44★ごろごろにゃん
怒涛のティーパーティーを終え、聖ちゃんの部屋へ戻ってくると一気に脱力した。雰囲気も似てなければ考え方も全く似てない、あんな不揃いな親子が存在するとは……。ううん、この際似てない云々はどうでもいい。あの親子に挟まれて、後半はおいしい物もろくに味わえなかったことに悔いが残っている。お腹いっぱいだと言い続けてもあれもこれもと進められて……おいしい物はほどほどにしないと有難味が半減すると学習しましたとも。負けず嫌い、そこだけは親子だなぁって確信した私。
「ちょっとぉ、栗橋さん! まだ布団敷き終わってないのだから寝転がらないでよ! 手伝わないのなら邪魔だから隅っこに座ってて!」
「ひどーぉい! 邪魔はないでしょ、邪魔はぁ! お布団敷くの手伝ってるじゃん。ほら、こうやって重石代わりに……」
「……それが邪魔だと言っているのだけど?」
部屋の真ん中に置いたこたつを隅に戻し、聖ちゃんは押し入れから二組の布団を出していた。実家でも寮でもベッド生活な私にとってはものすごく新鮮な光景。敷布団を一枚敷いたところでボフッと転がればテンションもまた上がってくる。少し間隔を空けて二枚目が敷かれ、それがまた「こちらへどうぞー」と呼んでいる気がしてごろごろ転がる。少しぼやけた畳の匂い、木の匂いのするお布団、ひんやりと冷たいシーツ、どれを取っても新鮮でウキウキする。と、突っ伏した頭にボフッと枕を投げ付けられ、せっかくの陶酔が……と思いつつ顔を上げると、もう一つの枕を片手に仁王立ちしている聖ちゃんと目が合った。
「おー怖っ! この家は幽霊もお化けも出なかったとしても、すでに鬼が住み着いているようじゃぞ?」
「……誰が鬼よ。あのねぇ、別に私は他の部屋で寝ても構わないのよ? 空き部屋はたくさんあるのだから。でも栗橋さんが独りじゃ怖いって言うからこうして並べてあげてるのに……鬼が怖いなら他の部屋で寝る? 鬼が嫌ならお庭はいかが? 広々と寝れるけど?」
聖ちゃんは投げつけた枕を私から奪い取り、廊下の方を指差した。下から見上げる表情はいつもより迫力が増している。桐子さんとのあのやりとりの後なのもあってか、余計にイライラしてるようにも見えた。
「うわわっ、ひっどーい! そういう事言うのが鬼だって言ってるんじゃーん!」
「知らないわよ、もう!」
「うぅー、分かったよぅ。手伝うよぅ。……はーぁ、どうせ寝返りうったらぐちゃぐちゃになるんだからシーツなんてピンピンしなくてもいいじゃんか……」
「何か言った?」
「い、言ってない言ってない! お布団で寝るの嬉しいなぁって言ったの!」
全く信じてない疑いの目で私を見下ろす。まぁ嘘だとバレてるからそんな顔されてるんだろうけど……。
「あぁ、総子、どこへ隠れていたの? 私が帰ってきても顔を見せないからどうしたのかと思ったじゃない。お客さん来ているから遠慮していたの? 大丈夫よ、おいで?」
「……総子?」
「紹介するわね、栗橋さん。うちの子の総子よ。……いつもはお客さん来ると遠慮して顔を見せないのだけど……珍しいわね。栗橋さんを警戒していないみたい」
「ふさ……」
数センチ開いた襖からちょこんと座る灰色の姿が見えた。部屋の中を覗き込んで、「入ってもいい?」そう言ってる気がした。そういえば応接間でも器用に襖を開けていたっけ。そっと静かに様子を窺って登場の隙を見計らってたのかな、そう思って顔が綻んだ。
「いつも一緒に寝るのよ。学校がある日はもうとっくに寝ている時間だから、まだ寝ないのかと見に来たのね」
「お前、総子って名前なのかぁ。さっきは案内してくれてありがとね。よしよし、今日は私もお泊りだから一緒に寝ような!」
「栗橋さん、総子に会ったの?」
