んだとしても、それが莉亜の幸せならば恨みっこなしよ?」


「そうね、城谷さんの言う通りよ。栗橋さんがたとえ私の家を選ばなかったとしても、栗橋さんと縁が切れる訳ではないもの。別々に暮らしていたって進路が違ったって、会えなくなる訳ではないし、一緒にいたいという気持ちは変わらないわ。……多分ね……」


「ちょっと! 砂塚さんたら莉亜を困惑させて気を引こうだなんて卑怯よ!」


「あら、私は本当の事を言ったまでよ? 二年後の事なんて誰にも分からないじゃない。永遠なんて……と言いたいところだけれど……」


 聖ちゃんは言いかけて閉ざした。言葉を選んでいるのか、ふっと空を見上げながら呟いた。


「栗橋さんが教えてくれたの、変わらないものもあるのだと。なんの根拠もない約束だったけれど、栗橋さんの純真な目を見ていたら、本当に変わらないんじゃないかと思えてきたの。私の誕生日に、夜空のイルカに誓ってくれた事、信じてみてもいいのかしらと思えてきたの。ねぇ、信じていいのでしょう?」


「うん、うん! もちろんだよ! ずっと一緒、ずっと側にいるよ!」


 約束したんだ、一緒にいるって。側にいるって。あの日、空飛ぶイルカに約束したんだ。私も信じてる、約束を守れると信じてる……。


「約束するよ! あの空飛ぶイルカに誓って!」





 〈完〉




ここまでお読みいただきましてありがとうございました。


連載開始から早5ヶ月、無事に完結にたどり着きましたのは皆様のおかげです。

至らない作品でしたが心に残る物語であれば良いなと思っております。


これからも精進して参りますので、変わらぬご愛顧よろしくお願い致します。



2018年1月22日 芝井流歌


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