第七十九話「喪失」
意識が戻ると、俺は薄暗い空間にいた。
床もなければ壁もない、あるのは俺の体だけ。
意識はあるが現実には戻っていないのを理解する。
ここに来るのは、二度目だから。
ライニールと戦った時、死んだと思っていたらここで初めてレイラと会話した。
つまり、俺は今死に掛けているのだろうか。
むしろ死んでいてもおかしくない状況だった。
あんな深海に沈んでいくような感覚のなか、助かることなんてできたのだろうか。
いや、今も沈んでいっているのでは。
心配することはたくさんあったが、まずは安心したこともあった。
目の前で、いつも俺を守ってくれる光が舞っている。
「レイラ、いきなり消えたと思ってびっくりしたけど安心したよ。今、どうなってるか分かるの?」
『アルベルは大丈夫だよ、ランドルが助けてくれたから」
装備を脱いで泳いでくれたのだろうか。
間に合ったのもそうだし、よくあの荒れた海に突っ込んでくれたな……。
本当に、ランドルは頼りになるしいつも助けられてる。
というか。
「俺はって、誰か大丈夫じゃない人がいたの?」
港町もあれでは被害なしとはいかないだろう。
町が津波にのまれてしまったかもしれない。
クリストとセリアも……。
考えるほど目がくらみそうになるが、レイラの穏やかな声色が俺の不安を拭った
『アルベルの家族も、仲間も死んでないよ』
「良かった……はは、レイラは相変わらずだね」
ちょっとおかしな言い回しをしたりして、俺を不安にさせることが多いのだ。
いつもすぐに俺が勘違いしていることに気付くので、問題ないが。
しかし次に、レイラから発せられた言葉は。
子供のような声色には不釣合いすぎるものだった。
『私は死んじゃった』
「え?」
とにかく情けない声で返事を返すが。
たった一言を脳が処理できないでいる。
またレイラが俺を勘違いさせているのかとも思う。
でも、勘違いするような要素がある言葉か? とも思うが。
きっとこの後安心させてくれるはずだ。
精霊は死んでもすぐに生き返るとか。
「不安にさせないでよ。精霊が死ぬなんて想像できないし、何かあるんじゃないの?」
『無理やり上級魔術詠唱したから。もう精霊じゃなくて、ただの魂だよ』
「えっと……いつもと違うようには見えないんだけど」
死んだというわりに普段通り、何も変わらない光だ。
何よりレイラも取り乱しているように見えない。
正直、まだ全然信じてない。
しかしレイラは俺の疑問に答えようとしなかった。
『精霊で死んだのは多分、私が初めてだよ』
「えっと……そろそろネタばらししてくれないと、気が狂いそうなんだけど」
今は実感はないが。
俺が現実世界に戻った時にレイラが傍にいないなんて想像すると頭がどうかしそうだ。
『え? どういうこと?』
「だから……もう会えないとか、そういう事はないよね?」
『うん、会えるよ』
やっぱりか、とほっと息を吐く。
もう慣れたが、心臓に悪い。
早すぎる心臓の鼓動が落ち着いていき、労わるように胸を擦った。
レイラが居なければ何度も死んでいるが、早死にしそうだと少し笑ってしまう。
しかし、レイラはもう一度言った。
『アルベルが死んだら、会えるよ。私は待ってるし』
「……何言ってるのさ」
『さすがにアルベルが生きてる間はもう傍にいられないよ』
「精霊は、生き返るとか、そんなのは……?」
『死んだら生き返るわけないでしょ。多分だけど』
当たり前のように言うレイラに、また激しく動悸が俺を襲う。
息苦しさを感じながらも、俺は取り乱すように声を上げた。
「ちょっと待ってよ、何でそんな飄々としてられるの? 本当にもう会えないの?」
『だから死んだら会えるよ。それに私も少しは悲しいよ」
悲しそうに聞こえない声色だが。
俺は現実から目を背けたい気持ちしかなく、レイラから視線を逸らした。
視界にレイラが映らなくなると、勝手に脳が理解しはじめる。
「なら何で……俺なんかの代わりに」
『だって、アレクに頼まれたから』
いつも通りの回答をするレイラ。
今までも何で俺にここまでしてくれるのと、何度も聞いていた。
その度に返ってくるのは、父の頼みだからの一点張りだった。
