49★暖かい場所から眺める冷えた景色
牛野屋で暖まった身体を冷ましていく冬の北風。ホームで電車を待ちながら震えていると、これでもかと云わんばかりの突風を引き連れて電車がやってきた。
再び一時のぬくもりに出会うも、車内にいるのはほんの束の間。聖ちゃんの家まで歩いた時はとてもとても長く感じていた距離なのに、電車に乗ってしまうとこうもあっという間なのかと拍子抜けする。もう少し車内で暖まっていたいと思うからか、到着までの十分間がものすごく速く感じた。
「降りるわよ、栗橋さん」
「うぅー……また寒いのやだぁ……」
「そんな事言ったらハラペチーノ飲めないわよ? ハラペチーノ飲みたいってダダこねるからわざわざ来たのに……」
「それは別だよぉ! 冬になるとアイス食べたくなるのと同じでしょ? アイスは夏より冬の方が売り上げいいし、種類も豊富だって知らないの?」
「……栗橋さんの発言は、どうも信憑性を感じられないのよね……。降りないなら置いていくわよ? そのまま終点まで行ってらっしゃい」
「わっ! ひどー!」
有言実行、私を一人残してそそくさと車内を後にする聖ちゃんの背を追いかけ、すいませんすいませんと乗客をかき分けながら私も降車する。ホームに降り立つと身震いする程冷たい空気が私たちを待ち構えていた。
改札を潜りながら緑と白の看板を思い出していた。どこかで見たはず……だけど私には縁のないお店だからとあまり意識して気に留めていなかったのかもしれない。どこかで、どこかで……。
「そういえばさ、牛野屋は知らなかったわりにクタバの存在は知ってるんだねぇ? やっぱ聖ちゃんも普通の女子高生じゃんかぁ」
「失礼ね、『普通の』とはどういう意味よ。栗橋さんは寮生だからあまり通らないでしょうけれど、電車通学の私はしょっちゅう通ってるのよ? うちの生徒でも下校途中にこそこそ入っていくところを目撃しているしね」
「あー、なるほどね! 下校途中にあれば女子高生たちは吸い込まれていくよねー……普通の女子高生は」
「……栗橋さん? 普通普通って、さっきからなんなの? 私だって肩書きは一応女子高生ですけど?」
「あー、そうそう、そうだったね! 気にしない気にしない!」
じろりと怖い顔で睨む聖ちゃんの気を逸らす為にきょろきょろと辺りを見渡すも、逸らせるようなネタがその辺に転がっている訳もなく、あははーと笑ってごまかす。『普通』と付け足したのに深い意味はなかったんだけど、どうも『女子高生』という響きが似合わない私たちだから繰り返してしまっただけなんだよね……。
「あっ、思い出した思い出した! クリスマスデートした時にショッピングモールで見かけたんだった! 確か一階にあったよね?」
「……あぁ、そう、そうだったわね。でも、デートデートって云わないでくれる? その……『普通』の女子高生は女の子同士で……デ、デートしないでしょ?」
「へっ? しないの? するよ、普通にするでしょ! だってほら、いっぱいいるじゃん」
私の指差す先には、楽しそうにおしゃべりしながら歩いてる子、嬉しそうに手を繋いでる子、幸せそうに寄り添っている子たちの姿。「ね?」と聖ちゃんの顔を覗き込むと、なんだかわなわなしながらこちらを向いた。
「あれは……友達同士、でしょ……? 手を繋いだり腕を組んでいるからといってデート中の恋人同士だとは限らないわよ……」
「ふぅーん、そうかなぁ? 墨森ちゃんと白峰ちゃんもクタバのキャラメルなんとかかんとか飲んだって言ってたよ?あの二人は恋人同士だって聞いたし、デートでクタバ行ってきたんじゃないかなぁ? めぐちゃん先輩なんて、中等部の子と校門のとこで……あ……なんでもない!」
「何? 四方田先輩がなんですって?」
「あわわっ、なんでもないってば! それより行こ行こっ! え、えーっと、空いてるといいねぇ、クタバ! な、何飲もっかなー? あはははは……」
「……そう、四方田先輩にもお相手がいたのね……。復学してからは栗橋さんがまとわりついてくるしあまり四方田先輩を見かける機会が少なかったから気付かなかったわ……。そうよね、あれほど素敵な方だもの、いない訳、ないわよね……」
「なーぁにブルーな顔しちゃってんの? 聖ちゃんには私がいるじゃん! お相手、でしょ?」
「……ば、バカな事言わないで! 栗橋さんがお相手だなんて……そんなの……」
「そんなの? そんなのって、どんなの?」
ずずいっと顔を寄せると、聖ちゃんはもごもごと口を開きかけ、一息ついてから「にやにやしてないで行くわよ!」と背を向けて歩き出した。にやにやしてたかなぁ……と自分のほっぺたをむにーっと引っ張り、そのまま「待って待ってぇ!」と後を追った。
クタバの店内は女の子たちのきゃっきゃうふふとスチーマーのゴォーっという音で賑わっていた。陳列されたコーヒー豆やタンブラーを流し見しながらレジへと進む。私たちの前に並んでいた女の子たちが流暢に注文する長ったらしい商品名を耳をダンボにしてお勉強タイム。……が、元々コーヒーなんて飲まない私にとっては何がなんだか分からず、頭がクラクラした。
「つ、次だよ聖ちゃん! ど、どうする? 何飲む? 私、あんな風にすらすら注文出来る自信ないよぉ……」
「えっ? わ、私だって初めてなのだから分からないわよ……く、栗橋さんが注文してよ!」
