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第六十五話「問題」


 カロラスを発ってから八ヶ月近くが経過していた。


 エルトン港までは馬車で移動し、護衛の冒険者もいたので自ら戦闘することはなかった。

 母やルルもカロラスで言っていた通り長旅に疲れた様子はなかった。

 まぁ、ほとんどの時間が馬車の中だったので当たり前だ。


 道中、母はランドルを気に掛けて話しかけることが多かった。

 会話を聞いているとどちらが年上か分からないような会話だったが。

 ランドルは意外と傍目には話しを聞いていないように見える無表情ながらも、聞かれたことには何でも答えていた。

 

 母がランドルと話している時は私はつい機嫌が悪くなってしまう。

 そんな私をルルがかなり気遣ってくれていた。

 家族に気を遣われて申し訳ない気持ちにもなる。

 同時に仕方ないだろうとも思ってしまう。

 どれだけ一緒に旅をしようが根っこの部分は何も変わらない。

 こればっかりはどうしようもない。


 いや、最近一緒にいる時間が長いせいでランドルのことで思考する時間が増えてしまっている。

 まぁ、思考している内容は嫌なことばかりだが。

 

 私は忘れるように頭を振るが、また嫌な情報が頭に浮かんでしまった。

 

 海竜王が中央の海域に移動したのを見た者が多く、それはルカルドから発って五ヶ月程のことだったという。

 かなり遠回りになってしまったし、トライアルも手紙を受け取ってくれたか分からない。

 兄を探すのを急ぐあまり、一年近く無駄な旅になってしまった。

 私がルカルドから経由すれば母とルルは着いてこなくて済んだし、私もいらぬ心配をする必要はなかっただろう。

 ただ、兄が生きている情報を母に教えれたからまだこれで良かったかなと思えるだろうか。


 そして一番心配なのは。


 海竜の群れが海域から離れて大移動したということだった。

 今までそんなことは起こったことがなく、異常な行動。

 その群れが向かった先はコンラット大陸の北部だ。


 今、何かが起きている。

 確か予見の霊人がいる町はコンラットの北だ。

 セリアお姉ちゃんがいるとしたら兄もそこにいる。

 もしかしたら二人も巻き込まれてしまったかもしれないと思うと心配でならなかった。

 その後海竜が海域に戻ってきた情報もない。

 海竜の群れがコンラット大陸で暴れてると思うとぞっとする。


 その情報を聞いた時に母とルルは心配していたが、ランドルは気にした様子もなかった。

 兄が心配ではないのか、苛立って皮肉を言ったが、ランドルは態度を変えない。

 本当に気に食わない。


 一番嫌なのは、こうやって最終的にランドルのむかつく顔が浮かぶことだ。

 前は兄とくっついていたらここまで気にならなかったのに。


 私は再度忘れるように強く頭を振ると長い前髪が潮風と共に揺れた。


 目の前に広がる景色に、初めて見た時はさすがに驚いた。

 しかし、もう船に乗ってから二ヶ月が経過していた。

 もう広大な景色には慣れてしまったが、眺めているとこんな時、無心になれることもあるので心地よかった。

 

 もうすぐ、コンラット大陸の通称魔術大国と言われている国。

 バルニエ王国だ。




 船が港に着き、休息を取ることもせず町から出ると、遠目でも天高くそびえる王城が見えた。

 港町とかなり近く、半日も歩けばバルニエ王国に着けそうだ。


 あそこに寄るのはレオンからの手紙を見る為だ。

 多分レオンは兄と接触してくれたと思う。

 絶対に情報があるはずだ。

 しかし、家の事情を知っていたら港町に出してもらったら良かったと後悔した。



 私の見立て通り半日歩くと、バルニエ王国に到着した。

 

 今まで見てきたどこの街、国よりも私の好みの美観だと思いながら歩く。

 向かう先は冒険者ギルドだ。

 

 港町からずっと私と母とルルはフードを被っている。

 ランドルだけ普段通りだが、この方がいいだろう。

 魔術師の国でランドルの図体は目立つが、その強面の顔で私達から距離を取る者が多い。

 

