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第七十八話「海竜王」

更新時間が遅くなり申し訳ございません!



 三人で空に向かって飛ぶが、やはり状況は変わらない。


 海竜王は自分の強靭な鱗に俺達の剣が貫通するとは思っていない。

 実際、その通りだ。


 俺を殺すことだけを目的とするように、斬りかかるセリアとクリストを無視している。

 つまり俺が捌き続ければ、二人に攻撃が飛ぶことはない。


 そして、俺もそう簡単にやられはしなかった。

 一度食らった尻尾の攻撃だが、あれは初見の予想外の速さに不意を取られた形だった。

 今は、分かることがある。


 海竜王の攻撃手段は、尻尾、ブレス。

 腕は短く、鋭いツメだが脅威にはならない。


 ブレスは一度レイラが防いでくれた。

 この竜に限っては、相手に知性があることに助けられた。

 海竜王には学習能力があった。

 レイラが俺の体から出ないと使えないということを、奴は分かっていない。

 ブレスの攻撃を続けられたら厄介だが、海竜王がそれを使うことはなかった。


 つまるところ、やばいのは尻尾だけだ。


 尻尾だけに集中していれば、さっきのように簡単に食らうことはない。

 問題は空と海で戦っていることだ。

 海竜王が攻撃をする度、次第に海面に近付いているとはいえ地面はない。


 海上では闘気のコントロールも難しいし、何より闘気が減るのだ。

 この竜がまさか体力切れだとかで動けなくなることはないだろう。

 早く勝負を決めないと、ジリ貧になるのはこっちだった。


 そして、拮抗を破ったのはセリアだった。

 

 鱗を斬っても意味がないのは分かっている。

 だが、海竜王の全身は強固な鱗で包まれていない部分はない。

 と思われたのだが、セリアは海竜王に頭に飛び乗った。

 

 そして竜の一部分に狙いをつけると、迷いなく斬った。


『ガアアアッアアァァッ!!』


 初めて、魔物らしい悲鳴を上げる竜。

 その咆哮だけで海は揺れ、大気がビリビリと震える。

 脳を揺さぶられる感覚に必死に耐えながらも、セリアに目をやる。


 海竜王は痛みに悶えるように激しく頭を振ると、さすがのセリアも振り落とされた。

 

 だが、状況は動いた。

 目を潰せば、勝機はあるか。

 俺が攻撃を回避し続けていれば、セリアとクリストがやってくれる。

 

 最終的にどうやって倒すかは、両目を潰してから考えればいい。

 災厄にも見られているはずだし、その事を考えても視界を閉ざすほうがいいだろう。

 と思ったが、そう簡単にはいかないようだった。


 今まで俺以外構いもしなかった竜王だが、セリアとクリストにも激しい敵意を持った。

 俺以外に視線を向け、ブレスを吐く。

 海上にいたセリアはかなりの距離を飛び回避する。

 その冷気は凄まじく、遠く離れていた俺の海面まで凍りつく。


 これは、助かる。


 海面にかなり大きい足場が出来た。

 これを使えば闘気も減らないし、海面より動きやすい。

 

 狙いが俺以外にもいったことは、助かることだった。

 俺の信頼する仲間は、簡単にはやられない。

 一番火力のある俺も攻撃に参加できる。


 俺は海竜王に飛び掛かると、セリアと同じように頭に飛び乗ろうとするが。

 さすがに二度目はうまくいくはずもなく、海竜王は顎を動かしながら俺を噛み砕こうと大きく顎を開いた。

 鋭い牙が見えると同時に至近距離で口内が映り、ようやく気づく。

 口内に、硬い鱗があるわけもない。


 本来ならやばいと思う状況かもしれないが、俺は迷いなく剣に闘気を集中させ、口内に闘波斬を打ち込んだ。

 喉元に刃が疾走すると、海竜王は再び悲鳴の雄たけびを上げた。

 至近距離で聞いてしまった声量に、鼓膜が破れたのか、耳が壊れる。

 痛みと共に、片耳から音がほとんど聞こえなくなる。


 おびただしい量の血を吐き出す海竜王から一旦距離を取る。

 状況は、どうだろうか。

 ぱっと見はかなり優勢になったように見えるが。


 多少傷付いたところで、簡単に倒れるような竜ではないだろう。

 首だけになっても噛み付いてきそうな敵だ。

 