「注文するって何を飲んでいいかも分かんないのに注文出来ないよー! 牛野屋の時とは違うんだからねー?」
「し、仕方ないわね……。栗橋さん、私と同じ物でいいわよね?」
「へ? う、うん……」
目の前の女の子たちが黄色いランプの方へ進むと、「お次のお客様ぁ、お待たせしましたぁ」と店員さんがにっこり微笑んだ。私は聖ちゃんの顔をちらりと見ておずおずとレジに近付く。そんな私を追い越して、聖ちゃんはずんずんと進んでいった。
「こ、この期間限定の……ハ、ハラペチーノ二つください」
「かしこまりましたぁ。サイズはトールのみになりますがよろしいですかぁ?」
「ト、トー……は、はい、結構です……」
「ありがとうございまぁす、ホワイトフランボワーズウィズウォールナッツハラペチーノお二つで、お会計千二百二十円になりまぁす」
「え、あ、はい!」
駆り立てられるように聖ちゃんがバッグからお財布を取り出そうとしたところで、私も我に返った。慌てて私もバッグをごそごそあさる。半分だから、えっとえっと、と小銭をかき集めて六百十円を聖ちゃんに手渡した。
ふぅっと肩を上下させながら振り返った聖ちゃんは、店員さんに言われた通り黄色いランプの下へと向かった。私も、とついていこうとしたけど、目に入った混雑ぶりからして先に席を確保した方がいいかな、と店内をきょろきょろ見渡した。
「聖ちゃん、窓際のカウンター席しか空いてないから、私先に行って席取っとくね!」
「えぇ、ありがとう。じゃあ持っていくから席で待ってて」
「はぁーい!」
ごちゃごちゃと込み合っている座席を「すいませーん、すいませーん」とぬって歩き、ちょうど二つ空いているカウンター席にマフラーを置いた。人の熱気か空調か、ほんのりぬくぬくする店内が非常に心地よかった。
「おまたせ。はいこれ、栗橋さんの」
「ありがとー! いやぁ、やっと呼吸出来るって感じだねぇ」
「大げさね。物は慣れよ。コツさえ掴んだらきっと次は大丈夫だから」
「そーんな事言ってーぇ、聖ちゃんだってガッチガチだったよー? でも、あの状況で期間限定をビシッと指差せたのはさすがだね! きっと私じゃパニくってて冷静に注文出来なかったよ」
「前の人がカスタマイズがどうのって話してたから、初心者にはそういうのではなくてスタンダードな物の方がいいと思ってメニューを観ただけよ。ハラペチーノと一口に言ってもたくさんあって分からなかったから、どうせなら期間限定なのがいいかしらって思ったの」
「ふぇー、さすがぁ!」
言いながら聖ちゃんはストローを差し出してきた。牛野屋の時はてんやわんやだったけど、いざとなればこうして冷静に頼りになる事をしてくれるんだよなぁ、としみじみストローを受け取る。そしていつものリンとした横顔を観ながらチューっと一口飲んだ。
「ねぇ、聖ちゃん」
「何?」
「おいしい? 楽しい? 嬉しい?」
「……おいしいけど……思っていたより甘いわね。フランボワーズっていうから、もっと甘酸っぱいものを想像していたわ」
「うん、そうだね。ちょっと甘いね。……でさ、楽しい? 嬉しい?」
「……なんなの? 楽しい、けど……」
「けど? 嬉しい? 私と一緒にいて楽しい? 嬉しい?」
聖ちゃんはわざとらしい咳払いを一つして、ハラペチーノを啜り出した。私はしばらく答えを待ちつつ横顔を眺めていた。途中横目でちらりと見てくるので目が合ったけど、すぐに逸らされて……。まぁ、こうして見ていると話しづらいのかもな、と思い直して窓の外を眺める。
黙ったままお互いに外を眺める事数分。豚キムチ定食を食べたばかりのお腹にはそう簡単にハラペチーノが進まず、たまに奥歯でストローを甘噛みしながらボーッとする。別の話題を振ろうか、そうも思ったけど、肩を竦めて歩く人たちを眺めながら暖かい店内でぬくぬくしている穏やかな時間も悪くはなかった。
「楽しいわよ」
「……へ?」
「楽しいわよ? 栗橋さんといると」
「ほんとっ? 良かったぁ! 私ほら、さっき役立たずだったしさ、誘っときながら頼りなかったしさ、朝からぷりぷりさせちゃってたしさ……」
「まぁ……最後のは否定しないけれど……。でも、栗橋さんがクタバに行こうなんて言い出さなかったら来ていなかったでしょうし、貴重な初体験出来たもの。牛野屋も、ね。デート、とは言い難いけれど、今まで一緒に行った水族館も川原も、私にとってはすごく新鮮で視野が広がった気がするわ。それは栗橋さんが一緒だったから、でしょ?」
「うん、まぁそうかもだけど……じゃあ、嬉しい?」
「嬉しい……かどうかは分からないわ。ただね……」
「うん、ただ?」
聖ちゃんは最後の一口をズズーッと勢いよく吸い上げ、カップをテーブルに置くと同時に立ち上がった。
「行くわよ、さっさと飲んで?」
「ふぇ? まだまだ残ってるよぉ? それに『ただ』の続きは?」
「寮まで送って行くって言った私の気が変わらないうちに行くわよ! それとも送って欲しくないのかしら?」
「うぇー! 行く行くっ! 待ってよーぉ!」
さっさと席を立つ聖ちゃんの背中を追いかけ、私も慌ててバッグを手に取る。三分の一程残っていたハラペチーノを一気に啜り上げると、喉の奥がキーンと冷えていった。
最後の一口に残された生クリームは、とても冷えていたけれど、とてもとても甘かった……。