 母が危惧していたような問題は起きず、あっさりとギルドに着いた。


「お母さん、手紙受け取ってくるから待ってて」

「……」


 母は何も言わずに頷いた。

 この国で声を出すことも嫌らしい。

 そこまで警戒しなくとも、と思う気持ちが湧くのは家庭の問題を軽視しすぎなのだろうか。


 私が皆を残して冒険者ギルドに入ると、もう聞き慣れた足音がすぐ背後から聞こえる。

 さすがにもう気にすることはない。

 でも何処に行っても私の身を案じている気がして居心地が悪かった。

 この男に放っておいてと言っても変わらないのは分かってる。

 それに今回は兄の情報が手に入るかもしれない。

 兄の情報に関しては、ランドルと共有しないといけない。


 ここに来てから人に兄の情報を聞くことはしなかったから、心臓がトクンと跳ね始める。

 私は受付に行くとすぐ、自分の冒険者カードを見せた。


「レオンから私宛に手紙が届いてませんか」

「はい、少々お待ちください」


 しばらく受付が空になる。

 私は待つ時間ドキドキしっぱなしで、首元の真紅の宝石を握り、何とか落ち着こうとする。

 少し俯いていた顔を上げると丁度受付嬢が戻って来て、手には手紙を持っていた。

 私は自然に頬が綻んでしまう。


 手渡された手紙を受け取ると、子供のようにその場ですぐ封を切りたい気持ちを必死に押さえ込む。

 母とルルも今すぐに兄のことを知りたいはずだ、先に私だけ読むのは自分勝手すぎる。


 目立たないように走りはしないが、早足で冒険者ギルドを後にした。



 外に出て二人と顔を合わせると、母とルルは手紙を見てほっと胸を撫でた。

 兄を思う気持ちと、手紙を待ってここに滞在しないで済んだ安心感だろう。


 私は今度は躊躇なしに封を開ける。

 母と一緒になって想像より綺麗なレオンの字を読み始めるが。


「セリアお姉ちゃんが知らなかった……?」


 私は小声で思わず口に出してしまう。

 横目に見える母も、綺麗な白い肌が少し青ざめていくのが分かる。


 あまりのことに私はランドルを見てしまう。

 ランドルは驚いた表情を見せたものの、すぐに一人納得したように軽く瞳を閉ざした。

 そのむかつく顔から分かるのは――。

 兄を心配しているようには、見えない。


「落ち着け、よく考えろ」

「どうして落ち着いていられるの! だったら何処に――」

「お前はアルベルのことを神様みてえに思ってるだろ。もう少しあいつの身になって考えてみろ」


 ランドルが私以上に兄の何を知っているというのだ。

 兄はセリアお姉ちゃんと再会することしか考えてなかった。

 私の中の兄は絶対に自分の信念を曲げる人間ではない。

 私がランドルの態度に頭に血を上らせていくと、ランドルはまるで子供を諭すようだった。


「あいつだって人間だ。まだまだやりたいことも心残りもあっただろう。

 最後の瞬間に、簡単に死を受け容れれる人間なんて居ないさ」


「何が言いたいの! お兄ちゃんをそこら辺の人と一緒にしないで!」


 私は人目も気にせず滅多に出さない声量でランドルを怒鳴りつけるが。

 それでもこの男の態度は変わらなかった。


「あいつが生きてるって分かってるし、セリアの所に居ないなら逆に納得できる部分もある。コンラット大陸に居ないとなると一つしかないな」


 私は何が納得できるのか分からないが、後半はその通りだった。

 カルバジア大陸には絶対に兄はいないし、もしコンラット大陸にいれば嫌でも情報が入ってくるだろう。

 今まで考えてもなかったが、それならもう一つしかない。


「ドラゴ大陸……?」


「あぁ、俺は詳しく知らねえが魔族なら人間とは違う力を持ってるんじゃないか。あいつの体を治すこともできたかもしれない」


「でも、お兄ちゃんがドラゴ大陸に行きたがる理由がないでしょ」


 兄がドラゴ大陸の話をしているのは聞いたことがない。

 私とドラゴ大陸の知識もそんなに変わらないはずだ。

 しかし、ランドルは言った。


「だから、あいつだって人間だ。死にたくないと思ったかもしれないだろ」


 ランドルの言葉だが、私の心は強く握り潰されるようだった。

 私の中の強い兄はそんなこと考える人間じゃないと思っていた。

 実際、死ぬ覚悟で私達を守ってくれた。

 でもこの情報通りならランドルの言う通りかもしれない。


 私よりランドルの方が兄を理解していると思うと情けなくなった。

 

