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21★拭えぬ涙

「……目、覚めた?」


「……んぅ……?」


 いつもよりもボンヤリとする朝。なんだか身体がものすごく重いし、目も霞んで見える。だけどカーテンの隙間から差し込む光はやたら眩しく感じてて。おかしいなぁ、真夏でもあるまいし、冬の朝ってこんなに陽が高かったっけ? まぁいいや……。


 重い瞼を押し上げると、こちらを覗き込んでる人影が見えた。郷奈ちゃん? 困った顔してる……どうしたの? もしかして、私寝坊しちゃった?


 早く起きなきゃ学校遅れちゃう……ベッドに貼りついたかのように思い通りに動かない身体を無理矢理起こそうとしたところで、あちこちに激痛が走った。


「うぃっ……たぁ……あたたたた……」


「急に起きないの! まだ横になってなさいな」


「うぇー……あちこち痛い……」


 あちこちと口にしたところで、具体的にどこが痛むのかハッキリしてきた。頭……特におでこ、左手の平、左肘、左膝、左足首……圧倒的に左半身がズキズキと痛い。なんだろうかと右手でおでこに触れるとフワリとした感触に出会う。これは……ガーゼ?


「ごめんなさい、莉亜……痛いでしょ? やっぱり病院行きましょ?」


「……病院……? 注射やだよ……」


「注射じゃないわよ。額の傷も残ったらいけないし、捻挫だって早く診てもらったほうがいいわ」


「捻挫……」


 つい最近聞いた覚えのある単語。ちょっとずつ働き出した脳みそで思い出してみた。そうだ、昨日階段から落ちて、聖ちゃんがスースーするやつを塗ってくれて、寮まで送ってくれて……それから……。


「莉亜、覚えてないの? 頭を打った時のことも、自力でベッドに入ったことも」


「頭、打った……? だから痛いのかぁ……。階段から落ちた時は足だけ痛んだんだけどなぁ……頭も打ってたとはそそっかしい私らしいや……」


「そうじゃないの、私が……強引にあなたを連れて行こうとしたからバランスを崩して……私のせいなのよ、ごめん莉亜……ごめんなさい……」


 郷奈ちゃんの目から溢れ出た涙が、私の枕元にポタポタと垂れていく。初めて見た郷奈ちゃんの涙は、どんな雨よりも大粒で、どんな雨よりも静かに落ちていった。枕に(したた)る涙の音と、郷奈ちゃんの悲痛な嗚咽が、私の耳を支配する。聞きたくない、聞きたくないよ……どっちも聞きたくない。胸がギュッと締め付けられているようで苦しかった。


 思い出した、全部じゃないかもしれないけど思い出した。寮の前で待っててくれた郷奈ちゃんと、送ってくれた聖ちゃんが口論になって、腕を引かれた弾みで頭から転んだんだった。反射的に身体を支えようとした腕も膝も、その時に擦りむいたんだ。それで起き上がろうとしても身体が言うことを聞かなくて……そこまでしか思い出せない。なんで口論になったんだっけ。どうやってベッドまでたどり着いたんだっけ。


「泣かないで、郷奈ちゃん。郷奈ちゃんのせいなんかじゃないよ。私がそそっかしく階段から落ちてなければ捻挫もしなかったし、捻挫してなければ転ぶこともなかったし……あはは、自業自得だよ、ねっ?」


「……違うわ。私がムキになって砂塚さんと言い合いなんかしなければ……」


「違う違う、あんまり自分を責めないで? ……それよりさ、私どうやって部屋まで戻ってきたの? 転んでからのことが全然思い出せないんだよ。まさか、郷奈ちゃんが運んでくれた……わけないよね? いくら私が幼稚でも、体重までは幼稚じゃないからさすがに……」


「だから……あなたが自力で歩いてきたんだってば……。病院行くくらいならおとなしく寝るって言って……フラフラ歩いて帰ってきたのよ……」


 記憶にございませんが……? とハテナが飛び交うけど、どんだけの痛みでもなんとか歩けるのなら自力で逃げようとする私の病院嫌い、我ながら天晴れだね……。意識ぶっ飛んでても私らしいというか……目覚めたら病院でしたという最悪の目覚めを回避できたことは栗橋莉亜にしかできない秘技なのかも。


