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第七話「セリアの誕生日と迷い」


 ガンッゴンッと木刀がぶつかり合う音が、風と共に早朝に響き渡る。


 俺の正面でサラサラの金髪を揺らしながら木刀を振る少女。

 その少女は出会った頃より美しく成長していた。

 顔も体も剣術も。


 少女は闘気を集中させた足で踏み込み一瞬で俺との距離を詰める。

 木刀を振りながら下半身から上半身に闘気を移動させた。

 俺もその流れをトレースするが、やはり少女の速さには敵わない。

 一瞬遅れて俺も闘気を腕のほうに移動させるが少し遅かった。

 完全に闘気を移動させれなかった俺の木刀は、少女の横から薙ぎ払う攻撃に力で負け、木刀と一緒に腕ごと持っていかれて姿勢を崩した。

 焦って体勢を立て直そうとするが、そんな隙を見逃す少女ではなかった。

 地面についていた足を俺の手に向かって綺麗に垂直に蹴り放った。


 闘神流体術蹴り払い。


 その蹴りは俺の手に直撃し、握っていた木刀が宙に舞った。

 そのまま流れるように俺の首先に木刀を振り、ギリギリの所で寸止めした。

 以前ならばその木刀は止まることなく、俺の体はぶっ飛ばされていたことだろう。

 少女は俺の首先から木刀を離すと、一歩後ろに下がって満足気に微笑んだ。


「ふぅー……まだまだセリアには敵わないな」


 俺も以前に比べればかなり強くなったが。

 未だセリアに追いつくことはできなかった。

 出会った時のセリアよりかは強くなった自信はある。

 俺が走っているスピードと同等のスピードでセリアも走り、成長しているのだ。

 彼女はスランプとかになったりしないのだろうか。


「そんなことないわ、アルに負けないように私も必死なのよ」


 俺にとってはかなり嬉しい言葉だった。

 セリアがお世辞なんか言えないのを知ってるから。

 俺としては少しくらい油断してもらいたいものだが。

 二人で話していると、少し離れた所から俺達を見守っていたイゴルさんが近付いてきた。


「アル、頭で考えてしまう癖はなくなってきたな」


 セリアには負けたが意外にも褒められた。

 これはかなり珍しいことである、基本的に怒られることばっかりだ。

 飴と鞭の比率で言えば飴が少なすぎるので、こんな言葉でも嬉しいのだ。


「はい、相変わらず一本もとれませんけど」


 そう言い苦笑いした。

 初めのころから入れると頭で考えるなと千回くらい言われた気がする。

 頭で考えず無心で相手の動きに合わせて体を動かせるようになれと言われても、前世は日本人だ。

 まず考えてしまうのは仕方ないだろう。

 それにまだ完全ではないし、改善され始めたのも最近だ。


「まぁ仕方ないだろう。

 セリアのほうが早くに剣術を始めてアルよりも年上だしな。

でも今のセリアと打ち合える奴もなかなかいないぞ」


 そう言って俺の肩を叩いた。

 イゴルさんは俺にはこうしろあーしろと教えてくれるが。

 セリアにはほとんど何も言わなくなった。

 相変わらずセリアがイゴルさん相手に一本とることもないようだが。

 もう口で教えるような場所にセリアはいないのだろうか。

 この数年でセリアも異常なら、イゴルさんの強さも異常なのだとわかった。


 もちろん強い剣士ということはわかっていたが。

 自分が成長していくとイゴルさんの底が知れない強さにも気付いていた。

 結婚するまでは冒険者だったらしいし、やはり実戦経験の差だろうか。

 一度偶然水浴びしているところを目撃したことがあったが、体は傷だらけで歴戦の戦士のようだった。


「さ、そろそろ終わるか、みんな待ってるぞ」


 そう言って後ろを見るといつもと同じ場所で座って見ているエルの横に、エリシアとルルも座っていて笑顔で手を振っている。

 

 今まではぼこぼこにされるばかりだったので、エリシアに心配させないように見にこないでと言っていたのだが、もうそろそろ良いだろうと。

 セリアも寸止めできるようになったしな。

 まぁエリシアはエルを通じて俺が稽古中痣だらけになっているのを知っていたようだが、それを見てしまうのではまた違うだろう。

 