 それにもう二度も闘波斬を使い、闘気も減り続けている。

 それはセリアとクリストも同じだろう。


 優勢とは、とてもいえないな。


 でも、攻撃が一切通らないと絶望していた時よりも進展はしている。

 

 俺達が思ったのは同じことだろう。

 僅かながらの、勝機。

 口内からでも、目でも、少しでもダメージを蓄積させていけば何とかなるかもしれない。

 相手の攻撃もワンパターンだし、きっと捌き続けれる。


 そう、思っていた。


 頭上から血を垂れ流しながら声を放つ海竜王は。

 今まではただ馬鹿でかい闘気を纏っていただけだったが。

 一部に青い闘気が集中していく。

 そこは尻尾だった。

 そのまま尻尾を振り払う。


 ――海竜王の闘気が、飛んだ。


 それは俺達が放つ闘波斬とは比べ物にならないほどの大きさ。

 すぐに闘波斬の応用の攻撃だと理解できた俺達は思考はせず、とにかく大きく飛んだ。


 海が切断され海底まで斬り裂き、津波が起こるように海面が跳ね上がる。

 激しい飛沫と波が俺達を襲うが、さすがに海面を走れる俺達が呑まれることはなかった。


 だが――


「異常だろ……」


 俺は険しい表情を隠せず、愚痴を吐くように呟く。

 俺の隣で驚愕の表情を浮かべていたクリストだが。

 次第に普段の顔に戻っていくと、ぼそっと言った。


「竜王とはいえ、魔物が闘波斬の真似事をするとはな……剣士だったら才能あっただろうな」

「馬鹿なこと言ってる場合かよ」

「いや、見てみろよ。あいつ、今ので結構な闘気を使ったぜ」


 そう言われて、俺もはっと気付く。

 馬鹿みたいに驚いていただけだったが。

 回避できたのなら、相手は闘気を消費しただけだ。

 あの異常な闘気も……と希望が見えるが。

 いや……減ってはいるがやはりまだやばい程巨大なのには変わらない。

 

 でも、今なら。


 あの鱗を、斬れるか?

 遠目でセリアを見ると、俺の視線に気付いたのか、すぐにこくりと頷く仕草を見せた。

 

 いけるかもしれない。


「俺が斬る!」


 俺が怒鳴りながら再び飛び上がると、海竜王は当たり前のように俺に獰猛な尻尾を振り回した。

 

 俺は足裏に闘気を開放し、空中を蹴るように尻尾を回避する。

 そのまま海竜王の腹を、鳴神に闘気を集中させ、斬った。


 硬いが、初めて鱗に弾かれる以外の感触が俺の手にあった。

 まるで鉄を斬ったような感覚だが、剣は通った。

 だが。


 その分厚い鱗に包まれた皮膚の薄皮までしか、俺の鳴神は届かなかった。

 ほとんど鎧だけを斬る感覚に、俺は歯を強く噛み締めた。

 血が噴出すわけでもなく、ぱっと見は鱗に傷がついているぐらいにしか見えない。


 これを知ってしまったらまた勝機が見えなくなり、どうすればいいか分からなくなる。

 鱗が斬れるようになっても、ダメージが与えられないなら意味がない。

 闘波斬に賭け、全ての闘気を刃に乗せるのは一か八かすぎる……。

 もし回避されたら、殺しきれなかったら。

 その時は俺達はお終いだ。


 しかし諦めたまま空中で隙を見せ続けるわけにもいかない。

 俺は再び空気を蹴ると、次は海面に向かって飛んだ。


 姿勢を変えて上空を見ると、信じられない光景があった。

 

 海竜王は俺より少し遅れて飛んだセリアとクリストに視線をやっていた。

 二人は攻撃をまとめて食らわないように左右に別れているが。

 海竜王はクリストに向かって尻尾を薙ぎ払う。

 クリストはその尻尾に合わせて、全力の闘気で剣を突き刺し、しがみつくように海竜王の尻尾に掴まった。

 クリストの剣も、あの鱗に通る。

 尻尾の動きが止まると、クリストはそのまま巨体の背中に飛び、首元を目指した。


 海竜王はクリストに意識を集中させ暴れ、セリアを警戒しなかった。

 セリアはそのチャンスを逃さず、剣に闘気を乗せた。

 すぐに理解する、これは、全力の闘波斬。

 勝負を決めようとしているのか。

 クリストが海竜王に乗り首元を狙い、セリアが全力の攻撃を放とうとしている。


 もし失敗すれば、取り返しのつかない事態に陥るが。


 セリアの判断は間違っていない。

 俺達は戦い続ければジリ貧なのだ。

 チャンスがあればそこに賭けたほうがいい。

 

