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26★出会い

「歩くの速くない? 捻挫は大丈夫なの?」


「うん、だいじょぶだいじょぶ! 単なる捻挫だし、聖ちゃんが応急処置してくれたからか、治り早いんだ! まだ走らないけどねー」


 学校を出て寒空の下。この辺で女の子同士が手を繋いでいるのは珍しいことではない。聖ちゃんは恥ずかしがっていたけど、私はむしろ、手を繋いでいることは仲良しの証だと思っているから嬉しかったりする。同じ部活の子や郷奈ちゃんと下校することはあっても手を繋ぐなんてしたことなかった。それがこんなに自然に繋げるなんて、きっとこれは聖ちゃんだからなんだ。


「……そう。ねぇ、それより、本当にどこへ行くの? あまり遠くへ行くと門限が……」


「心配ないない! 聖ちゃんも行ったことあるとこだよ。逸れても一人で帰れるよ、きっと」


「栗橋さんの考えていることはさっぱり分からないわ」


「分かんないほうがサプライズ、でしょ? あぁ、サプライズといえばプレゼントはちゃんと持ってきたからね」


「だから……サプライズっていうのは内緒に……」


 忘れん坊の私にしては上出来だと褒めてあげたい! バッグにちゃんとプレゼントを入れてきたんだもん。あとで渡すから、ちょっとだけ待っててね……。


「あ、見える? 目指すはあそこ、だよ!」


 時計は午後五時を回ろうとしている。冬の空はとっぷりと暮れていて、指差す先にはキラキラと光るイルミネーションを纏った大きな建物。繋いだ左手をブンブン振って聖ちゃんに伝えた。


「水族館……? 栗橋さん、もしかして……」


「分かる? もう一回あそこで出会うの。初対面するの。初めまして、だよ?」


「え……? どういうこと?」


 不思議そうに覗き込んできた聖ちゃんの足が少しだけ速度を緩める。でも早く連れて行きたくて、私は早めたいくらいだけど、ネタバレもしたくてしたくて、前に立って両手を取った。そして今度は小刻みに手を揺すり、溢れ出す気持ちを伝える。


「聖ちゃんと出会った場所だから。今度はちゃんと私のことを好きになってもらえるような出会いをするの。悪い思い出は塗り替えるの。そしたら私たち、最初っから仲良しでいられるじゃない?」


「そんなこと……必要ないわよ」


「ブツブツ言ってないで、ほら来て来て!」


 まだ腑に落ちない様子は隠せてないけど、行ってみたらきっと笑顔を隠せなくなるから。隠せなくさせるから。私の顔も心もにこにこが止まらないのは、聖ちゃんをにこにこにさせる自信があるからだよ? だから、ちょっとは私を信用して着いてきてね。


 さすがにクリスマスイブともなると、たくさんの恋人たちの姿が目に入る。「楽しかったね」とはしゃぐ子供の手を引く家族連れとすれ違いながら入口を潜った。水族館の中はほわんと暖かくて、竦めていた首も力が抜ける。嬉しさで込み上げてくるドキドキを沈める為に大きく深呼吸して見上げた聖ちゃんの表情は少しだけ浮かない様子だけど、暖まってきた手をそっと繋ぎ直して「行くよ!」と手を引いた。


「見て! この水槽は十年前と同じだよね! 覚えてる? 私、覚えてるよ! ヒトデって遠くから見るとお星様みたいだけど、近くでよぉーく見るとぶつぶつが気持ち悪いなぁって思ってたもん。懐かしいなぁ」


「あんまり覚えてないわ。兄が気を使ってくれてたのを感じてたから、一つ一つ観察してなかった……」


「そうなの? じゃあ、じゃああれは? アジがいっぱいだよ! おいしそうだねー……って言っちゃいけないんだった! 私、十年前もパパに怒られ……ごめん。お父さんの話は……」


 盛り上げるつもりなのに、こりゃ失言。お兄さんは、お父さんを亡くして寂しがってる聖ちゃんを元気づけようとしてここへ連れて来たのに、思い出を塗り替えるどころか、思い出したくないことを思い出させちゃったかも……。


「……いいのよ。もう子供じゃないんだからメソメソしたりしないもの。綺麗よね、キラキラしてる」


「ね、ね! このアジたちはさ、アシカショーとかでご褒美にされちゃったりするのかなぁ? バケツに入ってるじゃん、芸ができると一匹ずつ……」


 言いかけたところで繋いだ手をギュッと握られ、振り返ると人差し指を唇に当てながら首を振っていた。


「栗橋さん?」


 振り返った聖ちゃん越しに親子連れの姿が見えた。未就学児であろう男の子が不思議そうにじぃっとこちらを見ながら「ママぁ、そうなの?」と尋ねている。お母さんらしき女性が慌てて首を振っていた様子を見て、あぁこれも言っちゃいけないことだった、と気付く。


「ん? あ、あぁ、ごめんちゃーい! えっとぉ次は……あっ、ねぇねぇ、あっちの水槽って昔からあった? 昔よりおっきくなった気がするなぁ。小さい頃見た物って自分が大きくなったら小さく感じるよね、普通。きっとおっきく改装したんだね」


「……」


「覚えてない? つまんない?」


 数々の失言に呆れてしまったのか疲れてしまったのか、あるいは……思い当たる点はあるけど、ありすぎて果たしてどれが正解なのかが分からない。考えていても仕方のないことだと分かってる、分かんないことは分かってる。でもどうやってこの状態を展開させるか少しだけ悩んでみたい。強引にじゃなくて、ちゃんと聖ちゃんの気持ちに寄り添って悩んでみよう……。


