41★ほっこりぬくぬく
「お前は化け猫なんかじゃないよね? って、こんな洋猫は化け猫らしくないか。あはははは」
襖の向こうに佇む毛むくじゃらは何のことやらと無表情。逆に一緒になって「にゃはははは」とか笑いだしたら怖いから怖いから! しばらくお互いに見つめ合って、それからあちらが私を上から下までまじまじと見入る。応接間にお客さんが来たのを感じて、わざわざ見に来たのかな? 一通り眺めて気が済んだのか、ネコさんはまたじぃっと私を見つめた。
「綺麗な毛並みだねぇ。触ってもいい?」
私がしゃがんで目を合わせると、ネコさんは一瞬知らんぷりしたようにそっぽを向き、それからまた振り返った。聖ちゃんの言葉を借りるなら、「触りたいなら触ればいいじゃない?」そう言ってるかもしれない。聖ちゃんちのネコさんだもん、それくらい上から目線で言われててもおかしくないよね。
ゆっくり手を差し伸べて喉元を摩ると、ネコさんは顎を上げて目を細めた。かわいいなぁ。小学生の時、下校途中で野良猫を見かける度に抱っこして連れて帰ってたことを思い出した。でもその度にママには「ダメよ。かわいそうだから戻してらっしゃい」と言われ、パパには「生き物を飼うとは覚悟が必要なんだぞ?」と言われ、「パパもママも嫌い嫌い!」と泣く、毎回毎回その繰り返しだったっけ。それでも諦めきれず、下校途中に野良猫を見かける公園に立ち寄って、陽が暮れるまでこうして撫でていたんだった。ママが心配して探しに来たこともあったっけ……。久しぶりに触れる柔らかな毛並みが懐かしいことを思い出させた。
思い出に耽りながら撫でていると、ネコさんはぷるぷると首を振った。首輪にぶら下がっている鈴がちりりっと鳴った。
「もう嫌なの? 飽きた?」
ネコさんは問いかけに答えず、ぷいっと背を向けて歩き出した。私がしゃがんだまま見送っていると、一瞬立ち止まって振り返った。「来ないの?」そう言ってる気がしてつい顔が綻ぶ。
「待ってぇ」
あわててバッグを拾って立ち上がる。おっと、いけないいけない、と襖を閉めてからネコさんを追いかけた。襖に気を取られて一瞬目を離したすきに姿を見失うも、ちりりっという鈴の音のする方を見やると階段の中段からこちらを見下ろしていた。それは本当に「こっち来なさいよ」と言っているようで嬉しくなった。ネコさんは私を歓迎してくれてるんだね! と。
聖ちゃんの言っていたお部屋は二階の奥から二番目。ぷりぷりとお尻を振りながら階段を昇っていくネコさんの後ろについて昇る。一階から続く赤いじゅうたんは階段にもぴっしりと敷かれていた。こりゃあうっかり紅茶もこぼせないなぁとか考えているうちに二階のフロアへ辿りついた。
「ひ、広っ!」
今更だけど改めてこの屋敷の広さに目を疑う。だだっ広い廊下の右側にはずらりと並んだ戸の数々、左側の窓からはお庭が見渡せた。朝になってみればこのお庭もどれだけ豪華なのかはっきり見えるかもしれない。
「ありゃ? どこ行った?」
窓の外に気を取られているうちに、さっきのネコさんは姿を消していた。まさかネコさんは幽霊……? と一瞬背中がぞくっとなった。でも冷静になってみればこの手に灰色のふさふさした毛並みの感触があったんだから幽霊なわけがない。うんうんと頷いて広い広い廊下を真っ直ぐ進んだ。
「えっとぉ……ここ、だよね」
言われた通り奥から二番目の部屋の前で立ち止まる。応接間みたいな金粉舞う襖ではなく、どこかの漫画で見かけたことのあるような牡丹の花が描かれた襖だった。でもそれがいい。聖ちゃんの部屋まで豪華絢爛なお部屋だったら、それこそ落ち着かなくて眠れそうにない。ちょっとホッとして部屋を覗いた。
「お邪魔しま……ぁす」
部屋毎に挨拶はいらない、そう分かっていてもついつい口にしてしまう。開いた襖からは整えられた一室が見渡せた。一歩お邪魔して改めてぐるりと見渡す。いつお客さんが来てもおかしくないくらいきちんと整理整頓されている。私みたいに「コートぽいっ!」なんてしたことないんだろうなとしみじみ思う。そしてそんな整えられた綺麗なお部屋に、私はどうしたらいいか分からず隅っこに隅っこにただ立ち尽くしていた。
「座っていればいいのに。どうしてそんなところでボーっと立っているの?」
「おわわっ! もう、聖ちゃん! びっくりさせないでって何回も言ってるじゃんっ!」
「勝手にびっくりしているのはあなたでしょう? 声かけるわよ、と宣言したらびっくりしないわけ? ……いいから座って。バッグとコートはこっち」
むくれる私のバッグを涼しげな顔で奪い取り、壁に掛けてあったハンガーを持って「貸して」とコートを脱ぐよう煽る。テキパキと慣れた手つきに追いつけずもたもたしていると、聖ちゃんはお部屋の隅に置いてあったテーブルを真ん中に置き、押し入れから掛け布団を一枚取り出した。
「ねぇ、ねぇ! それってもしかしてこたつ?」
「そうよ。暖房よりすぐ暖まるし、お風呂が沸くまで暖まりましょ」