 ここでやるしかないと、俺も覚悟を決めた。


 俺は海面に着地したまま、自らを包む全開の精闘気を鳴神に集中させた。

 真っ黒のはずの刀身が、白く輝いていく。

 

『アルベル、いいの?』

「ここで決めないと、もう勝てない」

『……分かった』


 左腕を形成していた闘気すらも剣に乗せ、片手で構える。

 俺とセリアの闘気の流れを見て理解したのか、クリストも首元から飛び、更に上空に位置どった。

 クリストも全開の闘気を剣に乗せる。

 その巨大な闘気を剣に移動させる速さは、まだ俺とセリアでは辿り着けていない領域。


 遅れたはずのクリストも、俺達と同時に剣を振った。


 海竜王の下、上、横、三方向から、俺達の全力の刃が襲い掛かる。

 

 その刃を海竜王に回避する術はなかった。

 俺達の闘波斬は、とてつもない速さで疾走する。

 全てを引き裂こうとする巨大な刃が海竜王の体を。


 斬った。


『ガアアアアッァッアアァ!!!』


 悲鳴を上げ、辺りにどす黒い血が舞い、海が真紅に染まっていく。

 首が半分以上裂け、胴体は腹下から首に向かって縦に斬られ、片腕は斬り裂け、遠くへ飛んでいった。


 瀕死の状態だ。


 一見勝利したようにも見えるが。

 これは……。


 俺はすぐに海面じゃなく海竜王が作った氷の床に移った。

 それは俺だけじゃなく皆も同様で、全員が同じ所を目指した。

 俺はギリギリだったが、クリストは最後は沈んでしまい、少し泳いで俺の足元にしがみ付いた。

 すぐに腕を取り引き上げると、全員で息を整える。


「これ、どうなのよ……」


 セリアが、闘気の負荷で膝をつきながら言った。

 今も激痛がセリアを苦しめているだろう。

 すぐに横にして休ませてあげたいが……。


「分からない……このまま力尽きてくれなかったら……」


 俺達の能力は、もう闘気を纏えない一般人とそう変わらない。

 海面に立つこともできなければ、フィオレにもやられてしまうかもしれない。

 ランドルなんて、三人掛りで挑んでもぼこられるような状態。


 俺とセリアが固唾を呑んでいると、びしょ濡れのクリストが頭を振り飛沫を飛ばし口を開いた。


「ランドルは……あの装備じゃ泳いでこれねえだろうな。水上の闘気の使い方、教えとくべきだったな……」


 今ランドルが来てくれれば、俺達はそれはもう歓喜の声を上げるだろう。

 ランドルの攻撃で鱗を裂けるかは分からないが、晒した傷口を更に抉ることはできるだろう。

 だが、ランドルの鎧ではさすがに泳ぐのは不可能だ。

 剣に変えたといってもそれはまだ訓練中で、さっきも海竜王との戦いでは斧を使っていた。


 確かに、教えといたらよかった。

 こんな事になるとは思っていなかったのだ。

 船に乗っている間、海が辺りにあるのだからと考えもしたのだが。

 稽古の一貫とはいえ船から飛び降りるのはいかがなものかと、常識的なことを考えてしまっていた。


 クリストのように、もっと適当に考えておけばよかった。


 そして、海竜王だが。

 逃げてくれればと思うが、それはないだろう。

 こいつは力尽き、亡骸になるまで殺意を剥き出しにしているだろう。

 無力となった俺達を絶対に殺そうとするはずだ。


 もう、奴が傷のせいで死ぬのを願うしかない。

 そう思った時、クリストが言った。


「精霊の力で何とかできないか?」


 確かに、レイラは魔術を使える。

 実際、もう俺の体内から出て、俺の頭上を飛んでいる。

 闘気を使い果たし融合する意味もないので、きっとブレスの警戒をしてくれているんだろうが。


「レイラ、どう?」

『やってみる』


 レイラは即答すると、詠唱を唱えた。

 エルの口から聞いたことのない魔術だったが。

 中級の風魔術なのだろうというのは、俺達を吹き飛ばすかのような風で分かった。

 暴風が吹くと共に、風の刃が海竜王に向かって疾走する。