 私達が言い合いというか、私が珍しく大声を出したせいで、通行人からの視線を感じる。

 何も考えずに感情的になりすぎた、もう少し冷静にならなくては。

 ただでさえパッと見は目立つ集団なのだ。


 早く方針を決めなければいけない。

 私はランドルの憶測を聞いて少し肌色が戻っていた母に聞いてみる。


「お母さん、ドラゴ大陸のこと分かる?」


 私に何でも教えてくれる母なら知っているかもしれない。

 そう思ったが、母は動揺していた。


「さすがに分からないわ……」

「確か、魔族は言語が通じないと聞いたことがあります」


 ルルが淡々と言った言葉を理解すると、体にぞわりと嫌な感触が走った。

 今から私達がそこに向かうからではない。

 兄は言葉も通じない所に転移して今どうしているのか。

 私が呆然としていると、ランドルが言った。


「大丈夫だろう」


 さすがに一切兄の心配しないランドルに、これ以上ないまでに腹が立った。

 私は敵を見るような視線で低い声を出す。


「だから……貴方は何で――!」


 私が睨みつけると、ランドルは相変わらず涼しい顔で口元を動かした。


「パーティが解散されてるってことはドラゴ大陸にも冒険者ギルドがあるんだろ。アルベルが手続きしたのは間違いないし、一切話ができない訳でもないんだろ」


 悔しいが、ランドルの説明に納得してしまった。

 この男は兄のことになると私より冷静だ。

 というより、私の考えが足らなくなる。

 考えが足らない自分を責めるように唇を少し噛むと、頷いた。


「分かった……とにかく北に行こう。お母さんとルルはさすがにこれ以上は駄目だよ」

「でも……」


 歯切れが悪い母だが、さすがにドラゴ大陸までは共に行けない。

 ここでの母の心配ももうなさそうだし、問題ないだろう。

 かといって、じゃあここでなんて言って別れる訳にもいかない。

 ちゃんと話し合う必要があるだろう。

 とにかく移動したい、足を止めてまで私達を見る者は居ないが、視線が気になる。


「お母さん、話は別の場所で……」

「そうね、いい所を知ってるわ。私が行きたいだけだけど……」

「え?」


 うまく聞き取れず、聞き返すが母の表情は隠れて見えなかった。


「ううん、行きましょう」


 母に先導されるまま、何も疑問に思うこともなく、歩き続けた。



 その綺麗な風景より先に、甘い香りが私を包んだ。

 草木の緑の匂いと相まって、心地良く鼻に通っていく。


 初めて見た綺麗な景色だと思った。

 辺りは様々な種類の花が咲き誇っている。

 

 これだけで、いい国だなと思ってしまう。

 少し、複雑な感情だが。


「全然変わってない……」


 本当に母が懐かしそうに、何かを思い出すように呟いた。

 そして母の視点が一点に集中すると、誰も掛けていないベンチにゆっくりと歩み寄った。

 母は当たり前のように、あれだけ私に口を酸っぱくして言って徹底していたフードを取ってしまう。

 母が取るならいいのかなと思い、私もこの綺麗な景色と香りを感じるのが邪魔に感じるフードを取る。

 しかし、ルルだけはそれを咎めるような雰囲気だった。

 

「エリシア様、いけません」

「そうね、私は母親失格ね」

「そんな事ありません。しかし今は……」

「えぇ、ごめんなさい」


 二人が会話すると、母は私に向きなおした。

 そして申し訳なさそうに言った。


「結局貴方達の旅を遅らせるだけになっちゃったわね、ごめんなさい」


 そんなことない。本当にそう思う。

 私は珍しくこの数ヶ月間楽な気持ちで旅が出来ていた。

 海竜のことを知った時も、母とルルがいなければもっと取り乱していただろう。

 

「そんなことないよ。私でもお母さんに心配されて嫌になることなんかないよ」

「もちろん心配で来たのが理由だけど、この国に来たらここにも絶対に来ようと思ってたの。きっとエルの寂しがりやも頑固なところも、私に似たのね」


 今まで、あんまり母はそういう素振りを見せなかったが。

 少し苦しい表情を作りながらも、私に微笑みを向けた。


「大事な場所なの?」

「えぇ、貴方のお父さんとの思い出がいっぱいあるの」

「そうなんだ……」


 きっと私が母の立場だったら同じことをしたかもしれない。

 母のような恋愛感情ではないのは分かるが。

 兄を感じれるものを大事に思うのは、私もよくしていたからだ。


 でも、辛いけど――。

 

「お母さん、ここから先は……」


 来ないで、とも言い辛く、言葉に詰まってしまう。

 何度も拒絶するのは心苦しく、困ってしまう。

 

 カルバジアの南を移動していた頃なんかより、険しい旅路になる。

 魔物のランクが根本的に変わってくるのだ。

 私の気持ちを察するように、母は言った。


「分かってるわ。本当にエルは強くなったわね。アルがセリアちゃんと会えてたら、いつかは帰って来なさいって伝えてくれるかしら」

「うん、皆で帰るよ。お兄ちゃんもお母さんの顔見たいっていつも言ってたよ」

「そう、待ってるわね」


 最後に私に綺麗な顔で微笑みかけ、私の髪を優しく撫でると私の想像よりあっさりと話し合いは終わった。

 