 人差し指で郷奈ちゃんの涙を拭うと、指を伝って甲も濡れていく。それを枕に擦り付け、また拭って、また擦り付ける。何度目かの往復でクスッと笑い、「そんなとこで拭かないの」と優しく手を包む。そうだよ、郷奈ちゃんの手はこんなにも優しくて柔らかくて暖かいんだもん。自分のせいだと涙を流す必要なんてない。この手は私を傷つけたりしてないよ……。


「ありがと、郷奈ちゃん。このガーゼも郷奈ちゃんが貼ってくれたんでしょ? 消毒嫌だって暴れたりしてなかった?」


「……ううん、朦朧としながらパジャマにも着替えて、手当てもおとなしくさせてくれたのよ……? 全部終わる前に寝ちゃったみたいだから、布団は私が掛けたけれど」


 なるほど、私の病院嫌いは無我の境地に達すると、病院に行く以外のことはなんでもおとなしくこなすようプログラミングされてるらしい。実に賢い設定、さすが私!


「ってことは、もしかして郷奈ちゃんずっとここで見てたの? 寝てないんじゃ学校で……あー! 学校学校! 遅刻しちゃうー!」


「大丈夫よ、今日は学校お休みでしょう? それに私だってずっと起きてたわけではないから心配しないで?」


「お休み……? あぁ、そっか、今日はイブイブかぁ……って、あわわわわ! リハーサルリハーサルぅ! 今っ、今何時っ?」


 二人の視線が机の上に行く。時計は十時二十四分、二度三度瞬きしても十時二十四分。脳みそが逆回転して今日の集合時間を記憶から引っ張り出す。確か、多分じゃなくても集合時間は九時……!


 ジタバタとあわてて起きようとする私の布団を押さえつけて郷奈ちゃんが眉を寄せる。もがけばもがくほど押さえつけられるわ傷口は痛いわで……だけど気持ちは九時集合の四文字で焦りまくる。身体を動かせば痛い、でも気持ちは行きたい! 痛いけど行きたくて、行きたいけど痛くて……って、もうプチパニックなんですけどー!


「莉亜、さっき顧問の先生にお休みしますって連絡しておいたから、今日はおとなしく横になってなさいな。歌うと頭に響いて痛いと思うし、それに……私が言うのも何だけど、そんなに大きなガーゼを貼ったままステージには上がれないでしょう? かといって傷口は瘡蓋(かさぶた)とタンコブがあるからガーゼ外せないし、明日のイベントは……」


「大丈夫だもん! 痛いのは我慢できるけど、歌いたいのは我慢できないもん! 私はリハーサルもイベントも出たいの! どいてっ……放して郷奈ちゃんっ!」


「ダメよ! 起き上がろうとするだけでも痛そうにしてるのに、行かせられるわけないでしょう! 少しは私の言う通りにして!」


「言う通りにしても誰も喜ばないよ!  私はリハーサルもイベントも出たいもん! 私には由佳里ちゃんみたいに歌ってほしいなんて言ってくれる人いないけど、それでも誰かの気持ちに届いてほしいの! 届かなくても響かなくても、歌わないと誰にも伝わらないの! 聞いてくれた誰かが歌っていいなぁって思ってくれれば私はそれだけでいいの……」


「……」


 なんだろう……今ものすごく叫びたい気分。お布団と一緒に、まるで気持ちまで押さえつけられてるようで、息苦しくて悔しくて切なくて……。言葉が溢れ出す……。


「思い出したよ、昨日のこと。郷奈ちゃんは私が思い通りに動かなかったからこうやって今みたいに力づくで……ううん、わざとじゃないかもしれないし、事故だったよ? だけど、だからって私が今ここで寝っ転がってて喜ぶ人いるの? 少なくとも私は喜べないし、合唱部のみんなもイベントを楽しみにしてる人も、きっと喜んだりする人はいないと思うの! 喜ぶ人がいるとしたら、私を思い通りに束縛しようとしてる郷奈ちゃん、郷奈ちゃん一人だけだよ!」


 言葉が止まらない。悔しくて堪らない。言葉足らずで遠回しに言えない自分が悔しい。傷つけたくないのに、泣かせたりしたくないのに、止まらない自分が情けない。せっかく拭った涙だけど、今の私には拭ってあげることができなかった……。


 



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