第八十七話「死闘」
エリシアとルルが俺達の異常な慌て方で察し、二人を残して家を飛び出すタイミングは全員一緒だった。
俺、セリア、クリスト、エル、ランドル、フィオレ。
元々戦う予定だった六人で、表情を強張らせながら口を閉ざし、走る。
前もって戦いについては話し合っていた。
エルをフィオレが守り、他の四人で支える。
ランドルはエルとフィオレ寄りで、最前線で常に戦うのは三人だ。
連携については心配しなくていいだろう。
俺達は長い間共に戦ってきた。
まだ知り合って期間が短い者達もいるが、きっと問題ない。
全員使っているのは、同じ剣術だから。
俺達は走り続けた。
悪意の居所を特定するのは容易だった。
大通りとはいえ人の少ないはずの夜だが、俺達と逆の方向から、走り去っていく者達が多くいた。
おかしいのは、その中に町の住民は少ないということ。
見ていたら分かる、ほとんどが冒険者だ。
見覚えのある顔も少なからずあり、それを何処で見たかと言われれば即答できる。
ほとんどが、ルカルドに滞在していた冒険者だろう。
災厄を討とうと捜索していた者達が遭遇してしまったのか。
次第に近付いていると分かる光景が見えてくる。
人は、ぴたりと消えた。
城下町の大通り。
違う世界に迷い込んでしまったのかと思ってしまった。
そのくらい、変わり果てていた。
周囲にあるのは、首。
胴体から切断されいまだに血を噴出している、亡骸だった。
無惨に散らばった顔が目に入ると、歯を噛み締める。
知ってる顔も、やはりあった。
知り合いとも呼べないが、見たことがある、それだけで心境は変わる。
そして、その中心にいる者。
まるで俺達の到着を待つように、佇んでいた。
精霊の森で見た時と同じ『黒』という印象しか受けない外見。
頭のてっぺんから足元まで全て黒いフード付きの外套で身を覆っていた。
手には、闇夜に鈍く光る素朴な剣。
どこかで拾ってきたかのような。
この国で売ってあるような業物とは比べ物にならない貧弱な剣だった。
武器なんてなんでもいい。
この剣が小枝に変わっても問題ない、そんな意思を感じる。
不思議なことに貧相な剣を目の前に、戦慄してしまう。
俺はごくりと喉を鳴らすと、敵が先に、口を開いた。
「やはり間違いない。貴様の精霊は力を失っているな」
声色から邪悪を感じるが、セリアは実感した。
体をびくっと跳ね上げ、いつでも戦闘に移れるように構えていた体を硬直させた。
何年経とうが自分の父親の声を、間違えるわけがない。
俺が返事をすることはなく、セリアは恐る恐る、口を開いた。
「顔を、見せなさい」
普通ならば、敵の言葉に耳を貸すことはないだろう。
しかし災厄は余裕なのか、頭が悪いのか。
軽々と、被っていたフードをばさりと落とした。
その中にあったのは。
俺が前に見た時から、あまり老けていない顔。
セリアと同じ金髪が少し伸び、揺れる。
凛々しく男らしい、俺の憧れた剣士の顔立ちがあった。
「娘がいたのは予想外だった。いや、それはいい。忌々しいのは、生まれ変わりを彷彿とさせるその面だ」
セリアの大好きな父の顔で、セリアを憎むように睨み付ける。
我慢ならないのか、セリアは剣を抜いた。
セリアの抜刀と同時に俺達も剣を抜くが。
まだ、流帝達が来ていない。
そして助かるのは、災厄はすぐに斬りかかろうとせず、むしろ語りかけるようだった。
セリアは耐え切れないかもしれないが、俺はできるだけ、時間を稼ぐ。
「何で、出てきた。俺達が死ぬまで待てなかったのか?」
殺意を剥き出しにしているこいつには意味もない、無駄な問いかけだ。
しかし災厄は嘲笑うように口元を歪めた。
「何、面白い事を思いついてな。しかし貴様は真っ先に死ぬ。いや、貴様に限らず、全員だ」
「余裕そうだな」
「あぁ、貴様の存在だけが問題だったが、条件は整った。今の貴様では俺の相手は務まらん」
「一人なら、な」
俺の言葉が最後になり、セリアが闘気を剥き出しにした。
我慢の限界だったのだろう。
全開だ。
ありったけの、負荷を考えない。
早く決着しないと死ぬかもしれない闘気を身に纏う。
セリアと同時に、全員が開放した。
辺りに闘気の奔流が起こり、災厄を消し飛ばそうとばちばちと燃え上がる。
俺達の威圧を受けても、災厄は涼しい表情で唇を裂くように開いた。
「来い、シェード」
イゴルさんの姿形をしたモノは、黒く染まっていく。
もうその懐かしい顔は黒く染まり、何も見えない。
そこに闇があるだけだ。
