第七十四話「最終日」
八章最後の話です。
城内の自室とは違う一室。
その部屋の扉を、まるで自分の部屋のように乱暴に開ける。
そこにはいつもと違う光景があった。
昨日までは寝台でずっと意識を失っていたが。
今日は痛みに顔を歪ませながらも、上半身を起こしている男の姿があった。
「ブラッド、起きたか」
「おう、何だ、もしかして毎日甲斐甲斐しく訪ねてきてたのか?」
俺をからかうように気味が悪い顔で笑うブラッドだが、そんなことで揺さぶられる自分ではない。
「さすがに意識がないお前を放り出す関係でもないだろう」
「ハッ、そうかよ。お前が居なけりゃ死んでるのは事実だしな」
「俺の気まぐれだ」
「俺はそうとは思えねえけどな」
薄く笑いながら言うブラッドの言葉に、隠している感情を見破られている感覚。
いや、そもそも自分でも気付いていなかった事をこの男は分かっていた。
隠すもなにも、ない。
「お前の言った言葉の意味は、大体分かった」
「大体、俺に雷帝になることを勧めた日、お前言ってたじゃねえか」
あの日、確かに。
俺はこの男のことを考えて、自論を言った。
今思えば人のことを考えてものを言ったのは、あれが最初で最後だった。
「そうだな。エリシアを手に入れていても、満足しなかったというのも、お前の言う通りだろう」
俺はエリシアを、ブラッド以外の人間を、一人の人間として見ていなかった。
でも、今はそれで良かったと思える。
あのエリシアの息子の存在。
ブラッド以上に可能性に溢れるあの剣士の存在が、全てのことに俺を納得させていた。
エリシアが俺の目の前から居なくなり、あの剣士が生まれたのは良い事、なのだろう。
あれもブラッドと同じだ。
俺とは違い、自らの才覚で、力で、歴史に名を残すような存在だ。
「別にそれはいいさ。お前、まだ分かってねえのかよ」
「もう分かってる」
「いや、分かってねえ。お前が退屈に生を過ごしているのは、俺以外の人間を物として見てるのはあんまり関係ねえよ」
「ならあの時、何が言いたかったのだ」
「お前、自分のことも物と思ってるだろ。今より楽しく生きたけりゃ、早く人間になることだな」
まぁ、確かにとは思う。
俺が純粋な人間だったのは、幼少期の頃だけだろう。
何故、こんなくだらない物になってしまったのだろうか。
もう、歪んでしまったものは変わらないだろう。
でも今はそんな事はいい。
俺は話を変えるように言った。
「ブラッド、負けたのに満足そうだな。意外だった」
「これはお前に理解できない楽しいことの一つだぜ。この数十年、必死に鍛えた体が、剣が、あんな若い剣士にあっさり先をいかれるんだ。笑っちまうだろ」
「まぁ、お前が負けるのは予想外だった」
本当に、ブラッドより二回りも若い剣士にブラッドが斬られそうになっているのは目を疑った。
「あんなん反則だぜ。馬鹿みてえな闘気使ってるしよ。
腕も生えるし闘気の刃が飛んでくるし今でも理解できねえぜ」
「あれは、闘気の可能性だろうな……」
昔、闘気の可能性を探ったことがある。
自分では辿り着けないと思い、意味がないとやめてしまったが。
あの男は他の何も考えない剣士と違い、ちゃんと闘気と向き合ったのだろう。
俺とは違い、何かを成し遂げることができる人間だ。
いや、もう十分といえるほど歴史に名を刻んでいるだろう。
あの若さでルクスの迷宮を攻略し、ブラッドを倒し、闘気の可能性に辿り着いている。
きっとこの先、あのような闘気の使い方が広まれば、更に剣士の時代が変化していくだろう。
「あいつの剣は三大流派ではないのだったな。ブラッド、お前は知ってるのか?」
「確か、闘神流だったかな。闘気のコントロールを極める剣術らしいぜ」
「覚えがある。昔の英雄の剣術だったか」
過去、四大流派だったが、廃れてしまった剣術の一つだ。
もう人々の記憶にはないだろうが、この国には遥か昔のことが記された本もある。
「は? 英雄は三大流派の剣士だろ?」
「お前は知らないだろうが、昔は四大流派だったのだ」
「へぇ……面白え流派なのに、何で無くなっちまったかな」
「再び戻るかもな。あの男の経歴で道場でも開けば、いくらでも人は集まるだろう」
