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32★賑わう廊下

 廊下に出ると、まるで脱衣所にいるかのような香りが漂っていた。お風呂上がりの寮生たちがそれぞれの部屋へと帰っていく。石鹸の香り、メントールの香り、フローラルな香り、フルーティな香り、色んな香りが入り混じってイブの夜を演出している。楽しそうな笑い声とすれ違いながら階段を降りていると、こちらを向いてしゃがんでいる子と目が合った。階段でしゃがんでいるなんて危ないな、とつい足を止める。


「どしたの? お腹痛いの?」


「……ううん、違う」


 一瞬間を置き首を振るこの子、確か同じ一年だけどクラスが違うから名前が思い出せない。でも何だろう、いつかもこんな光景に出くわしたような……。


「あぁ、もしかしてコンタクト落としたとか? 一緒に探してあげるよ! 私、資力いいから任せて! んっと……どの辺だったか大体分かる?」


「だから大丈夫、大丈夫。お構いなく降りてって」


「……そぉ? でも、こんな階段の真ん中でしゃがんでたら危ないから気を付けてね? じゃ!」


 変なの、と階段を降りながら振り返ると、そこにはまだ同じ体勢のその子がいた。結局何をしているんだろう。やっぱり何か理由があるんじゃないかと考えたけど、具合が悪いか何かを落としたか以外の理由が思いつかない。それでもお構いなくと言われた以上はこれ以上のお節介を焼くわけにもいかず、ただチラチラと振り返りながら足を進める。


「……ありゃりゃ!」


 私の足が踊り場に達した時、お節介を焼かずにはいられない光景が目に入った。思わず下から声を張り上げる。


「ねー! パンツ見えてるー! パンツパンツー!」


 思いの外声が出てしまったことが気に障ったのか、当の本人が迷惑そうに振り返る。眉間にシワを寄せ、まるでゴミを払うかのように「しっしっ」と手をぶらつかせた。せっかく善意を働かせたのに「しっしっ」はないでしょ、と私も目を細めた。ネコさんパンツ丸見えだよってもう一度大声で教えてあげようか? という茶目っ気まで過ぎる。しかしまぁ変わった子だなぁ……って私も人のこと言えないか。いやいや、私は部長にもカバさんパンツ見せてないし、第一丸見えだよ? 丸見えっていうか、あれじゃ丸見せだよ? 黒ネコさんがしっかりこっち見てるし。丸見せ少女よりネコさんと目が合ってるし。いくら女の子同士の恋愛が多い学校と言えど、パンツ丸見せ少女は色気の欠片もないなってのは私ですら思う。色気なら、まだパンチラのほうが……。ん? パンチラ……?


「えっとぉ……六組のり……り、なんとかチラちゃんだよね? パンツ見えてるよ! パンチラちゃんのネコさんおパンツ見えてるよーぅ!」


「り、なんとかじゃないしっ! 理純(りずみ)智良(ちら)だし! デカい声ださないでよね栗橋莉亜!」


「あー、そうそう! 理純智良ちゃんだったぁ。おしいじゃん、五文字中三文字まで当たったんだよぉ? ……ってか、よく私のフルネーム知ってるねぇ? クラス違うのに」


「……デジャブ? いいからしっしっ! 反応無い奴に用はないの」


 デジャブ? 反応? なんのこっちゃ分かんないけど、二度目の「しっしっ」には、さすがの私もむぅっとほっぺが膨らんだ。せっかく教えてあげたのに。名前まで覚えててあげたのに。なんだよなんだよー。


