第七十三話「母の気持ち」
二話更新します。
バルニエ王国で、あれから特に問題が起こることはなく、いまだ三日程滞在していた。
相変わらず城は騒がしいが。
たまに町を歩いても顔が割れていることはなかった。
嫌な視線を浴びることはない。
でも、時間の問題だろう。
滞在する理由となったエリシアの体調はもう回復している。
ここに残りたい人も理由ももうない。
ここに俺とエル以外の家族がいるエリシアの心情は気がかりだったが。
初めて聞いた時は驚いたが、エリシアは兄弟に嫌われているらしい。
エリシアを嫌う者など、ろくでもない奴に決まってる。
母の兄弟というのは気になったが、そう思うと俺もできれば会いたくなかった。
しかし、一人エリシアを気遣ってくれた兄もいるという。
最後に話したいのはその人くらいだけど、会うとまた面倒になるからいいと、もうこの国を出るまで昔の知り合いとは顔を合わせたくないようだった。
ならもう、この国から出るか。
皆でそんな話をしていた昼下がり。
解散して家族だけになった宿のエリシアの部屋で、エルが思い出したように言い始めたのがきっかけだった。
「お兄ちゃん、色々ありすぎてすっかり忘れてたんだけど」
「どうしたの?」
エルは返事することなく旅の荷物の中からある物を取り出した。
俺もすっかり忘れていたが、エルが持っていてくれているのも当然だ。
いや、埋められたりした可能性もあったか。
でも、エルがそれをちゃんと持っていてくれたことが嬉しかった。
やはり悲しくなってしまう状態だが、再びそれを握り、見れることが嬉しかった。
その白い刀身は真っ二つに折れている。
以前は輝いているように見えたが、今は曇っている気がする。
さすがに破片まではないようで、くっつけても歪な形になってしまうだろう。
俺のアスライさんからもらった大事な剣、白桜だった。
俺も鞘だけは大事に持っていたが、もう鞘に戻すこともできない。
折れた剣なんて、さすがに直らない。
でも、もうお別れだと思っていたから、どんな形でも再び手の中に戻ってきて嬉しかった。
「エル、ありがとう。もう振ることはないだろうけど、大事に仕舞っておくよ」
再び布に白桜を包むと、大事に隣に置いた。
この剣は俺が迷うことがないように、アスライさんが贈ってくれた大事なものだ。
白桜が無くても、もう俺は自分の意思で選択していけると思う。
でもこれは俺の背中を、気持ちを後押ししてくれた原点のような物だ。
もう十分役目を果たしてくれたし、ゆっくり休んでいてもらおう。
俺がエルに感謝を伝えると、エルはまだ気になっていたことがあるようだった。
「お兄ちゃんが作ってた左腕って、どうなってるの?」
そういえば、何も説明してない。
エリシアとルルも気になるようで、俺の存在しない腕に視線をやった。
俺は説明するように、もう慣れた感覚で簡単に闘気の腕を形成する。
レイラと融合している時とは違う、赤い腕が生えてくる。
少し不器用ながらも指をぴくぴく動かして見せる。
「最近知ったんだけど、闘気って俺が思ってたより便利でね。
水の上に立つことも、走ることもできるんだよ」
さすがに日常生活でこんな目立つ腕を維持したりはしない。
力加減も難しいし、まだ片腕でいるほうが自然だ。
でももう正直、服を着るだとか細かいことも、戦闘などの大きいこともこれで何とかなる。
「お兄ちゃんはやっぱり凄いね」
「俺じゃなくても具現化できる闘気があれば誰でも出来るよ」
「じゃあ、ランドルも出来るんだ……」
憎たらしそうに頬を少し膨らませてエルがランドルの名前を出すが、俺は驚いてしまった。
「ランドルの闘気って見える程大きくなってるの?」
「うん、見えたよ」
ランドルは俺がいない間にそんなに闘気を成長させていたのだろうか。
俺は十歳の頃から出来たしこういうのもどうかとは思うが。
ランドルと俺とじゃ状況が違うのだ。
俺は五歳から闘気の存在を知っていたけど、ランドルは十三歳まで自然に纏っていただけで存在を知らなかった。
やっぱり規格外だと思う。
ランドルもこの世界において、限られた人間の一人なのだろう。
「やっぱりランドルは凄いな」
「お兄ちゃんと比べたら誰でも小さく見えるんじゃない?」
