31★自堕落改心?
「うへぇ、寒かったぁ……」
寮のエントランスに入るとすぐ、暖かい空気が私を包んでくれた。下校してから歩いて歩いて水族館へ。水族館から歩いて歩いて川原へ。川原から歩いて歩いて聖ちゃんちへ。それからそれから一人で寮へと帰還。今思えば寒空の中、よく歩いたものだと褒めてあげたい。スタミナのない私にしては頑張ったよねって。
「あれぇ? ……そっか、郷奈ちゃんいないんだった……」
当たり前のように空っぽの部屋はやけにヒンヤリしていて。暖房を点けていないだけではなく、人の温もりがないとこんなにも冷やかなのかと痛感した。いつも無造作に脱ぎ捨てるコートも、今夜は丁寧にハンガーへと掛ける。
「まだお風呂混んでるかなぁ」
エントランスですれ違った寮生の子たちが、いそいそと浴場へ向かっていたのを思い出した。みんなイブで出かけていたのか、門限ぎりぎりに帰ってくる思考は同じだった模様。同じ時間に帰ってくれば、そりゃ浴場も混むわけだ。
「ん?」
ベッドに腰掛けて悩んでいると、バッグの中からブーブーと振動音が聴こえた。こんな時間に……脳裏を過ぎったのはここにいるはずだったルームメイトの顔。もしかして心配で電話してきたとか……?
「はいはいっ! こちら莉亜ちゃん!」
『もしもし? 栗橋さん?』
「おわっ! 聖ちゃんかぁ、どうしたの? 遅いってお母さんに怒られた?」
『違うわよ。言いたいことがあるから電話したのだけど……忙しかったかしら?』
言いたいこと、さっきまでずっと一緒だったのにまだあるの? なんだろうと少し考えてみたけど見当がつかず、すぐに諦めた。
「大丈夫だよ。云いたいことってなぁに?」
『まずは御礼。プレゼント見たわ。かわいいハンカチをありがとう。ふわふわで手触りもいいから気に入ったわ』
「ほんとっ? よかったぁ! ちょっと子供っぽいかなって心配してたんだけど、気に入ってくれて嬉しいよ!」
『もう一つ』
喜んでくれた安心感でほくほくする私とは裏腹に、御礼を述べた聖ちゃんの声は少し強張って聞こえた。
「もう一つ? なぁに?」
『このキツネの刺繍、もしかして私のイメージってこれなの? 私がキツネ目だって言いたいんでしょ?』
「へっ? えっとえっと……違うよ違うよ! 聖ちゃんのほうがかわいいもん! キツネさん見て聖ちゃん思い出したとか全然ないからぁ!」
『……』
あ、あれ? ごまかせてなかった?
「も、もしもーし」
『それでさっき川原でキツネって言ったのよね? 私が目つき悪いこと気にしてるのに……。ふふっ、まぁいいわ。今日はたくさん笑わせてもらったから』
一瞬お叱りの電話なのかと思って焦ったぁ。せっかくあげたプレゼントを喜んでもらえてないのかと心配したよ。でもちゃんと喜んでくれてるみたい。うん。良かった良かった!
「御礼の電話なんていらなかったのにぃ。明日も会えるんだしさ?」
『あぁ、そうそう。忘れないうちに伝えておこうと思って。さっき送ってくれた時、右の手袋を返してもらい忘れたのよね。明日忘れずに持ってきてもらえる?』
うっかりしてた。確かバイバイした後にバスの中で外して……。携帯を肩に挟んでバッグをあさる。普段から整理して入れとけば探し物なんて簡単なのにーっと思う瞬間。焦れば焦るほど手袋の行方を思い出せず、ただひたすらバッグの中をかき回した。
「えっとぉ……待ってね、待ってね。えっとぉ……あれ……おかしいなぁ、落としたはずないんだけど……あれ……? ここにもないし、ここでもない……」
『栗橋さん? もしかしてあなた、無くした、とか言わないわよね?』
「い、言わない言わない! えっとぉ……。聖ちゃん、ちょっと待ってて!」
え? とかなんとか聞こえた携帯をベッドに放り投げ、バッグの中身をあれやこれやと掻き出す。いつのか分からない小テストとかのど飴のゴミならいくらでも出てくるのに、お目当ての探し物はなかなか見つからない。嘘……と背中がヒンヤリした。自分の忘れ物や無くし物はあっても、人様の借り物を無くすなんて……。真っ白になりそうな頭をぶんぶん振ってもう一度バッグに手を入れるが、携帯から「もしもし? もしもし?」と聞こえてきて我に返った。
『どうしたのよ、急に黙るから心配したじゃない』
「ごめん、かけ直していい? 後で電話するから。ちゃんと探すから待ってて!」
『あぁ……やっぱり無いのね……。コートのポケットとかもちゃんと見たの?』
ハッとしてハンガーに掛けたコートに駆け寄る。急いでポケットに手を入れると、またものど飴のゴミ、ゴミ、ゴミ……たまにレシート。あぁもう! だらしないなー、誰のコートだ? と現実逃避したいくらい、コートのポケットはゴミ袋と化していた。ここに入れればゴミ箱へ直行になる四次元なんとかじゃないんだぞ、私のポケットは!