このほうが、俺とセリアは斬りやすい。
そして、爆発した。
俺達の全力の闘気を吹き飛ばし、この空間を漆黒が支配する。
あれから、成長している。
強い、おぞましい、怖い。
様々な感情が俺を取り巻き、ツーっと背筋から汗が流れる。
しかし一番強く心の底から湧いてでた気持ちは『斬る』。
汗のせいで気持ち悪い熱気を感じる中、セリアが最初に動いた。
迷いなく、父親の首を飛ばす斬撃。
渾身の一撃はいとも簡単に受け止められ、剣を交差させただけでセリアの体が吹き飛ぶ。
俺は反射的に脳から送られる、セリアの元へ駆け寄れという衝動を強引に捻じ伏せ、風斬りで飛び込んだ。
俺とクリストは同時だった。
以前、精霊の森で戦ったように左右から攻撃を仕掛ける。
災厄は片手で剣を握りながら、俺達の高速で紡がれる斬撃を防ぐ。
敵の腕は残像のように消え、視認することができない。
前は、俺には精闘気があった。
それでギリギリの勝利だった。
今は精闘気がなく、災厄は前より強くなっている。
でもそれは俺も同じ。
何より、セリアの、仲間の存在が鍵を握っていた。
セリアは災厄の背後を強襲する。
普段ならば、セリアが嫌う行為。
背中を斬ることなんて、セリアは絶対にしない。
今は、迷いなんてなかった。
とにかく、殺す。
セリアの内に秘められた猛獣を解放するように。
そういう意思が篭められた剣。
しかし、災厄の体は消えた。
いや、それは間違いだ。
俺には見えていた。
災厄が体を翻し、セリアの剣を回避したのを。
レイラの力を借りている期間は長く、高速で動くものに対応することができていた。
でも今は、目で捉えても。
神速とも呼べる災厄の動きに、体がついていかなかった。
唯一ついていったのは、幼い頃から訓練し続けた闘気。
俺は災厄の剣を握っていない腕から拳が突き出されるのを察知し、闘気を腹に集中させた。
グチャ、と内臓が潰れ、そこに存在する全ての骨が木っ端微塵に砕ける。
俺は肺の空気を全て吐き出し、激しく飛ばされる。
壁があっても、突き抜けて彼方まで飛んでいきそうな衝撃。
しかし俺の体は途中で止まった。
力強く、逞しい筋肉が衝撃を和らげ、俺を包んでいた。
「おい!」
俺の消え入りそうな意識を繋ぎ止めるように、ランドルが俺の耳元で大声をあげた。
すぐにエルが俺の腹に治癒魔術を掛ける。
この激痛が意識を保ってくれている気がして、痛みさえ有難かった。
ぶつりと今にも切断されそうな意識を殴るように目を強くしばたたく。
ランドルとフィオレが俺を守るように前に立つ。
俺は情けなく横たわったまま、治療を受けた。
次第に内臓が修復され、骨が元通りになっていく。
エルに礼も言わずに立ち上がると、ランドルの肩にすがるように叩いた。
言葉は不要だ。
感謝なんて、後からいくらでもすればいい。
「悪い、あそこに割って入れる力はねえ」
「分かってる」
ランドルが汗をだらだらと流しながら太い声を出す。
災厄の周囲を囲み、斬りかかるスペースなんて限られている。
あの高速で動く剣戟の中に入ると、逆にランドルが重くなるかもしれない。
頼りに思う仲間にこんなことを思うのは申し訳ないが、仕方ない。
それにランドルに背後のエルとフィオレを任せているから。
フィオレがエルを守ってくれるから、俺達は目の前のことだけに集中し、戦える。
俺が前線に戻るも、セリアとクリストは表情一つ変えなかった。
安堵するわけでも心配するわけでもない。
しかし、治療を受けている間も俺は戦いの行方を追っていた。
二人は俺を待つように、耐える戦い方をしていた。
俺が戻った途端、攻撃的な立ち回りになる。
言葉どころか、感情も不要だ。
脳だけで理解し、本能で剣を振ればいい。
二人は俺がいない間も支えていたこともあり、疲弊していた。
セリアの剣を握っている手なんて、血が滲み出ている。
衝撃だけで血液が皮膚を突き破っているのだろう。
それに、普段よりも辛そうな表情だ。
全力の殺し合いとはいえ、やはり。
腹の子の、せいだろう。
恐らく、腹に攻撃を受けないように神経をすり減らしながら剣を振っている。
災厄はどれだけ剣を振っても動きが鈍ったりはしない。
イゴルさんの体でも、もう人からはかけ離れている。
俺はセリアの分も上乗せするように、剣を振った。
やはり、次第に状況が悪くなるのは俺達だった。
闘気の負荷、体力、傷。
そして致命傷を受けたのは、クリストだった。
「くそっ!」
血に濡れた唇でクリストが苛立つような声を上げる。
