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23★「間抜けのマリア」

「うー……さぶっ!」


 走れるのなら走りたい。こんな寒い北風の中を一人ぴょこぴょこ歩く帰り道。十二月ともなると夕方五時を過ぎれば夜中も同然に暗い。暗いし寒い。寒いし寂しい……。


「ふぃっ……くしょんっ! うぶぶ……」


 寂しい? 寂しいじゃなくて寒い、の間違い。さっきまで一緒にリハーサルしてた合唱部のみんなとキャッキャウフフ楽しく練習してたから、反動で「寂しい」なんて過ぎったのかも。明日になればまた会える、もっと楽しいことがある、イベントも、お誕生日も、クリスマスも……。観に来てくれるお客さんも、私をいじりまくる部長も、暖かい部員のみんなも、聖ちゃんもいる。寂しいわけがないじゃない。星たちだってこんなにたくさん輝いてる。その全てが私を取り巻く銀河だとしたら、私はこの星空の下にいるだけで、一人ぼっちなんかじゃないんだから……。


「……ふぃっ……」


 連発しかけたクシャミが不発に終えることはしばしばで、大きく構えたはいいものの、どこか気が抜けてふと我に返る。息を深く吸い直してからハーと吐き出せば、わたあめみたいな白い雲が形を変えて消えていった。

肺まで凍りつきそうな北風が吹けばぷるぷると首を振って、薄くてごわごわのマフラーを鼻まで上げる。私のぺったんこな鼻も一著前に冷たくなっていた。早く着かないかなぁ、寮が迎えに来てくれないかなぁ、そんなことを考えながら見上げた夜空には、たくさんの星が輝いていた。


「ちょっとだけ……うん、ちょっとだけ」


 自分自身に許可を得て、少しだけ川原の方へ向かった。まるで星たちが「こっちこっち」と呼んでいるみたいに吸い込まれていく。冬の透き通った星空はとても綺麗で、とても幻想的で、とても好きで……こうして見上げていると、日常の生活音も川のせせらぎも、北風の通る音さえも耳に入らなかった。


 見上げた冬の天の川には、お久しぶりのイルカさんが泳いでいた。何日ぶりだろう、数えようと遡ったけどめんどくさくなってやめた。今が素敵だからそれでいい。過ぎた過去も後悔も考えない、辛くても悲しくても、振り返らなければあとは上向くだけだから。だから私はこうやって上を向いている。下も、後ろも、過去も見ない、そう言い聞かせているうちに、いつからか夜空を見上げる度に嫌なこともリセットできるようになっていた。


「明日になったら、仲直り……できますように……」


 帰りたいような、帰りたくないような。会いたいような、会いたくないような。謝りたいような……ううん、私は謝らない。今はまだ謝らない。誰も悪くない。ただ、二人の歯車がちょっと噛み合わなくなっただけだから。一緒に回っていたと思っていた歯車が、ずっと郷奈ちゃんの歯車に回されていただけだったと知った時、私の小さな歯車が、郷奈ちゃんの大きな歯車に飲み込まれそうだったんだと気付いた。ずっと一緒だと思っていたけれど、郷奈ちゃん無しで生きていかれない私じゃダメだ。私に構ってばっかりの郷奈ちゃんじゃダメだ。だから私は自力で動けるよう、自分の意志で、自分の感情で動けるようになりたい。それから、自力で回せるようになったら、もう一度郷奈ちゃんと、今度はお互いの気持ちを尊重しながら2人の歯車を回したい……。


「だからね、イルカさん……」


 願を、叶えて下さい……。


「ふぃっ……ふぃっ……ふぃっくしょんっ!」


 なんとかは風邪ひかないと言うけれど、三度目のくしゃみは風邪の前兆では? ……いやいや、これはきっと星たちが私の噂してるからだ。「願を叶えてあげようよ」って、きっとワイワイと私の話をしてるんだ。


「ありがとう! また来るね!」


 北風に運ばれた感謝の言葉は、空へ届いただろうか……。届きますように、ともう一度祈って帰路へと戻る。


「ただい……ま……ぁ……」


 やっぱり、いない……。部屋の灯りが点いていないことを目視していたけど、あえて確認の為に帰宅の挨拶を口にしてみた。だけど、「おかえり」というルームメイトの甘い声は返ってこなかった。


 柄にもなくため息をついた私を見たら、きっと「ふふっ、あなたらしくないわね」と笑われるんだろうな、と見慣れた笑顔を思い浮かべる。それはとても容易いことで。いつも当たり前のようにこの部屋に存在していたからとても容易いことで……。


 この学校に来て、入学式前から一緒に住みだした初めてできた高校の友達であり、毎日一緒に寝起きしていたルームメイトでもある郷奈ちゃんがいないことが、こんなにも非日常なんだろうか。自分が当たり前の毎日をどれだけ当たり前に過ごしてきたのかと思い知らされた瞬間だった。


