47★妬き合いっこ
「牛野屋知らないの? 安くて早くておいしいよ? 牛野屋」
「……あまり外食しないから知らないわ」
「えぇー? そこら辺にあるよー! オレンジと黒の看板のさぁ……絶対看板くらい見た事あると思うけどなぁ……」
ぶつぶつ言う私と、しぶしぶ歩く聖ちゃんが向かっているのは牛丼屋さん。聖ちゃんちを出て朝ご飯にありつこうとしてすでに三十分は歩いている。冬の朝は寒いから暖かい味噌汁が飲みたいと私が言えば、「ファーストフードの朝メニューを食べてみたいわ」とワクドナルドを提案される。……何でもいいって言ったのはそっちじゃんか、とほっぺが膨らんだ。
「朝ワックはね、冬休み入ったばっかの学生たちでごっちゃごちゃだと思うよ? それに出勤前のおっちゃんなんかコーヒーしか頼まないくせにせかせかして機嫌悪いからね! コーヒー飲みたいなら自販機で買えばいいのにさぁ……。あー、だからね、牛野屋の朝定食なら安くてボリュームもあって、なにより味噌汁が付いてくるんだよ?」
「……一度ワクドナルドへ行ってみたかったのだけれど……じゃあいいわよ。その牛野屋って店にしましょう。朝ワックは今度必ず行きましょう?」
「うんうん! またお泊りの時に行こうね! 約束約束!」
私が小指を差し出すと、それをじっと見ていた聖ちゃんが何かに気付いたようにぴくりと眉を上げた。
「栗橋さん、私があげた手袋は? まさかもうなくしたとか言わないわよね?」
「やだなぁ、あるある! いくらなんでももらった次の日になくす程間抜けじゃないよぉ。大事に大事にバッグん中に入れてありますとも! ……ほんとはなくしたら怖いから使えないんだけど……たはは」
「……それじゃ私があげた意味がないじゃない。仕方ないわね……ほら、片方使って?」
「わーい! 待ってましたぁ!」
差し出された聖ちゃんの右手袋は、ぬくもり付きでとっても暖かくって……。寒々しく見えてしまう右手を握ると少しカサカサの手が私の手を握り返してくれた。それが嬉しくて顔を覗き込むと、すかさずぷいっとそっぽを向かれてしまった……。ほんとは聖ちゃんも嬉しいんじゃないの? と聞きたかったけど、お腹空いて機嫌悪そうだからやめておこう。
他愛のない会話をしながら二人で歩く冬の朝は、空が青くて息が白くて、ほっぺも鼻も赤くて、普段の朝なら見えない事も気付かせてくれた。初めて通る道なのだから当たり前だけど、聖ちゃんと歩くと全てが新鮮で、色んな発見をする度に一つ会話が増える。そうやってこれからも新しい記憶の共有をしていくんだ、きっと……。
「寒いぃ、疲れたぁ、お腹空いたぁ……」
「お腹空いてるのは私も一緒よ。いちいち口にされると思い出すからやめてくれる? もう少しで駅前だから文句言わないでよね」
「うぅ……耳も凍りそうだよぉ……。聖ちゃん、よく寒くないねぇ。よく疲れないねぇ」
「私は毎日通ってるのよ? そうでなくても三・四十分歩いたくらいで根を上げるような貧弱な体力ではないけれど。まぁそれが普通だと思うわ。あなたが体力なさすぎるのよ。……仕方ないわね、一度コンビニで休憩がてら暖を取る?」
呆れ顔の聖ちゃんが指差した先には、青と白の看板でお馴染みのコンビニがあった。一瞬、レジの隣のホットドリンクコーナーを想像して頷きそうになったけど、よく考えてみると一度暖を取りに入ったらしばらくは出たくないと言い出しそうな私……。ぷるぷると首を振って甘えを吹き飛ばした。
「ううん、頑張って歩く! その方が更にお腹空いていっぱい食べれるもん。なぁに食べよっかなーぁ」
「……そう。とにかく後五分くらいだから、これ以上文句言わないでよね」
「ふぁーい……」
