36★二つのキーホルダー
「いい加減、手袋の匂い嗅ぐのやめてよね」
北風の吹く夜の街を並んで歩く。さっきもらった薄ピンクの手袋を鼻に当てたりほっぺを擦ったり。左側から呆れた声の主が「聞いてるの?」とため息をついた。
「聞いてるけどさぁ、匂い嗅いでるわけじゃないよ? 鼻とか耳ってつめたーくなるじゃん。覆ってたらついでに匂い嗅いじゃってるだけだからね?」
「どっちでもいいけどなるべく嗅がないで。息止めて」
「うぇー! それ死んじゃうよっ? おパンツの匂いをくんかくんかしてるわけじゃないんだから手袋くらいいいじゃーん!」
「……な、何言ってるの? 大きい声でおパ……変なこと言わないでよね」
キッと睨まれて「ごごごごめんなさい!」と反射的に口から出た。確かに今のはちょっと例えが極端だったかな。声もつい大きくなっちゃってたし怒られてもしょうがないしょうがない。しぶしぶ顔から手を離し、ぶらぶらと宙を泳がせる。それでも手持無沙汰でなんとなく聖ちゃんの左腕に絡みついてみた。
「暖かーい!」
「ちょっと、栗橋さん! 恥ずかしいからくっつかないで! 体重かけないでよ、重いから!」
「いいじゃんいいじゃん、仲良しなんだもん。体重かけなきゃいいでしょ? 私おデブじゃないんだけどなぁ」
「仲良しとかおデブとかの問題じゃないのよ」
左腕をぶんぶん振って振りほどこうとする聖ちゃんに負けじと私もしっかりしがみつく。しばらく「放して」「やだ」「放して」「やだ」を繰り返しているうちに、ため息と同時に抵抗も消えていった。勝った! と言いたいところだけど口にはしない。また怒られそうだから……。
「イルミネーションも今日までかなぁ。一か月くらいずっとピカピカしてたから、明日から急に暗く感じちゃうかもだよね。なんか寂しいなぁ」
「場所によってはお正月明けまで点いているところもあるみたいよ。私は静かなほうがいいからイルミネーションもネオンもあまり好きじゃないわ。栗橋さんだってネオンがないほうがいいからわざわざ川原まで星を見に行くんでしょう?」
「あー……まぁそうだけど。でもさ、よく言うじゃない? まるで灯りが消えたようだーとかっていう例え。あれって寂しい状態を表してるじゃん。それみたいに、今まで明るかったのに急に消えちゃうと寂しくなるなぁって話し」
「ふぅーん。今まで当たり前だと思っていた状況から明るさが消えた時、ってことよね。当たり前なんてないのだけどね。必ずとかも、永遠とかも」
「またその話ぃ? 強情だなぁ。ずっと側にいるって言ってんのに信じないんだもんなぁ」
聖ちゃんが信じきれない気持ちも少しは分かる。小さい時にお父さんを亡くしてるから信じるのが怖いんだ。信じていなくなってしまうことが怖いんだ。「ずっと一緒」の言葉に頷いてくれないのも、寂しいけど理解はしてるつもり。だからこそ水族館で私の現実逃避説を突き付けてきたのも分かってる、分かってるつもり……。
「ねぇ、栗橋さん」
「うん?」
「大事にしてね」
「……う、うん! もちろんだよ! 聖ちゃんのことは私が世界一幸せにするから! 大事にするから心配しないで!」
「……心配なのだけど……そのおつむの足りなさが。私が大事にしてって言ったのは手袋のほうよ。はぁー……」
あれれ? っとドヤ顔で笑ってみせた口元が固まってしまう。そのまま首を傾げると、聖ちゃんはがくりと項垂れた。しばらく反応を確かめる為にぶらぶらと腕を振ってみたけど無反応で。少しだけ先を歩いて顔を覗き込んだところで目が合った。
「ねぇー! 大事にするよぉ、手袋も聖ちゃんもー! なんで怒るのー?」
「……ぷっ」
「……笑ったな?」
「だって……とんちんかんな勘違いするんですもの。栗橋さんて本当にポジティブで不思議な人よね……ぷっ、ふふふふふ」
よく分かんないけど、まぁいいや。
「そうだ! 大事といえば大事なこと忘れてた! 聖ちゃん、これ持ってて!」
繋いだ手も手袋も外して預け、がさごそとバッグの中をかき回した。大して中身は入っていないのにあわててる時に限って見つからない。
「大事な物忘れたの? どこかで落としたのなら引き返してみましょうか……」
「そうじゃないの。あるはずなの、あるはず……あった! はい聖ちゃん、メリークリスマス!」
バッグの隅でシワシワになってしまった小さな包み紙。それをピンピンっとシワを伸ばし、両手で聖ちゃんの眼前に差し出した。
「あり……がとう……。もらって……いいの?」
「またそれぇ! いいの、聖ちゃんへプレゼント! 莉亜サンタさんから、よいこの聖ちゃんへクリスマスプレゼントだよー?」
「あり……ありがとう……。もら……うわね。開けてもいい?」
私がこくこく頷いたのを確認して、包み紙のシールを慎重に剥がしていく。まるでバンソーコーの下の傷を確認する子供のように。
「キーホルダー……イルカ……?」
小指ほどもない小さなそれを目の高さまで上げ、ぷらりと微かに揺れた動きに合わせて目で追っていた。水色の背鰭を鎖で繋がれたイルカさんが、左右に揺れながら私と聖ちゃんをにこやかに見比べている。
「かわいいでしょ? たくさんあった中で一番かわいい子を選んだんだよ! こういうのってほら、大量生産だからちょっとずつ顔が違うじゃない? だから色んな子がいたんだけどこの子が一番かわいかったんだ! 色もね、四種類あったの。聖ちゃんはクールだからグレーか水色で迷って、でもでも純白もいいなーって悩みだしちゃって……。結局クールで爽やかな水色にしたんだけど、うん、やっぱりぴったりだったかな!」
「……かわいい……。大事にするわ。ありがとう」
「お礼は一回でいいって! でねでね、見てー! ジャーン!」
水色イルカさんの隣にぷらんと垂らしたピンクのイルカさん。どうしても欲しくてお揃いで買った私のイルカさん。眼前に差し出されて驚いたのかもう一匹出てきて驚いたのか、聖ちゃんは息を止めて目を丸くした。
「かわいい……。栗橋さんの?」
「うん! お揃い! 聖ちゃんがさっき、私にはピンクが似合うって言ってくれたから、私のはピンクにして正解だったなぁ。ね、こうして並べてみると余計にかわいくない?」
「ふふふっ、本当ね。友達ができて少し笑ってるように見えるわ」
「でしょでしょっ? 本物のイルカさんも笑って見えるよね! またイルカさんで繋がったね。友達ができて笑ってるの、聖ちゃんと一緒!」
「……恥ずかしいこと言わないでって言ってるでしょ、もうっ。……ダラダラ歩いてたら門限過ぎちゃうわ。行きましょ」
一つ咳払いをして水色イルカさんをバッグに入れようとしてる聖ちゃん、また怒ってる? それとも照れてる? まぁいいや。
繋がった絆は強くなってて、きっと、もっとずっと、ずっと一緒だよって、今度はこのキーホルダーに誓って約束するからね。