「そんな事ないよ。レイラが力を貸してくれてなかったら、俺より強い人はいっぱいいるからね」
もうセリアとどっちが強いだとか、そんな考えをすることはない。
昔と違って俺達の稽古の相手はクリストになっている。
カロラスで稽古していた頃は、イゴルさんとセリア両方と稽古していた。
これは想像でしかないが、多分剣術の腕は互角か、セリアの方が強い。
通常の闘気でいえば、俺の方が少し大きいくらいだろう。
セリアと全力で戦うことなんてないだろうが、勝てるとは思えないな。
うん、やっぱり全てはレイラのおかげだ。
「そんなの強さの内の一つでしょ。その、災厄を倒したらお兄ちゃんが世界で一番強いんでしょ?」
エルは少し誇らしげに、嬉しそうに言った。
もうエルも皆の強さを知っているし、何が襲ってきても負けるとは思ってない様子だ。
確かにレイラを勘定にいれていいのなら、誰にも負けないのかな。
昔は力以外で妹を、家族を守ろうとしていた時期があったのに、感慨深い……。
でも、人に自慢できるような兄になれてやっぱり嬉しいだろうか。
まぁ俺はさすがに「そうだぜ、エルの兄ちゃんが世界一強いぜ」なんて高らかに言える性格ではない。
そして横で兄弟の会話を微笑ましそうに眺めていたセリアだったが。
少し儚げにも見える顔で、ぽつりと言った。
「そうね、アルより強い人はいないんだから」
傍から聞けば、好きな人を誇るような言葉だ。
でも俺は何か違和感を感じてしまった。
いつもならセリアはもっと胸を張って大声で、自分の事のように満足気に言うのだ。
あれ? とセリアをちらりと見るが、ツンと高い鼻先が際立つ美しい横顔だ。
俺の視線にすぐに気付き、目を合わせると特に理由もないのに嬉しそうに微笑んでくれる。
うん、可愛い。
妙な違和感は、俺の気のせいだろうか。
気のせいなら、ただ好きな子に誇られただけのことだ。
セリアの顔を見ていると変な考えはどこかへすっ飛んでいく。
俺はセリアの微笑みに返すように「へへ」とだらしなく笑みを浮かべた。
うん、いい日常だろう。
でも最近は家族ばっかりで過ごす時間が増えている。
ランドルもそうだし、クリストとフィオレとの時間が少なくなってるな。
思い立つと今日はゆっくり皆で雑談でもしようかと思い「呼んでくるよ」と立ち上がったのだが。
二人の動向を知っていたのか、セリアが俺の腕を掴み引き止めた。
「クリストはランドル連れてどっか行ったわよ?」
「え、そうなのか」
「ランドルのこと気に入ったのか知らないけど、最近ずっと一緒にいるわね」
「同じ種族の血が流れてるのもあるのかなぁ」
「単純に気が合ったんじゃない? クリストは多分そんなの気にしないもの」
「確かに……クリストは相手が無口でも楽しそうに話すからな……」
「別にいいじゃない。仲がいいのは良いことでしょ?」
「うん、そうだね……」
俺はぼやきながら、再び席に座る。
俺が別の場所で会った仲間同士が仲良しになっている。
それはとても素晴らしいことだ。
だが、なんだろうかこの寂しい気持ちは。
俺も誘ってよ! とか湧いて出てくる気持ちもあるが、俺を誘うと結局団体行動になるのかな。
いや、そんなこと気にする二人ではない。
単純に久しぶりに家族と再会できたから、気を遣ってくれただけだろう。
あの男気溢れる二人組みは、そんな奴らだ。
よし、ならば今日は久しぶりにフィオレと剣術の稽古でもするか。
ルルと会ってからはなかなか相手をしてあげる時間も減ったからな。
特にドラゴ大陸を抜けてからは、セリアとの再会だったりで、フィオレが遠慮する事も増えたし。
待てよ、今、フィオレはどうしてるんだろうか――。
ランドルとクリストがいないし、ここにも居ないのなら一人ではないか。
そんな事今日が初めてだろうが、弟子を一人にするなんて、俺は何をしているんだ。
俺がちゃんとフィオレに「気遣うことはない」と言い、一緒にいるように言うべきだった。
怒涛の展開が続いたとはいえ、冷たい師匠ではないか……。
言い訳すると、最初は俺もフィオレに声を掛け、馴染んでもらおうとしていた。
しかし、フィオレの所に行くと大体エルとセットなのだ。
楽しそうに会話してるのを眺め、そーっと部屋から出て行くのを繰り返していた。
でも今エルは俺の前にいるし、本当にただの言い訳だ。
