第八話「セリアの変化」
俺の十歳の誕生日が近付いてくる頃。
ある時からのセリア同様、イゴルさんは剣術の稽古中。
俺に口で教えることはなくなっていた。
ただ、ひたすら叩きのめされる。
それが終わると「何が足りないか分かるか?」と聞いてくるようになった。
俺も「分かってます」と答えるだけ。
俺はどれだけ強くなったんだろうか。
比較対象がイゴルさんとセリアしかいないから分からない。
イゴルさんと打ち合いが終わった後。
少し休憩になりその場に座りこむと離れた所で素振りしているセリアを見る。
もうすぐ彼女も十二歳だ、相変わらず美しく成長している。
顔付きも体の線も女性らしくはっきりしてきた。
剣術の腕も一回素振りする度に磨かれているようにも感じられる。
そんな彼女を見ながら俺の横で立ってセリアの素振りを一緒に眺めているイゴルさんに聞いた。
「僕ってどのぐらい強くなっているんでしょうか?」
ん? と言うと、うーんと考え出した。
「そうだなぁ、実戦と稽古は違うから何とも言えないが。
Bランクの魔物に囲まれても何とかなるだろう」
その例えもいまいちわからなかった。
当然だ、まだ魔物なんて見たことがない。
知識はアスライさんの本のおかげで少しはあるが。
魔物はSからFランクまで七段階で格付けされているのだ。
そしてEランクでも前世の狼みたいなものがいる。
それを考えるとBランクの魔物に囲まれて勝てるのは結構すごいのか。
「Bランクっていうとどんな魔物です?」
そう聞くとイゴルさんは後ろにある自分の家を指差して。
「色々いるけど、あれぐらいの蛇とか」
いやいやでか過ぎだろ!
その大きさでBランクなのか、この世界大きさ=強さではないのだろうか?
イゴルさんの家の大きさの蛇数体に囲まれてる自分を想像してみる。
大蛇を前に勇敢に剣を構える俺。
その足はガクガクと震えている。
震える手を必死に押さえ込み、意を決して剣を振ろうとした所で、後ろからバクッと飲み込まれた。
うん、こんな感じだろう。
もし魔物を対面することがあったら俺は大丈夫なんだろうか……。
「あんまり想像できませんね」
そう言って苦笑いするとイゴルさんもはははと笑っていた。
「その歳でBランクの魔物と渡り合える力があるのは異常なんだぞ。
セリアと二人ならAランクの下位の竜ぐらい狩れるかもな」
確かにセリアは俺と違って物怖じしなさそうだ。
セリアの場合だったら勇敢に剣を振ってばっさばっさ魔物を斬り伏せる姿が想像できる。
俺はというと竜に立ち向かうセリアの横で相変わらず震えている。
だめだだめだ、こんなんじゃいつまで経ってもセリアに追いつけない。
想像でぐらい勇敢な剣士でいないと。
話が終わると俺は熱心に素振りするセリアを見て惚けていた。
セリアと剣は何故こんなに絵になるのか。
それとも俺が相当美化しているんだろうか。
目を離すことなくずっと見つめていると、横から視線を感じた。
俺が顔を上げると、そこにはニヤニヤと笑うイゴルさんの姿があった。
「な、なんですか?」
ほんとに剣を振ってない時は別人だこの人。
締まらない顔をしていてイケメンが台無しだ。
「いやー? てかいい加減、俺に丁寧に話さなくていいんだぞ?」
「いやいや、イゴルさんは剣術の師匠ですから」
「確かに師匠だが……いや、これならどうだろう」
「何がですか」
そう言って相変わらずニヤニヤ笑っている。
何がどうだろうだ。
「お父さん、って呼んでもいいんだぞー?」
何を言っているんだこの人は。
確かに父親のような感じる事も多いが、やっぱりイゴルさんは師匠だ。
いや、待てよ……もしかして……。
あのセリアの誕生日会以来。
肉しか食べていないと爆弾発言していたセリアの発言にショックを受けたエリシアは、頻繁に二人を夕食に招待していた。
今では週に何回かは家で一緒に夕食を食べている。
まさか。
「ま、まさか……母さんと……?」
そう言うとイゴルさんは、はぁ!?と慌てて弁明していた。
「ちげえよ! なんでそうなるんだよ! どう考えてもセリアだろ」
「セリア?」
俺が聞き返すと、あれ?と少し考え込むような顔をしていた。
「ん? そういう目で見ていると思ったが違うのか?」
俺がセリアを見る目はそんなやらしい目なのだろうか。
そういう意味じゃないことを祈ろう。
俺としては憧れの目で見ているつもりだったんだが。
少し慌てながら言い返す。
「そ、そりゃ、どんどん可愛くなっていくなぁと思いますけど……」
そう言うとイゴルさんは「うんうん」と満足気に頷いていた。
「そうだろう。我が娘ながら将来はすっごい美人になるぞ絶対、想像してみろ」
一体何なんだ。
しかし言われた通り想像してみる。
成長したセリアの顔は凛々しく整っていて美しい。
美しい金髪が腰まで伸び、風が揺らしている。
透き通る白い肌に胸も育って、剣で鍛えられた体は引き締まっているだろう。
そんな彼女が剣を振っている、それはもう芸術だ。
成長した俺も想像して横に置いてみるが、釣り合ってない。
「セリア、髪伸ばさないのかな……」
ふと口にして出してしまっていた、しまった。
それを聞いたイゴルさんはニヤニヤしている。
「へぇー? アルは髪長いのが好きなのか」
思えばイゴルさんとこんな話するのは始めてだな。
「い、いや。セリアはきっと似合うだろうなって」
ちょっとどもってしまった。