 今日はエリシアが休みの日で、大事な日だったので呼ぶには丁度よかったのだ。

 この世界に転生してから八年が経過していて、俺は八歳になっていた。


 今日は大事な日、セリアの十歳の誕生日だ。





 稽古が終わると俺達はお互いの家族総出の六人で我が家に向かって歩いていた。


「ほんと驚いたわぁ、アルもセリアちゃんもすっごく強いのねー」


 そう言って二十台後半に見えない癒し系の美しい美貌で微笑んでいた。

 

「僕はまだまだだよ、いつまで経ってもセリアに勝てる気しないし」


 はぁ、と少し溜息を吐く。

 そんな俺を見てセリアは口を挟んできた。


「そんなことないわよ、八歳の時の私が戦ったら多分アルに勝てないもの」


 そんなことを言ってくれる。

 意識したことはないがそうなんだろうか? そうだといいが……正直自信はない。

 

 セリアを見ると、彼女は美しく成長していた。

 髪は相変わらず肩に掛かるくらいの長さでよく似合っている。

 俺としてはこんな綺麗な髪なら長くしても似合うだろうなと思うんだが。

 髪が長いと剣術の邪魔なんだろうか。

 

 一番変わったなぁと思うのは、ほとんどぺったんこだった胸が膨らんできて少し服の下から主張し始めていることだ。

 転生したばかりの頃は小さい子を見ても何も思わなかったのだが。

 俺も赤ん坊からやり直したこともあって少し意識してしまう。

 その成長途中の胸を思わず眺めてしまう。


「ん? どうしたのよ」


 そう言って俺の顔を覗きこんできた。

 

「い、いや! なんでもないよ!」


 少し取り乱しながら誤魔化す。

 君の胸が気になってたんだ、なんて言えるわけもない。

 俺の視線の先に気付いてないようでよかったが。

 セリアはえー? と言っていたが無視だ。

 しかし斜め後ろを歩いていた父親は。


「へぇー?」


 と、ニヤニヤとしながら俺を見ていた。

 さすが同じ男だ、しっかりとバレている。

 この人ほんと剣術してる時とのギャップが激しすぎないか。

 というか娘をそんな目で見られていいのかよ。

 未だ詰め寄ってくるセリアに向かって


「ほ、ほんとになんでもないから……」


 そう言って少し下を向いて歩いていると


「お兄ちゃん?」


 綺麗な銀髪を腰まで伸ばし、どんどんエリシアに似ていく可愛い妹の姿が映る。


「どうしたんだいエル」

「お兄ちゃん、なんか変」


 そう言って少し赤くなった俺の顔を見つめていた。




 家に着くとルルとエリシアがばたばたと準備を始めた。

 エルもちゃんと手伝いをしている。

 今日はごちそう作るわよーとエリシアは張り切っているようだ。


 そもそも家でセリアの誕生日会をしようと言い始めたのはエリシアだった。

 イゴルさんにもいつもお世話になってるしーと、最初セリアは誕生日なんて別にいいのに、と言っていたが、エリシアが押し切った。


 この世界は毎年誕生日を祝う風習はないのだが。

 十歳と十五歳の誕生日は祝うようだ。

 十歳で半人前、十五歳で一人前ということらしい。

 前世から考えるとありえないことだが、十歳から働き出す子供も結構いる。

 まだ小学生だぞ……とツッコミたくなる。


「すまんなー手伝いもせずにくつろいじゃって」


 イゴルさんが椅子に掛けると奥で料理の準備をしているエリシアに声を掛ける。

 

