12★郷奈の見解
莉亜がお風呂から帰ってくる前にパジャマと下着を大浴場まで届けて……あ、バスタオルもだったわ。髪長いくせにちゃんとタオルドライしないしろくにドライヤーもかけないから私が乾かしてあげないと……。まったく、予習に身が入らないじゃない……。
大浴場の脱衣所には数人の寮生の抜け殻があった。それでもどれが莉亜のだかは人目で分かる。みんながあまり使わない上段の棚、一番右のカゴに入れるのがあの子の癖。身長が高いわけじゃないのだから中段に入れればいいものを、使用率が高い中段だと自分の着替えがどれか分からなくなるからというあの子なりの工夫みたいだけど……本当は入学間もない頃に「下着ドロボー出た!」と大騒ぎを起こしたことのトラウマなのを私は知っている。単に間違えて他の子のカゴに自分の着替えを入れてて見つけられなかっただけだったけど……。
そそっかしいけれどさすがに学習した証のカゴに手を伸ばすと、雨でびっしょりになった制服と下着がぐちゃぐちゃに入っていた。濡れたのはビニールに入れなさいと言ったのに……はー、手が焼けるわね。持ってきた物を袋から取り出しカゴに入れてから濡れたそれらを回収して……。
びしょ濡れのブレザーもスカートもブラウスも水分でずっしりと重い。こんな重たい物を身にまとって雨の中よく走れるわねと関心するけれど、同じくらい呆れも覚える。ため息と一緒に洗濯物も入れて袋を閉じ、にぎやかな大浴場を後にした。
部屋の扉を開けるとホワッと暖かい空気が香ってきた。莉亜が戻ってきた時に湯冷めしないよう暖房を付けっ放しにしておいたのがちょうどいい温度になっている。それと制服を乾かすのに最適。ハンガーに吊るしておけば湿度も上がるしちょうどいい。
一通り片付けてベッドに腰掛けると彼女の机が目に入った。忘れられたお財布と教科書、それに宿題……どうせやってないから出しっ放しなのだろうけどついでにお財布も置きっ放しなんて本当にそそっかしい子ねと苦笑すら浮かぶ。
あんなにずぶ濡れになってまで買に行こうとしていた砂塚さんへのプレゼント……もしお財布を持っていたら莉亜は何を買っていたかしら……。忘れられたお財布がここにあることに安堵する自分の小ささが少し嫌になる。だけど明日にはもう一度買に行くのだろうという推測が、小さな私の安堵をかき消していった……。
「ただいまー。郷奈ちゃん、ありがとね! さすが郷奈ちゃんだよ、私パジャマと下着のことは任せてあるしって思ってたから、バスタオルのことまで考えてなかったぁ。うん、さすが私が何を忘れてるかまで分かってらっしゃる!」
「……おかえり。いいのよ、ついでだし。莉亜が忘れそうなことだけ私が覚えていればいいのだから全部考えているわけじゃないの。それより莉亜、ある程度はタオルドライしてらっしゃいっていつも言ってるでしょ? 水滴垂らしたままだったら風邪ひくし、それじゃあ雨に濡れているのと同じじゃない」
「えへへ……いっつも郷奈ちゃんが乾かしてくれてるから自分で乾かす習慣なくなっちゃったー!」
そう言ってニカッと笑う。この子はもう……私の心をくすぐる天才なんだから……。もっと違うところに才能発揮してくれればいいのにと思う反面、この天才の姿は私以外の誰にも見せてほしくないと願ってしまう……。
「しょうがないわね。ほら、むこう向いて座って」
「はーい!」
私が断らないことを分かっているのかそうではないのか……まぁ多分何も考えてないのだろうけど。この子には駆け引きなんて言葉は存在しないのだもの。だからこうして当たり前のようにびしょ濡れのまま戻ってくる。
だけど駆け引きではなく「駆ける」ことは知っている。一か八かダメ元で駆けてくることはあるが、決して「引く」ことはしない。諦めが悪いのか強情なのか負けず嫌いなのか……ううん、どれも適切な表現ではないけれど、駆けに負けたとしても引き下がらないし認めないのが本人の言葉でいうところの「ポジティブシンキング」らしい。今のところそのポジティブが裏目に出たことがないから長所なのかもしれないけれど、少し間違えれば真っ逆さまに短所へと切り替わることを少しは自覚してほしい……。