 海竜王の鱗は、俺達の全力の闘気でやっと斬れたほどの強度だが、レイラは裂けた首を狙った。

 しかし海竜王は血を噴出しながら頭を振り、顔の鱗に激突させた。

 鱗を斬れるわけもなく、レイラの風の刃は散っていった。


「厳しそうだね……」

『中級の魔術じゃ、無理だね』


 きっとレイラの篭めた魔術は中級とはいえ、とてつもない威力なのだろう。

 それがだめなら、厳しいか。


 しかし海竜王も瀕死の状態だ。

 いまだ両翼を不規則に動かし醜く滞空してはいるが俺達に襲い掛かることもなく、死んだように浮いている。

 このまま、墜ちてくれないか。

 その衝撃で俺達は海に飲まれるだろうが、死ぬことはないと思う。

 

 俺達が祈るように竜に視線を向けていると、海竜王は死に際の咆哮をあげることはなかったが。

 唸るような甲高い嗚咽と共に血を吐き出した。


 さすがにこの化物といえども、死ぬのか?


 その頭の重量のせいで、首が更に裂け始めている。

 もしかすれば、自然に首が落ちるかもしれない。

 海竜王も敗北を悟ったかのように諦めてるように見える。


 勝ったか。


 そう、思ったのだが。


 海竜王は纏っていた巨大な闘気の全てを一点に集中させていく。

 これは、やばい。

 さっきの応用を見せた時とは、わけが違う。

 俺達と同じで、本当に全ての闘気を乗せている。


「アルベル! 動け!」


 クリストが固まっている俺に怒鳴り声を上げる。

 俺より先にクリストがセリアを強引に脇に抱えるように持ち上げる。

 セリアが乱暴に掴まれ痛みが激しいのか、苦すぎる表情を隠せなかった。

 それを見て、我にかえった。

 動くって、どこへ。

 どこに逃げられる場所があるんだ。


 でも、一つだけ考えたことは。


「二人は行って、くれ……」

「何言ってんだ! 受けれるわけないだろ!」


 そんなの分かってる。

 でも狙いは俺だ。

 俺が二人と共に動けば、絶対に全員死ぬ。

 俺がここに立ち止まっていてクリストが今から全力で陸まで泳げば死ぬことはないかもしれない。

 もちろんクリストもだが、セリアが死んだなんて想像すると震えが止まらない。

 納得してくれないのは分かっているが。

 もし、クリストが納得してくれるとしたら、一つだけ。


「ラドミラさんが言うには、ここでは死なないんだろ……頼む、セリアは絶対守ってくれ」

「アル……」


 もう耳もあまり聞こえなさそうで、セリアはクリストに抱えられたまま呻くように俺の名前を呼んだ。


「大丈夫だよ、信じて」


 強がりを言うが、俺も何を信じていいのか分からなくなっていた。

 希望は一つだけ、ラドミラの、災厄と戦う日がくるという言葉だけだ。


 セリアの返事はなく、再び顔を向けるとセリアの頭がだらんと下がっていた。

 表情も見えないが、意識を失ったのだろう。

 

「クリスト、もしセリアが死んだら、俺はもう戦えなくなる」


 きっと、全てを投げ出してしまうだろう。

 それがどんなに罪深いことだとしてもだ。

 クリストは厳しい表情を作りながらも、頷いた。


「お前は死なない。セリアも、俺もな。予見の霊人はきっと、何かを見たはずだ」

「今はそれを信じるよ」


 そんな気持ちで戦ったら死ぬと言われたが。

 今まさに、死を回避できそうにない状況になっている。

 ならば、この先にきっと何かがあるはず。

 もしかしたら、あの闘気が放たれる前に首が落ち、絶命するのかもしれない。


 いや、今思えばそれしか考えられない。


 クリストが氷の床を走り、港へ向かって走っていく。

 すぐに海を泳ぐことになり、セリアを背負いながらも激しく泳ぐ水の音が聞こえる。


 海竜王は闘気のコントロールなんて初心者だ。

 そのくせ闘波斬のような技を使ってきたが、あの馬鹿でかい闘気を一点に集中させるのには時間を食っている。

 まだ、その時は訪れないが。

 もしかして、時間が掛かりすぎて死ぬんじゃないか?


