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37★送り子羊

「もうここでいいわよ。栗橋さんて本当に体力ないのね。二駅分歩いたくらいでブツブツ言うなら初めから送るだなんて言わないでよ」


「ち、違うの違うの! 確かにスタミナないけどさ、それは認めるんだけどさぁ」


 もう少し、もう少しと言われてすでに四十分は経過してると思う。小走りでも速足でもないけど、電車二駅分を歩けば体力のない私にはかなりキツイ。呼吸する度にわたあめみたいな白い雲が出る。それは息と言うよりエクトプラズムかもしれないという錯覚すら覚えた。息が上がる度に魂が抜けていくんだ、そんな妄想にも納得できるほど疲労していた。


「お休みの日にウォーキングくらいしたら? あれだけ歌える肺活量があるのだから内臓には問題ないはずじゃない。単なる運動不足よ。私はこうしてたまに歩いて下校しているけれど、あなたみたいに遠いだの疲れただの思ったことないわ」


「たった二駅って言うけどさぁ、電車で二駅あるんだから、それは人間の歩く距離じゃないってことだよぉ。歩けないから電車があるんじゃーん。……はぁ、話しながら歩いたらあっという間だと思ったのになぁ……うぅー、遠いよぅ、疲れたよぅ」


「都会育ちじゃないと自己申告してたわりに文明に頼って生きてきたのね。どれだけ田舎なのか知らないけれど……。一緒に歩いてて時間経つのが遅いと言いたいのなら、私と一緒にいて楽しくなかった、と解釈していいのよね?」


 切れ長の目をより細めてそっぽを向いた。普段は通りの良い声とは言えないけど、ムスッとした聖ちゃんの声は閑静な住宅街に低く響いた。所々に点在する街灯がご機嫌斜めな私たちを照らしている。


「そんなこと言ってないじゃーん! 楽しかろうがつまんなかろうが疲れるものは疲れるんだよぉ。……あーぁ、こんなことになるなら志乃先輩の誘い断らずにおとなしく陸上部入ってれば良かったぁ。そしたら今頃有里紗ちゃんみたいにモリモリ走ってもビュンビュン走ってもケロッとしてられたかもしれなかったし、聖ちゃんを怒らせることもなかったかもしれなかったのに……」


「誰が怒ってるですって?」


「……聖ちゃんが。めちゃ怒ってるじゃん」


「……怒ってるように見える目で悪かったわね!」


 目つきの問題は置いといたとして、そのドスを聞かせた声も口調も完全に怒ってるとしか思えないんだけど……とは言えない。うん、だいぶ空気読めるようになったね私。成長したね私。だがしかしこの状況を打破する台詞が思いつかない。次の街灯に照らされた聖ちゃんの怒った顔を想像して、また大きなわたあめを吐き出す。


「ねぇ、聖ちゃん……」


「……」


「聖ちゃんってばぁ」


「……」


 イルミネーションの代わりに申し訳ない程度の灯りが家々からこぼれている。あれほど色とりどりにキラキラしていた街並を抜け住宅地に入れば、何もない日常に戻った気がした。ガヤガヤとにぎやかだったショッピングモールも人が溢れていた駅前広場も、もはや夢だったんじゃないかと思えるほど静かで暗い道だった。黙ったまま歩き続ける聖ちゃんをチラリと横目で見ると、あちらもまた大きなわたあめを吹き出していた。それは私のよりもずっとずっと大きく見えた。


「……あのね、私、ほんとに楽しかったんだよ? チキンもケーキもおいしかったし、この手袋くれたのも嬉しかったし、キーホルダー喜んでくれたのも嬉しかったの。でもさ……」


「……分かってるわよ。歩き疲れただけでしょ? つまらないから疲れたわけではないことくらい分かってるわよ。それに、たくさん気を使ってくれたから気疲れしちゃったのも分かってる。ごめんなさいね、あなたの気持ちも考えないで……」


「気疲れなんてしてないよぉ! ほんとに歩き疲れただけだってば。HPが元々少ないだけだってば」


「そういうところが気を使ってる、というのよ? 強がって見せたりご機嫌を窺ってみたり、知らず知らずに体力以外のものも消耗していたのよ。自覚していないのは自滅するという欠点からすれば命取りだけど……無意識に気を使えるところは栗橋さんの長所とも言えるわね」


 冷たい北風が聖ちゃんの横髪を払う。そこから見えた横顔はとても穏やかだった。夜道を照らす灯りは寂しいほどだったけど、暗がりでもいつもと違う表情を見せてくれた聖ちゃんの周りだけぽっかりと明るく見えた。風にザワッと揺れた木の音の不気味さも感じさせないほど眩しかった。


「長所、なのかなぁ。分かんないや。でも嬉しいよ、ありがとう。聖ちゃんに褒めてもらえるの、すごく嬉しい!」


「まるで私が滅多に褒めないみたいじゃない?」


「もー! すぐそうやって怖い顔するぅ! 言ってないってばぁ!」


「……どうかしらね?」


 チラッと横目で見て、だけど口元は少しだけ上がっているように見えた。そんな聖ちゃんにホッとしてもう一つため息を吐いた。


「この辺ってさぁ、おっきいお家が多いんだねぇ。マンションは新しくて家賃高そうだし、俗に言う高級住宅地ってやつだね。聖ちゃんちもおっきいの?」


「さぁ? あまり他と比べたことないから分からないわ。普通、じゃないかしら」


「ふぅーん。この辺の普通は普通に見えないんだけど……高級度がマヒしてるんじゃない? 例えばさ、あの電柱の横の武家屋敷みたいなお家あるじゃん? あんなのばっか見てたらそりゃマヒもするよねぇ。……しっかし、あの武家屋敷、よく見るとボッロボロだね! 忍者でも住んでそうじゃない?」


 一つ先の電柱に付いた灯りが大きな屋敷を照らしていた。新しかったり大きかったりする高級住宅地の中で、不気味なくらいに一際大きくて古ぼけたそれは、まるで忍者か妖怪が住み着いているような雰囲気すら思わせた。昔、なかなか寝ようとしない私に、「早く寝ないと悪い子を妖怪さんが食べに来るよ?」とママに言われて布団を被って震えていたことを思い出してブルッと首を竦めた。嫌な感じ……少し怖くなって聖ちゃんの手をギュッと握り直した。


「もうっ、どれだけ寒がりなのよ……。栗橋さん、あなたもう少し運動して筋肉付けたら? 脂肪ばかりだと……」


「ち、違うの! 違くないけど違うの! 怖いこと思い出しちゃっただけだよぅ。それにさぁ、さっきから私におデブ疑惑かけるのやめてくんなーい? 重いとか脂肪とか……確かに運動不足だけどおデブじゃないもん」


「はいはい、おデブさんじゃないわよ。おデブさんじゃないけどそうくっつかれると門が開きにくいでしょ。……さ、どうぞ? 昆布茶でもごちそうするから上がっていって?」


 いいのっ? と目を輝かせたのもつかの間、足を止めたのは大層な門構えで大きく口を開けた武家屋敷だった。


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