父の頼みは、そこまでのものだったのか。
自分の命よりその頼みを優先するほど、父のことが好きだったのか。
レイラに死の概念があったかは分からないが。
『ううん、やっぱり違う。前だったらそこまでしてなかったかな』
「じゃあ、何でだよ……」
『アルベルが好きだから』
耳にすっとぬけていく流暢な言葉でレイラは言い切った。
でも、俺は父よりレイラに愛情を注げてなかったと、自分でも思っていた。
レイラがそう言ったから、気付いたんだ。
もちろん今は違う、俺はレイラの気持ちに釣り合うようにと接するようになった。
でも、その時間は短すぎる。
きっとレイラが過ごしてきた時間の濃さは俺と父とじゃ比べ物にならない。
俺は懺悔するように俯き、目を細めながら口元を動かした。
「俺は父さんより、レイラを愛せたとは、思えないのに」
『そんなの関係ないよ。アルベルはセリアが、自分のこと好きになってなかったらセリアの事好きになってなかったの?』
「そんな訳ない。そんな事、関係ないよ」
『そうでしょ。私はアルベルが好きなの。セリアの事が大好きな、貴方が』
「……父さんよりも……?」
『どうかな、分からないけど、アレクとは違う好きなのかな』
「え?」
精霊に恋愛感情なんてなさそうだ。
レイラが父にどういう感情を持っていたのか分からないが。
精霊の『好き』にどんな違いがあるというのだろうか。
『私はアルベルが生まれた時から、ずっと一緒にいたから』
レイラが抱いているのは母親のような気持ちなのだろうか。
俺はレイラを子供のように感じてしまっていたが。
ずっと見守って、助けてくれていたのはレイラだ。
『悲しいのは、アルベルが死ぬまでの時間も一緒に居てあげれないこと。
アレクの気持ちも、今なら分かったかな』
そんなの、俺だって同じだ。
俺はレイラに助けられ続けてきた。
レイラが居なければ何度も死んでいるし、これからだって……。
「レイラが居ないと、これからやっていける自信ないよ」
レイラを力として、ものとして見ているわけじゃない。
一緒に戦う仲間が、いなくなるのだ。
災厄にも、もう勝てるか分からない。
『大丈夫だよ』
「相変わらずだね……何を根拠に言ってるのさ」
『私が好きになったアルベルは強い子だよ。最近は私に甘えてくれてたけど』
レイラは機嫌が良さそうだった。
意外と精霊の感情の起伏は分かりやすい。
常に一定した声色で淡々と話すから、違う時はすぐに分かる。
俺がレイラに力を借りている時、もしかしてレイラは嬉しかったのだろうか。
『そろそろアルベルの目が覚めるから、お別れかな』
唐突に別れの時間を告げられ、俺は今になって焦り始める。
俺はまだ何も言えていない。
本当にレイラのことが好きだということも、感謝しているということも。
今、深く悲しんでいることも。
「レイラ、俺は……」
『分かるよ、アルベル』
今までで一番心地よく聞こえる声で、俺の名前を呼んだ。
レイラの顔なんてないし、証拠はないが。
きっと俺の想像で描かれた少女は、微笑んでいるだろう。
『これから頑張れ。私はずっと――から――』
レイラが満足気に言葉を紡いでる途中、その黒い空間は消滅しはじめた。
次第にレイラの声が遠くなっていき、視界は神々しく発光し始める。
レイラを視認できなくなるほど真っ白になると、俺の意識は別の世界に飛ぶように移っていった。
「ゴホッ……オエ……」
現実に戻ったと理解するのは、口から大量の海水を吐き出してからだった。
息が整えるどころか胃を埋め尽くしている海水に苦しみ、しばらく水を吐き続ける。
やっと息が吸えるようになると、酸欠で意識が再びなくなりそうになる。
俺の意識を繋ぎ止めるように背中を擦り、耳元で大きな声を出した者がいた
「お兄ちゃん! 大丈夫!?」
エルの大声という貴重な光景だが、さすがにエルを眺めている余裕なんてなかった。
そもそも俺のせいで声を荒げているのだ。
「大丈夫、かな……皆は……?」
とりあえず体が動くのを実感し、地面に横たわってたみたいだが上半身を起こす。
エリシアとルルが介抱してくれて、傷がないか探しているようだった。
