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43★恐怖のダイニング

「ほんっとにかわいらしいお嬢さんだこと! 聖のお友達がまさか栗橋先生のお嬢さんだったとはねー。ほんっとにかわいいわぁ。言われてみると先生にそっくりだわね。先生は……お父様はお元気? まだあの小学校で働いてらっしゃるの? そんなわけないか……もう十年くらい前の話だものね。転勤されてるわよね。今はどちらの小学校に赴任されてるの? お家は近いの?」


「お母さん! やめてよ、恥ずかしい……。栗橋さんが困惑しているじゃない」


「えぇ? いいじゃない、せっかくお泊りに来たんだもの。お母さんとも仲良くしましょ? ねっ、りーちゃん」


「だからやめてよ! もう……。栗橋さん、ごめんなさいね? 気を悪くしないで?」


 こくこく、と頷いているものの、きっと私の笑顔は引きつっていると思われる。お呼ばれされたダイニングでは、聖ちゃんとお母さんがテーブル越しに真逆のもてなしをしてくれている。右側からは入れたての紅茶を進める聖ちゃん、左側からは「まだ熱いからこっちを先にどうぞ?」とケーキを差し出すお母さん。さげられた紅茶を見てムッとした聖ちゃんが「紅茶を飲んでからでしょう?ケーキを先に食べられないわよ」とまた紅茶をこちらに押し出す……。もう何度この繰り返しをしたことか……すでに紅茶の湯気は見えなくなっていた。


「いただきまーす……して……いい?」


「どうぞどうぞ! ケーキはね、昨日わたしが焼いたのよ。聖はリンゴが好きだから毎年アップルパイを焼いてるの! お口に合えば嬉しいわぁ。りーちゃん甘い物なんでも好きって言ってたわよね? まだおかわりあるから遠慮しないで?」


「うん、おいしーい! おいしいです、お母さん! いいなぁ聖ちゃん。毎年こんなおいしいアップルパイを焼いてもらってるなんて羨ましいよぉ」


「やだぁ、りーちゃんたらお上手ね! ほらほら、まだたくさんあるのよ? おかわりしてね。聖もお食べ?」


 キャッキャと喜んでいるお母さんとはこれまた真逆の、おもしろくないといった表情の聖ちゃん。頬杖をつきながらジト目でこちらを睨んでいる。あわてて私がティーカップを口に当てると、明らかにふてぶてしいため息をついた。


「お母さん? さっきも言ったけれど、栗橋さんは夕方にモンブランを食べたと言ったでしょう? 無理に進めたらかわいそうよ。栗橋さんは遠慮なんてしないのだからおかわりと言うまで放っておいてあげてよ」


「あら、モンブランとアップルパイは全く別物でしょ。りーちゃんだってこんなにおいしそうに食べてくれてるのよ? おかわりしたいに決まってるじゃない。無表情で食べる聖より、よっぽど分かりやすいわよ?」


「……悪かったわね」


「でもね、お母さん嬉しいのよ? 最近聖の表情が優しくなったんですもの。今までずっと難しい顔してたから、友達いないんじゃないかって心配してたの。だけどこんなにかわいらしいお友達ができたのねー……そりゃ聖も変わるわけだわ」


「お母さんっ!」


 もぐもぐしながら聖ちゃんを見上げると、目が合った途端に気まずそうにそっぽを向いた。別に照れることじゃないのにね、そう思ってお母さんの方を見ると、にっこり笑ってうんうんと頷いた。きっと私と同じことを考えている、そう思った。


「聖ちゃん、紅茶おかわりもらってもいい? さっき飲んだアップルティーもおいしかったけど、このミルクティーもすごくおいしい! あっさりしてておいしいね!」


「……今度はアッサムにしてみたの。私はスイーツを食べる時はアッサムをミルクティーにするのよ。栗橋さんに紅茶の味が分かるなんて意外だったわ。……待ってて、今入れてくるわ」