ちらりと横目を向けると、聖ちゃんも横目でこちらを向いていた。怒ってる? と思ったけど、まぁ聖ちゃんの横目はいつも怒ってるような雰囲気だし、そろそろ「怒ってる?」と確認するのはやめようと心に誓った。だって、聞いたら怒ってないものも怒ってしまうから……。
やたら長く感じる五分間にも、相変わらずへこたれそうな言葉を口にしてしまいそうだった。喉元まで込み上げてくるそれをぐっと飲み込み、少しずつ増えていく人に紛れて駅前までの流れに乗る。
電車の音が次第に近く聞こえてきた辺りで、遠くにオレンジと黒の看板が見えた。やっと拝めたそれに私の足取りも軽くなっていく。
「あれあれ! あれが牛野屋だよ! 見た事あるでしょ?」
「あぁ、確かにあるわね。ただ、何のお店なのだかは興味なかったというか、縁がなかったから気に留めた事がなかったのかもしれないわ」
「おっいしいんだよー! うわぁ、やっと元気出てきたーぁ! えっとね、私のおすすめはねぇ……わぷっ!」
突然目の前が真っ暗になったかと思うと、顔面に鈍い衝撃が走った。いくら牛野屋がすぐそこでテンションが上がってしまったとはいえ、先程よりも通行人が増えている中でよそ見をしながら歩いていたのは不注意だったかもしれない。
例によってぺたんこな鼻をこすりながら自分が何にぶつかったのか目を開けると、そこには後頭部を摩りながら唸っている一人の女の子がいた。もしかしてごっつんこした? と慌てて頭を下げた。
「ごっ、ごめんなさい! ついよそ見してて……だ、大丈夫ですか?」
「うー……えぇ、わたしはなんとか大丈夫です。莉亜ちゃんは? お鼻、大丈夫でしたか?」
「……ん?」
莉亜ちゃん? と頭を上げてまじまじ見ると、大きなお目々が私を心配そうに覗き込んでいた。はて、どこかで会っただろうか? と首を傾げると、隣の聖ちゃんがぐいぐいと私の腕を引き寄せている。ちらりとそちらを見ると、聖ちゃんは慌てた様子で耳打ちしてきた。
「栗橋さん! お、お知り合いだったの?」
「えっとぉ……そのようだよ? でも誰だったか思い出せな……うわわっ!」
言い終わる前に聖ちゃんに強く引っ張られ、私は後ろによろけた。そして何が何やらの私の前に入れ替わるように、すばやく聖ちゃんが立ち塞がった。
「あのっ、私、栗橋さんの友人で砂塚と申します! わ、私、四方田先輩の事をずっと……」
「あー、そうそう! めぐちゃん先輩だぁ。……って、聖ちゃん、よく知ってるねぇ? そっちこそお知り合い?」
「ちょっと! 栗橋さん、邪魔しないでよ!」
いつになく取り乱す聖ちゃんにきょとんとするめぐちゃん先輩と私……。二人の視線を感じて余計にうろたえる姿がおかしくて、ついほっぺが緩んでしまった。
「ははーん、さては聖ちゃん、めぐちゃん先輩の事、昔好きだったとかーぁ?」
「へへへへ変な言い方しないでよ! ち、違うんです、四方田先輩……。あの、私先輩に憧れてまして……いきなり申し訳ありません!」
「憧れ? 聖ちゃんが?」
意外な展開に更にきょとんとする私。でもめぐちゃん先輩はというと、聖ちゃん同様慌ただしくぱたぱたと手を振って応戦し出した。
「いえいえいえ、わたしなんて憧れられるような人間ではありませんよー! きっと人違いです、えぇ、人違いです!」
「いいえ、人違いなんかではないです! その優雅な姿勢と華麗な歩き方、そんな素敵な容姿は四方田先輩以外にいません! 間違える訳がありません!」
「いえいえいえ、ですから人違いですよー! 背筋が伸びてしまうのは、茶道を嗜んでおりますので着物を着たりとかですねぇ……ですからえーっとえっと、莉亜ちゃん、そうですよね、ね?」
話を振られても……。
「あぁ、めぐちゃん先輩、聖ちゃんは綺麗に歩く事にこだわってるとこがあるからさ、きっとそれでめぐちゃん先輩に憧れてたんだと思うよ? ね、聖ちゃん」
「そ……そう……です……」