「うん。応接間でね。二階まで案内してくれたんだけど、私がお庭に圧倒されてるうちに見失っちゃって……こんなに広いお家なんだもん、逸れても不思議はないよね。自分で襖を開けられるんだし、お気に入りのお部屋でねんねしてたのかな? ……ところで総子って、もしかして毛並みがふさふさだから総子……なんて適当な由来じゃないか! あはははは」
総子はじっと私を見上げ、見比べるように聖ちゃんの方へも向いた。目が合った聖ちゃんがしゃがんで総子の顎を撫でると、総子は目を瞑ってごろごろと喉を鳴らしていた。愛おしい者に触れ、触れられ、お互いの安らぎの一時を交わしているように見える。ずっと一緒に暮らしている信頼関係も絆も強いのだとしみじみ思った。
「適当、かしら……。ふさふさのこの子に似合う名前だと思ったのだけど……。確かに今思えば子猫に『総子』はちょっと渋い名前だったかもしれないわね。でももう九歳だし、総子お婆ちゃんという感じでぴったりだと思うわ」
やっぱりふさふさだからって理由なのか……。名前は和風でこのお家にぴったり。でもこの洋猫にはちょっと似合わないかも……と言うのはやめておこう。
「う、うん。ぴったりだね。この子、ロシアンブルーって種類でしょ? 小さい頃野良猫追っかけてたからネコには詳しいんだ! んまぁ、こんな綺麗な洋猫は見たことなかったけど。いいなぁネコ、私もずいぶんおねだりしたのに飼ってもらえなかったから羨ましいよぉ」
「うちもね、母はずっと飼いたいと父にねだっていたの。でも父は飼うならイヌがいいと言い張っていて、結局どちらも飼わずだったの。だから総子は父が亡くなってから飼いだした子なのよ。私も父が亡くなって寂しい思いをしたけれど、一番寂しかったのは母だったのかもしれないわね。知り合いの飼い猫に子供が産まれたと聞いて、その日のうちに里親を申し出ていたから……それから二か月してうちに来たのが総子よ。動物ってすごいわよね、寂しい気持ちを軽くしてくれるんですもの。父が亡くなった寂しさが全て消えたわけではないけれど、総子には随分助けられたわ。母も私も、兄もね」
「そっか……」
聖ちゃんは目を細めて総子の頭を撫でていた。総子もその気持ちに寄り添うように軽く目を瞑ってじっと撫でられている。一緒に育った信頼関係、お互いを必要とする愛おしさ、会話はできなくても言葉は通じあっているんだ……。聖ちゃんがこの世で唯一心を開いている存在、それは総子だけだったんだ。私はそんなことを考えながらなんとなくその光景をしばらく黙って眺めていた。
「さて、寝ましょうか。……栗橋さん?」
「え、あ、うん。寝よう寝よう! 今日はたくさん歩いて疲れたもんねぇ」
「そう? 私は人混みの方が疲れたわ。明日は寮まで送ってあげるから……もちろん歩きでね。休みなのだからゆっくりでいいわよ?」
「うえぇ! 歩きはもうやだよぅ。電車かバスで行こうよぉ! ……って、聖ちゃん! 聞いてるー?」
「ふわーぁ、おやすみなさい……」
「もうっ! 一人だけさっさと寝ないでよー!」
もぞもぞと布団に入る聖ちゃんの背中を追いかけて私も布団に潜り込む。……もちろん聖ちゃんの。
「ちょっと! 栗橋さんはあっちの布団で寝てよ! こっちは私の布団よ! 狭いから入ってこないで!」
「いいじゃんいいじゃん! 寒いから総子と三人で寝よ! ねっ、総子?」
青い目を見開いた総子が鈴を鳴らしながらもそもそとお邪魔されてくる。これにはさすがの聖ちゃんも身動きが取れないといったように呆れのため息をついた。
「……狭い……」
「聖ちゃん、総子、おやすみーぃ!」
「……もう……」
こうして私と総子に挟まれた聖ちゃんは、私が夢の中に入るまでぶつぶつ言い続けていた……。