「うんうん、ありがとー!」


 少しご機嫌を取り戻した様子の聖ちゃんは、頬杖を解いてティーポットを片手にキッチンへと消えて行った。聖ちゃんの言う通り私は紅茶も詳しくないしお菓子も作れないけど、心を込めた物を褒められて嬉しくなる気持ちは分かる。だからってお世辞で褒めたわけじゃないけど。お母さんも聖ちゃんも、自分の作った物を褒められて喜んでいる、その嬉しそうな雰囲気は親子なんだなって思った初めての瞬間だった。


「ねぇ、栗橋先生はお元気? りーちゃんが寮に入ってしまって寂しがっているんじゃない? いくつになっても娘はかわいいし心配だものねぇ。たまには帰ってあげなさいね? 夏休みは帰ったの? 年末年始も帰るんでしょう? よろしく伝えてね」


「えっとですね、パパは再婚して新しい奥さんと住んでいるので寂しくないと思いますよ? 私もしばらく会ってないので元気かどうか分かりませんが……連絡ないから元気なんじゃないかなぁ? ……そんなわけで夏休みも帰ってないし、年末年始も帰らないんですよ。っていうか、帰るとこないんで……あはははは」


「……そうなの……。不躾な質問だけど、お母さんは? お母さんのところへは行かないの?」


「んー、まぁ会えなくはないんですけど、ママは小学生の弟を引き取ってるから忙しいかなぁって。私がパパに引き取られる時に携帯番号教えたけど一度もかかってきてないし。でもでも、別に帰るとこがなくても寮にはみんないるから寂しくないですよ? そりゃ年末年始はみんな帰省しちゃうかもだけど、私には帰るとこなくても寮っていう住処があるし」


 頭をぽりぽりかくと、お母さんは片手を口に当てたまま目を潤ませた。何度も何度も寂しくないと言ってきたのに、郷奈ちゃんにも聖ちゃんにも「寂しいくせに」とツッコまれ、あげくお母さんにも涙ぐまれ……あぁ私の家庭は憐れまれるような家庭なのかぁと思ってしまう瞬間……。


 お母さんはしばらく俯いて、それから思い出したように人差し指で涙を拭った。そしてぷるぷると頭を振ってからこちらを見た。目が合うとまるで睨んでいるような目つきでにじり寄り、ガバッと私の手を取った。


「りーちゃん!」


「は、はいっ!」


「うちの子になりなさい!」


「は、はいっ?」


 ティーカップの底に残ったミルクティーがゆらゆらと揺れた。お母さんの勢いで振動したのだと、それだけ身も心も激しく動いたのだと痛感した。へらへらと笑ってみせる私の手をギュッと握り、叛けられないような鋭い目で続けた。


「うちは旦那が事故で急死したから、子供たちにはたくさん寂しい思いをさせてきたと思うの。聖にもお兄ちゃんにも随分我慢させてきたと思うわ。わたしの実家で、ここで暮らすようになってからも、わたしの姉たちの子供たちが先に住んでいたから寂しくないと思っていたのだけど、後から住み着いたことで逆に肩身の狭い思いをさせてしまっていたみたいで……。今は姉たちも子供たちも大きくなったから引っ越していったし、桂子姐さんも別棟に住んでいるから自由で解放されてるはずなのに……あの子はあまり笑わなくなってしまったの。……だけどね、りーちゃんと話している時の聖はとっても嬉しそうで……他の人には判別できないくらい些細な変化かもしれない。でもわたしには分かるのよ。あの子の表情がとっても柔らかくなってきているの。母親ですもの、誰よりも分かるつもりよ」


「……わ、私も、自慢じゃないけどそう思うんです! 話し始めた頃は冷たくてツンツンしてて、なんでこの子笑わないんだろうって思ってたんです。だから私が笑わせたいなぁって、喜ばせることなにかしたいなぁって思って……。昔の聖ちゃんは知らないけど、私の前では明らかに変わってきてくれてるなぁって実感はあるんです」


