宇藤頼人のそれまでとこれから
「神さま。この世界はやっぱり俺に優しくないですよねぇ」
俺は狼の死骸を背負ったまま歩いていたのだが、その狼と同じ種であろう狼が路歩匹ほど目の前から現れたのである。
仲間の敵を取りに来たのだろうか?
一対一でも苦戦した相手。それが六匹。
流石の俺も死を覚悟したのだが……?
狼たちは俺の横をすり抜けて走って行った。まるで俺の事なんか眼中に無いようだった。
――GROOOOOOOOOOO!
ビリビリと大気が震えるような唸り声が聞こえてきた。
直後、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら走ってくる人影が見える。
あれはギルド前で頭を下げてた鎧女か。
そう言えばパーティを組むという話がうやむやになったままだったな。
「おーい、何があったんだ?」
俺は鎧女に聞こえるように声をかけた。鎧を着込んで走っているからか大分息が荒い。
鎧女は俺の側まで来ると立ち止まり、呼吸を整えながら言った。
「オ、オーガが出たでありますよ!」
「オーガ?」
「シルバーランク冒険者パーティがようやく倒せるくらいの危険な魔物であります」
鎧女の後方に紅い肌をした巨人が立っているのが見えた。
……うん、アレはやばい。体長が三メートルほどありそうだ。
石で出来た巨大な斧を持っている。
顔つきは凶悪。頭上からは黒い角が突きだしており、肌は真っ赤だ。
一目で見てわかる異形。
初見でアレに勝てると思う奴は馬鹿か無謀な奴だけだろう。
「……逃げるぞ!」
「は、はいであります」
俺は狼の死骸を放り出した。鎧女と並んで走る。
ジャージで軽装な俺に比べて金属鎧を全身に着込んでいる鎧女が遅いのは致し方ない事だが、それ以上に俺の中に疑問が生まれた。
よく、あんな鎧着て走れるなと。少なくとも俺には無理だ。着て歩くだけで精一杯だろう。
それを女が着ているのだ。そしてその女の鎧の隙間から覗く腕や足はゴリラのように太いわけでもない。むしろ華奢なくらいに細い。
と、なればやはりこの世界は俺に優しくない。
ステータスの恩恵ってそこまでなのかよと俺は思ってしまったのだ。
俺と鎧女はしばらく走っていたが、振り返る度に紅い巨人との距離が迫っている。
そして鎧女が疲労からか木の根に足をもつれさせて転んだ。
迫り来る巨体。俺は鎧女に手を貸しながら言う
「は、早く立て」
だが、鎧女は俺の手ではなく追跡者の姿を見てしまう。
そして固まった。
「こ、腰が抜けて立てないでありますよ」
俺はこの鎧女を見捨てるか一瞬だけ考えた。安全のためなら逃げるのが一番だ。
だが、俺が見捨てたら丸腰の鎧女はどう戦うというのだろうか?
どう考えてもなぶり殺しにされる未来しか見えない。
じゃあ、俺が戦ったら……?
俺は自分の両拳を見る。
素の攻撃力はともかく俺はパンチ力一点ならばステータス恩恵を受けている攻撃力を出せるのではないかとこの世界の住人よりも踏んでいる。俺は他の奴が全身に満遍なく貰っている恩恵を両拳にだけ集めた存在だと思えばいい。なにしろ2500万トンの衝撃だ。
耐えられる奴がいる方が信じられないくらいだ。
考えれば考えるほど、勝算がゼロじゃない。
「……ならやるしかないか」
決して分の悪い賭じゃない。どんな相手でも俺なら二発で沈められる自信がある。
だった二回でいいのだ。相手がどんな化け物だろうが、二回だけなら拳を当てることくらい出来そうじゃないか。
俺は走ってくるオーガの注意を引くべく目の前に躍り出る。
オーガの獲物は見るからに重そうな石斧だ。一度振れば二度目の攻撃まで若干ラグがあると見ていいだろう。
状況を確認。周囲に巨大な岩が転がっていることを発見。
つかず離れずを意識して俺はオーガから距離を取り巨大な岩を目指す。
あたかも岩で逃げ場を失ったかのように立ち止まると、オーガが石斧のを振りかぶるのを確認。素早く回り込んで俺は岩陰に身を隠した。
――ドゴオオオオオオオン!