「レイラ、どうなるんだろ」

『そんなの分かんないよ』

「そうだよね……」


 短い会話が終わると、海竜王の闘気は全て尻尾に集中していた。

 今なら、少しの闘気さえあれば簡単に殺すことができるのに。

 歯痒い思いをするが、俺はラドミラの見た何かを信じながら海竜王を見続けた。


 そして、訪れた現実は。


 尻尾を振ると同時にその衝撃で首が飛び、海面へ墜ちていく巨大な竜の亡骸と。


 俺に迫る、死の闘気だった。

 驚愕に目を見開き悲鳴を上げそうになるが、この現実を理解できないで固まってしまう。

 時間が止まったと思ってしまうほど極限の状態で、死の間際のように様々な思考が廻る。



 あれ、これ避けれないけど。

 絶対死ぬんじゃないの。

 もしかして、ラドミラの導きに安心してないで、何か行動を起こさないとだめだったのではないか。

 勝手に尻尾を振って死んだ竜だ。

 行動を起こせば、この前に倒せてたんじゃないのか?

 でも、飛ぶことも何もできなかったし、やっぱり無理だよな。

 俺が死んでも、災厄は大丈夫なんだろうか。

 本当はここで俺が死んで、誰かが災厄を倒すのか?



 一体。

 ラドミラは、何を見ていたのか。


 そんな考えをしたのは、一瞬だろうか。

 大気を切り裂く闘気の刃が俺の体に迫る一瞬手前。

 

 俺は、その一瞬でしっかりと声を聞いた。

 この感覚は二度目。

 初めて聞いた時は、理解できなかったが。

 今となっては、聞き慣れた心地良い声だった。


『慈悲に満ちる風よ、大気よ、鎧を傷つけるものは皆無、全てのものを拒絶せよ――』


 初めて聞く、長い長い詠唱が紡がれていく。

 ここは違う世界なのではないかと思うほど、時間は止まっていたように感じた。

 現実に戻ったと気付くときは。


天翔壁(エア・ヴェール)


 俺と刃の間に壁ができた。

 暴風が吹き荒れ、全てのものを吹き飛ばすように、俺の周囲の氷の足場が吹き飛んでいく。

 しかし俺の体は、俺の足元だけは無事だった。


 海は荒れ、クリスト達がどうなったかなんて想像もできない。

 港町は津波で酷いことになると思う。

 

 だが、そんな事よりも。

 

 この超常現象は、風だ。

 分かっている、この風はいつも俺を守ってくれている風だ。

 レイラは、こんな力を持っていたのか。

 こんな異常な攻撃を防げるような、力を。


 周囲が荒れる中、俺は確信していた。

 ラドミラが見たのはこれだ。

 レイラが俺を守ってくれるという未来を、きっと見たのだ。


 もっと最初から使ってくれればいいのにと、言いたい気持ちもあるが、今は感謝だ。

 俺はレイラを信じ、安心して風壁の中で佇んでいると、闘気の刃は散った。

 海を更に深く染めるように、青い闘気が散開し周囲を舞い、次第に消えていった。


 それと同時に風は消え、暴風の世界からただの荒波が起こる海面の空間が出来上がった。

 

 俺はずっと呼吸を止めていたのか、息があがっていた。

 それでも興奮を隠しきれず、レイラを称えた。


「レイラ、凄いね……ほんと、助かったよ」


 しかし、レイラから返事はなく俺は頭上を見上げる。

 そこに不思議な光景はなかった。

 海竜王はもういないし、見慣れた燐光がある。


 さすがにすごい魔術だったし、疲れて返事できないのかな。

 そう思いレイラに手を伸ばし、触れたと思った瞬間。


 レイラの白く輝く光が散開し、小さくなり、舞った。

 その小さな光が消えると、異様な感覚を覚える。

 常に一緒にいた、もう体の一部のようなものが、無くなった感じ。


「え?」


 理解できずに声をあげて、気付く。

 いきなり辺りが陰るように、暗くなった。

 はっと上を見上げると、とてつもない高さの波が、俺を飲み込もうとしていた。

  

 小さくなりすぎた足場から回避する術などなく、俺は波にのまれた。


 海水を思いっきり飲んでしまい悶えるが、荒れた海の中で、今の俺は無力だった。

 体は沈んでいき死を感じるより前に、俺の意識は消えていった。


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