 一応母とルルを港町まで送り、また北へ登ることになるだろう。

 二人がカロラスに戻るまでに危険になるようなことはないと思う。

 私はようやくほっとし、再び顔を隠して花園を出ようとする。

 もうこの綺麗な花々を見ることはないだろう。


 そう、思っていたのだが――。


 私達の正面から歩いて来ていた男の一部が兄と似ていて気になりさっと目をやってしまう。

 その一瞬で、目が合った気がした。

 男は驚く表情を見せながらフードの下の私の顔を覗こうとするように、ゆっくりと近付いてきた。

 そして私の目の前に来ると、私の知っている名前を呼んだ。


「エリシア……?」

「っ――!」


 少し高い男が恐る恐るといった様子で私に言うが。

 その声を聞いて、母はすぐにフードを深く被りなおす仕草を見せた。

 

 私は近くで見ると、すぐに分かってしまった。

 兄と似た赤茶の髪色をした三十代程に見える男性が驚愕の形相で母を見ている。

 いや、正確に言うなら、母に似た髪だろうか。

 綺麗な服装を見るに、いい暮らしをしているんだと分かる。

 そして母と性別は違うが、顔立ちは母に似ていると思った。

 

 私は返事を返す事もしないが、男は一人考えるようにぶつぶつ呟いた。


「いや、髪の色が違うか……それにあれから歳を取ってない訳もないな。申し訳ない、人違いのようです」


 男は礼儀正しく礼をすると私に背を向けようとして私は胸を撫で下ろすが。

 男は最後に横目にちらりと母を見ると、母は深く下を向いた。

 その拍子に母のふわりとした特徴的な赤茶の髪がフードから零れ落ちる。


 普通なら、何も問題にならない事だが。

 その男にとっては違った。

 また足を止めると、私を覗いた時よりも食い気味に母に詰め寄った。

 そして、後ろに下がろうとした母のフードを強引に剥いて顔を露出させた。


「やっぱりだ! 間違いない! それに、そこにいるのはルルだろう?」


 驚きの声からは何か嬉しさも伝わってくる。

 ルルは肯定しないべきだと思ったのか、下を向いて口を閉ざしていた。

 しかしそんな中、母は体を震わせながら口元を小さく動かした。


「カルロ兄さん……」


 母から出たのは子供のような言葉だった。

 事情は聞いていたが、母に兄弟がいたのは聞いてなかった。

 しかし身分を考えると一人娘の方が不自然か。

 いや、それよりもこれはまずいのではないか。


「父様は死んだとしか言わなかったけど、おかしいと思ってたんだ」

「死んだことになってたの……?」

「そうだ、やっぱりあの死体は闇魔術で用意されたものだったか。

 父様の様子がおかしかったし、僕には本物に見えなかったんだ。

 他の兄弟達は喜んでいたけど……」


 その言葉に母はほっとする様子を見せていた。

 話を聞いた時に、何故追ってがこないのか分からないと言っていた。

 セルビア王国で闇魔術の説明を聞いたから私にも分かる。

 偽造した死体は、用意できるものだと。


 母は安堵した表情で、カルロと呼んだ男を信用しているように見えた。


「カルロ兄さん、私がここに居たことは言わないでほしいの」


「何を言ってるんだ、僕があれからどれだけ傷心したか。

 父様は何も教えてくれないし。とにかく話を――」


「もう行くわ、ごめんなさい」


 私に一瞬視線を送って歩き出す母を私もすぐに追うが。

 すぐに背中から声が掛かった。


「エリシア、事情があるなら話を聞かせてくれないか……」


 母にカルロと呼ばれた男は母より年上に見えるのに、今にも泣き出しそうな声を出した。

 その声を聞いた母は、立ち止まってしまった。

 多分、二人の関係は私が想像しているよりずっと良好なものだったのだろう。

 母を見るカルロは、本当にただ母を心配しているように見える。


「エル、行きなさい」


 小声で言う母だが、さすがにこんな状況で母を置いてはいけない。

 私は首を振って拒否すると、カルロは再び私の顔を覗きこんだ。

 もう一度見られているし、顔を隠す意味もない。


「エル……? エリシアにそっくりだったけど、もしかして……」


 母の小声も拾っていたようで、私の名前を呼んだ。

 これはどうするべきか。私は動揺してしまうが、母は嘘を吐けなかった。


「娘よ、何となく分かってくれたんじゃないかしら」

「セシリオ王子の元へ行くのが嫌だったのか……?」

