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45★おんなじきもち

「ふぃ……ふぃっくしょん! うぶぶ……」


 結局、聖ちゃんのお布団に潜り込んだつもりが、起きたら畳の上にごろんしていた私。途中で目が覚めた聖ちゃんが掛けてくれたお布団はしっかり被っていたものの、やっぱり畳の上で寝ていれば寒い訳で。冷えた身体を暖めてもらおうともう一度聖ちゃんのお布団へ潜り込もうとしたところで目が合った。


「……おはよう、栗橋さん。寒かったでしょ」


「寒い寒い! ベッドだと落っこちた事ないのに、なんでこう畳だとごろごろ転がっちゃったんだろ……ふぃっくしょん! うー、聖ちゃん、入れて入れてー」


「嫌」


「うぇー! 意地悪言わないでよぉ。お友達がこんなに寒がってるんだよ? 酷い事言わないで、ね、ね?」


「……嫌」


 私がぶーっとほっぺたを膨らませると、聖ちゃんは仕方なしに少しだけ掛け布団を捲った。やったー! と潜り込もうとすると暗闇の中で二つの何かがキラリと光った。


「ふ……総子ぉ……。ずるいよ総子だけぇ」


「残念だったわね。私の腕枕は総子のものだから」


「……ちぇー! いいよいいよ、冷えたからトイレでも行ってくる!」


「お手洗いはお風呂場の隣よ。二階にはないから」


「はいはーい。行ってきまーす」


 ぶつくさ言おうが聖ちゃんはちっともこっちを見てくれない。それどころか総子の喉を撫でながらなにやら語りかけていた。なんだよなんだよ、こっちはお客さんなのにぃ、と気持ち荒く襖を閉めた。


 廊下は相変わらず果てしなく続いている。もしも我慢してたらこれじゃもらしそうだよ。……もらさないけど。そんなツッコミをしながら廊下を進む。


 この部屋に来た時と違ったのはガラス張りの窓からお庭が見渡せた事。昨日は夜に突然お邪魔したから、まじまじとお庭を見る事もなかった。朝日につやつやと光る緑の木々たちが「おはよう」と優しく揺れながら語りかけてくる。なんだか生まれ育った家の周りを思い出すその光景は、ここが都会の高級住宅地である事を忘れさせてくれた。


「ん……? あれって……」


 玄関を横切っていたあの人工的な小川を、紺色の和服を着た男の人が覗き込んでいる姿が目に入った。家族構成からすると聖ちゃんのお兄さん? 横顔しか見えないけど、遠目でも聖ちゃんにそっくりなのが分かった。聖ちゃんがお兄さんにそっくり、というべきなんだろうけど。あの切れ長のキツネ目、間違いなくお兄さんだ!


 私はそそくさと用を足し、さっきお兄さんを見かけたお庭へと向かった。縁側のあるお座敷にサンダルがあるのを見つけ、それを履いてぱたぱたとお庭へ降りた。


 緑の匂いがする。木々の音がする。慌ただしく朝起きて、急いで学校行って、帰る頃には陽が傾いている、そんな毎日だったから、こんなに朝日を感じたのは久しぶりだった。うーんっと背伸びをすると、木々を揺らした風が身体に入ってくる。冷たいけどおいしい、冬の朝の味だった。


「栗橋さん、ですか?」


「うわわっ! え、は、はい、栗橋さんですが……」


 振り向くとさっきの男の人がこちらへ歩いてきた。目が合ってぺこりと頭を下げられたので、私も慌ててぺこりする。見上げるくらい高身長なわりに細身の線。だけど和服の上からでもがっちりした腕が協調されていた。確かお兄さんも弓道やってたはず。そう思い出してみると納得の骨格だった。


「良かった。泊まりに来ている妹のご友人が、恩師のお嬢さんだと聞きましてね。ご挨拶をしたかったんです。お父様には僕がお世話になり、お嬢さんには妹がお世話になっているとは驚きました」


「えっとえっと、こちらこそお世話になってます! 栗橋莉亜です! 今日はその……お邪魔してました!」


「母の言う通り、先生にそっくりでいらっしゃる。特に目元など、当時の先生を思い出す程似ていますね」


 それって遠回しに鼻ぺちゃだって言ってるよね? 垂れ目も鼻ぺちゃも、自分でもパパにそっくりだと思うもん。そっちこそキツネ目は聖ちゃんとお揃いじゃんか。だけど一つだけ決定的に違うのは、お兄さんはとっても穏やかな笑顔だって事。朝日が後光なんじゃないかってくらい眩しい笑顔だった。


「あの、その、私も二階からお兄さんの姿が見えたのでご挨拶しなきゃって思って……。急にお邪魔しちゃったし、なんかお泊りする事になっちゃったし、お兄さんバイトで遅くなるって聞いたからこんばんはも出来なくてすいませんでした」