「そうだろうな」
それだけ言うと、アルベルという男についての話は終わった。
次は、これからのことだ。
「セシリオ、色々と問題になってんじゃねえの?」
「あぁ、さすがに今回はうるさいが最終的には落ち着くだろう。まぁ、俺を次期国王の座から降ろしたい奴らにとってはうまい材料だろうな。俺はその方が都合がいいが」
一番問題になっているのは、禁術である上級魔術が記された書を持ち出した事だ。
すぐに手の中に戻ってきたとはいえ、俺を責める理由にはなる。
仕方のない事だったという者も多いが、しばらくは落ち着かないだろう。
でも国王なんて、正直なりたくはないと思っている。
今回の件をきっかけに勝手に動いてくれればと思ってしまうほどに。
「ま、お前ならそんなもんか」
「あぁ」
しばらく無言の間が流れると、俺は聞いた。
「お前は、これからどうするんだ」
「俺か? もうやる事もねえし、のんびりお前の護衛でもして贅沢すっかな」
「そうか。好きにするといい」
俺としてはブラッドが俺の傍にいるのは喜ばしいことだ。
また気が変わってどこかへ行くかもしれないが、この男なら仕方ないだろう。
「あー、一個だけやる事残ってたな。ニコラスが可哀想だし、できることはやっておいてやるか」
「どうした?」
呟くように言うブラッドに聞くが。
「これは雷鳴流の話だから、本当にお前には言っても仕方ねえことだ。まだアルベルはこの国に居るのか?」
「知らん」
「ちょっと行ってくるわ。あの剣士なら、気配を探れば見つかるだろうし」
そう言って寝台から体を下ろす。
「痛えな」と不機嫌な顔をしながら自分の体に苛立つブラッド。
止めてもこの男は変わらないし、別に俺も止めようなんてさらさら思っていない。
しかし、俺に背中を向けて歩き出すブラッドを、引き止めるように呼んだ。
「ブラッド」
「何だよ、長い話なら後にしろ」
面倒そうな表情を見せるブラッドに、俺は言った。
「お前の言った言葉の意味、考えてみる」
話を遡るような言葉だが。
もし、自分が変われる可能性があるのなら。
もう少しくらい、思考してみよう。
まだまだ俺の生は、終わりそうにないのだから。
俺が言うと、ブラッドは相変わらず俺をからかうように、薄く笑った。
「おう、そうしろよ」
ブラッドは扉を開けて出て行った。
昔、俺の前から去ったあの日とは違う。
今度はすぐに、俺の傍に戻ってくるのだろう。
何故か安心感を覚える自分を馬鹿にするように、ふっと笑ってしまいながらも、俺は扉を開け、自室へ戻った。
------アルベル------
エリシアの育った屋敷から離れ、宿へ戻るまでの帰り道。
俺がエリシアにまるで観光するかのように城下町の説明をされていると。
予想外の人物が現れた。
その男は体を引き摺ってきたように、気だるそうにしていた。
闘気の負荷がきついのか、隠していても、たまに痛みに顔を歪ませているように見える。
俺も何度も経験があるが、いきすぎた闘気の負荷とは、本当に激痛なのだ。
ライニールとの戦いの時など、切り落とされた腕の痛みが気にならないほどだった。
もう数日経っているし、少しはマシになっているのだろうが。
この様子なら襲い掛かってきても、問題ないと安心する。
だが母とルルは少し遅れてその男の存在に気付き、表情が強張っていく。
俺は二人を守るように前に立つと、あの日戦った剣士、ブラッドと向き合った。
エルから何でブラッドがランドルを守るような行動を取ってたか、聞いていた。
でも俺は、それ以外に一つだけ話したいと思っていたことがあった。
「よう。俺はこんな状態なのに、お前は元気そうだな」
「ちょっと特殊な闘気を使っててね、どれだけ闘気を使っても負荷はないんだ」
「へぇ、めちゃくちゃだな。羨ましいことだ」
少し話せば、ブラッドが俺達に敵意を持っていないのは分かった。
「どうしたんだよ。また戦えってわけでも、ないんだろ」
本来敬意を払うような相手で年上の剣士だが。
さすがに、俺の言葉の節々から感じるであろう棘を抜くことはできないだろう。
「あぁ、お前の使ってる、その剣のことだ」
「鳴神の話か……俺もちょっと、引っ掛かってた」
