48★揺るぎない気持ち
「……ねぇ、栗橋さんたら何怒っているのよ」
「……だーぁから、怒ってないって言ってんじゃん! 聖ちゃんこそぼーっとしちゃってなんなの?」
「な……ぼーっとなんてしてないわよ、失礼ね!」
朝食をかき込むおじちゃんたちに紛れてぶつぶつと言い合いする女子高生二人……。せっかくの初朝食デートだというのに、せっかくの初牛野屋だというのに、せっかくの二人の時間だというのに、気持ちはお互いにもやもやしている。
でも、お互いに質問しておきながら、お互い自分の気持ちが一番分かっていない気がする。「怒ってないよ」「ぼーっとしてないわよ」のやり取りすること数分経過、カウンターの向こうのお兄ちゃんが「注文まだですかー?」という顔でこちらをちらちら見ていた。
「とりあえず怒ってないから注文しよ? 聖ちゃん、何がいい?」
「そうね、ぼーっとしていないから注文しましょう。……って、何がいいって言われても……」
「うーんとね、じゃあ怒ってない私のおすすめの牛カルビ定食なんかどう? ちょっと重いかもだけど食べごたえあるよ! それか鮭定食なんか無難にどうかなぁ?」
「鮭定食ね……魅力的だけれど、牛野屋という屋号なのだからお肉食べないといけない気がするわ。栗橋さんが牛カルビおすすめするなら私はそれにしようかしら。ぼーっとしていないし」
「あ、でも私は豚キムチ炒め定食が気になってたんだよねー……どうしようかなぁ、怒ってないしなぁ」
「私はぼーっとしてないから、どうせなら普段食べないメニューにしたいわ。ごぼうサラダもおいしそうだから付けちゃおうかしら。栗橋さんがしいたけの匂い気にしないのなら茶わん蒸しも付けたいけれど……」
うーん、と悩む私たちの前に、「まだかよ」と言いたげなお兄ちゃんが立ちはだかる。目の合った私がつんつんと聖ちゃんの膝をつつくと、聖ちゃんも慌てて姿勢を正した。
「えっとえっと、私は豚キムチ炒め定食で! あとごぼうサラダも」
「え、えっと……わ、私は……」
初めての牛野屋に緊張しているのか、聖ちゃんはもじもじとメニューを指差していた。覗き込むお兄ちゃんが「はい?」と不機嫌そうな顔を向けるので、余計に焦っているようだった。
「牛カルビ定食とごぼうサラダ、それと茶わん蒸し、だそうです。以上で!」
私が代弁すると、聖ちゃんは去っていくお兄ちゃんの背中を見てふーっとため息をついた。さっきから慌てふためく聖ちゃんばかり見ている気がするけど、いつも冷静な人が意外な反応をするとついツッコみたくなってしまう。
「慣れてるのね、栗橋さん。おかげで助かったわ。家族で外食する時には母か兄が注文してくれるし、こうしてカウンターの目の前に店員さんがいると急かされているようで緊張してしまうものなのね」
「ふうーん……さっきめぐちゃん先輩と話した時と、どっちが緊張したぁ?」
「な、何言ってるのよ! 憧れの先輩とたかが牛丼屋を比べないで! ……あ」
声の大きさを自覚したらしい聖ちゃんが自分の口を塞ぐ。それを見て笑う私をぎろっと睨んだ。
「何怒ってんの? でっかい声出したのは聖ちゃんでしょ?」
「……怒ってないわよ……。栗橋さんこそ、何笑ってるのよ」
「えぇー? わ、笑ってないよー?」
「笑ってたわ、絶対笑ってた!」
にたにたへらへらする私と、つんつんぷりぷりする聖ちゃん。さっきと逆転してる気がするけど、結局なんだかんだじゃれてるだけのような気もしてきた……。
でもぷりぷり聖ちゃんもかわいくて、もうちょっとだけ遊んでみようとちょっとだけ意地悪を言う。純粋な聖ちゃんは何を言っても素直に純粋な反応をしてくれるから楽しい!