とりあえず家族が無事なのは今分かった。
すぐ隣を見ると、びしょ濡れのセリアが横で寝ていた。
はっとすぐにすり寄ろうとするが、規則正しい呼吸音と共に胸が軽く上下している。
そして看病するかのように横についているフィオレを見て、やっと胸を撫で下ろす。
津波に呑まれる前に、クリストが港まで運んでくれたのだろう。
すぐ近くにはびしょ濡れのクリストがいて、
ランドルが腕を組みながらも俺達を見て安堵しているのが分かる。
「二人共、ありがとう。ほんと助かったよ、ランドル、よくあんな海に飛び込んでくれたね……」
「あれぐらい問題ねえよ、というか意識あったのかよ」
「いや、レイラに聞いたんだ」
「なるほどな」
言いながら、実感してしまった。
もしかしたら夢かもしれないなんて思っていた。
逃避するように、様々な理由を探していた。
でも、本当に居ない。
俺を見守って、いつも力を貸してくれた。
あの綺麗で俺の頭上を舞っていた光は、もうどこを見てもいない。
「……」
現実を目にしても信じられない気持ちが強かった。
自然とだらしなく口を開けたまま呆然としてしまう。
「おい、アルベル、どうした」
「レイラが、俺を守って……」
「は? お前の精霊がどうしたんだよ」
クリストが「凄かったなあれ」とか陽気な表情で感心しているが……。
「死んだ、らしい……」
俺の無気力な小声を全員が拾うことはなかった。
聞こえたものは「え?」と理解できずに首を傾げている。
元々見えていたのは俺だけだ、俺でもよくわかってないのだから皆はもっとだろう。
しかしクリストは驚くわけでも怒るわけでもない。
状況を理解できず、皆と一緒に首を傾けることもない。
ただ、焦っていた。
俺の胸倉を掴みそうな勢いで俺に詰め寄る。
顔が近く、俺を見下ろすクリストの髪から滴る海水が俺の頬に落ちた。
静止するエリシアとエルを無視して、クリストが強張った顔で口を開いた。
「冗談だろ? ちゃんと探してみろよ」
「探さなくても居ないことは、分かるよ……」
「意識が戻ってすぐなんだしまだ分かんねーだろ、よく見てみろ」
「……」
俺は視線を動かすことはなく、荒れた地面を見たまま固まってしまう。
本当にレイラが近くにいたら、俺はすぐ分かる。
もうここにレイラは居ない。
俺が力尽きたように動かないでいると、クリストは俺の肩を強く握った。
肩の筋肉を破壊される握力に顔を歪めても、クリストはそのまま俺の肩を揺らす。
その勢いに頭も激しく揺さぶられまた意識がくらっとする。
「おい! 聞いてんのか! お前、精闘気が使えなくなったらこれからどうやって――!!」
エリシア、エル、フィオレのクリストを止める声が聞こえるが。
俺もよく内容が入ってこないしクリストが止まることもなかった。
嫌な事から逃げるように聴覚を閉ざし、死んだように動かなかった。
しかしクリストから放たれる怒声の数々は例え耳を塞いだとしても脳内に入ってくるだろう。
嫌でも事の重大さを理解し、同時に悲しみも溢れてくる。
俺の潰されそうな肩が開放されたのは、目の前からクリストが消えるのと同時だった。
石壁が破壊されるような鈍い音が響き渡ると、俺の目に映るのはクリストからランドルに変わっていた。
「痛えな! ランドル、何しやがる」
「お前が何してんだ。いい加減にしとけ」
クリストが崩れた瓦礫を弾くように体を起こす。
頬が殴られたのか赤く腫れていて、ランドルに向かって怒鳴り声を上げる。
しかしランドルは、いつも通り無表情だった。
その表情のない顔は何故か威圧するようにも感じられた。
険しい表情を浮かべながら押し黙るクリストに、ランドルが口を開いた。
「見ろ。ちゃんと、アルベルを」
二人に視線を向けられると、ランドルは無表情だったが。
クリストは苦い顔をして、俺の顔を見れないのか少し目を背けながらぼそりと言った。
「アルベル、その、悪い……」
俺はそんな酷い顔をしているのかと思い、やっと自分で感じる。
自分でも、びしょ濡れでもう分からなかった。
雫が滴っているのは間違いないが、常に溢れ、流れている部分があった。
きっと海水に濡れていなくても、俺の顔は歪んで濡れていただろう。