いや、懺悔はいい。反省は行動で示そう。
今日は日が落ちるまでフィオレと稽古して師弟関係を深めようじゃないか。
俺はまた「呼んでくる」と立ち上がったのだが。
「私、これからフィオレと出かけるよ」
次はエルが俺を止める。
「へ?」と動揺しながらもまた椅子に腰を降ろす。
エルとフィオレが気が合ったのか楽しげによく二人でいるのは知っている。
問題はそこではないのだ。
「そ、そうなんだ。最近仲いいね?」
前までは俺と一緒じゃないと何処へ行くのも嫌がったのに。
俺に、何も告げずに出かける予定があるだと……。
いや、なんでこんな束縛するような事を思ってしまうのだ。
これでは前までと状況がまるっきり逆ではないか。
兄として「気をつけるんだよ」なんて優しい言葉を掛けてやるのが当然だと思うが。
もちろん兄としての威厳を発揮することなく、俺はぴくぴくと頬を引き攣って苦笑い。
「うん、フィオレのこと好きだよ」
隠すこともなく、エルは素直だった。
エルが出会って間もない人に対してこんな事を言うのは、本当に珍しい。
というか初めて聞いた。
二人はいつもどんな会話をしているんだろうか。気になる。
可愛らしい二人が並ぶのはセリアとはまた違う絵になるし。
俺はぼーっと眺めてしまうことがよくある。
いや、そんなこと今はいいか。
たまには俺も兄らしく、師匠らしいところを見せようではないか。
この国には色んな物もあるし、二人に何か買ってあげたり。
まぁ、皆の金だから買ってあげるもくそもないのだが。
それに雷帝が今は動けないとはいえ、二人では何があるか分からないしな。
二人とも可愛いうえにフィオレはエルフで珍しいし、ろくでもない奴に絡まれるかもしれない。
今のフィオレの強さならそこら辺の奴に絡まれても問題ないだろうけど。
「そっか。なら俺も行こうかな」
心の中で「当然だよね」なんて呟いた俺だったが。
まさかまさかのエルが首を横に振る事件が起きた。
「だめだよ。今日は女の子同士で買い物するの。セリアお姉ちゃんも来る?」
「あら、じゃあ私も行こうかな」
「え!? ちょっと、あのー……」
俺の先の出ない言葉を他所に二人の行動は早く、立ち上がった。
あれ、言葉が出ないぞ。
何を言えばいいんだ。
女の子だけだと心配だから一緒に行く? いや、セリアが同行する時点で無敵の女子会と化している。
ブラッドと戦った時より精神が疲労していく気がするぞ。
何だ、この何ともいえない感情は。
俺が今にも死にそうな表情で皆を見上げていると。
セリアが「あら」と俺に気付いたように視線を降ろした。
俺が寂しがっていることを察したのか、セリアが不安気に言う。
「アル、私行かないほうがいい?」
いや、もちろん俺は一緒に居たいが。
今思えば、女子会に参加するのも野暮ではないか。
女の子だけで出かけるのなんて、当たり前のことだ。
男がいればできない会話もあるだろう。
だが、しかしだ。
さ、寂しい……。
口には出さずに表情だけで語ると、エルが溜息を吐いた。
「仕方ないね……じゃあお兄ちゃんも――」
一緒に出かけることに許可をもらうという、以前のエルとの関係において有り得ない状況だが。
俺がぱーっと表情を切り替えると同時に、話を聞いていたエリシアから説教じみた声色が聞こえた。
「アルー、だめじゃないー。女の子だけで話したいこともしたいこともあるんだからー」
俺を静止する母の言葉に、躊躇してしまう。
そうだよな、さすがに、そうだよね……。
「うん、皆で楽しんでおいで」
精一杯作りながらぎこちない笑みを投げかけると、セリアが「やっぱり――」と考え直す前に、エルがセリアの手を強引に引いて部屋から出て行ってしまった。
二人の姿が部屋から無くなると、俺は死んだように机に頭から突っ伏した。
もういい年の男が、子供のように拗ねているだけである。
母の前でこんな姿を見せると、また怒られるだろうか。
そう思ったが、エリシアは意外にも少し笑っていた。
「アルは寂しがり屋さんねぇ、今日は私とルルとゆっくりしましょうー、それとも三人でお出かけするー?」
「うん……」
気遣ってくれているのに、俺は体勢を変えないまま適当に返事をしてしまう。
「あらぁ、エルがお兄ちゃん離れしたと思ったら……」