石斧が巨大な破砕音を轟かせる。余りの衝撃に驚き、俺は飛び出す瞬間を失った。
オーガの振り下ろした斧のあった場所には巨大な岩が真っ二つになっている光景があった。
岩をも砕く攻撃にステータス恩恵のない俺が耐えきれるわけが無い。
くそ、HPが1でいいからあれば一度はダメージ無効が出来るから、低リスクの回避特攻ができるのに。
……あれは一発食らったら終わりだ。確実に相手の攻撃を避けてこちらの一撃を入れなければいけない。
オーガがどれくらいの強さの魔物かはわからない。
だが、あれが中堅クラスだとすればこの世界は実に酷いな。
世の中に俺を一撃で屠れるモンスターが半数以上いる計算になってしまう。
相手は武器を使うのが自由なのに対して俺はパンチ限定。素手なので武器持ちとのリーチの差は確実に存在する。
そして俺の攻撃は奴らを倒すのに二発必要。
オーガの場合は俺を殺すための一撃必殺の範囲が約三メートル。
俺の二撃必殺はせいぜい一メートル。
どれだけ不利なんだよ。泣きたくなる。
出来ればオーガがこの世界で最強の魔物であって欲しいものだ。
俺は岩陰から飛び出ると、オーガの背後を取るべく回り込もうとする。
が、オーガは見た目以上に機敏で俺が回り込もうとするとそれに合わせて体の向きを変えて来る。そしてこちらがうかつに飛び込めないのをいい事に石斧を横に振りまわしてくる。
石斧は木に当たって止まった。木は一度目のダメージだったせいか傷つくことはなかった。
俺は咄嗟にこれは使えると思った。
俺は木に駆け寄ると殴りつけ、オーガに向かって思い切り打ち出した。
そしてその後を追随するようにオーガに接近。
とんでもない速度で飛ぶ木を見て当たるわけにはいかないと思ったのかオーガは身を捻って木を避ける。
その踏鞴を踏んだ一瞬。俺は拳を突き立て、慌てて離脱する。欲を言えば二発目も入れたかったのだが、石斧が迫ってきていたのだ。
俺は転がるようにオーガの攻撃範囲から逃れた。
「……うっしゃ一回目ぇ!」
後一発どうにか入れてやる。
俺は先程の手順でオーガの攻撃を誘い、木に受けさせそれをもう一度オーガに打ち出した。
だが、オーガの対処法が先程と違った。木を最小限の動きで避けてそのまま切り込んできたのである。石斧を振りかぶる様子を見て、ヤバイと思い俺は飛びすさるようにその場から離脱を試みるが、その行動を読んでましたとばかりにオーガの足が去来する。俺は何とかそれを避けようとしたが、オーガの小指が俺の腹に直撃しそのままゴム毬のように吹っ飛ばされた。
吹っ飛ばされた俺は着に背中を打ち付けてようやくその動きを止める。
オーガは俺を仕留めてやろうとずかずかと歩を進めてくる。
……朦朧とする意識。
「ぐほっ、げほっ。ごほっ」
喉の奥底から流れ出してくる血の滝。
内臓と骨がこっぴどくやられたのがわかる。
たった一発で試合をひっくり返されるこの感覚。
いつも俺だけボロボロで相手はまるで無傷のように悠然と立っている。
オーガは無傷で俺は満身創痍。
……いつだったか。
俺は一度だけの日本タイトルマッチに挑んだ試合があった。
もう少しでベルトに手が届くと思ったあの時の感覚によく似ている……。
■□□■
宇藤頼人というフェザー級プロボクサーが居た。
彼は人より才能に恵まれていなかった。
動体視力も良くなければ、筋肉がつきにくくパンチが軽い。
彼は相手を一撃で倒すKOボクサーにも、相手の攻撃を見切って利用するカウンターパンチャーにもなれなかった。
消去法で選んだのが相手との距離を取り、徹底的に乱打を避けひたすら守りを固めるアウトボクサースタイル。
それでも宇藤頼人という男は日本で三位の地位を得た。
彼の長所は愚直さにあった。人より努力できること。これだけが彼の唯一の才能だった。
体を限界まで動かした後は、体を休めながら頭を必死に動かした。
頭が疲れればまた体を動かす。
宇藤頼人は持ちうる時間全てを明日の勝利へと捧げ続けた。
何も持っていなかった彼はプロになってから公式試合で負け続けた。
担当するトレーナーに何度も向いていないと言われ、転職を勧められた。
それでも彼は腐らなかった。
腐る暇があったらと、彼が取った行動はどうして自分が負けたかを研究する事だった。
知人に頼んで試合のビデオを撮ってもらい、繰り返し繰り返し何度も見た。