「大好きな人と一緒に居たかったの、お願いだからもう行かせて」

「駄目だ、とにかく家に戻ってくるんだ。僕からも口添えしてあげるから。

 それに何処に行こうが、生きてると分かった以上絶対に探し出す」


 優しいのか脅迫しているのか分からない。

 この母の兄らしき人物は、母のことが大好きなのだろう。

 それは伝わってくるが、今はただ迷惑なだけだ。


「私を家に連れて帰ってどうするつもり? お父様からすれば迷惑なだけよ」

「そんな事ないさ。父様はエリシアを一番気にかけていたじゃないか。きっと心配していたはずだよ」


 この男に何を言っても無駄なように見える。

 ランドルに言って殴ってもらおうか。

 いや私も闘気が使えるし、私で十分だ。

 私が拳に少ない闘気を乗せている途中。

 

 母は諦めたのか、溜息を吐くように感じる声を出した。


「分かったわ……でも、この子のことは忘れてちょうだい」


 私の頭に優しく手を乗せる母に、カルロも頷いた。


「エリシアが戻ってくるなら、それは約束しよう。

 娘がいるのが分かればまた問題も出てくるからな……」


 カルロの言葉からは嫌な想像しか浮かばない。

 さすがに私も母を放ってここから立ち去ることはできない。

 初対面の私はこんな男放っておけばいいと思ってしまう。

 でもこの男が母にとっての私の兄のような存在なら、無下にはできない。

 今すぐに兄の元へ向かいたいとしてもだ。


「お母さん、私も行くよ」

「駄目よ」

「嫌。私が頑固なの知ってるでしょ」


 私が譲らない姿勢を見せると、母は辛そうな表情を見せたが、同時に諦めたようだ。

 私の性格を知っている相手だと言い合いにならないし楽だ。

 しかし、このままではどうなってしまうのか全然想像がつかない。

 兄がいたら、お兄ちゃんならどうしただろうか……。


「全員で来るんだな、もうそれでも構わない。えーと、それで君は?」


 カルロは私達の中で一番異質な存在のランドルを見上げるが。

 ランドルは無表情で淡々と言った。


「護衛みたいなもんだ」

「そうか、それはご苦労だったね。もう大丈夫だから好きな所に――」

「駄目だ。もしこの女達に危害を加える奴がいれば、誰だろうと殺す」


 今にも斧を振り回しそうな形相で凄み、威圧するランドルに、カルロは一歩後ろに下がり足が竦むが、最後には頷いた。


「分かった。大丈夫、エリシアの為を思ってやってることだからね」


 私達はカルロに率いられ歩き出した。

 

 


 屋敷に着いた時は驚いた。

 セルビアでもらった屋敷より遥かに大きく、玄関には使用人のような男や女達がうじゃうじゃいた。

 ここまで来ると、私達はフードを被るのをやめた。

 

 何度も逃げ出そうかと考えたが、北に向かう私達に母とルルを付き合わせる訳にはいかない。

 ここで穏便に事が終わってから行ったほうがいいと最終的に考えたが、間違いだったかもしれない。

 

 使用人が母を見て驚くと屋敷に駆け込んでいき、中が騒がしくなると、しばらくして私達を中に入れた。


 案内されるまま広い空間の部屋に着くと、十人以上囲めそうな長いテーブルが置いてある。

 そこには既に一人の男が座っていた。

 執事のような人間が、男に頭を下げながら口を開いた。


「エリク様、エリシア様がお戻りになられました」


 エリクと呼ばれた男は老けていて、五十歳ほどに見えるだろうか。

 白髪を短く切り揃え、威圧するように母を見ていた。

 その空間の中、真っ先にカルロが声を上げる。


「何でエリシアが死んだと嘘を吐いたのですか! これは許されることでは――」


 その言葉を無視するように、シャンタルの方が溜息を吐きながら口を開いた。


「何故帰ってきた。やはり私が思ってた以上に、お前は馬鹿な女だ」」


 私の歳を考えるともう十六年以上ぶりに母の顔を見ただろうに、全く嬉しそうではなかった。

 それどころか怒っているようで、母を娘と呼ぶこともしない。


 それは母も同じようで、不機嫌な顔に見えた。

 私は母がこんな顔をするのを初めて見て驚いた。


「昔は自慢の娘としか言わなかったのにね」


「お前は子供達の中で一番不出来な存在だったと、気付くのが遅かった私も愚かだった。あの夜、お前を縛っておくべきだったと後悔したこともあったが、今ではあれで良かったと思っていた。お前のような愚かな女の存在は抹消した方がいい」