「そう、そうでしょ? だからりーちゃんがうちの子になってくれれば、聖ももっと喜ぶし、もう誰も寂しくないじゃない? 聖もりーちゃんも、もちろんわたしも! わたしをお母さんと呼びづらいなら桐子(とうこ)さんとでも呼んで!」


「と、桐子さ……ん……? えっとぉ……あ、いやぁ、住むとかはまた別の話で……」


 砕けたお母さんだと思ってはいたけど、まさかいきなり同居話を持ちかけてくるとは……。真剣な表情に対して苦笑いしか出ない私。そんな私を見ても表情一つ変えずに掴んだ手をギュッギュッと握ってくる。その度にウンウンと頷いている。この頷きは多分、私に頷けという誘導なんだろうと直感で分かった。


「りーちゃん、嫌ならいいの、はっきり言ってくれていいの。りーちゃんとわたしの間なんだから遠慮はいらないの。りーちゃんが嫌だと言うならわたしも諦めるわ!」


「ち、違いますよぅ! 嫌だなんて思ってないけど、一応寮生だし、多分退寮するのってパパの……保護者の同意と承諾が必要だと思うし……。うぅ……気持ちは嬉しいんですけどぉ……私の希望だけじゃ退寮できないので……」


「……そうよね、そうよね……。ごめんね、りーちゃん。ちょっと気が早かったかもしれないわね。まだ高校一年生だもの、親権者の同意なしではどうにもならないものね。ちょっと急ぎすぎちゃったわ。……でも、高校を卒業して寮を出たらどこへ行くつもりなの? 再婚したお父様に気を使ってお家へは帰りにくいんでしょう?」


「それは……」


 ぐさっと音がした。痛いとこをつつかれた音。卒業したらどうするのか、郷奈ちゃんにも問い質された問題……。まだまだ先の話だし、進路のことも何も考えてないのにこれからのことなんて考えること……と、逃げていたのが本音……。


「栗橋さん、お待たせ……って、お母さん、何してるのよ」


 突き刺すような声に桐子さんが振り返る。おずおずと私も振り返る。そこにはお盆にティーポットを乗せた聖ちゃんの姿があった。桐子さんと私を交互に見て、それから握られたままの手をじっと見下ろしている。「うふふふふ」とにこにこしていた桐子さんも、聖ちゃんのさすがの目力に引きつりながら手を解いた。


「お母さん? 何をしているの? 栗橋さんに変なこと言ってないでしょうね?」


「い、いやぁねぇ聖ったら……。お母さんが聖のお友達に変なことするわけないでしょう? ね、ねぇ、りーちゃん! 桐子さんは何もしてませんって言ってあげて?」


「はぁ? 桐子さん? お母さん、まさか栗橋さんに名前で呼んで、なんて強要してないでしょうね? どうなの、栗橋さん」


「んー、もうっ! 聖ったら顔が怖いわよぉ。いいじゃない、名前で呼ぶくらい……ねぇ、りーちゃん?」


 こ、怖いっ! 「どうなの?」と言いたげな聖ちゃんの冷やかな目も、(すが)るような桐子さんの目も……! 歓迎してくれるのは嬉しいよ? でも、この板挟みはバカ正直な私には酷すぎるー!


「え、えへへ……私、お腹いっぱいになったら眠くなっちゃったぁ……。ふ、布団敷いて欲しいなぁ……なーんて……」


「栗橋さん? おかわりを頼んだのはあなたでしょう? それともおねしょしちゃいそうだからこれ以上飲めないとでも?」


「ち、違うもん! おねしょなんてしないって言ってるじゃーん! そうじゃなくて……」


「あらそう。じゃ、ご要望のミルクティーをどうぞ?」


「あ……ありが……と……」


 なにより怖いのは帰り道でも幽霊でもなく、この親子だということを思い知った瞬間だった……。

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