そして宇藤頼人はあるとき相手のクセを見抜く技を勝ち取った。
それと同時に自分の動きのクセを消すことに注力した。
これらは生まれつきの才能ではない、経験に裏打ちされた能力だ。
宇藤頼人は自分の強みやスタイルを確立したボクサーには絶対になれないと判断した。
だからこそ、対戦相手のビデオをよく見るようになった。
宇藤頼人は相手に自分のスタイルを取らせないことに対しては天才的だった。
また、極限まで勝利に必要な練習内容を絞りに絞った。
まず、パンチ力を捨てた。
威力をそぎ落とし、その分速度だけ出る打ち方に改造した。
パンチ力を挙げる暇があったらと一撃でも当てるためにフェイントの訓練をした。
攻撃を見切れないならと避ける訓練もしなくなった。
試合中接近されたときは振り子のように無心で体を振って対処することにした。
運否天賦でも、意思を持って避けようとしてもそれほど被弾率が変わらなかったからである。
むしろ避けることに対して頭が空っぽで居られる分、攻撃のペースを握りやすくなった。
代わりに練習したのがアウトレンジから即座に切り込みポイントを奪い離脱する技術。
ポイントで優勢になってひたすら逃げ回る試合だ。
レフェリーから注意が来ない程度にそれを続ける。
ポイントで優勢に立ち続けること、相手に余り自分を触れさせないことで相手に焦りを生み、試合をひたすらコントロールし、相手の調子をくずす。
本来のスタイルで戦えない相手は動きに精彩を欠き、その隙を突いて頼人は自分だけいつもの動きをしてポイントを取る。宇藤頼人の戦い方はあくまで『試合』だから通用する戦い方だった。
時間制限と攻撃を当てた回数という判断基準があるからこそルール内で適用されるだけの強さだったのだ。故にルール無用の野生では通用しない。
だが、リングという四角い檻で勝ち残るには『野生』が必要だったのである。
宇藤頼人は戦い方を確立してから順調に勝利を重ねた。
だが、決して天才ではないその道には少なくない敗北も入り交じっていた。
それでも徐々に亀の歩みで順位を上げ、三十才になった頃ようやく日本三位に。そしてタイトルマッチの権利を手に入れた。
相手は若干二十歳の日本チャンプで豪腕でインファイトから相手を沈める典型的なKOボクサー。
若き才能の塊で、一度の敗北もなくKOロードを邁進してきた彼のファンは非常に多かった。
一方で宇藤頼人の戦い方は地味で面白くないと観客から評判だった。
そして観客の前評判は宇藤頼人のKO負け。
……だが、宇藤頼人は周囲の予想に反して善戦した。
宇藤頼人が手数で常に勝り、それでいて試合は最終10ラウンドまでもつれ込み、その間宇藤頼人とは一度もダウンをしなかった。
スコア上の勝者である宇藤頼人と若きチャンピオン。
だが、リングの上の『勝者』と『敗者』は誰の目から見てもあべこべだった。
宇藤頼人の顔は大きく腫れ上がり出血していた。目は半分開かずに足はぷるぷると震えている。
一方でチャンピオンの方は今試合が始まったと言われても信じられるほど顔が綺麗だった。
逃げに足を使い、常に大砲のような豪腕に晒され続けた宇藤頼人の方が消耗が激しかった。
宇藤頼人は逃げに徹する。それに追いすがるチャンピオン。
若き才能が野生を呼び起こし、四角いリングは野生の戦場へと形を変えた。
若きチャンピオンが宇藤頼人の足を踏んだのである。クリーン足合いを常に展開してきたチャンピオンの初めてのダーティプレイだった。
そしてそのまま乱打戦へともつれ込む。残り三十秒の出来事だった。
徐々にコーナーに追い込まれる宇藤頼人。
速度を重用した宇藤頼人の拳の方がトータルで見れば撃つ数は多いが、チャンピオンの方が威力が高い。宇藤頼人がコツコツとおよそ三十分かけて積み上げてきた物がたった三十秒でひっくり返される。コーナーに押し込まれたまま気力で拳を出す宇藤頼人。
だが、若き才能はその上をいった。
KOファイターであるチャンピオンに強烈なカウンターを貰ったのである。
宇藤頼人はガクリと膝から崩れ落ちた。そして試合終了後まで意識が戻らなかった。
宇藤頼人はタイトルマッチに異常なほどの執念を燃やした。
チャンピオンの全試合を観て対策をしてきた。
だが、それ以上に気づいてしまってもいた。
『才能』の差を。一試合ごとの成長幅が高かったのだ。
