第六十三話「闘気の可能性」
マールロッタを経ってから数日が経過した頃。
魔術大国への最短距離を進む為に崖があろうが登り、小さい湖なら飛び越えて移動していた。
フィオレが辛そうな状況ではさすがにセリアが背負っていたが。
そして、当たり前のように稽古が始まる。
景色のいい湖の傍だった。
セリアも四人で稽古するなんて初めてで嬉しそうだった。
もちろんセリアはクリストの極めた闘神流の技に戦慄した。
クリスト本人は極めてはいないと言っているが、俺達からすれば高みにいるのは間違いない。
しばらく二人が打ち合うのをフィオレとぼーっと眺めていた。
「クリスト、凄いわね!」
「そんな事ないさ、セリアは天才だからな。三人共いつかは俺より強くなるさ」
セリアは楽しそうで、クリストが満足そうだった。
セリアの横に美形が並ぶとどうにもお似合いに見えてしまう。
もちろんお互いにそんな気持ちはないのは分かっているし、ただの俺の僻みなのだが。
しかし、俺とクリストの関係は師弟関係だが。
セリアとクリストは何か違うように見えるな。
クリストがセリアを俺とは違う目で見ている気がする。
その雰囲気はどこかで見たことがあるような気はするが、まぁいいか。
「そういえばアルが海竜と戦った時、闘気飛ばしてなかった?」
俺を見てそう言うセリアに、座り込んでいた俺は立ち上がった。
セリアもあれが闘気だと分かっていたか。
「闘波斬って言うんだよ。使ったら闘気減るけどね」
「え? 闘気って減るのね……」
俺と全く同じ反応だ。やっぱり驚くよな。
少し驚いているセリアを他所に、クリストに視線をやると「あぁ」と言いながらすぐに気付いて近寄ってくる。
そして、クリストが相変わらず雑にコツを教えると、セリアはさっそく実践するようで少し腰を落とした。
風鬼がセリアの青い闘気で発光すると、空に向かって斬撃が飛んでいく。
その刃は雲を斬り裂き、俺が鬼族の村で初めてやった時のように次第に消え――ることはなかった。
天まで突き抜けるように、刃は見えなくなっていった。
あれ、初めてやった時の俺より凄くない?
「わぁ! これ凄いわね! アルみたいにはできなかったけど」
俺のは一年必死に練習したからな……。
それにしてもセリアはさすがだな。
「俺は初めてやった時途中で消えちゃったよ。やっぱりセリア凄いよ」
初めてやることに女の子に負けるのは昔だったら嫌だっただろうが。
今の俺はそんな気持ちはない、相手はセリアだしな。
俺はセリアの背中を追いかけるのが好きなのだ。
しかし、俺も剣術を頑張らないとな、反則の闘気に甘えてしまってる自分がいる。
そう思うとこれを見させられたのはいい事だった。
「そうなの? 嬉しいわ! 闘気が刃になるなんて考えたことなかった!」
嬉しそうにハイテンションで話すセリアは可愛い。俺も気分が上がってしまう。
そして、何で気付かなかったんだろうと思ったことがあった。
闘気を刃にするのはイメージだ。
別に、刃に限らないんじゃないだろうか。
俺はセリアに返事を返すことも忘れて、コートを脱ぎ捨てた。
いきなりの俺の行動に呆気に取られる皆を置いて勝手に集中する。
しばらく纏う意味がなかった左手に、赤い闘気を具現化させる。
イメージは、もちろん腕だ。
赤い闘気がうねうねと動きながら次第に腕の形になっていく。
少し仰々しいが、一応赤い闘気の腕が生えた。
しかし……。
「うーん、指先を自由に動かすのはさすがに無理だなぁ……」
形を取っただけで、自由自在に動かすのは無理だった。
闘気のコントロールの要領で動かすと、のろのろと闘気で出来た歪な指先が動くが……。
なんとか剣を握ったとしても、むしろ戦闘の邪魔になるだろう。
訓練すれば使えるようになるかもしれないが、それなりの時間が必要になると思う。
俺の突拍子もない行動を見ていたクリストは、半開きの口のまま言った。
「なるほどな……長い間生きてたけど考えたことなかった。アルベルは発想が柔軟だな」