「いいんですよー。セリアちゃんとゆっくりしててくださいねー」


 エリシアも手を動かしながら声だけで返事する。

 ふむ、俺もゆっくりさせてもらうとしよう。

 どうせ何もできないし。


 それにしてもこの三年で親である二人の関係もかなり砕けたものになっていた。

 まぁ、傍目に見てると結構お似合いだよな。

 イゴルさんは男の俺から見てもイケメンだ、エリシアの美貌にも劣らない。

 しかし、再婚します! なんてことはまずないだろう。

 お互いもう亡くなった相手をまだ想っているようだし、お互いそれが分かってるから仲が良いんだろうな。



 セリアはというとそれはもう暇そうにしていた。

 俺は借りるのも数回目になる魔物の本でも読んでいようと思ったが。

 やっぱりやめておこう。

 俺は抱えていた本を机にそっと置いた。


「セリア、待ってる間勉強でもする?」


 そう言うとビクッと一瞬体が跳ねる。

 そんなに嫌なのだろうか。

 セリアも三年でかなり読み書きができるようになったが、まだ完璧ではない。

 本人はもうここまでできたら十分よ! なんて言っているのだが。


「い、いい……アルは本読んでたらいいじゃない」


 そういい机の上に置いた本に視線をやるが。


「気が変わったよ。

 せっかくもうすぐ読み書きも完璧になるしやっとこうよ。十歳の記念に」


 俺はそう言って紙と書くものを用意してセリアの隣に座った。

 紙を広げるとセリアは「イーヤーー!」と凄い力で俺の手を押してくる。

 だがそこは俺も鍛えてるので押し返す。


「誕生日は勉強しないって決めてるの!

 もうほとんどできるからいいじゃない!」


 誕生日なんてどうでもいいと言っていたのに苦しい言い訳だ。


「だめだめ、それにちゃんと復習しないとセリアすぐ忘れちゃうでしょ」


 しばらく言い合ったが、結局セリアが折れて机と向かい合った。

 そんな俺達をイゴルさんは微笑ましそうに見ていた。



 


 日が落ちて辺りがだんだん暗くなると、料理が運ばれてきた。

 みんなで席に座ると、一斉に声を出して


「「セリア、誕生日おめでとう!」」


 あまり大きいとはいえない机を六人で囲んで少し窮屈だが。

 賑やかなパーティが始まった。

 誕生日なんていいと最初は言っていたセリアも満更でもなさそうだ。

 普段より豪華な料理を見て嬉しそうにしていた。

 イゴルさんは我先にとうめえうめえと言いながら料理にがっついていた。


「ほんと美味しそう……野菜なんて食べるのいつぶりかしら」


 セリアがぼそっと呟いた。

 え?


「えぇー!? セリアちゃん普段何食べてるのぉ!?」


 エリシアが驚きの表情を隠さないまま大声を上げた。

 セリアは驚かれている意味が分からないといわんばかりに混乱していた。


「え? 肉だけど…」


 俺も思わず口を挟む。


「肉……だけ?」

「そうだけど」


 その言葉にエリシアはガーンと効果音がでそうな悲壮な顔をしていた。


「イゴルさん?」


 そして癒し系の顔で静かに微笑み怒っていた。

 これは…長くなるぞ。


「い、いやぁーちゃんと腹いっぱい食わしてりゃ大丈夫だろ!」


 口いっぱいに詰め込んだ料理を飲み込むとそんなことを言っていた。

 栄養とかそういう言葉は知らないんだろうか。

 セリア、肉だけでよくそんな美しく成長したな……。


「だめですー! ちゃんと野菜もとらないとー」


 イゴルさんに説教するエリシアにルルも加わり始める。

 俺達は大人を無視して楽しく喋りながら料理を食べた。



 大量にあった料理もなくなっていく。

 しばらく談笑した後、イゴルさんがセリアに向き合った。


「セリア、十歳のお祝いだ」


 そう言うとセリアに短刀を差し出した。

 短い鞘から抜くと、刀身がキラリと綺麗に輝いていた。


 これは……相当いい物だろう。

 だがセリアはそんなに嬉しそうにはしてなかった。


「でも私多分これ使わないけど」


 高価なプレゼントにそんなこというもんじゃない! と言おうと思ったが。

 確かにセリアのスタイルでは使うことはなさそうだな。

 剣にうるさいイゴルさんが何故だろう。


「これはお前の母さんの形見だ、お前が持ってろ」


 なんとなく意味がわかった。

 大事な物をセリアに託す。


 イゴルさんはセリアにお前はもう一人前の剣士だと。

 遠まわしだがそう言いたいのではないだろうか。

 セリアも意図を汲んだのか、母親の形見だからか。

 刀身を鞘に戻すと目を閉じて大事そうにぎゅっと抱きしめた。





 目が覚めると、部屋は真っ暗で、無音の世界だった。

 いつの間にか寝てしまっていたようだ。

 