宇藤頼人は努力で覆せなかった才能を憎んだ。理不尽な世を罵ったものだ。
罵りながらも努力した。才能に努力が勝てると信じたかった。
自分の道が間違っていなかったと思いたかった。
数年食らいついた後、宇藤頼人はついにタイトルマッチの機会すらももぎ取れずひっそりと引退した。
そして、引退して就職活動を始めた矢先、宇藤頼人はトラック事故に遭った。
■□□■
……短い走馬燈を見た。苦々しい敗北に彩られたとあるボクサーの生涯だ。
日本チャンピオンと、紅い異形。
戦う相手は変わった。どちらもクソみたいに強くて嫌になる相手だ。
いつだって俺は満身創痍。
今だって吐いた血反吐でシャツが真っ赤だ。
だけど変わっちゃいないことがある。
「俺は、諦めが悪いんだよ!」
そう、ボクサーを引退しても尚、死んでしまった後も尚『パンチ力一億倍』という戦う力を魂が渇望し続けていたくらいにはな。
……そして、昔と変わったこともある。
昔から俺の相手は俺よりも強い奴ばかりだった。そして俺には自分を象徴する武器がなかった。
自分に武器がないから相手の武器を剥ぎ取って泥仕合にもつれ込むしか勝つ方法がなかった。
いつも満身創痍で勝ったとしても疲労ばかりで満足感がなかった。
だからこそ乾きを潤そうとベルトという象徴を欲しがった。
……今は違う。
相手は昔以上に強い奴ばかりだ。
だけど、今の俺には勝つための武器がある。
周囲に劣る俺だけどたった一つの象徴がある。
試合というルールの庇護の元、小さな檻の中で『俺は強い』と虚構の強さを吼えていたあの頃とは俺は違う。
誰かの作ったルールをぶち破って、勝てるだけの『強さ』が今の俺にはある。
「……お前のおかげで燻ってた物が思い出せたよ」
俺は真っ直ぐと歩み始めた。
オーガは俺に向かって横薙ぎに斧を振ってくる。
……まぁ、そんくらいは予想済みだ。
俺が前世で命がけで磨いた武器『経験予測』がここで生きてくる。
見切る目はない。だがわかる。
俺はオーガの振るう斧に対して自分の拳を合わせた。
オーガの斧も俺の拳も正に必殺の一撃。
だけど、そこには僅かとは言いがたい差が生じている。
同時に打ち合えば、俺にだけある強み……拳大の『不壊』が生きてくる。
――バキイイイイイン!
オーガが振るう石斧が破壊される。
驚き戸惑うオーガの腹に俺は真っ直ぐ突きを入れた。
「だから、苦しまずに一撃で送ってやる」
オーガは爆裂四散した。
くずおれる亡骸を見て、俺は独りごちた。
「……強かったよ、お前」
感傷に浸る間もなく、鎧女がこちらへ駆けてくるのが見えた。
その姿を見て、俺の中で燻っていた物の正体がようやく確信に変わった。
俺は強くなりたかったんだ。
試合じゃなくて本当の意味で。心も体も全てにおいて。
今更知ったが、俺は本質で戦闘狂だったのかもしれない。
俺がボクサーに憧れたのは何でだったか?
小さな頃、映画の中で国のためにと命がけでドラゴンを倒していた騎士を見て強さに憧れたからだ。
俺は漫画や映画の主人公のように強くなりたかった。少年なら誰でも一度は憧れる夢だ。
身近に強くなれる環境を探した結果、ボクシングジムが近くにあったからそれを選んだ。
騎士とボクシング、全然結びつかないものだが案外子供はそれくらいの単純な理由で満足するものだ。強さの入り口に立てれば何でも良かったのだ。
主人公は強くて格好良かった。
主人公になりたかったから、強さの証明としてチャンピオンベルトが欲しかった。
だけどいつの間にか逆転していた。
チャンピオンベルトを求めるために『強さ』をそぎ落とした。
だからこそ『強さ』を持ったまま目の前に立つ、若いチャンピオンに俺は嫉妬した。
俺より主人公しているのが許せなかった。俺は負けて脇役の烙印を押された。
だからこそ負けた理由に『才能の壁』を用意し執拗に憎んだ。
その鬱屈した日々が今終わる。
俺はもう自由でいい。チャンピオンにこだわらなくていい。強くありさえすればそれでいい。
俺はこの拳で鎧女という一人の人間を救った。実に主人公じゃないか。
試合という檻の中で戦ってた頃より、命がけで戦っているルール無用の今の方が最高にわくわくしている。
小さな頃に憧れたファンタジー騎士の世界。
俺はこの世界で俺なりのやり方で主人公になってやる。
決意を新たに、改めてこの世界で俺は強く生きるとここに誓った。