19★友達だから
昨晩の郷奈ちゃんは怒ってるように見えたりそうじゃなかったり、でもお風呂上がりはやっぱり不機嫌だったような……怒ってるとは違うんだけど、どこか話しかけにくい雰囲気が漂ってて、いつも通り髪を乾かしてくれたりしてたけど、ほとんど「そうね」しか発していなかった気がする……。やっぱり何かあったのかなぁ? っていうか私が何かしたかなぁ?
「おー? やっと顔出したか、このサボり魔め!」
「ごめんなさい部長ー。でもね、ちゃんと休むって伝えてもらったはずなんだけどなぁ」
「校内走り回ってんの目撃されて有名人なんだから、少しはバレないようにサボれよ。韋駄天栗ちゃん、とでも呼んでやろうか?」
「だから部長、私はサボってないってばぁ! それと栗ちゃんはやめてー。中学の時、男子にからかわれたことあって、なんかヤダなぁ」
「なんで? かわいいじゃん、栗ちゃん」
「うーん、分かんないけど響きがどうのこうのってからかわれたんだよね」
「ふぅん、男子ってよく分かんない生き物だよな。……って、いい加減先輩に敬語使えよな!」
「ふぁーい、ごめんなさーい……」
ペコリと頭を下げて見上げると、部長は苦笑しながら私の旋毛にチョップをお見舞いしてきた。痛くはないはずなのに、こういう時って必ず「痛っ」って思わず声が出ちゃうんだよね。それを聞いた部長がまた「痛いわけないだろ」と言って笑いながら立ち去る。入部する前は厳しい部だって聞いてたけど、合唱部はみんな優しくて暖かくて、いつも和やかな笑い声が飛び交ってる。部活、めんどくさいなと思うことはあっても、ここに来ると楽しくてつい……。
「栗橋さんっ? 何度注意したら治るの? ここは優しく優しく……大きい声はいらないの。歌詞や周りを感じながら歌いなさい!」
「はぁーい、でも先生? 私そんなにデカい声出してるつもりないんですけど」
「栗橋さんはどうしたら自覚してくれるのかしらねー……はぁ……」
首を傾げる私を見て先生は深いため息をついた。ほんとのことなのにな……自覚ねぇ、自覚……。先輩たちは優しいけど、顧問の先生は熱心すぎるのか厳しくてヒストリーお姉ちゃんって感じ……。ん? ヒストリーは確か英語で歴史、じゃあ怒りんぼは? えっと……何だっけ? まぁいいや。
クリスマスイベントまで残り二日ということもあって、周りのみんなはちょっと空気が違った。普段は私が怒られて中断してもみんな笑って済ませてくれるのに、今日はとっても張り詰めてる感じ。無理もないか、校内イベントの中で人気の行事らしいし、先月の合唱コンクールでいい成績を残せた実績もプレッシャーになってるんだ。
「莉亜ちゃん、気にすることないよ。私は莉亜ちゃんの歌、好きだよ?」
「ありがとー由佳里ちゃぁん! なんかさ、今日はみんな気合入ってるって感じだね。オーラが怖いよ、オーラが」
「莉亜ちゃんはほんとおもしろいこと言うね。イベントももちろんだけど、イベントを通して好きな人に思いを伝えたい、そういう気持ちもあっての気合なんじゃないかな? 合唱部は歌うことが好きな人たちの集まりだから、歌で伝えたい、って人が多いんだと思うよ」
「好きな人……?」
ニッコリと笑う由佳里ちゃんにホッとして、少しだけ気が楽になったみたい。やっぱり人気者は言うことが違うなぁ。ファンクラブを作られてるほどの人は器が違うんだね。うん、由佳里ちゃんに好かれた人はきっと幸せになれる! 絶対に大切にしてあげられそうだもん。……あれ? なんだか色々と忘れてることがあるような無いような……。
「じゃあね、莉亜ちゃん。明日はホールでリハーサルだから遅刻しないように頑張ってね」
「うんうん! 任せて! 明日は音楽室じゃなくて、九時にホール集合だよね。学校お休みだから授業も宿題もないし、そういう時のスケジュールは忘れないの! また明日ね、由佳里ちゃん」
背の高い由佳里ちゃんにハイタッチして、バッグ片手に階段を駆け下りる。夕暮れ時の校舎は冷えていて、特に廊下や階段は寒い。翻るスカートが、更に私の足を冷やしていった。
「うぅ……さぶっ!」
口にしても暖かくなんてならないけど、ついつい出てしまうのは「痛い」の時と同じな気がする。それでも走っていればそのうち暖かくなるし、寒いのは今だけ今だけ。
「あわわわわっ! 危なーい! どいてどいてっ!」
「え……?」
駆け降りていた階段の一番下にある人影が目に入った瞬間、重力に負けて減速できないことに気付いた。が、危険を口にした時はすでに躱せる体勢になれず、突き飛ばす代わりに自分が転げ落ちた。
「いっ……たぁ……」
「だ、大丈夫っ? 栗橋さん! またあなたは……だから走っちゃいけないとあれほど注意されてたのに……」