「いい……クリストの言ってることは、間違ってない」
涙のわけは、もちろんレイラだ。
レイラが居なくなったと実感し、激しく傷心している。
そして、もう一つは。
もしかしたらクリストにとって、俺はただの精闘気が使える剣士だったのだろうか。
俺はクリストを兄のように思っていた。
一番最初に慰めてくれると勝手に思っていたのかもしれない。
真っ先にこの事を追及され、辛かった。
「あの、皆さん。喧嘩は……」
ずっとセリアの隣にいたフィオレが気付けば立ち上がっていて、言いにくそうにぽつりと。
俺達は喧嘩したつもりはないが。
傍目にはそう見えるかもしれない。
実際は悲しんだ者と、焦った者と、それを止めた者がいるだけだ。
俺は気だるさを隠せないまま立ち上がると、すぐ海の傍だったのか船が見える。
そして驚いたのが、町を呑み込んだと思っていた高い波は、残っていた。
凍り付き、そのままの姿で。
「これ、どうなってるんだ……」
「魔術で凍らせたの。丁度バルニエ王国から来た魔術師が多かったから助かったよ」
さすがに優秀なエルとエリシアとはいえ、この大波を二人で凍らせるのは辛いだろう。
目に入ってなかったが、辺りを見回すと魔力切れか、倒れている魔術師の姿が多かった。
それも皆見覚えのある顔だ。
一緒に搭乗していた魔術師団体の方だろう。
きっと彼らは海竜王を見て逃げるどころか興味深く観察していたのかもしれない。
異常な好奇心だが、助かったか。
襲撃は船を降りてすぐだったから、ある意味タイミングも良かった。
さすがに全域とはいかないが、町のほとんどは波に流されることはなかっただろう。
狙われたのは俺だから、港町が壊滅していたらどれほど傷心していたことだろうか。
死んだ者がいないのを祈るしかない、俺が飛ばされて破壊された建物も……。
復興の手伝いをしたほうがいいだろうか。
その時間はなくとも、いくらか金は置いて行ったほうがいいかもしれない。
そう思ったのだが。
「アルベル、すぐに出るぞ」
クリストが迷いなく言った。
「さすがに俺のせいだから、何とかしないと……」
「ダメだ。どうしても気になるなら町を出て落ち着いたら俺が一人で見に来る。今はとにかく進むぞ」
「セリアの意識もまだ戻らないし、休まないと……」
「アルベル、海竜王の目から災厄が見てたなら、いつここに来るかも分からん。追いつかれたら余計に巻き込むぞ」
クリストが、周囲を見回しながら言った。
確かに、数日後に到着するであろう船に災厄が乗っている可能性も否定できない。
いや、俺達の動向を知っていたのなら当然ともいえる。
「分かった……」
「アル! こんな状態で……」
エリシアから止める声が掛かるが。
母から見れば当然だ。
いまだに全員びしょ濡れだし、セリアは意識がないし、俺達は全員激戦の後だ。
でも……。
「しばらくランドル以外闘気も戻らないし、セリアも多分意識が戻っても体を動かすのは辛いと思う……こんな状況で立ち去るのは辛いけど……」
俺達の育ちすぎた闘気は、一日二日では戻らない。
全ての闘気を使い果たしたし、俺とセリアが通常まで回復するのは一週間は掛かるだろう。
もう経験で、一日でどれほどの闘気が回復するのかは分かっている。
俺達より闘気がでかいクリストなんて、もっと時間がかかるだろう。
ただでさえ精闘気が使えないし、本当にまずい。
俺が説得すると母は渋々頷き、セリアをフィオレが背負った。
今までとは異質な雰囲気だった。
いつもは皆仲が良く賑やかだった。
今は何か、ぎこちない空気が漂っている気がする。
俺とクリスト。
そして俺に声を荒げて詰め寄ったクリストを見る皆の目。
今セリアが起きていれば、全員に一喝して元通りになっていたのだろうか。
分からない。
そして何より――。
こんな時でもいつも穏やかで俺を安心させてくれていたレイラ。
本当に、これからどうなるんだろうか。
俺達は誰も口を開くことはなく、町から去った。
活動報告にて詳しいことを記載しましたが、海竜王編に修正を加えます。
いつも修正ばかりで読者様を振り回してしまい、申し訳ございません。