「アルベル様が、まだできていないようですね」
エルよ、エルが俺をこんな体質にしたんだぞ。
再会して日もあまり経ってないのに、何だこの変化は。
いや、エルを責めるのは俺がおかしいな。
俺に過剰なくらいべったりで心配だったのだから、昔はこうなることを望んでいたのだ。
でもやっぱり、少し寂しいな。
こうしてぼっちではないが、ぼっち気分を味わうことになると思っていたが。
俺が聞き流していた母の言葉が遅れて脳内に再生される。
三人でお出かけ。
もちろん俺を気遣って言っただけだろうけど。
エリシアは最後に話したい人がいると言っていた。
本人はもう誰にも会わないほうがいいと言っていたので俺も当たり前のように頷いていたのだが。
もう、二度とこの国にこない可能性のほうが高い。
やっぱり、ちゃんと会って話しておいたほうがいいのではないか。
俺と一緒なら、何があっても問題ないだろう。
今なら心配して付いてくる皆もいないし。
大人数で押しかけて悪目立ちすることなく落ち着いて話せるだろう。
「母さん、話したい人がいるんじゃなかった?」
「え? いるけれど、話したいっていうのは、ちょっと違うかもしれないわね」
少し苦笑いして、普段の癖も消えて話すエリシア。
「あれ、そうなの?」
「えぇ、元はと言えば私とカルロ兄さんのせいであんな状況になったから。エルは顔も見たくないでしょうね」
「なら、なんで話したいって言ってたの?」
今の言葉が本当なら、エリシアにしては少々おかしな話だ。
なかなか人を嫌いになることがない母だが、今回の件に関しては相当怒りを露にしていたと聞いた。
俺は全ての経緯を聞いて一つだけもしかしたら、と考えが浮かんでいた。
しかし、エリシアが俺の考えている事を言うわけもなかった。
「私が今、幸せじゃないって勝手に勘違いしてたみたいだから、そうじゃないって言いたかったの」
昔のように、幼い子供を撫でるような手つきで、エリシアは俺の髪を軽く撫でた。
エリシアの愛情が伝わってくるようで、心地良い。
そしてカルロという人物についても。
きっと、エリシアはこんな事になっても兄のことを嫌ってはいない。
なら、誤解やすれ違いが事件を生んだだけで、きっと母のことを案じていただけの優しい人なんだろう。
やっぱり、このままでは良くないと思う。
「会いに行く? 俺、一緒に行くよ」
「ううん、いいのよ。アルは気にしなくていい事なんだから」
遠慮するように言うエリシアに、無理やり説得してまで会いにいくのは違うのかなとも考えるが。
意外にもルルが、口を挟んだ。
「エリシア様。お言葉に甘えては? アルベル様が居れば、何か問題が起こることもありませんよ」
「でも……」
「この国を去れば、さすがに今回のように再び訪れることもないでしょう。昔から、カルロ様のことだけは引っ掛かっていたのでしょう?」
「もう私の我儘に大事な子供を付き合わせたくないの」
「エリシア様が我儘だったことなんて、人生で一度もありません。貴方は、ただ大事な人を気に掛けていただけです」
「……」
押し黙ってしまうエリシアに、俺も言った。
「母さん、行こうよ。俺も母さんの兄さんがどんな人なのか、見てみたいな」
俺の言葉が決定打になったようで、エリシアはしばらく悩む仕草を見せた後、頷いた。
「アル、ごめんね。少し付き合ってくれるかしら?」
「もちろんだよ」
俺が微笑んで立ち上がると、三人で軽く宿を出る支度をした。
俺はいつもの服装だが、エリシアは一応着替えるようで、俺は先に部屋を出た。
そしていつもは常にエリシアと一緒にいるルルにちらっと目線を送る。
ルルと視線を交し、くいっと顎を部屋の外にやると俺の背を追ってきてくれる。
さすがだ、口に出さずとも、ルルには何でも伝わる。
俺は自分を納得させる為に、エリシアには聞こえないように小声で聞いた。
「ルル、今回のことでちょっと気になってる事があるんだけど……」
「はい? どうしたのですか?」
「そもそもの発端は、俺のせいだったんじゃないかって」
エルが憎たらしく言っていたのは「カルロって人が情けない」「自分勝手」「お母さんは優しいから仕方なかった」
でも俺には、違和感があったのだ。
自分の命より大事にしている俺達を少しでも危険な場所に連れていくか?