鳴神は今となっては、死線を共に潜り抜けてきた俺の相棒だ。
簡単に渡すことはできないが、本来、俺が持っていていい剣ではない。
「何だ、それが雷鳴流の剣だって知ってんのか?」
「この剣を使ってた迷宮のボスは、初代雷帝を名乗ってたから」
「は? 初代って、英雄のライニール・オルディスか?」
「そうだよ」
「へぇ……興味深いが、色々納得できることもあるな。お前はどう思ってるんだよ」
どう思うとは、俺の抱えている悩みのことだろう。
俺は正直に答えた。
「俺が持っていていいのか、と思うことはある。
でも今はこの剣を信頼して命を預けてるし、簡単に渡す気にもなれない」
「そりゃ、そうだろうな。剣は剣士の魂だからな」
「それに、まだやらないといけない事が残ってる。
今は何を言われても、絶対に渡すことはない」
「俺だって剣士だ。今ここで相棒を渡せなんて滅茶苦茶いわねえさ。
まぁ、ニコラスには悪いがしょうがないだろうなぁ」
ニコラス、俺が立ち合った今の雷帝だ。
やはり、ブラッドも気に掛けているのだろう。
俺もニコラスは嫌いではない。むしろ好感を抱いてるくらいだ。
鳴神は本来ニコラスに授けられるものだとも、理解しているが……。
ブラッドが、かなり譲歩した。
「お前が死んだ時でいい。その剣を雷鳴流の道場に戻してやってくれねえか」
ブラッドが言いたいのは、俺が寿命で死んだ時のことを言っているのだと分かる。
その条件なら、俺が躊躇する理由はない。
ニコラスには、申し訳ないと思うが。
「それなら、構わない。約束する」
「ありがとよ、話はそれだけだ」
切り上げようとするブラッドに、俺はつい言ってしまった。
「正直、意外だった。結構道場のことを気に掛けてるんだな」
「まぁな。真剣に剣術と向き合えば土台に感謝することもある。お前なら分かるだろ」
「あぁ、分かるよ」
うん、やっぱり、死んでからと言ったが。
目的を達成して、俺の旅が終われば、この剣は雷鳴流に持っていくか。
今より別れは辛くなるだろうが、この剣も本来持つべき者に振られるべきだろう。
でも今だけは、俺に力を貸してほしい。
「じゃあ、セリアによろしく言っといてくれ。
あいつには嫌われただろうが、俺は気に入ってたからな」
「分かった」
話が終わったように思え、ブラッドが背を向けるが。
ブラッドが思い出したように顔だけ振り向くと、最後に言った。
「なぁ、初代の英雄の剣に、俺の剣は届いていたか?」
俺は冷静に分析して、正直に伝える。
分析も何も、戦闘中に思っていたことだが。
「届いてるよ。あんたの剣は、雷鳴流の極みだ」
「そうか、また機会があったらやろうぜ」
次は殺合いではなく、試合で、と心の底から思うが。
俺の返事を待つことはなく、ブラッドは現れた時よりも軽快に見える足取りで去っていった。
警戒していたエリシアとルルも、ブラッドの姿が見えなくなるとようやく安心したようで、ほっと息を吐いた。
大丈夫だよ、と二人に微笑みかけると、俺達は再び宿に戻った。
俺達が外出していたのは、ほんの一時間程度だ。
一番最後に宿を出たが、一番最初に戻ってきたのも俺達だった。
そして日が落ちる前に、女子グループは帰ってきた。
手にはたくさんの袋を抱え、服や小物を買い込んできたように見える。
皆充実したお出かけになったのか、満足そうな表情だった。
「アル、ごめんね? 寂しかった?」
セリアが罪悪感を感じていたのか、心配するように俺を覗き込んだ。
俺が情けないせいでこんな表情をさせてしまったのは申し訳ないな。
それになんだかんだ俺も、少ない時間ながら濃い時間を過ごしていたし。
ただまぁ、セリアと離れていて寂しくなかったと否定することはできない。
俺は少し微笑むと聞いた。
「実は俺達も出かけてたんだ。
それに、セリアが楽しいのが一番だよ。何買ったの?」
俺が聞くと、セリアはやっと安心したように微笑みを見せてくれた。
「えっと、服とかかな。私、そういうのよく分からないからエルが選んでくれたの」
「それは、楽しみだな……」
セリアは剣士服以外の普段着をほとんど持っていない。
まぁそれは俺もなのだが。
基本的にお互いシンプルで動きやすい服装を好んでいる。