「いいえ、僕はさっき帰宅しましたので。休む前に鯉たちにエサをあげてからと思いまして庭に来ていたのですよ。良かったら莉亜さんもあげてみませんか?」


「鯉? はい! ご飯あげたいです! 昨日は夜だったからお魚ちっとも見えなくて……」


「それは良かった。では案内しましょう」


 お兄さんはにっこり笑って小川の方へと歩き出した。私もうきうきしながら後を歩く。広い広いお庭を走ってみたいところだけど、恩師の娘がバカ丸出しにする訳にはいかない。さすがに慎重にならないと、先生としてのパパのメンツが丸潰れになってしまう。落ち着け落ち着け、と咳払いを一つした。


 お兄さんが足を止めたのは、ちょろちょろと水が流れる小川の一角だった。昨日玄関先で覗いた小川よりも少し幅のある、小さな溜池のようなものの(ほとり)だった。


「鯉、いっぱいいるんですか? いるようには見えないけど……」


「寒いので隠れているのです。手を叩いてみてください」


 私は言われるままにぱんぱんと手を叩く。するとどこからともなく、色とりどりの鯉たちが水面に姿を見せた。それはまるで水面に絵の具を垂らしたように鮮やかな色彩だった。


 嬉しくなった私がしばらく眺めていると、お兄さんは私に小さなビニール袋を差し出してきた。触ってみるとカサカサした何かが入っている。子供の頃、いやいや飲んだ漢方薬を思い出す。


「これは?」


「魚たちのエサです。いっぺんにばら撒かず、一抓みずつ半円を描くように撒いてみてください」


「やったー! ほーら、ご飯だよーぉ! ……あわわっ!」


 一抓みどころか一掴み……。大量にばら撒いてしまったエサには、鯉たちがバシャバシャと群がっていた。言われた通りに出来なかった申し訳なささで恐る恐るお兄さんを見上げると、振り返ってにっこり笑った。


「いいのですよ。不慣れなうちは加減も難しいものですからね。聖も小さい頃は適量が掴めず、僕が笑うとしょぼくれたりプリプリ怒ったりしてました。……楽しかったですか?」


「は、はい! もっとあげたいけど……一日の量って決まってるんですよね?」


「そうですね。良ければまた泊まりに来た時にあげてください。聖も口実があった方が誘いやすいでしょうから。莉亜さんを見ていて、聖がどうしてあなたに魅かれたのかよく分かりました」


「……私に?」


 私が首を傾げると、お兄さんは鯉を眺めながらしゃがみ込んだ。


「聖は不器用な子でしてね。プライドは高いし意地っ張りだし、頑固で負けず嫌いで、目つきも悪ければ口調もキツい……おっと、これ以上言うと悪口になってしまいますね。とにかく聖は不器用なので素直に態度に表せない子なのです。でもね、僕は思ったんです。莉亜さんのように素直で正直者な方と一緒にいる事で、少しは自分も素直になれるんではないかと、心を開きたがってるんではないかと思いました。聖はあなたに憧れてるのかもしれませんね。……あくまで、全部僕の憶測ですが。ですが兄の直感、というやつですよ」


「昨日お母さんにも……桐子さんにも言われました。聖ちゃんが丸くなってきたのは私のおかげだって。……でも、私に憧れてるとは思えませんよ? 憧れられるとこなんか一つもないし。……あ、ポジティブなとこと垂れ目の事は羨ましいって言われた事あったかも。でもそれって羨ましいってだけで、憧れるのとはちょっと違うもんなぁ……」


「ふふふ、どっちでもいいのですよ。プライドの高いあの子が他人を羨むなんて、ましてやそれを本人に言うなんて、それだけで聖は変わってきた証拠なのですから。……莉亜さん、これからも妹を、聖をよろしくお願いしますね」


 お兄さんはそう言うと立ち上がり、深々と頭を下げた。どうしていいのか分からず「いえいえいえいえいえ」とか言いながら両手をバタつかせる。よろしくされても、よろしくされても、一緒にいたくて側にいるだけなのになぁ、という疑問が頭上を飛び交う。


「栗橋さん? 遅いと思ったらここにいたのね? 庭に出るならそうと言っておいてよ。心配したじゃない」


「あわわ、聖ちゃん! ご、ごめん! お兄さんにご挨拶しておきたくて……その、トイレ行く時に上から見えて、それでご挨拶しとかなきゃなぁって思って……」


「……そう。そうならそうと言ってくれれば良かったのに。(たける)兄さん、お帰りなさい。こちらが栗橋さん、私の友人で猛兄さんの恩師の……」


 聖ちゃんが言いかけると、お兄さんは小さく頷いて聖ちゃんの頭をわしゃっと撫でた。それはとても愛しいものに触れるような、飼いネコを撫でるようなしぐさだった。かわいがられている、お兄さんに愛情たっぷりにかわいがられている、それがひしひしと伝わってきた光景だった。