「ふーんだ。じゃーね」


 角を曲がって姿が見えなくなると更にほっぺが膨らんだ。階段の途中でしゃがんでたら危ないよ、パンツ見えてるよ、って忠告してあげたことのどこに不満があるんだかちっとも分かんない。それにフルネーム知ってるからって呼び捨てはないでしょ呼び捨ては。こっちは「ちゃん」づけで呼んでるんだから「さん」でも「ちゃん」でも付けてくれれば印象悪くないのになぁ。……んでも、なんで私の名前知ってるんだろ? 話したこともないのに……なかった……かなぁ? 何を話したかは覚えてないけど、さっきみたいに階段ですれ違ってパンツを見ちゃったことがあったような……。あぁ、それで智良ちゃんも「デジャブ」って言ってたのかなぁ? そう言われればそんな気もしてきた。ずいぶん前のことだから薄らとしか思い出せないけど、前にもああしてパンツ丸見えになってたから教えてあげたんだった。確かあの時は通り過ぎようとする私に舌打ちしてたような、「反応ないのか」って聞こえたような……なんだったんだろう? 


「きゃー! も、もうっ! 理純さんのバカぁー!」


 叫び声は先程の上段からで、甲高い声と共にバタバタと走り去っていく足音が聞こえた。何かあったんだろうか? 智良ちゃんの名前が叫ばれてたから、きっと何かやらかしたんだろうなぁ。でも追い払われた私が戻ったところで三度目を食らうのはごめんだからねぇ……走り去る足音も消えたし、事件も去ったと思い込むことにしよう。関係ない関係ない。早くお風呂行かなくちゃね。


「あー、栗橋さん栗橋さん!」


 まるで鬼退治に行くなんとか太郎の歌みたいなテンポ……なんて思いつつ自分の名前を呼ぶ先を見た。階段の一番下から見上げる知らない子が小さく手を振っている。知らない子? 正確には寮生である限り知らないはずはないんだけど、少なくとも一年生ではないはず。さっきの智良ちゃんのこともあるし、あちらは私を知っている、その事実だけでも脳みそが回りそう。思い出せない、思い出せない。なんだか親しそうに手を振っているし、いい人そうだし、とりあえず返事をしてみよう。


「はいはい、栗橋ですが」


「観たよ、イベント。素敵な合唱だったね。うち、春に陸上部勧誘したけど、やっぱり栗橋さんは合唱部が合ってたのかもしれないなって思ったよ」


「そう? ありがとー! ……ところで誰だっけ?」


「え……あ、覚えてない? 学年違うから覚えられないか……。うちはしょっちゅう見かけてるんだけどなぁ、廊下を走り抜ける栗橋選手の姿」


 さっきのパンチラ智良ちゃんみたいなヒントがあれば思い出せるのに……ちょっと情報が少なすぎる。小さな脳みそをぐるぐるさせて記憶を遡った。陸上部、勧誘、他学年……。


「んーと、短距離走の先輩? 確か、し……えっと、し……」


「志乃せんぱーい! まだっすかーぁ? 先行くっすよー?」


 あぁそうそう、思い出した、志乃先輩だった。と、思い出せたのは遥か先から聞こえる声に正解があったからであって、私が自力で思い出せたわけではないんだけど。私にも引けを取らない大声の持ち主には見覚えがあった。私の苦手な長距離走が得意な二組の……えっとぉ……。


「有里紗ちゃん、待ってー!」


 あぁそうそう、思い出した、有里紗ちゃんだった。……って、今回も発したのは私ではなくて志乃先輩で。これじゃあクイズどころか、隣のクイズ王に早押しで正解言われてるのと同じじゃんか。


「じゃあね、栗橋さん。気が向いたらいつでも陸上部に遊び来てね」


「あ、うん! ありがとー」


 気持ちのいい先輩だったなぁ。爽やかそのものって感じだし、運動部ってみんなあんな風にお日様みたいな笑顔なんだろうか。駆け寄った先の有里紗ちゃんもさっぱりとした元気っ子って感じだし。私も合唱部に入らず陸上部だったら今頃爽やか女子高生してただろうか。うーん、想像がつかない。長距離走以外のスポーツに苦手はないけど、体育会系な社会ではやっていけそうもないからなぁ。なんせ、うちの部長よりも敬語にうるさそうだし。でも、あの和やかな先輩たちを見ていると、それもまた有耶無耶な想像でしかないのかなぁとも思う。