「ほらね、めぐちゃん先輩。聖ちゃんてば照れ屋だからさぁ……あだっ!」
またも言いかけたところで聖ちゃんに腕を引かれ、ついでにべしっと腕を叩かれる。酷いよぉ……とぶつくさ呟く私を見て、めぐちゃん先輩はにっこりと微笑んだ。
「仲が良いのですねぇ。そうでしたかそうでしたか、ここはキノコ同盟の莉亜ちゃんの顔に免じて素直に受け止めさせていただくとしましょうかね。……ところで莉亜ちゃん、もしかすると『これ』ですか?」
「あっ、めぐちゃん先輩も牛野屋弁当?」
「はい! テイクアウトなのです。ですが今日は茶碗蒸しを諦めましたよ。莉亜ちゃんと相席したいつぞやのように、またしいたけほじほじ大会になっちゃいますからねぇ。牛野屋の茶碗蒸しはおいしいのですが、やはりしいたけ山盛りなのがなんとも残念なのです」
「ね、ね! 初めて会った時、中のしいたけ全部避けようとほじくってたら隣で同じ事してる人がいるなぁって思って診てたら目が合ったんだよね! まさか学校の先輩だと思わなかったから、部長のクラスで再会した時は盛り上がったよねー!」
めぐちゃん先輩は牛野屋のビニール袋を持ち上げてゆらゆらと揺らし、「代わりに、今日は豚汁を付けちゃいましたよー」とにっこり微笑んだ。笑うとえくぼがなんともかわいらしいその表情に、私もつい笑顔になる。
「く、栗橋さん? 四方田先輩が敬語を使ってらっしゃるのに、あなたはどうしてタメ語なの! 先輩にはきちんと敬語を……」
「あー、それそれ。私ってばついタメ語になっちゃうんだよねぇ。部長にもいつも注意されてるのにさぁ……たはははは」
私が頭をぽりぽりすると、隣の聖ちゃんがじろりと睨んできた。そんなに怒らなくてもー……と思ったものの、礼儀に厳しい家庭で育った聖ちゃんだし、憧れの先輩に向かってタメ語というのは許し難い行為なのかもしれない。
「たははじゃないでしょ! ……すみません、四方田先輩。栗橋さんには私からきちんと言って……」
「よいのですよー。わたしが敬語なのは同学年や後輩もまたしかり、なのです。ふふっ、逆に莉亜ちゃんのように後輩にタメ語を使われていると、それだけ慕ってくれているのだと嬉しく思いますからねぇ。黒宮さんのように『敬語使え、敬語使え』と口酸っぱく指導する方もいますが、わたしにはどちらでもよいのです。もちろん聖ちゃん、あなたもですよ?」
「ひ、ひじ……」
うんうんと頷くめぐちゃん先輩に名前で呼ばれたのが相当嬉しかったのか、聖ちゃんは顔を真っ赤にして……なぜか私の背中をばしばしと叩いてくる……。嬉しい気持ちは分かるけど、叩かれて地味に痛い私の気持ちも分かってくんないかなぁ……?
「じゃあ、私たちもご飯行ってきまーす! またねぇ、めぐちゃんせんぱーい! ……ほらぁ、行くよ? 聖ちゃん!」
「え、えぇ、分かったわ。では四方田先輩、失礼します」
ハイタッチでバイバイをする私とめぐちゃん先輩を羨ましそうに見つめながら、真面目一本の聖ちゃんは深々と頭を下げた。ビニール袋を片手に大きく手を振って消えていく背中を見送って聖ちゃんの顔を覗き込むと、物言いたげにジト目でこちらを向いた。まぁ、言いたい事は大体分かる。だけど私にも言いたい事がある、と私もジト目で返す。
「……何よ」
「聖ちゃんてさぁ、さっき嫉妬がどうのこうの言ってたくせに、人の事になると鈍いんだねぇ……」
「は? 何それ、私のどこが鈍いって言うのよ」
「……まぁいいけどーぉ! ささ、もうぺこぺこだから入ろー? めぐちゃん先輩の袋からいい匂いしてたから余計にお腹空いたぁ」
「ちょっとぉ! 鈍いってどういう意味よ!」
まだ憧れの先輩の事を思っているのかほっぺをピンク色にしたままの聖ちゃんを一人残し、私は匂いに導かれるまますたすたと牛野屋へ入っていった。