感心したように俺を褒めるクリストだが。
この世界で具現化できるほどの闘気を纏えるのは一部の剣士だけだ。
そして俺が色々な剣士を見てきて分かっている事だが、剣士は新しいことを考えない。
英雄の残した剣術を極めることしか考えていないのだ。
これが魔術師だったら、もっと早く色んな応用がされていたかもしれない。
「でも、結局戦いには使えなさそうだ」
意味がなかったと付け加えて言う俺に、皆残念そうだった。
俺もせっかく作った腕の形を戻すのは名残惜しく、付近の木に向かって闘波斬のイメージで飛ばしてみた。
俺の赤い腕が飛んでいくと、太い木に風穴を開けて消えた。
自分でやっておいて驚いていると、背中から声が掛かった。
「使えそうじゃん」
「闘波斬で良くないか……」
「まぁ、剣がない時とかさ」
そう言われれば確かにと思うが、剣士が剣を持っていない時なんかない。
しかも具現化するほどの闘気が必要なこともあり、飛ばしたら結構な闘気が減った。
闘波斬の減る量とほとんど変わらない。
やっぱり無駄だなと再度思っていると、セリアが気分が上がったのか少し頬を染めて言った。
「アルはやっぱり凄いわね!」
満足そうなセリアを見ていると、意味はあったと思ってしまった。
うん、これからも弱い魔物が相手の時はたまにセリアの前で意味なく使ってみよう。
こうして、セリアが喜ぶだけの技が誕生した。
しばらく皆でこれで何かできないかなーと考えていると。
俺は湖を見て思い至った。
前世の漫画やらの知識を考えると、結構定番だよな。
再びコートを脱ぎ捨てると、皆が俺に集中する。
俺は何も言わずに湖に近付くと、水面に片足を乗せた。
足裏に闘気を集中し水面を押し出すように、自分の体重を支えれる闘気を放出する。
そして水面に体重を乗せ、沈まないバランスを調整すると両足を水面に乗せた。
「おおお……」
思わず自分で感嘆の声を上げてしまう。不安定だが、水面に立っている。
どきどきしながら数歩歩くと、ふらつきながらも進めた。
走ればすぐにひっくり返りそうだが。
しかし、これも地味に闘気が減っていくぞ……。
俺達の闘気量なら問題ないかもしれないが、戦闘しながらこれを維持するのは大変そうだ。
いや、水上で戦うことなんかないだろうけど。
考えるのを止めて俺が慎重に振り向くと、皆の驚く顔が並ぶ中、一人だけすぐに嬉々とした表情になった。
「足に闘気を送ればいいのか! 俺もやるぜ!」
クリストは俺と違って躊躇する事もなく水面に両足を一気に乗せるが。
バシャン! という音と共に沈んでいった。
その光景に全員が唖然としている。
さすがに適当すぎるぞ……。
しばらくして、クリストが訝しげな表情で水面に浮かび上がると俺に近付いた。
「どうなってるんだ、ちょっと見せてみろよ」
そう言って俺の足を乱暴に掴み眺めようとするクリスト。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! うわっ」
当たり前のようにバランスを崩しひっくり返った。
水が跳ねる音と共に、剣の重量で俺の体は沈んでいく。
魔物が住んでいない湖で良かった、さすがに水中戦闘の経験なんてないしな……。
というか、覚えとけよクリスト……。
水中から湖に差し込む日差しを見ながら、復讐を誓った。
しばらくすると俺とクリストはパンツ一枚になっていた。
セリアとフィオレが俺の髪と体を拭いてくれる。
クリストはぶつぶつ文句を言いながら火を起こして服を乾かしていた。
レイラも風を起こしてくれている、こんな精霊の使い方をする奴もなかなかいないだろうな。
「文句言いたいのはこっちだろ……」
「お前だけずるいぞ、後で教えろよな」
「分かってるよ。あー冬じゃなくて良かった」
「いいじゃん。いい思いしてるだけだろ」
そう言ってセリアとフィオレを見るクリストだが。
まぁ確かに、いい思いはしてるかもしれない。