「私もその方が都合がいいわ」


「なら、何故戻ってきた。理解できんな」


「カルロ兄さんに無理やり連れてこられたのよ。もしかしたらって思ったけど、私が馬鹿だったみたい」


 母はこんな父親に何を思っていたのだろうか。

 やはり自分の親というのは母にとって特別だったのかもしれない。


「しばらく見ない間に行儀が悪くなったな、やはりろくでもない男と共にいると品位も落ちるものだ」


 エリクは私の知らない父のことを知っているのだろうか。

 そして、母は少し髪が乱れたように見えるほど、怒りを露にした。

 私や兄に説教する時に見せる顔ではない、ただ、怒っていた。


「私の好きになった人は誰よりも素敵な人よ。もうカルロ兄さんも満足しただろうし行くわ」


 母の怒りの形相にカルロは驚いて固まっており、背を向ける母を止めることはしなかった。

 この険悪な雰囲気で母がここに居る意味もないだろう。

 少し安心して私達も母に続いて去ろうとするが。


 エリクは違っていたようで、低い声を出した。


「待て、エリシア。ここに姿を現した以上もう帰す訳にはいかない」

「…………」

「この騒ぎだ、隠してもいつかは殿下の耳にも入る」

「十年以上前の女なんて、気にもしないでしょう。もう私も老けたわ」


 母は自分を老けたというが、全然そんな風には見えない。

 確かにもう三十を超えているだろうが、二十代といっても分からないだろう。


「お前は勘違いしているな。殿下はまだお前のことを気に掛けている」


 その言葉に、母は驚いた表情を作る。

 

「そんなの、なら何で――」

 

「お前は死んだことになってる。隠蔽する為に相応の血も流れた。殿下を騙した罪は免れないが、その場にお前がいればまだこの家は守れるかもしれん。お前も自分のせいでカルロが罪人になるのは本意ではないだろう。それに……」


 最後にエリクは私の顔を見た気がした。

 それは気持ちの良い視線ではなく、何かぞくりとする感覚だった。

 私はすぐに視線をずらすが、そんな様子に母は気付かなかった。


「それに、何かしら」

「いや、とにかくここに居ろ。カルロ、王城へ行け。内容は言わなくても分かるな」

「はい……」


 ここに来るまでは口添えするとか言っていたカルロだが。

 雰囲気に呑まれてただ言われるままに部屋から重い足取りで出て行った。

 元はと言えば全部この男のせいだ、自分勝手な我儘で母を窮地に立たせただけじゃないか。

 無責任な男だと思い、腹が立つがそれどころではない。

 私がどうするか悩んでいると、私の後ろでランドルが私にだけ聞こえるように小声で呟いた。


「暴れるか?」


 当たり前のように言うランドルだが、どうなるだろうか。

 兄だったら穏便に事を片付けれるのだろうかと考えるが……。

 いや、最後まで力任せに事を解決する必要はない。

 それは最終手段だ。

 ランドルは嫌いだが、強いのは間違いない。

 私と母もそこら辺の魔術師より優秀だろう。

 ルルも実際に戦うところを見ていないが戦闘経験があるようだし。


 どうにもいかなくなったら、戦って逃げればいいだろう。

 追われても撃退すればいい。

 私は思考が終わると小声で呟いた。


「それは最後にする」


 私がそれだけ言うと、返事は返ってこなかったが頷いているランドルが想像できた。

 

 そこから、椅子に座ることもなく一時間は経っただろうか。

 母は私に国から出て欲しいとルルと説得していたが、何を言われても私は動かなかった。

 何故母は、強引に帰ろうとしないのか。

 あんな情けないカルロのことを気にかけているのだろうか。

 私にはあんな奴を気遣う母の気持ちは理解できなかった。

 