エルは強引についていったようだけど。
エルがその場にいたのなら、もう一つの理由しかない。
俺が苦い表情を作ると、ルルは珍しく言葉に詰まり、少しして小さく首を振った。
「アルベル様のせい、では断じてありませんが。状況が違えば、エリシア様は違う行動を取っていたとは思います」
「状況って……」
「アルベル様が、ドラゴ大陸におられると推測してしまったことです」
やっぱり……。
ランドル以外は相当皆で心配していたらしい。
エリシアの実家は相当権力があるようだし、和解できたら俺の捜索を頼むつもりだったのではないか。
いや、自分を犠牲にしようとしていたとすら思える。
今となっては強くなった俺を見てもらい安心させているが、根っこは度が過ぎるほどの過保護な母なのだ。
問題はエルに矛先が向き、エリシアの家族が聞く耳持たずの一方的だった事だろう。
「でも、それでもエリシア様は強引に帰ろうとしたと思います」
「え? じゃあ何で――」
「エリシア様は、ランドルさんをとても信頼しておられましたから」
ランドルの強さや信念のことだろうか。
確かにブラッドが現れなかったら、この国でランドルに勝てる奴はいなかっただろう。
実際エルも何が起きても問題ないと、軽視していたようだし。
イレギュラーが発生しすぎたのだ。
もちろんカルロを案ずる気持ちもあったのだろうが。
ここまで屈折すれば、母の心境を想像するのは難しい。
母は優しいだけなのに、捕らわれている間も自分を責め続けたのだろう。
母に案じてもらって嬉しいより、申し訳ない気持ちしか湧き上がってこない。
俺が下を向いてしまうと、ちょうどルルの可愛らしい少女の顔を見下ろす形になる。
しゅんとした俺の目と合うと、優しく微笑みを作ってくれる。
「エリシア様は、アルベル様とエル様のことを何よりも一番に考えておられます。母親とは、そういうものです。当初は悪い方向へ転んでしまったと思いましたが、今ではそうでもなかったと思っています」
少し冷たいかもしれませんが、とルルが付け加えて微笑を見せた。
「皆さんは無事で、修復できない心の傷を負った方もいません。あのまま全ての者を殺し解決していたら、色々と問題もあったでしょうから」
確かに、合流した時にエル達がお尋ねものになっていたら船に乗るのも難しかっただろう。
「アルベル様はもっと誇っていいと思います。今こうして皆さんが、私が笑っていられるのも、貴方のおかげなのですから」
これは嘘偽りない気持ちだと、ルルの微笑みから伝わってくるようだった。
俺がようやく微笑むと、ルルも満足したように小さく礼をした。
「ルル、ありがとう」
ルルが返事を返そうとする前に、扉ががちゃりと開いた。
そこからフードを被り顔を隠したエリシアがひょこっと姿を現す。
「んー? 何の話してたのー?」
「うん、ちょっとね。ルルが何歳なのか気になって」
「あらぁ……私も知らないのにー。ルル、教えたのー?」
「いえ、秘密です」
ルルが可愛らしく唇に人差し指を伸ばす。
適当に誤魔化して話を逸らしたが、見た目は可憐な少女だ。
本当に、何歳なのだろうか。
もうお婆ちゃんで残りの時間が少ないとかは勘弁してほしい、悲しすぎる。
俺がもう一度年齢を聞いてもルルがとりあってくれることはなかった。
少し賑やかな雰囲気に戻りながら、三人で軽く話しながら宿を出た。
宿を出ると困ったのが、そのカルロという兄が今どこにいるか分からないということだった。
何せ、どんな仕事をしているかも分からない。
ルルの提案で、エリシアの育った屋敷に向かうことになった。
さすがに屋敷内に入る予定はない。
相当な数の使用人がいるらしく、前まで赴けば話を聞けるだろうとのこと。
そして、二人の案内通りに目的地に向かったのだが。
屋敷の前まで行くと、俺はさすがに驚いた。
「すご……」
広く大きい屋敷を見て、感嘆の声を上げる。
エリシアはこんな所で育ったのか。
確かに母の上品な佇まいを見ていると、カロラスの実家よりこっちのほうがしっくりくる。
そしてルルの予想通り、庭を手入れする使用人達の姿が見えた。
ルルが俺達を制止して、使用人に近付いていくと、遠目で話をする姿をぼけーっと眺める。
知り合いだったのか分からないが、話をするルルの様子は割と穏やかそうだ。
しばらくすると、ルルが戻ってくる。
「今丁度屋敷にいるようで、伝えてくださるそうです」