可愛い子二人に体を拭いてもらえる経験はなかなかできない。
まるで王族にでもなったような気分だ。
「師匠はもう船がいらないですね!」
フィオレが嬉しそうにそんなことを言っているが。
俺は考えてみる。
もし水面を全力で走れるようになったら、イーデン港からだったら一日もかからないかもしれない。
もっと早くに気付いていればルクスの迷宮に挑むこともなかったか。
しかしこれで良かったと思うのは今までのことがあったからだろう。
別れてしまったエルとランドルのことを思うとやるせないが。
二人には悪いと思うが仕方ないだろう。
二人共強いし、エルは賢く、ランドルは人を観察する能力がある。
再会する二年程度に大きな問題も起きなさそうだしな。
俺は二人のことを考えるのは止めて口を開いた。
「フィオレもその内できるようになるよ」
フィオレはまだ体を鍛えて一年程度だ。
常人からでも見えるほどの闘気はまだ持っていない。
それでも、フィオレの才能ならすぐに闘気は大きくなるだろう。
ただでさえ、闘神流は闘気を極める流派だしな。
「また海竜王に航路を塞がれても大丈夫ね!」
セリアも俺と似たようなことを考えていたようだった。
しかし、今思えば海竜王の縄張りに入ったら襲ってくるのだろうか。
「俺も似たようなこと考えてたけど、海竜王と戦いになったらやばそうだね」
「何で? 倒せばいいじゃない」
首を傾げながら当たり前のように言うセリア。
そういえばそうだった、セリアはこんな子だった。
最近は再会したこともあって妙にしおらしく、可愛かったが。
元々は元気良くて血気盛んな子だったよな。
まぁ、俺は全部好きなんだけど。
俺が口を開こうとすると、先にクリストが口を挟んだ。
「やめとけ、竜王は強いからな」
俺を魔竜の群れに連れて行った奴の言うことではないと思うが。
やっぱり王ってだけで全然格が違うのだろうか。
クリストは何でも知ってるし、聞いてみるか。
「海竜王ってそんなに強いの?」
「いや、俺も海竜王は見たことないから分からないけど。
他の竜王は強かったぞ。思い出すだけで、何で今生きてるのか……」
クリストは思い出したのか少し体を震わせた。
というか、戦ったことがあるのか……。
ルクスの迷宮に挑む前は海竜王を狩りたいとか軽い気持ちで考えてたが、戦えなくて良かったな……。
「皆で戦ってもだめなの?」
しかし、セリアは納得していないようだった。
そんなセリアが俺達を見回し言うが、クリストは少し悩む様子を見せた。
「どうだろうな、俺もあの時より強くなったし……。
でも闘神が苦戦してたのを見たのは災厄と竜王だけだしなぁ」
闘神の名前は敵の強さを表すのに分かりやすい。
クリストの話を聞いていると闘神は無敵に思える、もはやおとぎ話並みだ。
そんな闘神が苦戦するってもうやばいのだろう。
正直勝てる気がしないな。
セリアはまだ闘神の詳しいことを聞いてないので、よく分かってなさそうだが。
「というか、そんなのが一斉に襲ってきたらやばくない?」
災厄が様々な種類の竜王をけしかけてくるのを想像するとぞっとする。
しかし、クリストは俺を安心させるように言った。
「あー、それはないぞ。それにもしあったとしても、
竜王達はお互いに敵意を持ってるから大丈夫だ。
災厄に操られていようが横に並んだら喧嘩するさ」
「安心したよ。竜王ってどのくらいいるの?」
「そもそも、もう海竜王しか居ないんだ。アルベルが生きてる間に生まれても、脅威になることはないだろうな」
その種類の竜の中で一番固体がそう言われてるだけだと思ってたけど。
一頭しかいないなら俺が考えてるのとちょっと違うのかな。
「竜王の基準って何なの?」
質問責めだが、クリストに気にした様子はない。
ドラゴ大陸からずっとしていることだ。
「闘気を使える固体が竜王だな。別に理由なんて気にしてなかったけど、
精霊王の説明で分かったよ。人でいう霊人みたいな感じじゃないか」