 しばらくすると、再び扉が開いた。

 その先にいる人物を見た瞬間、エリクが立ち上がり、深く頭を下げた。


 カルロが開いた扉の先にいるのは、母と同じ年頃だろうか。

 綺麗な上品すぎる身なりをして、明るい茶髪を肩下まで伸ばしている男だった。

 少し、ルカルドに居たロークに似ているだろうか。

 しかしロークよりも体を鍛えているように見える。


 この国にいる者は魔術師ばかりで体を鍛えている人間はなかなか見なかった。

 しかし、剣を掛けていないし剣士ではないのだろう。

 そもそも服装からして戦士の想像はできない。


 そしてその後ろにいる男。

 その男は、間違いなく剣士だった。

 私にでもわかる業物の剣を掛けていて、四十歳程に見えるだろうか。

 白髪の髪が眉にかかる程度に切られていて、少し顔立ちと佇まいが迷宮のボスに似ている気がする。

 魔術師の私にも手錬なのは分かるが、どれ位のものかは分からない。

 ランドルが一瞬険しい顔を作るのを横目で見てしまった。


 私が剣士を見て警戒していると、見た目は上品に見える男が母を見て驚きの、人はこれほど驚けるのかと思えるほどの表情を作ると、口を開いた。


「本物だな……やはり、他の有象無象とは違う」


 この男が、恐らくセシリオだろう。

 母は眉をひそめて険しい表情だが、私を背中で守るように少し隠した。

 

「俺を騙した罪は重いが、今はいいだろう。刑は追って言い渡す。

 事情は後だ。今はエリシアを連れていく」


 一言も発さない母を無視して、勝手に話を進めていくセシリオ。

 エリクも当たり前のように了承する。

 そんな中、母は口を開いた。


「私はもう他の男性のものですから」


 諦めさせるようにそう言うが、そんな事でこの男が引き下がるとは思わない。

 しかしセシリオは驚き、意外にも険しい顔を見せた。


「何だと……何故、お前は……」


 このセシリオは何を葛藤しているのだろうか。

 私には分からない。


 でも――。


 セシリオは母への執着とは別に、本当に納得できてなさそうに見える。

 意外と母を自分の物にしようとはしないかもしれない。

 そんな事を思ったのだが。

 

 母しか目に入ってなかったのか、初めて私に気付いたように視線を合わせてきた。

 母がすぐに私の前に立つが、その前に見えてしまった。

 驚きから次第に気味の悪い笑みに変わっていく男に、私は背筋を凍らせた。

 これは、女としての直感だ。


「世界に一人だけだと思っていたら、そうでもなかったようだ。あの日をやり直すことも、できるのだな」

「待ってください! この子は――」


 また勝手に話を進めおぞましい事をいうセシリオに、もう無駄だと思った。

 話し合いで解決できる問題ではなかったのだ。

 母が言い終わる前に、前に出ると私はセシリオに杖を向けて口を開いた。


 「ランドル」

 「あぁ」


 私が名前を呼ぶとすぐに背中に担いでいた斧を構える。

 ランドルは敵の剣士を見るとやはり険しい表情になる。

 しかし、確認するように私に聞いた。


 「殺していいのか?」

 「いいよ」


 私達の会話に周りは慄然としているのが分かるが。

 最初からカルロに付き合わないで逃げて置けばよかった。

 結局兄とは違い、私には力任せに解決するしかなさそうな事だった。


 それに王子だろうが何だろうが、家族に危害を加えるやつは殺してもいい。

 何か考えていると思う母には悪いが、どうせ追われるのは変わりないし、ここにいる奴全員殺してしまって跡形も無くしてしまったほうがマシかもしれない。

 兄とセリアお姉ちゃんと合流できれば何も怖いものなんてない。

 私の大好きな二人に勝てる奴なんていない。


 しかし、想像とは裏腹にセシリオは余裕そうな表情を見せていた。

 

