第五十九話「アレク」
カルバジア大陸の辺境で生を受けた。
親は物心ついた頃に病にかかり死んでしまい悲しんだが、自分を寂しくさせない存在がいた。
精霊だ。
この世界で精霊が見え、聞こえるというのは珍しく、世界中を探しても数人だという。
いや、その時代においてはもしかすると一人もいないのかもしれない。
そのぐらい希少だ。
人種が開拓していないドラゴ大陸なら大勢いるのかもしれないが。
まぁ、今はそれはいいか。
本来なら、精霊使いの能力を明るみにすれば周囲からもてはやされることだろう。
どこかの王宮でいい暮らしができるのも間違いない。
しかし、自分のことを精霊使いだと吹聴するつもりはなかった。
別に隠しているわけではないし、その力を使っていないわけでもない。
でも、自分を慕ってくれる精霊達を戦いに使おうとすることはなかった。
もちろん、襲ってくる魔物を捌くことくらいはする。
しかし、なるべく殺そうとすることはしない。
風の加護もある、足も速いし逃げれるなら逃げる。
自分にとっては精霊は家族だった。
共に楽しく過ごそうとお互い思っている存在を、なるべく戦闘には参加させたくなかった。
しかし、人助けは別だった。
傷を負った者がいれば治すし、村や町で小火騒ぎが起これば鎮火することもある。
精霊使いの力といえば、まずは加護だろう。
風なら体の動きが速くなるし、火なら少々火元に突っ込んで服が燃えても、体が火傷を負うこともない。
そして、一番精霊使いが強力なところは。
精霊から魔力をもらい、魔術を行使できる。
精霊使いは魔術師としての欠点の一つ、魔力切れを起こさないところが評価されている。
ならば、どの階級の魔術を好きなだけ使ってもいいのかというと、そういう訳ではない。
精霊は強大で、神秘的な存在だが、だからといって無限に魔力を持っているわけではない。
もちろん、中級の魔術程度ならいくら使っても大丈夫だ。
だが、上級になると話が変わってくる。
これは精霊から教えてもらえる自分だから知っていることだが、中級と上級の消費魔力は桁が違う。
中級をいくらでも使えるような魔力を持つ自分の精霊達でさえも、使えないという。
ここで、精霊の格が関係してくる。
上位と呼ばれる精霊はそんな上級の魔術でさえ、使えるらしい。
ただ、精霊の唯一の欠点もある。
精霊自身の属性の魔術しか、使えない。
だからこそ、人が精霊に魔力をもらって行使する。
しかし、これが元々魔力を宿していない人間だとまた話が変わる。
その場合、精霊から魔力を受け取ることはできない。
そもそも、魔力を持つ器がないのだ。
いくら魔力をもらったところで、ただ零れ落ちてしまう。
その場合の精霊使いは、ただ精霊が精霊使いの頼みを聞いて魔術を行使することになる。
もちろん精霊の属性の魔術しか使えない。
本来、魔力とは人には感じれないものだが、精霊は別だ。
精霊達は自らの魔力を感じ取り、他者に分け与える能力すらある。
自分の場合は光属性が得意属性だ。
とはいえ、精霊達の教えのおかげで中級までなら全ての属性を使える。
多分、魔力さえあれば上級の光魔術も使えるだろう。
さすがに自分の得意属性以外の上級はいくら魔力があっても使えないと思う。
魔術とは、イメージだ。
得意属性とは、自分のイメージしやすい魔術というだけだ。
得意属性の中級を習得した者なら、魔力さえあれば同じ要領で上級も使えるだろう。
いや、そもそも詠唱文すら知らないし、実際使えたわけじゃないから早計かもしれないが。
上級に関しては、考えても仕方ないな。
自分は目の前のことに意識を移した。
目の前には広大な海が広がっている。
そして今足をついている場所は地面ではなく、船の木床だ。
「皆、そろそろ着くよ」
小声で小さく呟くと、頭上を無数に舞う燐光の中で、一番大きい二つの光が小さく揺れ動く。
精霊達はあんまり自分から話しかけてこない。
だが、自分が話しかけると楽しそうに会話してくれるし、自分を好きでいてくれるのはよく分かる。
そして、基本的に会話をするのは二人だけだ。
それ以外の子は、滅多に口を開くことはない。
中位の精霊が珍しく口を開く程度で、下位の精霊はそうそう返事を返すことはない。
でも、もちろん全員に名前があり、個性があり、会話は少なくとも通じ合っている。
世間一般の精霊の格なんて、僕も、本人達も考えていない。
僕らは、友達で、家族だ。
そして一つの声が、心地よく頭に鳴り響く。
『コンラット大陸? 私はカルバジア大陸にいたらいいと思うのに』
風の精霊のレイラが少し残念そうに言う。
きっと人の形をしていたら、可愛らしく唇を尖らせていると想像して、薄く笑ってしまう。
「ごめんね、でも僕はどうしても世界を歩いてみたいんだ。ドラゴ大陸にも行ってみたいし、皆の故郷もあるんでしょ?」
『魔族はアレクと話が通じないよ』
「え? そうなの?」
『そうだよ』
レイラの言葉に、少し怖くなってしまう。
話が通じないって、凶暴な種族だったりするのだろうか。
力で語るような……そう思ってぶるっと身震いするが、もう一つの声が聞こえてくる。