当たり前のようにクリストが言うが、驚愕の事実だ。
何千年も生きてる竜の闘気の大きさなんて想像もできないぞ……。
霊人ということは、他の世界で生まれた魂を持った竜ということか。
そう考えるとこの世界の竜王がごろごろいる世界もあるのか、恐ろしいな。
俺は驚きながらセリアを見ると、俺とは反応が違った。
「あれ? セリア驚いてないの?」
セリアはへぇーと感心している程度で、全然動じてなかった。
何だ、この俺との差は。
セリアのハートは鋼鉄だな。
俺が女でセリアが男のほうがしっくりきそうな気さえするぞ。
「だって私、迷宮のボスも魔物だと思ってたから」
あぁ、なるほど。
俺はすぐに人間だと分かったけどセリアは何年も勘違いしてたのか。
セリアなら勘違いしてなくても物怖じしなさそうだけど。
「とにかく、できれば戦いにならないことを祈るよ……」
今までこんなことを言ったら絶対に実現されてきたのを思い出す。
フラグを立ててしまったと後悔して溜息を吐いてしまう。
そんな俺を見て、何故かセリアは微笑んでいた。
竜王と戦うのが楽しみなのだろうか、そんなことを思ったが。
「アルと一緒なら何にも負けないわよ!」
自信満々に言うセリアに、確かに、と俺も考え直した。
そうだな、セリアがいれば俺は無敵だ。
竜王にも、災厄だろうが負ける気はしないな。
もちろん怖いと思う気持ちはあったりするのだが。
しかし、セリアと共に戦っているのを想像すると、自然に頬が綻んだ。
するとセリアは、横にいるフィオレの頭に手を置いて優しく撫でた。
「もちろんフィオレもね」
「セ、セリアさん……」
フィオレは照れた様子で頬を染めている。
しかし頭を撫でられるのは心地良さそうだ。
うん、やっぱり二人を見ているだけで微笑ましいな。
「何で俺は入ってねえんだよ……」
機嫌が悪そうなクリストを無視して、俺は薔薇色の空間で癒されていた。
そんな感じに、俺達は和気藹々としながらも旅は続いた。
水面を駈けることもできるようになり、旅の歩みは更に早くなった。
一番早く習得したのはセリアだった。
やはり感覚的なものはセリアが得意なようだった。
その次に俺で、最後にクリストだ。
フィオレは闘気が鍛えられるまでお預けだ。
そしてクリストは新しいことを覚えるのが苦手なように見えた。
闘神の剣術に近付くことしか考えてなかったようだし、思えば当然かもしれない。
水辺を見つけたら水上で稽古をすることもあった。
同じ闘気で戦えば普段はクリストに絶対勝てないが。
この時だけは俺とセリアがクリストに勝てる稽古だった。
さすがに俺達は勝った気になれなくて嬉しくもなかった。
しかしこの稽古は、闘気のコントロールの幅が広がり効果的だったので続けていた。
稽古し、食べ、走り、眠る。
俺達は町に寄ることもなく、相変わらず急ぐ旅だった。
そして、本来一年半かかる距離を尋常ではない早さで縮めていった――。
-----魔術大国-----
魔術師の国と言われ、剣士の時代と呼ばれる現在でもコンラット大陸一の大国。
剣士の強さが国の繁栄に貢献することは多くはない。
戦争が起こらない世界で、国力に圧倒的な強者は必要なかった。
民の生活を豊かにするのは魔術の存在だった。
魔術を生業とした職業が多く、ただでさえ数が少ない魔術師が集まる国は栄えていた。
すぐ東にはカルバジア大陸に渡るエルトン港があり、港町からでも空を見上げれば天にまで届きそうな王城が見える。
バルニエ王国、通称魔術大国と呼ばれている。
その王城の一室。
地上よりも空に近い、日が落ちきって暗くなっても煌びやかに映る部屋。
天幕に覆われた寝台では二人の男女の姿があった。
誰の目から見ても美しく映る女性に覆い被さり欲望を満たそうとしている男がいた。
セシリオ・コルフェルト。
彼は国王の第一子であり、次期国王との呼び名も高かった。
綺麗な茶髪を肩下まで伸ばし、見目麗しくその外見に引き込まれてしまう者も多かった。
そして、セシリオは優秀だった。