 上半身を起こすと、すぐ隣からすぅすぅと寝息が聞こえてきた。

 エリシアとエルか、と思う間もなく。

 差し込んだ月灯りで照らされた髪は金髪で、キラキラ輝いていた。


「……セリア?」


 驚いてびくっとベッドを少し揺らしてしまう。

 すると、規則正しい寝息が止まりセリアの目が少し開いた。


「アル……? きゃ!」


 珍しく可愛らしい声を上げてセリアは上半身を起こして少し俺から距離を取った。

 しかしベッドは小さく、以前として距離は近いままだった。

 こんなベッド狭かったか? と思い周りを見ると。


「ここ……ルルの部屋か」


 多分誕生日会の最中に俺とセリアは寝てしまったのだろう。

 眠くなるのは当然だ、その日も朝からみっちり体動かしてたからな。

 ルルはどこで寝ているんだろうか、想像すると少し申し訳ない。

 しばらくするとなんとなくセリアも状況が理解できたのか。

 少し赤い顔をして俯いていた。


 なんで俺とセリアが一緒のベッドで寝かされているのだろうか。

 多分運んでくれたのはイゴルさんだと思うが、どういう神経してんだ。

 エリシアも何も言わなかったのだろうか……。

 混乱したまま、ちらちらと赤面しているセリアを見てると、セリアが口を開いた。


「ねぇアル、これの意味がわかる?」


 そう言って寝ている間も抱えていたのだろう、手の中の短刀を見せてきた。

 ちょっと予想外の話だった。


「うん、わかるよ」


 そう言うとセリアは少し微笑んだ。


「私ね、すごく嬉しかったの。

 今まで私の目指してたものに反対されてた気がしてたから。

 でも、認められたのかなって」


「ん……? それってどういう」


 俺が話し終わる前にセリアは続けた。


「ねぇ、アルはなんで剣術をしようと思ったの?」


 いつになく真面目な表情でセリアは言った。

 彼女の綺麗なエメラルドグリーンの瞳は暗い部屋でも輝いていた。

 俺はしっかりセリアのその美しい目を見て答えた。


「エルに母さんにルル、大事な人たちを守れたらいいなと思ったんだ……それに」


 セリアに憧れたから。

 それを口にするのは恥ずかしく、伝えることはできなかった。


「それに?」

「ううん、なんでもない」


 誤魔化すと、そっかとセリアは言って


「私はね、剣士として有名になって、闘神流の評判を上げて、

 いつかはまた闘神流の道場を開きたいの」


 途切れ途切れになりながら、セリアは言った。

 俺は心臓が締め付けられ、鼓動が早くなった。

 そして、とてつもない悲しい気持ちに包まれた。

 それはつまり、いつかセリアはこの町から旅立つ日が来るということなのか。

 悲しいのは、俺はなぜか、セリアとずっと一緒にいると思い込んでいたから。


「そう……なんだ……」


 彼女が剣術を懸命にやっている所を知ってるがゆえに、本当なら俺は彼女の気持ちを応援してあげないといけない。

 でも俺が上げた声は小さく、頼りなく、情けなかった。


 セリアは少し顔を上げて俺と目を合わせると一切そらすことなく見つめていた。

 時間が止まったような気がした。

 何分、何秒止まっていたかは分からない、セリアが口を開くと時間は動き出す。


「もし、私がこの町を出る時がきたらその時は、その……」


 セリアが何を伝えたがっているのかは分かった。

 最後まで言えない理由も。

 俺が剣を振る理由を知ったセリアはその言葉は言えない。

 俺と同様、セリアも俺が真剣に剣術をしていることを知っているのだ。

 その言葉は俺が言わないといけない。


 でも、俺はその決断ができるのだろうか。

 エリシアにエルにルル、俺の宝物だ。

 診療所の皆もアスライさんもだ。

 この町の大切なものを置いて俺は行けるのだろうか。

 

