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第九十三話「決戦」


 灰色。

 この世界は無であり、壁も天井も、床すらない。


 しかし、何故か地に足を踏みしめるかのように、そこに立てる。

 この現象の原理について考えることに意味はない。

 一生考えても分からないし、剣を振れればそれでいい。


 そして――。


 『セリア』は、まるで眠っていたかのように座り込んでいたが。

 侵入者に気付くと、面倒そうに立ち上がった。

 俺の顔を一瞥した後、頭上に視線を移す。


「シェード、何故こいつを入れた」


 『セリア』の凛とした声が無の空間に響く。

 俺が三人目を実感するのは、すぐのことだった。

 『セリア』の頭上で舞う、黒煙を纏ったような存在。


『俺はいれてねえよ。どーせルクスだろ』


 少年のような声、しかし禍々しさは感じる。

 その歪さが悪を際立たせているような気がして、耳障りだ。


 そしてこの頭に響く声はもう何度も経験している。

 レイラや精霊王と同じ。


 こいつが、闇の精霊シェードか。

 俺が見え、聞こえるのはきっとこの空間ならではのものだろう。

 

「チッ……中立だとか言いながら、適当な奴だ」

『追い出してやってもいいけどな』

「いや、いい。頻繁に眠りの邪魔をされるのも鬱陶しい。それに、暇潰しには丁度いいだろう」

『好きにしろよ。できるだけ愉しめる殺し方でな』


 シェードは『セリア』の中へ侵入する。

 セリアの体に今の黒煙が入ったという現実が、吐き気を催す。

 いつでも精闘気を引き出せる状態になったのだろう。

 

 対話は不要と、『セリア』は黒く染まっていく。

 精闘気が開放され、灰色の世界が漆黒に支配されていく。

 もう、彼女の姿は見えない。

 黒くなりすぎてしまって、視認できない。


 同時に風鬼を、鳴神を抜くと、俺は心臓から引き出しを開ける。

 全ての。

 

 俺達の言っていた全力の闘気というのは、少し御幣がある。

 纏っても、負荷に留まり死なないギリギリの闘気が、全力の闘気。


 ある時から、耐えれないと分かっていてしまい込んでいた闘気を拾い集める。

 体に乗せる、流れる血に、編みこまれた筋肉に、俺は闘気を纏わせる。


 体と魂のリミットを越え闘気を乗せたことで、分かったことは。


 もう、死ぬということ。

 ここに来る前から、そのつもりだった。

 強敵との相手に死を覚悟するなんて、そんな大層な信念ではない。

 全てが終わった後、俺が生きていたらまずいのだ。

 災厄の支配する体がセリアから、俺の体になるだけの話。


 死にたくない、という人間的本能を封殺し、断ち切る。


 俺は残りの闘気を爆発させた。



 黒の世界に、真紅の闘気が燃え上がるように威を示していた。

 力比べをしたら負けるのは間違いない、だが、一瞬で剣が叩き折られるような、そんな差はない。

 それだけで十分だ。

 

 闘神流は闘気のコントロールが極意。

 この流派は強大な敵との力差を縮めることができる。

 

 両手で剣を握り、中段で構える。

 真剣に対峙する、人生でここまで冷静に剣を構えたことはない。

 いつもは切羽詰まり、死ぬかもしれないと緊迫感に苛まれ、戦っていた。


 でも、今は違う。

 セリアを救い、終わるためだけに、俺はここにいる。


「何だ、貴様は死にに来ただけか。それはそれでつまらんな」


 こいつと会話することなんてない。

 『セリア』であって、セリアではない。

 しかし苛立ち、動悸が止まらない。


 セリアの姿で、声で、俺を――


「貴様とか、言ってんじゃねえよ!」


 足に闘気を集中させ、踏み込む。

 憎しみを露に、風斬りの姿勢。

 闘神流の基礎であり、奥義でもある。


 俺が赤い闘気を置き去りにするように消えると、『セリア』の目の前。

 その首に向かって、燃える剣を一閃する。

 

 キィン! といとも簡単に受けられ、黒に染まった風鬼によって弾かれる。

 それだけで腕が取れて飛んでいきそうな衝撃が襲う。

 傷は受けても、欠損するなんてもってのほかだ。

 気合で動ける傷はいい、しかし剣を握れなくなったらもうどうしようもない。


 俺は体勢を立て直すと、何度も踏み込む。

 常に近距離で戦うのは危険。速さ、力、基礎能力では圧倒的に不利だ。

 風斬りの踏み込みの速さを活かし、戦うしかない。

 一振り剣を交差させる度に、距離を取り、詰める。


 風斬り、風斬り、風斬り。


 その度に俺の体に衝撃が走り、剣を握った拳から血が滲み出る。

 嫌な汗が止めどなく流れる、もしかしたら汗じゃなくて血かもしれない。


 攻撃を掠った感触はないが、かわしても剣圧だけで斬り傷が出来上がる。

 そのぐらい、闘気の差があった。


 俺の体は長くは持たない。

 ものの後数分で、魂は擦り切れ、死に至るだろう。


 絶対に、この短い時間で勝負を決めなければならない。

 