さすがに私の脚力でも、五・六段上から不意に飛び降りればそりゃ足も痛くなるよね……。冷たい床の温度が、ペタリと座り込む私のお尻から伝わってきた。頂いたお叱りに今だけはご最もと反省。って、ん? その言い方、その声……。しかめっ面のまま見上げると、困ったちゃんのような表情の聖ちゃんが覗き込んでいた。
「あ、あはは……聖ちゃん……ご、ごきげんよー……」
「……」
「あ、あはは……。ケガ、してない? あたっ、あたたたたたた……」
「いつもケガしてるのはあなただけどね、栗橋さん。まぁ自業自得なんだからいい加減学習したらどうなの? ほら、立てる?」
「そそ、そうだね……あは、あはははは……あたたたたた」
強がって笑おうとしてるのに、全然大丈夫な顔できない! くらい、痛いー! でも、そう、自業自得なんだから痛いなんて言えない……。無理矢理笑顔を作ろうとするけど、痛みでつい歯を食いしばる。聖ちゃんからしたら引きつった顔に見えてるだろうなぁ……。
手を差し出したまましばらく見下ろしていた聖ちゃんも、さすがにおかしいと思ったのか、私の前にしゃがみ込んで足首のほうに目を止めた。
「笑うか痛がるか、どっちかにしなさいよね。立てない? 捻挫、かしら……。保健の先生呼んできましょうか?」
「い、いい、いいっ! あの先生、私にだけ容赦ないんだもん! 体育で転んだ時も……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。歩けるなら肩貸すけど、立てないなら呼んでくるわ」
「だいじょぶだいじょぶ! 痛いの左だけだから、ケンケンして帰るし、それに……」
聖ちゃんだって事故で足痛めちゃってるんだから……肩なんて借りれないよ。でも、それを言っちゃったら、「私は平気よ!」ってきっと強がる。強がってるのは私も同じだけど、聖ちゃんが我慢を隠していたら私はきっと見抜けない。私の隠し事はバレバレでも聖ちゃんに隠されるのは……嫌だ……。
「まったく……しょうがない子ね……。どれ、見せて? 応急処置だけでもしてあげるわ。ほら、靴下脱いで」
「わわわ、分かった、分かったから脱がさないでっ! 痛い痛いっ!」
強引にハイソックスを脱がせようとする手をあわてて払い、しぶしぶ脱いで見せると、すでに腫れ上がっていた。聖ちゃんの冷たい手が、熱を帯びた箇所に程好くて気持ちいい。優しくなぞってから「ここね」と言って手を止めた。
それからバッグを下ろし、ガサガサと中身をあさると「あった」とつぶやいて筒状の小さな物を取り出した。何やらと覗き込んでみると、リップクリームを少し太くしたような物だった。それを手の中に収めた聖ちゃんは、勢いよくキャップを取ったり本体を回したりと、手慣れた感じで扱った。スースーとミントのような香りがする。
「気休め程度だけど、塗らないよりはマシよ? 私も痛む時たまに塗るから持ち歩いているの」
「ほぇえ……塗る湿布なんてあるんだぁ……。すごいね聖ちゃん、さすが私が見こんだ女だ!」
「……何よそれ。うん、こんなもんかしらね……。さっ、もう靴下穿いていいわよ。あまり擦らないようにね」
満足げな笑顔がかわいかった……。目つきも、指先も、いつも冷たいと感じていたのに、まるで積み木を積上げた子供のような笑顔だった。こんなに暖かい一面もあるなんて……。呆気にとられている私が不思議なのか、バッグの中身を丁寧に整理しながらこちらを向いた。
「あ……ありがと! すごいありがとう! 私、聖ちゃんが友達で嬉しい!」
「さっきから妙なことを言うわね。一体なんなの? ケガしている人が目の前にいたら、手を差し伸べるのは普通じゃない」
「う、うんうん、それはそうなんだけどさ、私ね、聖ちゃんにいっぱい借りがあるのにさ、何も返せてないんだよね。むしろいつも私が巻き込んじゃってて迷惑かけてるのにさぁ……。それなのにいつもこうやって構ってくれるじゃない? そんな人がいてくれて嬉しいなぁって思ったの」
「友達……だからじゃないの……?」
「ふぇ?」
聞き返す必要はない。都合いい方向に変換しちゃう耳だけど、今の言葉はしっかりと鼓膜に届いたよ。あわててそっぽ向いても、それが嘘じゃないってことは私でも分かるんだから……。
「寮まで送るわよ。おんぶも抱っこもしてあげられないけど、転がらないように見張るくらいはできるから」
「うぇー? もう転んだりしないよぅ。それに、また借りが増えちゃうもん」
「貸しなら、返してもらえる予定だから……返してくれなくていいわよ……」
「……予定?」
「誕生日とクリスマス、祝ってくれるの楽しみに……してるから……」
「……うんっ!」
チラリと戻ってきた目線と交わった。ニカッと笑って見せると、照れくさそうにまたそっぽを向く。でも、私にはちゃんと見えてるよ? 聖ちゃんの嬉しそうな目元も口元も……。
任せて! 明後日のお誕生日には、ごまかせないくらい笑顔にしてあげるから!