 俺に対してこんなことを言ってくれるセリアを一人で行かせられるのだろうか。


「セリア、僕は……俺は……」


 いくら考えても答えはでなかった。

 セリアは下を向いてしまった俺を見ると。


「ごめんなさい! 忘れて! アルは何も気にすることないんだから!」


 いつもの大きな声でそう言うとセリアは微笑んでいた。

 俺にはそれがとても悲しい顔に見えた。


「ほら、もう寝ましょう」


 そう言ってセリアは横になって枕に頭を乗せた。

 俺は何も考えれなくなると、枕にセリアと頭を合わせるように仰向けになる。

 セリアはもう寝てしまっただろうか、分からない。

 

 その日、俺はいつまでたっても眠れなかった。

 いくら考えても答えはでなかった。



 年が経つと、俺はこの日のことを深く考え直す時がくる。

 この日、答えが言えていれば少しは未来が変わっただろうか。

 後悔しないで済んだだろうか。


 俺も一緒に行くよと。

 そう言えていれば。





 いつの間にか寝てしまっていたらしく、差し込む朝日の眩しさで目が覚めた。

 

 横でセリアが寝ていると思うと、緊張しながらゆっくりと目蓋を開けた。

 恐る恐る横を見ると、セリアの姿はなかった。

 セリアは俺より早く目が覚めると家に帰ってしまったらしい。

 少し顔を合わせるのが気まずかったので少し助かった。


 しかしもちろん剣術の稽古に休みの日なんてない。

 しばらくして重い足取りで俺も何も知らないエルを連れてセリアの家に向かう。

 セリアと顔を合わせた時、俺はどんな顔をすればいいんだろうか。


 答えは分からないままセリアの家に着いた。



 しかし、実際にセリアと顔を合わせると彼女はいつもと変わらない普段通りの姿で接してきた。

 俺はそんなセリアの態度がありがたかった。

 俺も限りなくいつも通りに振舞った。


 剣術の稽古中にイゴルさんに叱咤された。

 実戦で余計なことを考えてるとすぐ死ぬぞと。

 俺としては普段通りの稽古ができたと思っていたが。

 剣を合わせると達人には迷いなんて見抜かれてしまうのだろうか。

 俺は限りなく無心に剣を振った。

 しかし、セリアの顔を見るとすぐに昨晩のことを思い出す。


 俺はこれから何を目指して剣を振ればいいのか。

 少し分からなくなってきていた。


 いっそ、何も考えずにいられるよう剣術をやめてしまうか……。

 なんてことも頭によぎったが。


 そんなことを言い出したらイゴルさんはどう思うだろうか。

 呆れるだろうか、怒るだろうか、何も言わないだろうか。

 あまり想像したくなかった。


 絶対に分かっていることは。


 セリアに剣術をやめると言ったらセリアはきっと傷付くだろう。

 泣き出しそうなセリアの顔を想像してしまうと剣術をやめる選択はありえない。

 今まで頑張ってきた俺の体にも申し訳がたたない。



 稽古が終わるといつも通り三人で遊んだ。

 セリアはいつも通りだった。

 楽しいことがあったら笑うし、嫌なものは嫌と言った。

 

 セリアは何とも思っていないんだろうか。

 俺はこんなにも悩んでいるんだぞと言ってやりたい気持ちもあった。

 でも未だ答えが出せない俺に昨晩のことをむしかえしても自分の首を絞めるだけだろう。

 セリアもそれが分かっているのだろうか。


 もしセリアに一緒に来てほしいと口に出して言われたら、俺はどうするのだろう。

 セリアに言わせておいて、結局また答えが出ない自分を想像すると余計に情けなくなった。

 やはり何も言えなかった。


 普段通りにしているつもりでも、いつもおっとりしているはずのエルはこういう時なぜか鋭くて。

 お兄ちゃん変だよ、とたまに言われた。





 それから一週間が経った頃、稽古が終わると俺は決めていたことがあった。


「ごめん、ちょっと行きたい所があるから今日は二人で遊んできてくれるかな」


 セリアとエルにそう伝えた。

 二人共驚いた顔をしていたが、セリアはすぐにいつもの凛々しい表情に戻った。


「そう、わかったわ」


 そう言って少し微笑んでいた。

 俺にはその顔が何故か作りものに見えてしまった。

 