 もちろんランドルが気にするわけがない。

 当たり前のように、首を跳ねようと斧を振る動作を見せる。

 常人には持ち上げる事もできない重量の斧だ。


 ランドルは私にも見えない速度で斧を薙ぎ払う――。


 キィンと甲高い金属音がすると、セシリオの前にさっきの剣士が間に入って斧に剣をあわせていた。

 ランドルの巨体が振る斧を、片手で軽々と受けている。

 剣を抜く動作すら、私には見えなかった。


「ブラッド、この男は殺していい。首は刎ねるなよ、この女が汚れるのは許さん」

「結構面白そうな男なんだけどなぁ、お前も興味が湧くかもしれないぜ?」

「湧かん。取引が終わるまでは俺の命令に従え」

「そうかよ」


 この状況で余裕そうに会話する二人に、額から冷や汗が流れる。

 何故かはわからないが、今までの経験から来る直感か、まずいと感じる。


 ブラッドと呼ばれた男は、斧を合わせているランドルを無視して私に目を向ける。

 そして、ランドルの豪腕で押し付けられた斧を力技で跳ね上げると、冷酷な瞳を私に向けて剣を振った。

 理解したのは、私の首が飛ぶということ。


 私の身体能力では回避することができない剣速だったが、首は離れなかった。

 ランドルの巨体が私の間に入り、相手の高速の剣を斧で捉えていた。

 今までと違ったのは、ランドルが私に視認できるほどの闘気を纏っていた。

 ランドルの身を包むように黒い闘気が漂っている。

 この闘気の威圧を浴びようが、敵の二人はそれに注目することもなく会話を始める。


「おい、ブラッド……ふざけるな。何故女を殺そうとした。さすがのお前でも許せない」


「俺は気分屋だからなぁ、ま、お前に言っても仕方ねえことさ」


「チッ……女は絶対殺すな。分かったらさっさとこの男を殺せ」


「はいはい、気付かねぇもんかねぇ。ま、いいか。

 でもさっさと殺せるかは分からねえけどな。

 剣士じゃないが、なかなか骨がありそうだ。お前でも分かるだろ?」


「この歳で具現化できる闘気を持つなら、限られた人間の一人だろうが。

 運が無かったのだろう。お前の問題になる相手ではあるまい」


 ブラッドは機嫌よさげにランドルを興味深く眺める。

 ブラッドは余裕そうにしているが、私の目には闘気の差でランドルの方が強く見える。

 初めて私が見るランドルの闘気は、兄と比べると劣るが大きいと思った。

 ランドルは、いつの間にこんなに強くなったのだろうか。

 ランドルに少し安心感を感じてしまう。


 しかし、ランドルは違った。

 

「エル! 逃げろ!」


 私の考えを他所に、ランドルは切羽詰った様子で怒鳴りつけた。

 さすがの私も言われるままに逃げることはしない。

 魔術で壁を破って逃げることもできない事はないだろうが、二人で戦う方がいいに決まってる。

 もしランドルが死ねば兄に顔向けできない。

 

 私は無視して中級の風魔術の詠唱を唱えるが。

 途中で止まってしまった。


 ブラッドは急に瞳に殺気を篭めると、闘気を爆発させた。

 紫色の闘気が広い空間を包み込み、息苦しさを感じる。

 私の額からだらだらと、とめどなく冷や汗が流れる。

 こんな闘気を見るのは、迷宮のボスに続いて二人目……。

 今まで手を抜いていたのか、私が詠唱を止めたまま固まっていると。

 ブラッドが、剣を振るわけでもなく、声を出した。


「へぇ、よし。お前は逃げてもいいぞ。殺すのは勿体ねえや」

「ブラッド、いい加減にしろ」

「お前に何と言われようが、俺は自分で納得しねえと斬らねえよ」

「チッ……」


 ランドルはそんな言葉を投げかけられようが、無視して斧を薙ぎ払う。

 しかし、いとも簡単に防がれる。

 その衝撃は室内の空気が揺れ、突風が巻き起こるほど。

 それに斧を振ったランドルの方が剣と斧の衝突の衝撃に、苦しそうにしているようにすら見える。


「いや、この男には意味はなかったみてえだな。なぁ、殺す前に一つ教えてくれよ」


 もちろんランドルが敵に耳を貸すことはないが。

 ブラッドは気にすることもなく、続けた。


「何で勝てないって分かってんのに対峙できる? お前が死んでこの女達の未来が変わるならまだ分かるが、何も変わんないぜ。意味のない死だとは思わないのか?」

「お前には関係ねえ」

「そりゃそうだな。お前の名前は?」

「うるせえよ」

「そうか」


 二人の会話に混じり、後ろから母が焦ったように障壁魔術を唱えるのが聞こえる。

 母の声にやっと我に返るが。

 母のその詠唱も途中で終わった。


 母に何かがあったわけではない。

 目の前に映った光景に、私達は固まってしまった。


 「クッ……」


 ランドルの呻き声が聞こえるのと同時に、ランドルの分厚い鎧に守られた左胸が剣によって貫かれていた。

 私達はその光景に固まってしまう。

 何秒止まっていただろうか、ランドルが倒れることはなく、時間が止まった感覚。

 

「心臓を貫いてもまだ立っているとはな、やっぱ勿体ねえなぁ」


 感心するような表情のブラッドと呼ばれた剣士の男の言葉に、私は覚醒する。


「ランドル!」


 焦り、声を上げながら治癒魔術を詠唱することも忘れてランドルにすり寄るが。

 それは敵わなかった。

 私がランドルに触れる前に腹に何か打ち込まれた感触。

 痛みも感じないのに、視界が歪んだ。

 次第に呼吸ができなくなっていき、意識が遠くなっていく。

 母の駆け寄る足音と悲鳴に遮られながらも薄く聞こえる声の中、私は少しずつ足の力を失っていった。


「何だ――つは――て帰るぞ――」

「そう――間じゃない――」


 私の意識は沈んでいった。

 

色々謎な部分が多いと思いますが、後で説明しています。

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