 そんな優しい笑顔のお兄さんを、聖ちゃんはじっと睨みながら見上げていた。お兄さんはまたも小さく頷くと、頭から手を離し、「ごゆっくりどうぞ」と言って去って行った。


 私たちはその広い背中を黙って見送っていた。私より数センチ高い聖ちゃんが、今はとても小さく見える。ただの身長差ではなく、兄と妹というポジションが錯覚させているのかもしれないと思った。


「お兄さん、優しそうな人だね。私、五つ下の弟がいるけど、いつも喧嘩してたよ? 仲はいいんだけど、いっつも私の分のおかず食べちゃうし、あいつの方が先に学校終わるから、私のおやつも全部食べちゃうし……って、聖ちゃん? 顔、怖いよ?」


「……目つき悪いのは自前よ。ぐずぐずしてないで帰る支度して? 寮まで送るわよ。途中どこかで朝食を取りましょ」


「え? う、うん……」


 私が頷くと聖ちゃんはぷいっと顔を背けてそそくさと歩き出した。自前は自前なんだけど、普段より目つきが鋭い事が私をもやもやさせる。速足で前を歩く聖ちゃんの後を歩きながら、どこに地雷があったんだろうと考えた。でもそれは簡単に思いつく事ではなくて、結局お家を後にするまで必要最低限の会話しか交わせなかった。


 桐子さんと総子に惜しまれながらお邪魔しましたの挨拶をして、豪邸の屋敷を後にする。なんだか色んな事があって疲れたなぁとため息が出た。相変わらず速足の聖ちゃんをちらちら見ながら歩幅を合わせて歩いた。


「ねぇ聖ちゃん。もうちょっとゆっくり歩かない? 駅までまた歩くんでしょ? 私体力ないからさぁ……ねぇってばぁ」


「……これくらいでへこたれてるのなら、もううちには来ない方がいいんじゃない?」


「……へ? なんでそんな事言うの? ちょっとゆっくり歩いてって言ってるだけじゃーん!」


「じゃあご希望に応えてあげるわ」


「わぷっ!」


 急に立ち止まった聖ちゃんの肩に思いっ切り鼻をぶつけた。痛い痛いと鼻頭を擦りながら覗き込むと、振り返った聖ちゃんがじろりとこちらを見た。


「猛兄さんと何を話していたの?」


「何って……垂れ目と鼻ぺちゃがパパニ似てるとかぁ、鯉の話とかぁ、聖ちゃんの話とかぁ……なんで?」


「恋の話? 私の恋がなんですって?」


「コイはコイでも、お魚の鯉の話だよぉ。……っていうかさぁ、なんでそんなに機嫌悪いの? 私なんか悪い事したなら言ってよぉ」


 私がむすっとほっぺを膨らませると、聖ちゃんは目を閉じて一つため息を吐いた。


「栗橋さん、あなた私が猛兄さんに頭を撫でられてる時、どう思った?」


「どうって……聖ちゃんにわしゃわしゃ出来ていいなぁって思ったよ。目は怒ってたけど、聖ちゃん嫌がってなかったじゃない? 嫌だったら振り払ったりするだろうしさ。でもお兄さんは簡単に聖ちゃんにああいう事していいんだなぁってちょっと羨ましかったかな。妬いちゃったかもだよ? それがどしたの?」


「……ふぅーん。そう……」


「え、え? 何? 何がふぅーんなの? ずるいじゃん、私ばっか聞いてさぁ。聖ちゃんだってちゃんと言ってよぉ!」


「……奇遇ねって意味。……ほら、もういいでしょ? お腹空いてるんだからさっさと行くわよ」


 またもぷいっとそっぽを向いて歩き出した聖ちゃんのほっぺは、少しだけピンク色だった。ぽかんと立ち尽くす私に振り返りもせず「置いていくわよ」と一言。慌てて駆け寄って覗き込むと、聖ちゃんの顔は真っ赤だった。


「ね、ね、つまり? つまりどゆこと? 何が奇遇なの?」


「……うるさいわね。同じ気持ちだったのねって事よ。……分からないなら、もううち来ちゃダメだからね」


「えー! だ、ダメって……。えっとえっと、同じ気持ち……? 私と? んーと……妬いちゃった、って事? 私がお兄さんと仲良くしてたから妬いちゃったって事?」


「……」


「ねーねー!」


「……う、うるさいわね! にやにやしないでよ、気持ち悪い!」


 綻ばない訳ないじゃない。嬉しくない訳ないじゃない。私だけなのってずっと思ってたのに、やっとこっち向いてくれたんだもん。お兄さんに嫉妬しちゃうくらい思ってくれてるんだもん。嬉しくない訳ないじゃない!


 その後もろくに口聞いてくれなかったけど、私は成立しない会話も嬉しかった。冬の北風は冷たかったけど、気持ちはほくほくでいっぱいだった。帰っちゃうのは寂しかったけど、今この時間を一緒に過ごせてる事が幸せだった。


 同じ気持ちって、暖かいね!


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