20★霧の中へ
「ずぇったい転ばないから大丈夫なのにぃ……もうここら辺でいいよぉ……」
「いいじゃない、友達、なんでしょう?」
「んー、それとこれとは……」
いくら私が頑丈な構造だとはいえ、やはりケガした箇所が数分で回復するわけもなく……よたよた歩く私を「送る」と言い張る聖ちゃんに見届けられての下校。結局また「借り」ができてしまったというのに聖ちゃんはなんだか嬉しそう……。でも、内心では私も嬉しいんだけどね……。
「明日も部活あるんでしょう? 今ならまだ病院空いてるんじゃない? 今のうちに治しておいたほうが……」
「明日は九時からリハーサルあるからねぇ。学校ないのにお休みないのは残念だけど、部活自体は好きだから苦じゃないんだ! 早く寝て、ちゃんと喉整えておかないと! 病院なんか行ってる暇ないよ」
って、単に病院嫌いなだけだけどね……。
「本当? 捻挫した所はなるべく温めない方がいいわよ。今日はシャワーだけにして、できれば湿布も貼って……それと……」
「だだだ大丈夫だって! そんな心配しなくても大丈夫だからぁ」
「だって、もし後遺症でも残ったら……」
言葉に詰まって沈黙が過ぎる。云いたい事は分かってるよ、心配なのも分かってる。だけど、これくらい聖ちゃんの足に比べれば……。
「あー、そうだそうだ! 携帯番号教えて? 交換しよ、交換。寮生ならドアコンコンすれば会えるし話せるけどさ、自宅通学の子ってなかなか話せないんだよねー」
「……栗橋さんは友達多いから登録件数も多いんでしょうね。私は携帯持たせてもらえたのが高校からだし、友達いないし……かかってくるのは母か兄くらいよ」
「え……う、ううん! 私も実は友達って友達はいないかもなんだ。同級生とは仲いいけどさ、じゃあ放課後一緒にお出掛けする子がいるかって言ったらそうでもないの」
「そう? 他のクラスの子とだって仲良く話しているじゃない」
「んー、そうだけど……って、あれ? 聖ちゃんよく知ってるねぇ? もしかして私の事観察してたりして? うりうりぃ」
「へ、変な事言わないでよね!」
やっと笑ってくれた。照れ笑い? 何笑いでもやっぱりツンツンしてるよりいいよ。わざとらしく「あぁ、こっちだったかしら?」とかなんとか言いながらバッグあさってるけど、聖ちゃんのバッグが整頓されてるのはさっき見たよ? 携帯探してるふりしてごまかさなくても……私に見抜かれてるようじゃまだまだだね!
「貸してっ! 私が入力してあげるね!」
「自分で出来るわよ。……って、ちょっと、栗橋さん! 返して」
「えっとぉ……番号がぁ……んで登録名は……リ・ア、っと! はい、これでオッケー!」
「あ……ありがとう……」
「いいのいいの、ト・モ・ダ・チ、でしょ?」
「……ちゃかさないでよ、もう……」
「えへへー」
ちょっとだけ目が合って、またちょっとだけそっぽを向く。友達とキャッキャウフフするのって、なんだかホワンってなる。痛くて足取りが重くても、こうして聖ちゃんと話してるだけで短い距離に感じる。一人で帰ってたらきっと長い長い道のりだったんだろうなぁ……。
寮の灯りがどんどん大きくなってくるにつれて、もうちょっとこうしていたい、話していたいと、私の中のワガママ莉亜がおねだりしてくる。ダメだよ、聖ちゃんだって帰らなきゃいけないんだもん。お家の門限だってあるだろうし、第一私の事が心配でついてきてくれたんだ。これ以上迷惑かけられないよ。
「近くまで来ると、やっぱり大きいわね、ここの寮。一度しか来たことないし、その時はあんまり考えてなかったわ」
「でしょでしょ? 今度お部屋に招待したいけど……寮生以外は呼んじゃいけないのかなぁ。呼びたいと思った友達いないから分かんないや。……って、あれ? お風呂で会ったよねぇ? あれって……」
「あぁ、あの日は特別よ。復学手続きしてて……まぁこの話は他言無用だからやめましょう」
「うぇ? どういうことぉ?」
「さてね……。あら、あれって……」
ごまかしてもダメなんだからねー! とむくれる私を無視して前方を睨む。つられて私もそちらに向くと、逆光に照らされた人影が見えた。あの見慣れたシルエットは……。
「おかえり。遅かったから心配したのよ? 今探しに行こうと……」
「きょーなちゃーん! ごめんごめん、ちょっとドジ踏んじゃってさぁ」
「ふぅん……」
あれ? また怒ってる? 手を振っても振り返してくれないし、逆光でよく見えないけどこっち見てないような……。遅くなったのは認めるけどそんなに怒らなくても……。あ、そっか、また部活サボったんじゃないかって疑ってるんだ。
「心配かけてごめんね? でも今日はちゃんと部活行ったんだよ? 部活終わって、階段から落ちて、スースーするやつ塗ってもらって、んで……」
分かったから早く帰りましょう。部屋で聞くわ」
「え? う、うん……」
「砂塚さん、うちの莉亜がお世話になったようね。送り届けてくれてありがとう。あとは私が面倒みるからご心配なく。お気をつけて」
「……郷奈ちゃん……?」
近付いて分かった。郷奈ちゃんは私のことなんか全く見ていなかった。視線の先は隣にいる聖ちゃんで、それも見ているというより……睨んでる……?
「……そう。城谷さんが一緒なら心配ないわね。じゃ、私はこれで……。じゃあね栗橋さん、また明日」
「お言葉だけど砂塚さん、莉亜は明日、リハーサルで忙しいの。適当な挨拶でこの子の気持ちを揺さぶらないで。この子がまた部活をサボるようなことがあったらどうしてくれるの? あなた、そうやっていつも莉亜のこと……」
「はぁ? こちらこそお言葉だけど、私がいつ栗橋さんをサボらせたというの? 城谷さんは何も知らないと思うけど、勝手にサボって会いに来たのは栗橋さんのほうよ? 私からサボらせたこともなければ、誘ったこともないわ」
「へぇ? どうかしらね。サボらせたあげくに誑かしてるんじゃなくて? ……行くわよ、莉亜!」
急に点火したような二人の言い合いにビックリして固まった私を、今まで味わったことのない力で郷奈ちゃんが引っ張った。いくら脚力に自信がある私でも、片足ではさすがに踏ん張れず、バランスを崩してその場に倒れ込んだ。頭の中で除夜の鐘が鳴ったみたいにグォーンという音が響いた。あの時よりも、一睡もできなかったあの時よりも何倍も強い衝撃が走った。スローモーションの中で私を呼ぶ二人の声がした……。
「いっ……た……ぁ……」
「莉亜っ!」
「栗橋さん! 大丈夫? どこ打ったの? おでこっ?」
「ちょ……ちょっとタン……マ……」
心配そうな声が聞こえる。二人の呼びかけが、問いかけが、薄れゆく意識の中で、白い霧と一緒に溶けて消えていった……。