そして、そんなやり取りをして数分と経たないうちに、私たちの前には朝食が並んだ。ドンっと置かれたお盆の上にはお肉の他に、小鉢にきんぴらごぼうと冷やっこ、たくわん、シジミのお味噌汁、大盛りにしか見えない白米が乗っていた。
「うへぇ……思ったよりボリュームあるなぁ。聖ちゃん、ごぼうサラダ食べれそう?」
「わ、私だって注文したのよ? それに茶わん蒸しまで……こんなに食べれるかしら」
「食べよ食べよ! せっかく来たんだし、こういう経験も思い出の一つだよ! 私も頑張って食べるから、一緒に頑張ろ?」
「え、えぇー……」
渋る聖ちゃんがちらりとお隣に目を向ける。出勤前なのかお腹が空いてるのか、どんぶり片手にご飯をかきこむおじちゃん、もぐもぐと頬張りながら次の注文を考えているのか、じっくりとメニューを眺めるお兄ちゃん、この店で食べる事を渋っているのは聖ちゃんと私の二人だけ……。
その事実を受け止めようとしてもなかなか受け入れられないのが聖ちゃんのプライドなのかなと察した私は、思い切ってどんぶりと箸を片手に大声で「いっただっきまーす!」と唱えた。
「く、栗橋さん! 声、声大きすぎるわよ……恥ずかしい……」
「んむ? 恥ずかひい? ご飯食べゆとこで食べなひ方が目立って恥ずかひいよ? おいひいから食べな食べな?」
「……うぅ……い、いただきます……」
おずおずとお味噌汁に口を付けた聖ちゃんは、しばらくどんぶりご飯を覗き込んだ後、少しずつお箸を進めていった。それをたまに横目で確認しながら私も頬張っていく。あまりの量に終始無言で黙々と食べていた私たちだったけど、一人二人と帰っていくお客さんを見送っていくうちになんだかんだ食べ切った。
「ふぃー……思った以上に手強かったぁ……。聖ちゃん、おいしかった?」
「……お、おいしかったわ……。い、行きましょう、栗橋さん」
「え、あ、うん。ごっちそうさまでしたー」
「ご、ごちそうさまでした……」
カウンターの丸椅子を降りて、「ありゃーとざっしたーぁ」という店員さんの声に後押しされながら店を出る。途端に肩の荷が下りたようにハァっとため息が洩れた。と、同時に隣の聖ちゃんからも同じため息が聞こえた。
「あはは、聖ちゃん疲れてるねぇ」
「疲れたわよ……。朝は強い方だから朝食を急かされて食べた事なんてないのよ? それを休みの日に、しかも店員さんが目の前で見張ってて緊張しない訳ないじゃない。はぁ……」
「まぁ、ゆっくり食べるお店じゃないからねぇ。何事も経験、経験! じゃあさ、今度はゆっくりお茶でも飲もうよ」
「……私、栗橋さんを駅まで送りに来ただけなのだけれど?」
「いーじゃんいーじゃん、冬休みなんだし時間はいっぱいあるでしょ? えっとぉ、ちょっとお高いけど、クタバ行く? 一回でいいからハラペチーノって飲んでみたかったんだよねー! ザ・女子高生! って感じじゃない?」
「ハラペ……何それ、辛い香辛料みたいね」
「ハラペチーノも知らないのかぁ……私みたいな田舎出身の方がミーハーなのかなぁ? って、行った事はないんだけどさ。じゃあ決まりね、初めての牛野屋の次は初めてのクタバ!」
「経験、ねぇ……」
お腹いっぱいのわりにはげっそりして見える聖ちゃんの手を取り、駅の方へとずんずん歩いていく。あれほど寒かった身体も、朝食のおかげか聖ちゃんのおかげか、寒さを忘れていた程暖かくなっていた。聖ちゃんの手もまた、私と同じようにぽかぽかに暖まっていた。
さほど大きくない駅のわりにコンビニやよく見る飲食店が連なる駅前まで来ると、私の足もぴたりと止まる。はて? と首を傾げていると、半歩後ろから聖ちゃんが声をかけてきた。
「どうしたの?」
「この駅にクタバあるのかなぁって今思ったんだよね。知らずに誘っちゃったんだけどさ。見かけた事ある? 緑と白の看板」
「クターバックスならここにはないわよ。学校に行く時に見かけた気はするけれど……」
「うぇー、なんだぁ……残念。聖ちゃんとハラペチーノ飲んでみたかったなぁ……」
「機会ならこれからいくらでもあるじゃない、今日は諦めましょ。……さ、せっかく送ってあげたのだから、身体が冷えないうちに電車乗ったら?」
「……うー……」
諦めきれない私がジト目で訴えると、「何よ」と冷ややかな声で返された。ひどいひどい、と撃沈が隠しきれず思わずしょぼんと項垂れた。なのに追い打ちを掛けるように大きなため息が一つ聞こえた。
「……仕方ないわね、ここまで来たからワガママ聞いてあげるわよ。寮まで送るから、クタバ飲んだらおとなしく帰ってよ? 私は帰って冬休みの宿題を終わらせたいのだから」
「ほ、ほんとー? やったぁ!」
「ちょ、ちょっと! 大きい声出さないでって言ってるでしょ! あなた地声大きいのだから自覚してよね……」
ぼそぼそと指導する口元がちょっとだけ弛んでるくせに、ほんとは自分だって行きたいくせに、私と一緒にいて楽しいくせに……なんで素直に喜べないかなぁ? と、私の口元が横に広がっていく。
「……な、なに笑っているのよ」
「ふふーん、笑ってないよーだ!」
「笑っているじゃない! 何がおかしいのよ」
「だーぁから、笑ってないってばぁ!」
このやり取りは今日何度目だろう? まぁいいや!
北風が吹けば私たちの髪を揺らす。だけど私たちはきっと、ずっと一緒にいたいという揺るぎない気持ちで結ばれている……。