周囲の思惑を上回る頭脳を持ち、魔術の才能もあった。
王になる為に魔術を使える必要はないが、魔術大国と呼ばれているだけあって魔力があるに越したことはない。
しかし、セシリオにとってはそんなことどうでも良かった。
優秀なセシリオには、欠点があった。
いや、昔は欠点などなかった。
ある時から急に、人が変わったように、狂ったように執着しているものがあった。
それは女だった。
周囲のセシリオに取り入ろうとする貴族からすれば、有難い事かもしれない。
見てくれのいい女を用意すれば、簡単に気に入られる。
昔は、何を贈っても興味がなさそうだったから。
実際、今日もセシリオはあてがわれた女を自分の物にしていた。
相手の名前も家柄も何も知らない、セシリオはそんな事は聞き流していた。
自分が満足できればどうでもいい。
だが。
悦楽の表情を浮かべていたセシリオだったが、女に何かの面影を感じると動きを止めた。
次第に、両者の熱すぎた熱も冷め始める。
このおかしな光景はよくあることだった。
困惑の表情を浮かべる女から離れると、冷たい声で言い放った。
「出て行け」
「え……?」
「早くしろ」
「はい……」
低い声で言い放つと、女は早々と薄い服を着て出て行こうとする。
女も最初は動揺していたが、自分が何かセシリオの機嫌を損ねた訳ではないのを理解していた。
こういう事がよくあると、事前に聞かされていたからだ。
ただ、初めての行為が中途半端に終わるのが心残りなだけだった。
セシリオは一度他の男の物になった女には一切興味を示さなかった。
自分だけの物でないと汚らわしく見え、満足できなかった。
この性癖も、昔のセシリオにはなかったことだ。
ある女を忘れようとするように女を抱いているのに、何故かその女に近いものも探していた。
そして、面影を感じるとやっぱり満足できなくなる。
矛盾した行為だ。
名も知らぬ女が去り、広い部屋で一人になると、セシリオは苛立つ表情を見せた。
「チッ……」
舌打ちと共に、魔術師とは思えない筋肉が隆起した腕で、天幕を掴み引き裂いた。
軽く物にあたった程度では鬱憤も晴れそうにない。
冷め切ってしまった体を温めるように、寝台に脱ぎ捨ててあった服を一枚羽織り、そのまま腰掛ながら下を向いていた。
もう、十数年これを繰り返していた。
自分が一度だけ心底美しいと思い、これが自分の物になると初めて歓喜した女の存在が、セシリオの深層に常に引っかかっていた。
しかし、その女は死んだ。
燃やされる前の死体でさえも美しいと思ったが、何か違和感もあった。
それがずっと引っかかっていた。
様々な可能性も考えた、ここは魔術大国、闇魔術の使い手もいる。
しかし、自分の元に来るのを嫌がる女など存在しない。
バルニエ王国の公爵家なら用意周到に準備すれば可能かもしれないが。
やはり自分を欺くわけもないという結論に達していた。
無意味だと思う事を、追及し、詮索することはなかった。
もう一度、あれと同じような女が現れないかと待ち続けたが。
時が経つほどセシリオの脳内でその女はどんどん美しくなり、虚しさが募るだけだった。
一度思い出してしまうと、それが行為の最中だとしても満足できなくなり、冷め切っていく。
ある種、魔性の女だ。自分に呪いを与えていった。
この呪いを解くには生まれ変わりのような存在を見つけるしかない。
しかし、それは叶わないことは分かっていた。
この世に一人しかいないような女だからこそ、ここまで引き摺っているのだ。
セシリオがしばらく暗い部屋で呆然としている中、扉が開いた。
鍵が掛かっているはずもないが、この部屋にノックも何もせずに入ってくる人間は存在しない。
なのに、部屋の前にいた護衛が声を荒げる様子すらない。
異常事態だが、冷め切った瞳で扉の先を見ると、セシリオはすぐに納得した。
目の前にいる男に常識など存在しないし、尋常ではない強さも持っているのを知っていた。