実の家族の幸せの為だからとかなんとか言って遠慮してこの学校にきたというのに、本人の中では「遠慮」しているつもりがないのだから始末が悪い。私というルームメイトにはこうして何の遠慮もなくありのまま甘えてくるのを見ていると、正直彼女の線引きがどこなのか分からない時がある。
でも……それでいい。今は純粋に私のことを必要としてくれている。甘えたりだだこねたりで手を焼くこともあるけれど、求めてくれること、望んでくれること、今は彼女の為に何でもしてあげたいと思っている。全て、彼女の全て私が受け入れたい……。
「たーぁくさーぁんのーぉキーぃラキーぃラにーぃ……」
「莉亜? お隣まで聞こえるわよ? ドライヤー終わってからに……」
「おぉ願いすぅればぁ……」
「……」
しょうがない子ね。ドライヤーの音で聞こえないふりをしてあげているけれど、どうにもこの子の歌声は大きすぎて防ぎようがない。本人は口ずさんでただけだとか鼻歌だったのにだとか自覚がないようだから仕方ないけれど、同室になって初めの頃は勉強の妨げになると言って何度も注意した。それでも無自覚で歌ってしまうようだから合唱部を進めたのだけど……。どうやらこの子の歌好きは部活だけじゃ物足りないみたいね。
もっとも、今になってはその透明な歌声がたまらなく心地いい……。妖精のような透き通った声は普段の彼女からは想像もつかない雰囲気を感じさせる。純粋で幻想的な雰囲気は彼女だからこそ発せられるものなのかもしれないけれど……。
「ねぇ郷奈ちゃん、この続き分かる?」
「え? 何?」
声が大きいのだから半分以上聞こえてはいたけれど、ドライヤーを使ったままでは私まで声を張らなければならない。一度スイッチを切って手で髪を梳いた。
「たくさんのキラキラにお願いすれば……あれ? 何だっけなぁ? さっきまでもうちょっと覚えてたのに」
「聞いたことないわね。合唱部で歌いそうな曲でもなさそうだし……童謡か何か?」
「分かんないんだよねぇ。うーんと……」
「はいはい、どうせ頭を使うのなら先に古文の宿題やっちゃいなさいな」
「うぇー! あれは昨日のだからもうやんなくていいんだよー?」
「提出期限が過ぎたからといってやらなくていいわけじゃないでしょ? ほら、まだちょっと濡れてるんだからあっち向いて!」
ブツクサと言い訳だか不満だかが返ってくるだろうからさっさとスイッチを入れ直してクシャクシャと撫でていく。かぐや姫のような綺麗な黒髪なのだから、こうやってちゃんとお手入れすればお人形さんみたいなのに……適当に結ってるからパラパラと横髪も落ちてくるのよ? 飾らないというか気取らないというかズボラというか……。
「はい、いいわよ。さっき着てたブラウスとか下着は私のと一緒にランドリーで洗ってくるから、あなたは宿題やってなさいね?」
「……教えてくんないのぉ?」
すねたふりしてもダメよ? そんなふりをしなくたって、私が甘やかしてしまうことをあなたは知っているはず。無意識に私を動かしている。分かっていても求められると与えてしまいたくなる。あなたが私を必要としているのだから……。
「……分かるところだけ先に進めておきなさいな。ランドリーから戻ってきたら見てあげるから」
「郷奈ちゃーん! ありがとー! うんうん、分かんないとこ全部すっ飛ばしておく! 帰ってきたら教えてね!」
「ただし、洗濯機が終わるまでよ? それまでに宿題終わらせなかったら知らないから」
「うぇー! 鬼ーぃ! さっきは女神様か天使様に見えたのにぃ……やっぱり鬼だ……」
甘やかすだけなら誰にでもできる。甘えられた人にしかできないことがある。莉亜は私に甘えている。だから……私にしかできないことがある……。
「じゃあ行ってくるわね。オオカミさんが来ても宿題やってなきゃダメよ?」
「オオカミさんが来ても開けちゃダメよ、じゃないの? ヒツジさんなら開けちゃうかもしれないけどさぁ……」
「……どっちも入れちゃダメだからね。じゃあ行ってきまーす」
莉亜は私が守る。誰にも渡さない……。