 しかし、簡単にやらせてくれない敵だった。

 むしろ相手から見れば、俺に負ける要素はないだろう。

 

 弱点を探すも、ない。

 弱点といっていいのかも分からないが、狙いがほとんど一緒なことだけ。

 俺の首を飛ばそうとする、粘着質で残虐な剣筋。


 そのおかげで耐えれている部分はある。

 見失いそうになる剣が首筋に向かうと分かっていたら、ギリギリ捉えられていた。


 基本的に俺が攻め、『セリア』が受け、稀に剣を振ってくる。

 暇を潰すように、楽しんでいる。

 いや、これは弱点だ。

 相手が一瞬で俺を殺すつもりなら、もう既に終わっている。

 

 また、首に斬撃が飛んでくる。

 両手の闘気を集中させ、限界ギリギリで受ける。


「クッ……」

「はははっ」


 嘲笑し、吹き飛ぶ俺に追撃することもなく、再び俺が踏み込んでくるのを待っている。

 ギィっと歯が砕けるほど噛み合わせると、風斬り。


 愚直に斬り掛かる。


 思考してはいけない。

 加速する両腕の動きを止めた瞬間、俺は死ぬ。

 やり終える前に、死ぬことは許されない。


 今までの経験を、脳が勝手に体に送る信号だけを信じ、剣を振る。

 両腕は積み重ねてきた鍛錬だけを元に動き、無の空間を剣戟が圧している。


 しかし『セリア』は俺が自分でも視認できない剣を正確に叩き落としていく。

 突破口が見えない、見えてくるのは、自分の限界だけ。



 瞬間、ドクッと心臓が跳ね上がる。

 あぁ、これは予兆。



 もう体が限界を超え、魂を蝕み、終わろうとしている。

 まだ、俺はやり遂げていない。

 不安を吹き飛ばすように、俺は叫ぶように呻く。


「返せよ……!!」


 返せといいながら、執拗に首を攻める。

 当初の予定とは変わっていた。

 生まれ変わった白桜を使うつもりだったが、そんな余裕はないと諦めてしまっていた。


 首を刎ねるしかない。


 俺の望みは叶わないかもしれない、けど。

 セリアを苦しめ続けるわけにはいかない。

 俺が一歩及ばなく、ここで息絶えても、『セリア』の体もいつかは朽ち果てるのだろう。


 俺が向こうで待つのは簡単だ、しかし、腹の子は。


 俺達のまだ生まれてもいない大事な子供は。


 『セリア』がこの空間から出れば育ち、生まれるだろう。

 災厄は生まれる前に殺すかもしれない、生まれてから殺すかもしれない。


 親に産まれることもなく、愛も知らぬまま無惨に死んでいく。


 そんな事、許容できるはずがない。

 もし、俺にできる事があるなら、違う場所で生を受けさせてあげることだった。

 その時は、違う親元から生まれるのだろう。


 でも、それでも。

 どこで生まれようがこの魂を持った赤ん坊は俺とセリアが愛する存在だ。

 この追い込まれた現状で俺にできることは、今より不幸にさせないこと。

 もし、また会える日がきたらその時は。


 どうしようもない父親で、ごめん――。


 俺の脳にまだ見ぬ子供の顔が、謝罪の言葉がよぎる。


 瞬間、止めどなく繰り広げられていた剣戟に幕が下りた。


 『セリア』の風鬼は、俺の首ではなく、上段から下段に向かい、振り下ろされた。


 体を後ろに引こうとするが、間に合わない。

 肩口から腹まで皮膚が裂け、鮮血が噴出す。

 

 痛みにほんの一瞬だけ、動きを止めてしまう。

 その隙を逃がさず、災厄は俺の首元に剣を薙ぎ払う――ことはなかった。


「カ……ハ……」


 セルビアで俺の背後から突き刺した時と同様に、俺の腹に風鬼が侵入していた。


 俺の体は縫われたように固定され、動けない。

 このまま、裂かれて死ぬのか。


 まだ、セリアに会えていないのに。


「どうだ? 好きな女の体に貫かれる感触は。お前以外にはできない体験だろう」

「黙れ、よ……」


 もう口元の影が動いたのが見えただけで、『セリア』が何を言ったかは聞こえない。耳も機能していない。

 しかし意識を繋ぎ止めるように唇を動かす。

 意識は留めても、体は言う事を聞かなかった。

 腕の力を失い、自然と鳴神が無の空間に落ちていく。


 腹に風鬼が突き刺さり、鳴神を拾い上げることもできない。

 できたところで、一度屈めばもう立ち上がれない。


 俺は最後の力で両手を動かし、『セリア』が俺の腹に突き刺している剣を通過し、『セリア』の華奢な腕を両手で握り締める。

 力のない、無駄な行動。

 このまま押さえつけることは不可能、『セリア』が少し腕を動かすだけで簡単に弾かれるだろう。


「無様だな。このまま眺めているのも一興かもしれん」


 『セリア』を覆う闇が形を変えるように、口元が半月状に歪む。

 