「えぇ、やだ」


 エルはセリアの服の裾を掴みながら拒否していたが。

 セリアはエルの手を強引に引いた。


「ほらエル、たまには女の子同士でいいじゃない」


 そう言って不機嫌そうなエルを無理やり連れていった。


 思えば初めてだった。

 セリアと出会ってから三年以上経っているが。

 一日たりとも三人で行動を共にしなかったことがない。

 これはかなり異常なのかもしれない。

 よく言えば仲が良い、だが、悪く言えば俺達の世界は狭すぎるのかもしれない。

 普段の俺からすればありえないが、無理やり二人から離れてでも行きたい所があったのだ。




 セリアの家から大通りにでないでそのまま北へ上っていき、目的地に向かう。

 俺はどうしても誰かに今のこのどうしようもない気持ちを聞いてほしかった。

 かといって悩みの種の家族や、セリアの父であるイゴルさんには話せなかった。


 目的地に着くと、そこはもう何十回と来たことがある大きな家だった。

 アスライさんの家だ。

 最近は診療所に来るのも苦労するのか、あまり診療所では顔を見なくなった。

 でも俺は結構会っていた。

 本も借りるし、エルの治癒魔術での治療もかねてよく遊びにくる。


 俺は扉をノックしてしばらく待つと、丁度近くにいたのだろうか。

 奥からゆっくりとした足音が聞こえてきた。

 重い体で玄関まで来てもらうのも申し訳ない、俺は扉を開いた。


 視線の先には、出会った時よりかなり老けて見えるが、相変わらず小奇麗にしていて清潔感を感じる身なりの老人が立っていた。

 アスライさんは俺を見ると歩いていた足を止め、微笑んでいた。


「やあ、アル君。あれ、一人かい?」


 俺の後ろを見ても誰もいないことに気付き、少し驚いていた。


「はい、こんにちは」


 俺も苦笑いしながら挨拶を返す。

 相変わらず包容力があるというか、顔を見ると安心する。

 アスライさんは近くにある机に寄り、椅子に腰掛けると俺にもどうぞと椅子を指差した。

 俺もすいません、と腰を下ろす。


「それで今日はどうしたんだい?

 一人で来るのは初めて本を借りにきた時以来だね、もう何年前だったか」


 俺がこの世界に来てから一番印象に残ってる日だ、忘れるわけもない。


「えぇ、今日は相談したいことがありまして」


 そう言うと、ほぉと驚いた顔をしていた。

 俺が相談するのがそんなにおかしいのだろうか。


「アル君も相談したいこととかあるんだなぁ。

 アル君くらいの歳だったら当たり前だけど、

 君はちょっと子供っぽくない所があるから」


 そう言って笑っていた。

 確かに間違いじゃない、実年齢はもう二十中盤だ。

 だとしてもアスライさんは俺の倍以上生きている、人生の先輩だ。


「えぇ、他に話せる人がいなくて」


 俺が少し情けない声で言うとアスライさんはいつも通りの笑顔をしていた。


「相談相手に私を選んでくれたことは嬉しいよ。

 誰にも言わないから何でも話してごらん」


 その言葉に俺は安堵して、ぶちまけるかのようにあの晩から今日までのことを全部話した。

 必死に話す俺の言葉に、うん、うんとずっと相槌を打ってくれた。

 全て話し終わり、アスライさんの顔を見ると少し険しい顔をしていた。


「うーん、難しい話だね」


 第一声はそれだった。

 俺も相談すれば解決すると思って話したわけじゃない。

 この溜め込んだ気持ちを誰かに吐き出したかったのが一番だ。


「僕はどうすればいいんでしょうか」


 身も蓋もない言葉だ。

 こんな言い方したらアスライさんも返答に困るだろう。

 しかし、アスライさんは柔らかながらも真面目な表情で答えてくれた。


「アル君はちょっと優しすぎるな」


 そう言って少し笑った。

 