「ペンギンが見たいわ」


「ペンギン?」


 目が合うと少しだけ微笑んで、少しだけ頷いた。そっか、私が振り回してちゃダメだ。今日は聖ちゃんのお誕生日。今日の主役は聖ちゃんなんだから、もっと、ちゃんと、話しながら、聞きながら、知りながら、一緒に歩いてみよう。


「オッケー! 行こ行こ!」


「知ってる? 皇帝ペンギンの雄は、雌が卵を産んだ後、二か月以上も餌を食べずに温めるのよ。産卵で体力を消耗した雌はその間に海へ餌を取りに行くの。雌が餌を体内に蓄えて帰ってくるまで、ずっと絶食状態で立ったまま温め続けるなんて健気だと思わない?」


「聞いたことあるよ! ロマンチックだよねぇ。二か月も離れてて、しかもみんな同じ顔してるのに、動物ってよく自分のパートナーが判別できるよねぇ? すごいなぁ。絶対浮気しないってことでしょ? うちの両親とは大違いだよ」


「そうでもないのよ。動物だって一夫一婦制な種類は少ないしパートナーを変える種類もいるの。ペンギンやタヌキが一夫一婦制なのも生涯ではなくて、繁殖期や子育てが終わるとパートナーを変えるのよ。変える、と言ったら人間の世界では不謹慎に当たるわよね。いくら子育てが終わったとはいえ……あ……ごめんなさい……」


「なんで謝るの? あー、うちのこと? ううん、うちも子育て終わった私を出して再婚したことは悪いことじゃないと思ってるから大丈夫だよ? 私は子供かもしれないけど、小五の弟から比べたらもう高校生だし、一人前になってもおかしくない歳だからね。ママは美人さんだったけど、ペンギンさんほどかわいくないから、タヌキさんってとこかな? あはははは。嫌なこととか寂しいこと思い出しちゃったとかそんなんないから気にしないで!」


 解説を聞きフムフム頷いていたのに、まさかの謝罪で現実に引き戻された。ペンギンの姿を目で追っているのかと思いきや、ちらりと隣を見ると目が合った。気にしないでって前にも言ったのに。眉を顰めながらしばらくこちらを眺めて、それから重苦しく口を開いた。


「……栗橋さん、思い出を塗り替えたいのは私との思い出ではなくて、ご家族との思い出のほうなんじゃないの? 本当は離れて暮らしていて寂しいのに、寂しくないという暗示を掛けているだけなんじゃないの? 自分を寂しくさせたご家族を責めたくなくて、楽しかった思い出を消してしまえば苦しまないからとかで……」


「やだなぁ、違うよ。考えすぎ。……私はさ、頭悪いかもだけど、忘れちゃいけないことがあるのは分かってるつもり。楽しかったことも、嬉しかったことも、塗り替えたりしちゃいけないことくらい分かってる。だからね、逆に嫌なこととか辛かったことは塗り替えたいと思ってる。そりゃ聖ちゃんとの出会いを忘れちゃってるのはごめんと思ってるよ? だからこうして、お互いの出会いを塗り替える為に、出会いをやり直す為に来たの。そしたら聖ちゃんの中で嫌な奴だった栗橋莉亜は、大好きな栗橋莉亜に……なる……と思ったの……」


「……」


 たくさんのペンギンたちがスイスイと、よちよちと忙しなくしている横で、私たちの時間だけが止まったようだった。私たちの始まりの場所は、思い出を塗り替える場所でもあると同時に、乗り越えなくちゃいけない針山みたいな物があることを突き付けてきた。十年前をやり直す、だけど十年間をワープすることはできない。なくしてはならない記憶と思い出。楽しかったことも、嬉しかったことも、辛かったことも、悲しかったことも、全部全部受け止めて、受け入れてきたからこその私たち。お互いの過ごしてきた十年間があるからこそ、形成されてきた私たちがある。褒めてあげたい自分もダメな自分も飲み込んで、ごくんと消化したら、血となり肉となり、脳みそとなり「私」になる。ワープしてすっからかんの、空っぽの私ではなく、十年間の蓄積された脳みそを持つ「私」だからこそ、今ここで、やり直したいという「心」を持っている。考えたくないことからも、見たくないものからも叛いてるようじゃ空っぽと同じだ。私は逃げてないだろうか。叛いてないだろうか。自分の感情からも、現実からも……。こんな私じゃ、ダメ、だろうか……。


「都合、いいかなぁ……?」


「……ううん、誕生日にやり直すのもいいわね。明日から新しい私になれるかしら」


 止まっていた針が動き出した。二人の空白のページも、これからのページも、一緒に描いていけばいい。


「うん! 新しい私たち、だよ!」


「そうね……。じゃあ、行きましょうか」


「ふぇ? どこに?」


「イルカの水槽よ。あそこから、出会いましょ?」


 私たちが生きてきた十五年間の、ぽっかりと空いたページを一緒に埋めよう。そして一緒に見つめ直そう。これから始まる私たちは、きっと誰より強い絆で結ばれるはずだから。何も恐れることはない。これまでの自分も、これからの自分も、幸せであることには変わりない。ゆっくり始めよう。あの場所から……。


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