久々に見たとはいえ、見間違えるはずもない。
その男に限っては、セシリオの人間関係においてはセシリオにとって大きいものだった。
「ブラッド、雷帝がこんな国にいると問題もあるだろう」
ブラッドがバルニエ王国を去り、そう間もない頃、雷帝の肩書きが別の者に移ったと聞いていた。
セシリオはそれがブラッドだと分かっていた。
そして、こんな偏見ばかりの国に雷帝が滞在しているのは妙な憶測が飛び交うだろう。
ブラッドは何も考えておらず、姿を隠すようなまねはしないのは分かっている。
「久々に会ったのに相変わらず反応が薄いなぁ。それにもう雷帝じゃないんですよねぇ」
手前の言葉はどうでも良かったしその通りだったが、ブラッドの言葉とは裏腹にセシリオは驚いた。
そして、何より気に障った事があった。
「その話し方はやめろ、気色悪い。お前でも十数年で行儀が良くなるのか?」
セシリオが嫌味ったらしく言うと、ブラッドは薄く笑ってすぐに昔の口調に戻る。
「堅苦しい道場に長い間いたんだぜ。俺も大人になるってもんだ」
そんな事を言っているが、セシリオから見ればブラッドは全然大人になってなかった。
昔のブラッドも二十歳は超えていたし、今はもう四十近いだろう。
「ふん、分別ある大人が王族の部屋に侵入する訳もないだろう。ここに来るまでに何人殺した」
「侵入してねえよ、久々に会いに来ただけじゃねえか。それに、殺してねえよ。意識はねえけど」
ブラッドはセシリオからは見えない位置にいる護衛の兵士を見下ろした。
恐らく、そこに倒れているのだろう。
そして、自分から話しを中断したセシリオだったが、気になっていることがあった。
「雷帝の肩書きが移ったということは、お前より強い剣士がいるのか?」
「今は全然だけどな、俺を超える力は持ってるしいいかなってよ」
「ほう、それは興味深いが、今更何でここに来た。
護衛に飽きたと言って出て行ったのはお前だろう。
お前は重宝してたのだがな」
それは本心だった。
大勢の護衛の引き連れて移動するのはセシリオには煩わしいことだった。
この男、ブラッドなら何処へ行っても一人で十分だった。
雷帝の肩書きを持っていない時から、ブラッドはとびきりの剣士だった。
そもそも、雷帝になることを勧めたのはセシリオだ。
そしてやはり。
久しぶりに会って実感する。
今でも、ブラッドのことをセシリオは嫌いではなかった。
「まぁー色々あってな。お前が重宝したところでこの国の人間は魔術師以外見下すしな。お前は相変わらず違うみたいだけど」
「別に見下してない訳ではない、俺が認めた剣士はお前だけだ。それ以外は有象無象だ。それに何度も言わせるな、何でここに来た。お前のような男が心変わりした訳もないだろう。お前の目的が無くなったことに関係あるのか?」
セシリオは、知っていた。
ブラッドの目的も、それが他の者に達成されてしまったことも。
「やっぱり知ってるよな。まじで、やっとあの存在に近付いてきたと思ってたら、まさか他の奴が倒しちまうとはなぁ」
「さすがに魔術師の国とはいえ、ルクスの迷宮の攻略者の名前くらいは挙がる。確か、アルベルとかいう剣士だったか」
「おう、まぁ別に、目的の対象が変わるだけなら良かったんだけどな」
それも、知っていた。
アルベルという剣士は、ルクスの迷宮を攻略して死亡。
ブラッドの目的はルクスの迷宮のボスを倒すことだが。
別にボスに固執しているわけではない、その強さに執着していたのだ。
対象が変わるだけなら問題もなかっただろう。
「死んだらしいな。俺は詳細は知らないが、お前は詳しいのか?」
セシリオは、ブラッドより強い可能性がある剣士の話に興味を持っていた。
しかしセシリオはそれが屈折した情報だとも思っていた。
なので実際にその強さを感じるまでブラッドより強いと思うことはない。
それほどセシリオにとって、ブラッドは大きい存在だった。
まぁ、その剣士はもう死んでいるし話を聞いても仕方ないのだが。
