38★扉の向こうへ
「お……お邪魔しまーす……」
物々しい構えに相応しくギュイーっという音を立てて門が開かれた。年季の入った木製の扉は女の子一人で簡単に開けられるようには見えない重厚感。この開閉音が表わしている通り見るからに重たそうなのに、それを聖ちゃんは軽々と慣れた手つきで開いた。まぁ自宅なのだから当たり前のことなのかもしれないけど……ちょっと、ううん、大分異様な光景だった。
「どうしたの? 先に行くわよ?」
「わわっ! 待って待って!」
「遠慮するなんて栗橋さんらしくないわね。さ、こっちよ」
置いてかれまいとあわてて門をくぐる。途端に先程のギュイーという音が聞こえ、すぐにガチャンと錠の落ちる音がした。あまりの爆音にビクリと背中が震えた。聖ちゃんといえばそんな私に見向きもせず、ガラスの隙間から明るい灯りがこぼれる玄関へそそくさと向かっていた。
「待ってってばぁ。ね、ねぇ、これほんとに聖ちゃんちなの? なんかの道場とかじゃないの? そうだ、聖ちゃん弓道部だったよねぇ? もしかしてここで弓道習ってるとか? 道場破りとか? たのもー! ってやつとかするとこでしょ?」
「違うわよ。れっきとした私の自宅なのだけど? ……あまりキョロキョロしてると足元危ないわよ? たまに落ちる人いるから」
「うへぇ……か、川?」
言われて足元を見ればそこは幅三メートル程の橋だった。どうやら橋は門から玄関までを繋いでいる。ごつごつとした石橋の感触を確かめながら左右を見やると人工的な細い小川が流れていた。生き物がいるのかは暗くてよく分からないけど、玄関からのかすかな光で幅二メートルもない小さな小さな川が薄暗い先へ流れているのが見えた。
「冗談よ。こんな川に落ちる人なんて見たことないわ。まぁ、いるとしたら第一号は栗橋さんね」
「外から見てもドデカいお家だったけど、中も相当広いんだねぇ……。これで普通よーとか言ってる聖ちゃんの価値観を疑うよ……。この川、お魚さんいるの? カメさんとかは?」
「いるけど寒い間は隠れてるの。毎朝エサをあげる時には出てくるわ。飼っていると結構かわいいものよ。精神統一したり心を落ち着かせたい時に魚を眺めていると穏やかな気持ちになるの」
「ふぅーん……」
いいなぁ……としゃがみ込んで川の中を覗く。やっぱり暗いからか寒いからか、お魚さんたちの姿は見えなかった。ただ小川のちょろちょろという音だけが聞こえる。耳を澄ませていると川のせせらぎが余計に寒さを誘ってブルッと身震いした。「何をしているの?」という声に振り返ると聖ちゃんは木製のガラス戸をガラガラと引いていた。
「早く入って? 冷たい空気が入っちゃうわ」
「あ、あぁ、うん! お邪魔しまー……すぅ?」
「スリッパ、ここに置いておくわね。台所へ行っているから応接間で待っていて? 廊下を進んですぐ左の部屋だから、適当に寛いでて」
「……こここここ、ここ……」
「栗橋さん、聞いているの?」
「えっ? う、うん……ありがと……」
スリッパ? 応接間? 聞こえていたけどそれよりなにより、私の五感は視覚に圧倒されていて他の機能が疎かになっていた。視界に広がるのはだだっ広い廊下に悠然と敷かれた赤いじゅうたん。下駄箱の上には煌びやかな壷が飾られていて、隣には大きな鉢植えに見事に咲いた大輪の百合の花がこちらを向いて出迎えてくれている。壁には玄関に飾るには惜しいくらいの大きすぎる額縁。私の両手を広げても左右を掴めない程大きいけど、これは誰がどうやって運んだんだろうというどうでもいい疑問が沸いた。そして額縁の中に描かれている大蛇が這ったような墨字……よく見たところで私には皆目見当がつかないので、それが何であるかを考えることはしなかった。
そんな大それた玄関にお出迎えされてこんな私がお邪魔してもよろしいのか? と頭を捻りながら申し訳ない程度に腰を掛けた。しょうがない、座らないとブーツが脱げないんだし。お尻に感じるふかふかの玄関マットだけでもおいくらするんだろう……そう気になりだすと目の前に立ち並ぶ装飾品の一つ一つに無数の福沢さんが浮かんだ。ダメダメ、ここで目を晦ましていたら、きっと応接間へ辿りつく前に気絶しちゃう! くらくらする頭をぶんぶん振って目を瞑りながら無心でブーツに手を掛けた。
「あらあら、お行儀の悪いお客様だこと。スカートの中身が丸見えですよ?」
「ふぇ?」
顔を上げて目を見開くと、そこには……。