 その笑いと同調するように、俺の心臓が弱く波打った。

 終わるのか、ここで、終わってしまうのか。

 そんなのは、あんまりだ。

 誰でもいい、力を貸してくれ。

 成し遂げる前に死にたくない、どうしても死にたくない。


 しかし、腕の力もなければ感覚もない。

 『セリア』の腕を掴んだ指先が少しずつ解けていく。

 視界は朦朧とし、終わるように黒く閉ざされ始めた。


 死を迎える瞬間――。



 死と共に、感じるものがあった。

 心臓から、溢れ出す光。



 これは闘気だが――闘気ではない。



 あぁ、分かった。

 何が起こり、この現象を引き起こしてくれたのかは分からない。

 でも、確かなものはある。

 死の間際に見えた走馬灯でも、俺の生み出した幻惑でもないということ。


 ずっと、ここに居てくれていたんだな。

 

 心強いその存在の引き出しを開ける。

 それは白く輝く光だった。

 風前の灯だった俺の燃える闘気が変化し、体は白く発光する。


 腕の力が戻る、片手で『セリア』の細腕を潰すように握る。

 

「な――! 復活には早すぎる――」


 初めて動揺し、俺の腕を振り払おうと身をよじるが、俺は離さない。

 『セリア』は諦め、左腕で拳を作り俺に襲い掛かる。

 バキッと額が割れ、血が垂れ、瞳を鮮血が濡らす。


 俺は左の剣帯に掛かっていた剣を抜き出した。


 魔竜の鱗によって黒く染まってしまったはずの刀身が、かつての輝きを取り戻すように、白く光る。

 輝く刀身を宙で握り直し、突く姿勢を作る中。


 俺は脳内で語りかけていた、湧き上がった気持ちを。

 白桜が『セリア』に迫る、一刻。


 ――レイラ、ありがとう。


 なぁ、俺は酷い恋人で夫で、父親じゃないか。

 考え尽くした結果が、こんな結末だ。

 それも結局レイラの力がなければ、成し遂げれなかった。


 セリア、ごめん。

 こんな情けない俺を好きになってくれてありがとう。

 俺の愛を受け容れてくれてありがとう。


 最後にセリアが言おうとした言葉も、今ならしっかり分かる。

 セリアの救いになるかは分からない。

 でも、俺にはこれしかできない。

 最後の瞬間に、君を安心させてあげることしか、できない。


 たとえ、ここでの俺達が終わるとしても。


「オオオオオオ――!!」


 迷いを吹き飛ばす雄たけびと共に、白桜がセリアの左胸に触れる。

 あの日、セリアが言おうとしたことは。


 『アル――――助けて』


 白桜はセリアの心臓を通過し、背を貫き、彼女の血を晒さないように白く輝いていた。


 

 『セリア』が血を吐き出すと同時。

 黒く染まった瞳、髪、体が俺の元へ帰ってくる。


 エメラルドグリーンの双眸が輝き、俺を映す。

 美しい金の長髪がふわっと揺れる。

 剣士とは思えない華奢な体が、露になる。


『あーあ、魔竜の鱗か。お前、何回負けたら気が済むんだよ』


 精霊のつまらなそうな声が響く。

 うるさいな……黙ってろ。

 脳内で吐き捨てると、精霊はもう声を発することはなかった。


 時間がない。


 わざわざ首を刎ねるわけでもなく、魔竜の剣で心臓を貫いたのは。

 最後に、君に伝えたいことがあったから。


「セ、リア……セリア……」


 呼ぶ、彼女の名前を。

 すると虚ろな瞳が次第に濃くなっていき、桜色だった唇は血に塗れ真紅に染まっているが、開かれた。


「ア、ル……」


 最後の力で、崩れ落ちたセリアを抱き寄せる。

 剣が更に突き刺さるが、セリアは痛みを感じてないのか、顔を歪めることはなかった。


 俺は想いの丈を口にする。

 短い言葉で、全てが伝わるように。


「セリア……好きだよ、愛してる。絶対に、また会いにいくから……」


 血を吐きながら、擦り切れる魂を感じながら紡ぐ。

 セリアは俺の頬を撫でるように優しく手をやると、微笑みを見せた。

 

「アル、大好き……」


 涙が流れる、血に濡れた瞳を洗い流し、最後にセリアの顔を映すように。

 三度目に見たセリアの涙が頬を伝う中、セリアは俺の頬から自分の腹に手を置いた。

 最後になる、セリアの母親の姿だった。


「ごめんね……」


 俺は、俺達は、死を迎えた。

 

 時間は停止し、俺は最後に自分とセリアの亡骸を見下ろした。

 意識が消える直前、永遠の眠りにつくような予感がした。


 


 

 次に目覚めた時、俺は赤ん坊になっていた。


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