それがセリアの美しさを際立てているところもあるのだが。
エルが選んだのなら、きっと洒落たものでセリアに似合う服がたくさん購入されたことだろう。
それは俺にとっても嬉しいことだ。
色んなセリアを見たいしな。
やっぱりそういう場に俺がいないで正解だったのだ。
俺がいれば、買いにくい物もあるだろうしな……。
そしてエルは俺が誕生日にあげた首飾り以外に珍しく、アクセサリをつけていた。
それは銀の指輪だった。
軽い装飾だけのシンプルな細い指輪だが、俺はあることを思い出して少し嫌な想像をしてしまう。
「エ、エル? その指輪って……」
さすがに今回はオシャレで、気に入って購入してつけているだけだろうか。
というか、そうだと信じたいが。
エルは、悪びれもなく言った。
「マジックアイテムだよ」
まだ効果も聞いてないが、ぞっとしてしまう。
さすがにエルと同じ指輪をつけているものもいないし、身代わりの指輪ということはないだろうが。
「えっと、どんな効果があるの……?」
「秘密だよ」
前と同じような返答に、嫌な想像しか浮かばない。
さすがに前のことがあるので、追及する。
「教えて欲しいな。心配だし」
エルは「えぇー……」と本当に嫌そうに頬を少し膨らましているが。
エルも俺が引かないのを分かっているのか、渋々といった様子で、一言だけ。
「危ない物じゃないの。本当だよ」
なら何故言わないのか。
俺が再び追及しようとすると、フィオレが割って入った。
「師匠、本当に危ない物じゃないですよ。私が保証します」
「フィオレは何か知ってるの?」
「はい、隣にいましたから」
もしかしてセリアも知ってるのかなと思いセリアを見るが、可愛らしく首を傾げた。
どうやらセリアは知らないらしい。
うーん……。
俺に言いにくいものなのだろうか。
もしかしたら女の子特有の道具かもしれないし、詮索しすぎるのも良くないか。
フィオレもこう言うのなら、本当に何かあるわけではないのだろう。
「分かったよ。ただ心配だったんだ」
「うん、分かってるよ。ありがとう」
エルが可愛らしく俺に微笑むと、その顔を見てるだけでもういいやと思ってしまった。
それからはセリアが今日のことを話してくれていると、日が落ちてきた。
外が暗闇に包まれると今度はランドルとクリストが宿に帰ってきた。
クリストは普段通り飄々としているが。
ランドルは汗に濡れていて、疲れきった表情をしていた。
二人が何をしていたのか聞くと、ランドルがあっさりと答えた。
「稽古だ」
「何となく想像してたけど、そんなに動いて大丈夫なの?」
数日前はこれ以上ないほど弱っていたランドルだったが、今ではけろっと大斧を担いでいる。
それでも稽古なんて大丈夫なのかと、まるで母のように心配してしまうが。
「あぁ、問題ねえよ。寝てただけだしな」
「それにしてもさ、もう少しゆっくりした方が――」
言いながら思ってしまうが。
俺がゆっくりランドルと話したいな、とか思っているだけだ。
さすがに自分勝手すぎるな。
反省して肩を少し落とすと、その肩をクリストがぽんと叩いた。
「ランドルも色々思うこともあるみたいだぜ。ま、体は丈夫だし問題ねえさ」
「うん、そうだよね」
強くなることを邪魔するようじゃ、仲間失格だ。
もう俺は何も言うことはなく、これからの予定を話した。
明日、ここを出てエルトン港で一泊したら船に乗ろうという話だ。
反対する者がいるわけもなく、話は進んだ。
前もって準備していたこともあり、身支度は十分だった。
そして皆の体調も万全に、一夜が明けた。
ここに辿り着いた時とは違い、賑やかにバルニエ王国を去り、エルトン港に歩みを進めた。
多くのキャラを掘り下げたため、かなり長い章になってしまいました。
この章に最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。
次から九章が始まりますが、また整理&書き足したい話もあるので、数日だけ更新が止まります。
申し訳ございませんが、ご理解いただけると助かります。
なるべく早く更新できるよう努力しますので、少々お待ちください。