一番危惧していた城にいたりするとかではなく、都合のいい状況に、俺達は安堵した。
さすがに庭に、屋敷内に入ることもなく、俺達は少し離れた場所で待った。
少し待っていると、屋敷から現れる男性の姿があった。
遠目でもすぐに分かる。この人がエリシアの兄のカルロだろう。
俺とエルは全然似てなくて兄弟だと思われないが、エリシアとカルロは同じ血が流れているのだろうと分かる共通の雰囲気があった。
カルロは初対面の俺の姿を見回して何故か驚いた顔をするが、すぐに母に視線を戻した。
そして、俺の想像とは違っていたのは。
悲しい表情を浮かべながら言った言葉だった。
「エリシア、すまなかった。僕の勝手な考えで、君たちを傷つけてしまった」
そんなカルロの言葉に母は別に驚いていなかった。
見せているのは、安心したような表情だ。
「元を辿れば、私のせいだから。でも、もしエルが乱暴されていたらカルロ兄さんも憎んでいたと思う。兄さんを嫌いにならなくて済んで、良かった」
「そうか……本当にすまなかった。すぐに間違っていたことに気付いて何とかしようと動いていたのだけれど、僕の力ではどうしようもならなくて……その剣士の人が助けてくれたのだろう」
意外にも、俺を見てそういった。
あれ、何で知ってるんだ。
町を歩いていても、誰にも気付かれることもないというのに。
「この子を知ってるの?」
「あぁ、まだ城内で騒ぎになっているだけだけど、片腕の若い剣士が相当暴れたってね。前代の雷帝も敗れたって、城の者も皆どう扱えばいいのか分からないようだった。殿下は今回のことを問題にはしないようだし」
セシリオを完全に信じているわけではなかったが、カルロの言葉で真実味が増した。
本当に今のところは、俺達が罪に問われることはなさそうか。
ブラッドが戦えないことから危機に陥ることはないだろうが、また荒れるかもしれないくらいには思っていた。
「息子なの。一応カルロ兄さんとも血が繋がってるのよ」
確かに言われてみれば、叔父になるのか。
そう考えると、ただの傍観者でいるつもりだったが、他人とは思えないな。
カルロはそれを聞くと再び驚くと、今度はがっつり、俺を見た。
「そうか……君の母さんと、えっと、あの子は妹かな? 危険な目に合わせてすまなかったね」
少し母を感じるような優しげな面持ちで、カルロは俺に頭を下げた。
子供扱いされることはなく、丁寧に頭を下げられて俺は少し困ってしまう。
「母さんがいいと言っているなら、僕が気にすることは何もありませんので、僕のことは気にしないでください」
「エリシアに似て優しい子だね。名前は何というんだい?」
「アルベルといいます」
俺が名乗ると、カルロは俺の名前に聞き覚えがあるようだった。
「アルベルって、同じ名前で有名になってる冒険者がいるけれど、いや、死んだって聞いたし……」
ルクスの迷宮のことだろうか。
やっぱり自分が故人として有名になってるのは、結構嫌だな。
「死んだことになってますが、この通り生きてます」
あまり詳しくは語らず薄く笑うと、カルロも微笑みを返してくれた。
「エリシア、立派な息子だね」
「えぇ。アルもエルも自慢の子なの」
「きっとこれから先、もっと有名になるのだろう。
エリシア、君は二度とここへ戻ってくるつもりはないのだろうけど――」
「えぇ、最後に分かってほしかったの」
「もう分かってるよ。父さんは今も納得していないようだけど。
いつか自分が間違っていたと分かる日も来るだろう」
「あの人は昔から私のことを理解しようとしてくれなかったもの。
許せないこともたくさん言われたし、もう会いたくないわ」
「もし、またここに来てくれる事があったら、この家に寄っていくといい。
その時なら、父さんとも今よりかはいい関係になれるかもしれない」
「そんなこと、有り得ないわ……」
「いや、僕は何故か確信してるよ」
カルロは最後に俺を見て微笑むと、難しい話は終わった。
最後の別れをするように二人で、ただの兄弟にしか見えない話になる。
その話は短かったが二人共満足気だった。
「カルロ兄さん、じゃあ……」
さすがにもう問題も起きないとはいえ、俺達はあまりここで長居できる心境ではなかった。
エリシアが別れを言うと、カルロも引き止めることはせず、頷いた。
「エリシア、元気で」
カルロが優しい表情で軽く手を挙げると、俺達は背を向けた。
最後の別れをした俺の母の顔は、何か憑き物が落ちたように、穏やかな表情だった。