「うんうん、それは俺も思うぞ」
単に娘自慢がしたいだけなんだろうか。
いや、俺にセリアを勧めているようにしか聞こえない。
娘が男と結婚なんてしたら父親は寂しいもんじゃないのだろうか。
「僕がセリアと結婚したとして、イゴルさんはいいんですか?」
そう言うと急に真面目な顔になった、変化が激しい人だ。
イゴルさんは少し溜めると口を開いた。
「あぁ、アルだったらいいぞ」
そう言い切っていた。
そこまで俺のことを評価しているのだろうか。
まじか…と思っているとイゴルさんは続けた。
「もちろん、セリアがほしかったら俺を倒していけ! と言う気は満々だけどな。まぁアルは成長したら俺より強くなるだろうし関係ないだろ」
今の所イゴルさんどころかセリアに勝てる雰囲気もないんだが。
この人は本気で言っているのだろうか。
「本気で言ってるんですか? 今のところ、勝てる気が全くしないんですけど」
少し僻みながら言った。
「今は当たり前だろ、お前九歳だぞ。
俺もセリアとアルほどの才能はなかったけど、
剣術にはそれなりに恵まれてたんだ、舐めんなよ」
いくら才能があろうが九歳に負けるわけねーだろと言いながら少し怒っていた。
まぁ確かに、どれだけの天才でも子供に負けるイゴルさんは想像できない。
というか一体ほんとに何なんだ。
しかしそもそもの話だ。
「というかそもそもですけど、
セリアが僕を好きになるのはなんか想像できないんですけど」
そう思った。
今の俺は大事な選択もできないし、剣術でもセリアに敵わない。
こんな情けない男、あのセリアが好きになるだろうか。
セリアには俺のような女々しい男より、男らしい奴が似合うと思ってしまう。
そう思っていると、イゴルさんは「そんなことないんだけどなぁ」と呟いた。
「お前は自分に自信がなさすぎるな。おーい! セリア!」
そう言ってずっと素振りを続けているセリアに声を掛けた。
セリアはその大声に気付き、素振りをやめるとこっちに近付いてきた。
一体何をするつもりだ。
「なあに?」
そう言いながらセリアは額から流れる汗を袖で少し拭った。
「アルがセリアは髪が長いのが似合うってよ」
な、何を……。
恥ずかしくなった俺はサッと立ち上がり、とにかく何かを言おうとセリアの顔を見たのだが。
セリアは固まっていた。
そして普段は綺麗な真っ白の頬が赤く染まっている。
その顔を見て俺も固まってしまった。
しばらくすると、セリアは顔を隠すかのように下を向きながら口を開いた。
「アルは……長い髪が好きなの?」
俺は焦りで自然に正直に答えてしまった。
「い、いや、セリアの髪は綺麗だから伸ばしたらきっと似合うだろうなって…」
言っておいて恥ずかしかった。
顔が急に熱を帯びてきている、きっと今の俺は間抜けな顔をしているだろう。
「そう……」
セリアは少しだけ顔を上げて言った。
意図したわけじゃないだろうが上目遣いになっている。
ちらりと見える頬はまだ赤く見えた。
話はそこで終わりだった。
セリアはそれだけ言うと、離れた所で座っているエルの方に駆けて行った。
残された俺は既に誰もいない正面を向いたまま固まっていた。
「ほらな」
横から俺をからかった男の声が聞こえたが、言い返す気力もなかった。
稽古が終わり、いつもと変わらず三人で遊んだ。
たまにセリアと目が合うと、何か気まずくて。
すぐに二人でサッと目を逸らしたりしていたが。
唯一の闘神流の仲間だとか、初めての友達だとか。
セリアの俺の認識はそういうものだと思っていたが。
ちゃんと男としても見られているんだろうか。
俺とセリアの間を歩いていたエルは、左右に顔を動かして俺達の顔を見ると、変。と言っていた。
気恥ずかしさからか、俺は今日は町をぶらぶら歩こうよと言って三人で色んな店を回ったりしてゆっくりと過ごした。
日が落ち始め、セリアと別れて診療所に戻るとエリシアの姿はなかった。
この時間に外に出ているのは珍しいな、と思いつつもしばらく待ったがエリシアは戻ってこなかった。
コーディさんはもう遅いし暗くなる前に帰りなさいと。
アーダさんに俺とエルを家まで送らせた。
家に着いて、夕食時になってもエリシアが戻ってこない。
どうしたんだろうと三人で心配していた。
何かあったのだろうか。
コーディさんが心配ないよと言っていたので大丈夫だと思い込んでいたのだが。
考えれば考えるほど嫌な想像ばかり浮かんできて、探しにいくことを決意した。
今の俺だったら夜に出歩いて何かあってもちゃんと対処できるだろう。
私が行きますから、と俺を止めようとするルルの静止を振り切って玄関の扉を開けようとすると。
ガタンとまだ押していないのに扉が開いた。
そこにはエリシアが立っていた。
良かった……ほっと息を吐いてエリシアを見ると、疲れきっているのか凄く悲しいような顔をしていた。
「母さん心配したんだよ、どうしたの? 大丈夫?」
心配しながらエリシアに寄るとエリシアは俺を優しく抱きしめて頭を撫でた。
「大丈夫よ、アル。話さなきゃいけないことがあるの」
そう言って俺の手を取ると、机まで歩いていきエリシアは疲れた様子で椅子に座りこんだ。
俺も正面に座る。
いつもの癖のない話し方に、少し嫌な予感がした。
そこにはいつもの優しく微笑んだ顔はなかった。
ただ、悲しい顔を隠そうともせずに言った。
「あのね……アル……」
アスライさんが死んだ。