「やったぁ! やっぱ冬はおこただよね! 寮にはそんなもんないから嬉しい!」
久しぶりに入るこたつにテンションが上がる。もたもたしていた手でそそくさとコートを脱ぎ捨てると「ちょっとぉ……」と聖ちゃんがこぼしながら拾い上げた。思わずしでかした行動に反省し「ごめんごめん!」と笑ってみせると聖ちゃんも少しだけ笑顔になった。
「着替え、出しておくからここに置いておくわね。ショーツは新しいのがあるからそれを使って。パジャマは私ので我慢してね」
「ありがとー。我慢だなんて、聖ちゃんが貸してくれる物ならなんでも嬉しいよ? あぁ、わくわくするなぁ。友達んちにお泊りなんていつぶりだろ? 畳に寝ること自体が久しぶりだし、中学の修学旅行思い出すねぇ。夏の臨海学校はそれどころじゃなかったからさ、畳の匂いといえば修学旅行って感じ」
こたつに足を突っ込んだままごろりと横になって畳の匂いを吸い込む。新しい匂いではなかったけど、それがまた懐かしい気がした。聖ちゃんはタンスから出した着替えを畳み直しながらじっと私を見ていた。
「臨海学校、私は休学中だったから知らないのだけど、栗橋さんは行かなかったの?」
「ううん、行ったよ。行ったけど向こうで熱出しちゃって寝込んでたから全然楽しくなかったの。楽しかったのは行きと帰りのバスくらいかなぁ? せっかくの臨海学校だったのに、いい思い出ないんだよねぇ。まぁ熱出したのは自分が悪いんだけどさ! 郷奈ちゃんと別々の班になっちゃって、お風呂上がりに髪乾かしてなくて……」
「……もしかして城谷さんに言われないと乾かさないの?」
「あはははは。そうなんだよねぇ。いつも見かねた郷奈ちゃんがドライヤーかけてくれてたからさ。でもね、昨日はちゃんと乾かしたんだよ? 郷奈ちゃん、帰省許可取ってお家帰っちゃったから、私も自立しないとな、って自分で乾かしたの」
「……そう……」
少し低い相槌だった。
「ねぇ、お風呂もらう前に聖ちゃんのお母さんとお兄さんに挨拶しなきゃじゃない? 他には誰も住んでないの? こんな広いお家なのに」
「母はさっきキッチンで会ったから、友達が来てる、とは言ったわ。どこかに電話しようとしていたところだったから詳しくは話していないけれど。栗橋さんが挨拶しないと気になるのなら、様子見て電話が終わってたら一言言えばいいわよ。兄は……多分まだ帰ってないわ。アルバイトじゃないかしら。あとは誰も住んではいないわよ」
「ふぅーん……」
お父さんを亡くした聖ちゃんは、こんなに広いお屋敷で三人きりで住んでいて寂しくないのかと聞きたかった。ただ広いだけで、豪華な外装もお庭も飾り物もとても孤独に見えたから。ただ大きいだけ、ただ高級なだけ、ただ煌びやかなだけ、何故だか暖かみの感じないこの空間の全てが、私にはぽっかりと穴の空いた洞窟みたいにしか感じられなかった。このお家の雰囲気そのものが、聖ちゃんのどこか冷めた正確に繋がるんだと連想してしまう。でもそんなことは口にはできない。この大きな箱で育った聖ちゃんにとっては、掛け替えのないお家なのだから。帰るべき場所なのだから。
「……寝ないでよ?」
「ね、寝ないよぉ! ちょっと考え事してただけだもん」
「そう? すでに目がとろんとしているようだけれど。こたつで寝て熱を出されたら困るから起きてよね」
「ぶぅー。いいじゃんいいじゃん、ちょっとぐらい横になってもー。聖ちゃんこそ入らないの? こたつ、気持ちいいよ?」
「……そうね」
聖ちゃんはそう言うと、畳み終わった着替えを傍らに置き、私の右側に座った。なんで向かいに座らないんだろうと気になって、根が生えそうだった上半身をよっこらせっと起こした。
「栗橋さんは……その……」
「うん?」
「その……人との距離感って考えたこと、ある?」
「距離感? うーん、ない、かなぁ? 一緒にいたいと思ってたら自然に近くにいるし、話したいなぁって思う時に話してるし、なんにも考えてなかったかも。……どして?」
「今、一瞬どうして向かい側に座らないのかって顔してたから」
そ、そんなことまで顔に出てたとは……。目ぇきょろきょろしてたかなぁ、と頭ぽりぽり。
「えっとぉ……」
「やっぱり、普通なら向かい側に座るべきだったのよね……。ごめんなさい、私、友達っていう距離感が分からなくて……おかしいところあったら言ってちょうだいね?」
「おかしいことなんてないよ! 友達に正解も不正解もないと思うけどなぁ。聖ちゃんが距離感ってやつを気にするなら、私たちの距離感を作ればいいじゃない? 今みたいにさ、私たちはお向かいじゃなくて隣に座るのが普通、みたいな?」
「……そう……」
聖ちゃんは少し恥ずかしそうに俯きながらこたつ布団を掛け直した。私がなんにも考えていないことも、聖ちゃんにとっては小さな疑問だったりするのだといじらしく思えた。そして、そんないじらしい聖ちゃんを見てほっこりした私もこたつ布団に胸を埋めた。