 部屋を出て浴場へ向かう途中ですれ違う人たちの顔がやけに眩しく見えるのは気のせいだろうか。お風呂上がりさんが多いことももちろんあるかもしれない。だけどそれだけではないウキウキ感みたいな空気がきっと今日がクリスマスイブだからなんだろうということは、鈍い私でも容易に察しがついた。甘いシャンプーの香りを漂わせながらいそいそと部屋へ戻っていく子も、門限ギリギリに帰って来たのか制服のままあわてて部屋へ向かっている子も、みんなにそれぞれの幸せオーラを感じる。浴場から引き連れてきた蒸気だけではなくて、あつあつのテンションも廊下を暖めているのだろうか。恋をすると女の子は綺麗になるって言葉があったけど、まるでそれはこの楽園のような光景を表わして歌ったものなのかもしれない。


「オー!」


「っっととと! あわわ、ごめん! 考え事してて……」


 すれ違う天使さんたちにぼんやり見惚れていたせいで、正面から来た人影を避けきれずぶつかりそうになった。あわてて謝るも、よく見ると相手は青い目をぱちくりさせていた。……やばい、この人、二年生の外国人さん……。私日本語しか話せないよー! えっと、えっとまずは……。


「アイムソーリー!」


「……大丈夫です。あなたは?」


 に、日本語しゃべれるんじゃん……。なんだ、と安堵の息が洩れた。


私は大丈夫。でも、ほんとにごめんね? じゃあ」


「はい。……マイク、どうしましたか?」


 焦ってたし青い目に捕らわれていたから気付かなかったけど、隣にいるのは確か……郷奈ちゃんのクラスの桜ちゃん。でも、マイクって呼ばれてる……名字は松木さんじゃなかったっけ? 珍しく私が覚えているのには理由がある。前に郷奈ちゃんが風邪で学校を休んだ時、ノートを部屋まで届けてくれた親切な子だから。ちょっとしか話したことないけど、名前通り純和風で素敵な子だなって思ってた。その純和風さんと外国人先輩が一緒にいるのはどうにも国際的なツーショットに見える。


「桜ちゃん。マイクって桜ちゃんのこと?」


「え、あぁうん。同室の南アリシア先輩。あーちゃん、こちらは郷奈と同室の栗橋莉亜ちゃん」


 急なご紹介に途惑いながら「はぁい!」と陽気に手を上げると、アリシア先輩もまたにっこりと「ハイ!」と手を上げてくれた。なぁんだ、日本語通じると思ったらなんてことない緊張だったな。


「ちょうど良かった莉亜ちゃん。郷奈は部屋にいます? この前お借りしたノートを返しに行こうと思っていたところなの」


「ううん、郷奈ちゃんなら帰省許可取っておうち帰ったんだ……。ちょっと早いけど年末年始の帰省だって。預かってあげるよ。郷奈ちゃんの机に置いておくから」


「そうなの? ……じゃあお願いしようかな」


「おっけー!」


「それじゃ、よろしくね。……行こう、あーちゃん。早く帰って乾杯しないとコーラ温くなっちゃうよ?」


「そうですね。グッバイ、莉亜」


「……ぐ、グッバイ!」


 二人は片手にしたコーラのペットボトルをふりふりして別れの挨拶をした。部屋へと戻っていく後ろ姿を見ているとルームメイトっていいなとしみじみ思ってしまう。桜ちゃんとアリシア先輩はコーラでクリスマスパーティーをするのかな、そんな想像をして心が解れた。


 聖なる夜、みんなそれぞれの楽しみ方をしてるんだね。私と聖ちゃんのクリスマスは明日、明日も素敵な一日になりますように……。てか素敵な一日にするぞー!

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