災厄の一振りが、クリストの皮膚を腹から肩口にかけて、裂いていた。
その傷は深い、致命傷だ。
まずい。心配より先にそう思考が走った。
治療を受けている間、俺とセリアの二人だけになる。
クリストがいなければ……と思うが、耐えるしかない。
多少傷を受ける覚悟を固めていたのだが。
「構うな!」
「っ……!」
血を噴出し、口元から血液をたらりと流したまま、クリストは動きを止めなかった。
死を覚悟するかのような。
いや、死んでも構わないと思っていそうな。
激しい動きに、俺の頬にまでクリストから噴出した鮮血が飛ぶ。
俺は冷酷になるように徹して、剣を振った。
俺達の剣の鋭さが落ち始め、状況が動いた。
災厄はクリストの剣を力技で跳ね上げ、そのまま俺に一閃する。
俺はギリギリ受けるも衝撃で数メートル地面をすりながら吹き飛び、信じたくない光景を目にした。
俺とクリストを弾いた瞬間に、セリアに向かって剣を薙ぎ払った。
「っっ!!!」
その剣の高さは、首のライン。
視認したくない光景に時間が止まったかのように、俺の目にはゆっくりと死の剣筋がセリアの首に迫ったように見えた。
そして――本当に、止まった。
時間が止まったのかと思うが、セリアの首筋から汗が伝うのを見て勘違いだと気付く。
災厄がセリアの首元で剣を止めただけ。
意味不明の行動に、俺達は固まってしまう。
最愛の人が死なずに済んだとか、思考することができないほど、頭が真っ白だった。
「おっと、危ないところだった」
何故か災厄は剣を止めたままセリアの腹にめがけて、拳を放った。
自分以外の危機に、やっとセリアだけは動いた。
セリアは腹に闘気を集中させて耐える選択をとらなかった。
体を翻し、腕と肩を犠牲にするように、攻撃を受けた。
そのまま体は飛び、石壁の建物が破壊音と共に崩れ、セリアの体が瓦礫に埋まった。
駆け寄りたい気持ちを抑える。
それより先にやらないといけないことがあった。
「はははっ」
憎い敵が、笑い声を上げたからだ。
――殺してやる。
唇を血が滲むほど噛み締め、災厄に飛び込んだ。
ランドルが瓦礫を放り投げ、エルが治癒魔術を詠唱するのが横目に映る。
しかし、セリアはすぐに戻ってこなかった。
意識が、途絶えたかもしれない。
嫌な想像ばかりが頭に浮かぶも、俺とクリストは攻撃を止めなかった。
唐突だった。
二人だけになった俺達の状況は悪化し、クリストが血を流しすぎたのか、くらっとよろめいた。
災厄はその隙を逃がさず、クリストの首を跳ねる剣を振り払う。
俺はそれを察知し、何よりも早くクリストの傷口を気にせず腹を蹴りつけた。
「クッッ!」
ぐにゃりと嫌な感触が足裏に。
クリストの体が飛び、俺のブーツの底が仲間の血で染まる。
蹴り飛ばしたクリストを気に掛けず、俺は一対一で災厄と打ち合う。
セリアはどうなったか分からない、クリストもすぐに戻ってこれない。
焦り、死を予感しながらも剣を振った。
俺が耐えれたのは、たった一合だけ。
災厄の剣速についていけず、俺の鳴神は無様に宙へ飛んだ。
剣士なのに、剣を持っていない状態。
腰にお守りのように掛けていたセリアの剣を抜くよりも、災厄は速かった。
「死ね」
次の瞬間、俺の首は胴体から離れ、宙を舞っていると理解した。
しかし――。
俺の首と死の剣との間に、キィンと何かが差し込まれた。
憎悪に包まれた漆黒の剣は、すらっと受け流され、少し体勢を崩す。
その剣の技で、誰が救ってくれたのかは一目瞭然だった。
俺の目の前で青い髪を揺らし、こんな状況で涼しい顔を見せる流帝は、凄まじかった。
青い闘気を放出させ、災厄の首に向かって容赦なく剣を振りかざす。
その鋭さは受身な流派とは思えないほど残虐に見えた。
災厄は首をひっこめ回避すると、距離を取った。
「まだ、こんな奴がいたか……」
苛立つようにぼやいた災厄に、流帝は穏やかな口調を崩さなかった。
「本気で戦うのは、何年振りかしら」
流帝は髪を逆立てるように闘志を剥き出しにすると、キッと眉を寄せ、殺意を篭めた瞳が青く燃え上がるように、光った。
息を吐くかのように、闘気を全開まで開放する。
クリストと、同程度の闘気。
やはり、人外レベル。
ローラが飛んでいった俺の鳴神を掴むと、その淑やかな容姿からは想像できない乱暴な仕草で腕を振り、俺に放り投げた。
高速で回転し襲うように俺の元に帰ってくる相棒を掴み取ると、流帝の横に並び立つ。
仕切り直すように、再び死戦が幕開けた。
本日は二話更新します。