「……やっぱりかけ直すよ。ごめん聖ちゃん。もうお風呂入っちゃう? 寝ちゃう?」
『まだ寝ないけど……ポケット、なかったの? 左右とも』
ふと手を止める。左右? ……だよね、と反対のポケットに柔らかいふくらみがあるのを目視した。焦りで力が入っていた肩がだらんと下がり、気の抜けた微笑がこぼれる。片手いっぱいになったゴミたちをのこのことゴミ箱へ運び、また戻って逆のポケットに手を入れて感触を確かめた。
「すごいね、聖ちゃん神様だねぇ。私の行動が見えてるみたい!」
『……あったのね。はー、ならいいのだけど。栗橋さんが探し下手なだけじゃないの? 外で手袋をしまうとしたら、バッグの中かコートのポケットでしょ。そのくらい大体分かるじゃない。別に栗橋さんのことなんて考えてないわよ』
「ふぇ? 私は嬉しいけどなぁ、聖ちゃんが私のこと考えてくれてたら。ハンカチ見る度に思い出しちゃうーとかさ、左手に感触がーとかさ」
『ばっ……バカなこと言わないでよね! じゃ、じゃあそういうことだから! ちゃんと明日持って来てよね!』
「え、あぁうん。そうそう、明日なんだけどさぁ……あれ? もしもーし」
返答したのはプープーという機械音。バイバイも言わずに切るなんて酷いなぁと口先が尖る。持って来てと言われたそれをむにむにと伸縮させ、片方は聖ちゃんの手元にあるのだとしみじみ握ってみた。いつも君が聖ちゃんを暖めているのかい? もちろん返事はないけど、「まぁね」と聞こえる。さすが聖ちゃんの私物だね、素直な表現が下手なんだ。……そこもかわいいんだけど、と口角が上がった。
「忘れないうちにバッグに入れて、と。あわわ! 忘れちゃいけないと言えば!」
明日はクリスマス。今度はクリスマスプレゼントを忘れないようにバッグへ押し込む。先程てんやわんやで引っ掻き回した中身が無残に放り出されている現状を見て、片付け下手な自分にため息が出た。仕方ない、と腹をくくり一つずつ見定めてバッグへ戻す。これはいる、これはいらない、これは……ゴミ、これもゴミ。こうして冷静に見てみると、教科書とノートが対になって入っている教科がない。んー、と首を傾げても理由は分からず、まぁいいやと整理整頓再開。
「あっちゃー! ふにゃふにゃになってるよぉ……ん? まぁいいや」
取り出した一枚の答案用紙、水分を吸ってふにゃふにゃになっていた。苦手中の苦手科目、英語なんて習いたい人だけ習えばいいのにぃ。私は日本から出ない日本人だから外国語なんて勉強しなくていい……よね。もし外国の人に話しかけられた時の為に「アイキャントスピーク イングリッシュ」だけ覚えておこう。二度と見たくなかった三十二点という赤ペンの文字、ため息が出たところでルームメイトの深いため息も思い出した。赤目を冷やしてくれたハンカチが赤点テストを濡らしている、そんなシャレた言葉は「×」のオンパレードには似合わなくて笑えない。うーん、似合わなくて笑えるかもしれない。
「片付けろってことでしょ。はいはい、今やってますよ郷奈先生」
ぶつぶつとつぶやきながら手を進める。テストをぐしゃぐしゃと丸め、教科書とノートを積上げ、またもや登場のど飴のゴミ、一枚しか入ってないぐしゃぐしゃのポケットティッシュ、駅前のショッピングモールで衝動買いしたいつぞやの花柄バンソーコー、無くしたと思っていた消しゴム、エトセトラエトセトラ、それらを左右に仕分け、花占いのように「いる、いらない、いる、いらない」とつぶやく。こんな光景を郷奈ちゃんに見られたら呆れられちゃうか褒められるか、いずれにせよ珍しいわねって笑うんだろうなぁ。
「んで、これが最後、っと!」
まるで自分のバッグとは思えないくらい整った、と軽い自負。褒めてんだか貶してんだか分かんないけど。またも手中いっぱいになったゴミたちをむんずと掴んで葬り、パンパンと手を叩いて一息。うーん、と大きく伸びてベッドにころころ転がる。制服のまま寝転がったらスカートがシワになるわよ、リボンタイを外したら閉まっておかないと無くすわよ、言われることは耳にイカ。……タコだった。でも言われなきゃできなかった私が悪い。今もこうして制服のまま転がっているのだから、もしも隣にいたら注意されるんだよなぁと思いつつ起き上がる気配のない私。だって、いないんだもん。いないほうが悪いんだもん。私を注意したきゃいればいいじゃん……。
「ふぁーあ……つっかれたなぁ……お風呂行くのめんどくさぁ」
欠伸と一緒に出てきたのは自堕落なつぶやき。だらしないわね、とまたも幻聴のように耳に付く郷奈ちゃんの声。いいもんいいもん、私だってやる時はやるんだからいいんだもん。今だってバッグの整理できたし、言われなくたってそのうち起きるし着替えるしお風呂行くし……あぁ、そろそろお風呂空いたかなぁ。ころりと寝返りを打って時計に目をやると、帰宅してから一時間が経とうとしていた。片付けに集中していたから気付かなかったけど、もうそんなに時間経ったのか、と重い身体をよっこらせっと起こす。隣にいない寂しさと同じくらいの解放感がダメな私を余計にダメにする。ダメダメ、強く首を振ってベッドから飛び降り、勢いでクローゼットからお風呂セットを引っ張り出す。立ち止まったら負け、そんな気がして部屋を後にした。