セシリオにとっては暇潰しの会話のようなものだ。
しかし、驚いた。
「多分三大流派じゃねえ剣士だ。それだけでも珍しいのに、アルベルって奴の歳は十五程だったらしいぜ」
「それは異常だな。やはり出来すぎな話のように感じるが」
「まぁ、俺も虚しいが、正直何とも言えねえのが本音だな。俺はあの存在に勝てないと思って逃げただけで、対峙して本当に強いのかも確かめちゃいねえしな」
「さすがに子供が今のお前より強い事など、有り得ないだろう」
「世界は広いし分からねえさ。ま、もう確かめることは出来ねえけどな」
「死んだ者の情報に意味はないが、退屈凌ぎにはなった。しかし、結局お前がここに来た理由が分からんな。事情を知っている俺に、お前のような男が慰めてもらいに来たのか?」
セシリオが言い捨てながら薄く笑うと、ブラッドも「馬鹿にするんじゃねえ」と言いながらもセシリオの言葉が刺さった様子は見せなかった。
「まぁ、色々あるんだが。まずは探し物があってな」
「何だ、言ってみろ。お前の欲しがる物には興味がある」
「剣だ。銘もどんな形状かも分かねえけどな、絶対に何処かにあるはずなんだ」
その回答に、セシリオは少しがっかりした。
ブラッドが欲しがる物に興味はあったが、ブラッドというよりただ剣士が欲しがりそうな物だった。
だが、取引としてはそこまで悪くない。
「この国に業物の剣なんて置いてあると思うか?」
「そんなの分かってるさ。本はいっぱいあるだろ。昔のがさ」
「まぁ、好きに漁ればいいが、そうだな。
書庫の出入りを許可する代わりにまた俺の護衛をしろ。
お前の欲しい情報が手に入るまででいい」
「寛大だなぁ、ついでにまた剣術の稽古でもつけてやろうか?」
「分かりきっていることを聞くな」
「そうかい。ま、王族に剣術はいらねえか」
ブラッドが吐き捨てるように言うと話は終わったと思ったが、セシリオが気付いたように言った。
「ブラッド、本を見るのはいいが、お前字が読めるのか?」
セシリオの疑問に、ブラッドは、あぁ、と言いながら当たり前のように言った。
「読めねえよ、代わりに読んでくれ」
「……俺はそこまでしない。適当に誰か用意してやる。
お前の部屋も用意してやるから明日また来い。次は普通に城に入れよ」
「助かる。いきなり悪かったな」
「構わん、少し気が紛れた」
「へぇ、なら良かった。それと、セシリオ」
「何だ」
「お前、何でまた死にたがってんだ?」
セシリオは、また、という言い方に引っかかったが。
一度だけ、退屈な日常が終わったと思った時はあった。
しかしそんな事、何も考えていないブラッドには知る由もない。
死にたがっているという言葉に思うことは色々とあるが、突き詰めればその言葉の通りだろう。
今の歳は三十を過ぎている、人生の折り返しだろう。
やっと、半分まで来たかといった感覚だ。
だが。
政に興味はないが、昔よりも、王族として生まれた自分の義務は理解している。
父親の歳を考えるとそろそろ玉座につくのも近いだろうか。
だからこそ自ら命を絶つ事は有り得ないし、そこまでする必要もない。
だから、昔のように肯定することはしない。
「馬鹿なことを言うな。俺が寛大じゃなければ首が飛ぶ発言だぞ」
「はいはい、そうかよ。また来るわ」
それだけ言うと、ブラッドは部屋から出て行った。
また城を出るまでに兵に軽い被害が出るだろうが、セシリオはどうでもよさそうだった。
そして、ブラッドが現れたことによってセシリオの気が紛れたのは事実だが、結局ブラッドのせいでまた思い出してしまった。
セシリオはブラッドとの会話の最中もずっと寝台に腰を下ろしていたが、立ち上がった。
そして壁に掛けられている肖像画に近付き、固まったまま見つめる。
よく描かれているが、もはやセシリオの脳内ではこんな物より遥かに美しく神格化されていた。
「エリシア……」
かつて唯一手に入らなかった、セシリオにとって至高の存在だった女の名前を呟いていた。