「人のことを考えすぎていて自分の意思が見えていない。

 だから選択を迫られた時に選べない」


 俺が返事をするのを待たないでアスライさんは言い続ける。


「ねぇアル君、人生とは後悔の連続だ」

「後悔ですか?」

「そうだよ、私ももう長いこと生きているが、後悔ばかりの人生だった。

 その時は何度やり直せればと思ったかわからない」


 そう言ってアスライさんは少し上を見上げると、また俺に向きなおした。


「でも、今私は不幸な、やり直したい人生だったのかと、

 自分に問いかけてみるとそういうわけではない」


「後悔しているのに何故です?」


 俺は失礼に問いかけるとアスライさんは相変わらず微笑んでいた。


「歳を取っていくと、その後悔から新しいものが生まれてくるんだよ。

 これでよかったと思うことはなくてもね」


 正直、よく分からなかった。

 何を伝えようとしてくれているのか。


「あの時、冒険者になる息子を無理やり止めていれば、妻も傷心して衰弱することもなかったかもしれない。孫もできて、今頃成長した孫と酒を飲んでいたかもしれない」


「なら、なんで……」


「息子が選んだ道を尊重しないで無理やり辞めさせていれば、息子は今生きていて幸せだったのかなんて分からない。結果論だよ。夢を追って冒険者として過ごした時間は少ない時間だったが、息子にとって長生きすることより幸せな時間だったのかもしれない」


 アスライさんは息を少し吐きながら続けた。


「それに、後悔したけどそれがあったから出会えた人達もいる。私にとってそれも大事なものなんだ。町の人達、診療所の人達、家にいても、アル君にエルちゃんセリアちゃんも遊びにきてくれる」


 それは息子の死より、妻の死より大切な物なんだろうか。

 

「私の場合は家族を失う結果になったけれど、アル君は違うかもしれないよ」

「僕は違うとは?」

「もしかすると、その時後悔しても違う道のりで幸せになるかもしれない。

 後悔したおかげで幸せが深まるかもしれない」


 そんなの、分からないじゃないか。

 取り返しのつかないことになったらどうするんだ。


「でも大切な人がもし死んでしまったら?」    

「こっちを選んでおけば、なんて答えは誰にも分からないんだよ。でもねアル君」


 一瞬間を置くと


「君の優しさが生んだ結果を誰が責めれるというんだい」


 アスライさんはそう言って微笑んだ。


「きっと君はいつか選択を迫られた時に、その優しさゆえに選べず、その場で立ち止まってしまうこともあるかもしれない」


 そうだろう、今の俺は選べない。


「でもね、皆が大好きな君の優しさで選べなかった事に納得するだろう。結局、君を責めるのは君だけだよ」


「僕はそんなに大した人間じゃないですよ。僕が我儘に全員と離れたくないって思ってるだけですから」


「それでいいじゃないか。それに、今選べなくて後悔しても、いつか状況が変わって選べる時が来るかもしれない」


「こんな僕が選べる日がくるんでしょうか」


 俺は情けなかった。

 ここまで言ってもらっても自分に自信がなかった。


「くるさ、君は一生その場で立ち止まってる人間じゃない。皆が、私がそう信じてる」

「僕は剣術を続けていいんでしょうか」

「続けなさい。いつか君が強くなって、周りのことじゃなく、自分の意思で選択できるようになるために」


 そう言ってアスライさんは俺の頭をいつもより強く、ぐしゃぐしゃに撫でた。

 

 そうか、こんな俺でもいいのか。

 大事なことも選べない、今は弱くて情けない俺だけど。


 強くなろう。

 体も、心も。


 とにかく、今を一生懸命生きるほかないんだから。



 話が終わり、玄関から扉を開けると、夕陽が辺りを彩っていた。

 俺の曇っていた心に色がついたような感覚で、いつも通りの風景がやけに綺麗に感じた。


「アスライさん、本当にありがとうございました」


 俺は玄関まで出てきてくれたアスライさんに深く頭を下げた。


「いいんだよ、これから頑張りなさい」


 そう言って微笑むアスライさんが眩しく見えた。

 この人には一生頭が上がらないだろう。


「はい!」


 元気よく返事をすると俺は歩き出した。

 

 強くなるのだ。

 いつの日か、迷わないように。





 その翌日、早朝に剣術の稽古が始まった。


 俺とセリアの木刀がぶつかり合う。

 俺の剣筋は迷っているだろうか、吹っ切れているのだろうか。


 俺の木刀をセリアが木刀で受け止めると、セリアは一瞬微笑んだ気がした。


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