「はぁ……」


 雑に解いたマフラーを無造作に放り投げると、お決まりのごとくベッドへハラリと舞っていった。今朝言い争ったベッドを見下ろすとなんだか胸が締め付けられて苦しい。コートも脱ぎ捨てたい気分だけど、今日のところはちゃんとハンガーにかけて、ついでにマフラーも一緒に、と拾い上げて違和感に気付いた。


「……ハガキ……?」


 マフラーの下でカサッと音を立てた物を手に取る。手のひらほどの紙、ううん、ハガキ、ううん、これは……。


「クリスマス……カード……」


 ぺらりと裏返すと、赤と緑の縁取りにリースのイラストが描かれていた。これは間違いなくクリスマスカード……。じゃあ、じゃあ、差出人は……ここに置いておける人は……。まだ暖まらない身体が、手が、寒さと緊張で震えながらもそっと中身を開いた。


『親愛なる莉亜へ メリークリスマス 初めてのクリスマスを一緒に祝えないのは寂しいけれど、本音に気付いていなかったあなたが、自分に素直になれてきたことが少し嬉しくもあります。あなたに拒絶されたことがショックだったのにおかしな話かもしれません。だけど、私はあなたの純粋で素直で単純なところが好き。だから、あなたが心から素直になれた時、本当に心から好きな人と大切な時間を過ごしてほしいと思っています。あなたは「マ抜けの莉亜」なんかではなく、私にとってはたった一人のマリア様よ。振り回してごめんね。でも大好きだから許して下さい。そして弱い私を許して下さい。少し早いけど年末年始の帰省許可を取ったので、三学期には少し大人になった郷奈で帰ってきます。では、良い聖夜を。 郷奈より』


「きょ……なちゃ……」


 そこにはもういないぬくもりを噛みしめるかのように、私は無意識にカードを抱きしめていた。郷奈ちゃんはこれをどんな気持ちで書いたのだろう……考えても考えても、思い出すのは優しい笑顔ばかりで……。あの笑顔をしばらく見れないのだという実感なんて沸かず、年明けまで一人ぼっちになる部屋をぼんやりと見渡した。


 言われてみればいつもより閑散としてる気がする。一緒にいることが当たり前だったのに、いないと思うだけでもこんなに殺伐とするものなのかと不思議だった。心なしか私のベッドシーツも枕も綺麗に整えられている気がする。二週間近く部屋を空けるルームメイトとしての気遣いだろうか……それもまたチクッと心が痛んだ。


 いつもと違うのは整えられた空間だけではなかった。ふと目に止まったのは、いつもより少しだけ右にずれていた枕の位置。これだけ整えられた部屋に、まるでわざとずらしてあるかのような違和感……。これも郷奈ちゃんからの、何かしらのメッセージに違いない、そう思ってカードを左手に持ち直し、恐る恐る枕を持ち上げてみた。


「……これ……!」


 持ち上げた枕の下には、いびつな形の赤い靴下があった。鈍感な私でも気付けるように、わざとずらしておいた宝探し。もし寝る前に気付けなかったとしても、寝相の悪い私のことだから朝には更にずれるだろうと、計算されて枕の下から覗くように設置されていたのかもしれない。そこまで計算されてるかと思うとこれ以上驚くことはない。そう思いながら赤い靴下を手に取った。


 いびつな形の部分をふにふにと触ると、堅い物と柔らかい物の両方の感触がした。しばらく靴下の上からなぞりながら考えてみたけど見当がつかず。だけどこれも郷奈サンタがくれたプレゼントなんだろうという見当だけはついた。


 強張り、だけど焦る手は小刻みに震えながらもしっかりと靴下へ入っていき、先程の何かにたどり着いた感触を確かめてからゆっくりと引き抜いた。


 柔らかい感触の持ち主は、手のひらに収まるように畳まれた白くてシンプルなハンドタオルだった。そっと広げてみると、右下には小さな水色のイルカが刺繍されていた。いつも私がハンカチとティッシュを持ち歩いてないことも知った上で、シンプルかつ私の好みも取り入れてくれたチョイスなんだろうと感服して胸が熱くなった。間に挟まれていた硬い物はというと、先程よりもだいぶ小さな、サンタさんの描かれた真っ白なメッセージカードだった。わざわざ二枚に分ける必要があったのだろうかという疑問が脳裏を過ぎったけれど、これ以上は深く考えられずに観念してカードを開いた。


『かみのけも、なみだも、ちゃんとふくんですよ? いちにちはやいけど、よいこのりあちゃんへ サンタさんより』


「漢字くらい読めるよぅ……郷奈ちゃんてば……」


 頬を伝う生温い雨が、ぽとり、ぽとりと手の甲を滑っていく。何の雨なのかは分からない。そこにいない寂しさか、すれ違った悲しみか、伝わらない悔しさか……あるいはそれら全部を含めて溢れた「感謝」かもしれない……。初めて知る、のた打ち回るほどの胸の痛み。蹲っても震えは止まらず、ただひたすら自分の肩を、カードを、抱きしめて頬を濡らし続けた。心の底から誰かを思う、それはこんなにも残酷で苦しくて、熱い熱いものなのだと知った……。



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