『アレクが想像していることは恐らく間違いだ。人種と魔族は言語が違う』
成人男性のような、僕より低い声の光の精霊、ライトの声でほっとする。
二人は中位の精霊で、はっきりとした自我を持っていて、軽い自己主張くらいはする。
「安心したけど、言葉を覚えるまで行けそうにないね」
『通訳くらいしてやるぞ』
「あ、ほんとに? 助かるよ」
『しかしアレクの肉体はまだ発達していない、ドラゴ大陸は竜種も多いし危険だぞ』
「竜かぁ……ちょっと見てみたい気持ちもあるんだよね。僕じゃすぐにやられちゃうかな?」
『我らが力を貸せば死ぬことはないとは思う、アレクがもう少し成長してからなら問題もないと思うが』
ライトに言われるまま自分の体を見るが、確かに貧弱というよりかは、子供の体だ。
自分はまだ十四歳だ、皆の力を借りないと旅なんてできなかっただろう。
でも、故郷でじっとしているのも性に合わなかった。
両親がいなくなった僕を気遣ってくれていた人達には止められたが。
自分の中で、死ぬまでの目標がある。
世界の全てを歩いてみたい。
カルバジアの南から、北へ赴き、船に乗った。
次はドラゴ大陸の北から、コンラット大陸の最南まで行ってみるつもりだ。
見たいものの中には、魔物も入っている。
竜をまだ見たことはないが、様々な種類がいるのがドラゴ大陸だという。
全てを見てみたい。
自分が精霊使いなのは、こんな好奇心旺盛な自分の為に神様がくれた力だと思っている。
もちろん、皆のことを道具だとは思っていない。
一緒に旅をする、仲間だ。
残念なのは、皆は世界を知っているから初めての体験をするのが自分だけなことだ。
それが少し申し訳ない気持ちになる。
とにかく、ドラゴ大陸だ。
「サウドラって冒険者の町があるらしいし、とりあえずそこで予定を考えようか」
『うん』
既に機嫌が直ったのか、レイラが可愛らしく返事する。
レイラは別にコンラット大陸に行きたくないわけではない。
ただ、精霊によっては好きな土地がある。
コンラット大陸より、カルバジア大陸のほうが緑が豊かだ。
レイラはどちらかというとカルバジアが好きなだけだ。
別に僕が他の大陸に行くのだったらもう知らない、なんてことにはならない。
優先順位としては、僕のほうが遥かに高い。
そんなことも分かっているから、結構嬉しい。
少し申し訳ない気持ちもあるが、やはり抑えきれない。
僕は船から降りると、そのままサウドラへ向かった。
異変は、唐突に訪れた。
サウドラの宿で眠っていると、左胸に薄く痛みが走った。
「うっ……」
暗い部屋で胸を押さえながら少し痛みに悶えると、次第に痛みは消えていった。
寝ている間に怪我でもしたのだろうか?
不思議がってベッドで横たわっていた体を軽く起こすと、胸元をはだけて見てみるが。
特に外傷はない。
何だったのだろうか。
僕と一緒に寝ていた精霊達も起きてしまったようで、軽く謝る。
「ごめん、何か急に体が痛んでさ。もう大丈夫だし寝ようか」
『そう』
レイラだけが軽く返事をすると、再び横になった。
痛みに意識が覚醒してしまったが、僕は寝つきが良かった。
痛みが消えた体は、すぐに眠りは訪れた。
翌朝になると、宿からは出ることはなく、皆といつも通り会話する。
これは普段通りの光景で、別に皆からすれば伝えられる意味もないのだが、僕が勝手にこれからどうしたいとか話している。
そんな、普段通りの会話だったのだが。
「やっぱりここまで来たら先にドラゴ大陸かな? バルニエ王国に行ってから北上したら二度手間だよね。最終的には故郷に帰りたいし」
『故郷に帰りたいんだったら今から引き返したほうがいいよ?』
「え? 何で?」
珍しく、レイラがそんな事を言った。
聞き返しながら考えてみるが、特に理由は見当たらない。
どうせ世界を歩くなら、ドラゴ大陸の北から南へ下ってそのままエルトン港から故郷に帰るほうがいいと思う。
だが、レイラが言ったのは予想外の言葉だった。
『だってアレク、そろそろ死んじゃうよ』
「へ?」
理解が及ばず、素っ頓狂な声を上げてしまう。
そんな僕を理解させるように、ライトの声が聞こえる。
『心臓病だな。人間だし、病に掛かることもあるだろう』
ライトの声に、少し安心した。
レイラはいつも言葉足らずで、僕を不安にさせることが多い。
いつも僕の不安を拭うのはライトの役目だ。
そして、二人の口ぶりからするに治りそうな病だ。
今も痛みは特にないし。
もし僕が本当に死ぬなら、さすがに僕のことを好きな二人はもっと取り乱すと思う。
「そうなんだ。どんな病気なの?」
『ドラゴ大陸に生息する虫がもたらす心臓を蝕む病だ。珍しいことだが、このサウドラまで彷徨ってアレクを噛みでもしたのであろう』
「気付かなかったよ……小さい虫なのかな。というか、そんなのがいるドラゴ大陸に住む魔族は大変だね……」
『噛まれたとしても、発症するのは稀な病だ。今回は偶然が重なったな』
「そっか、どうすれば治るの?」
二人は何でも知っている。
いつも、僕が不思議に思ったことは何でも答えてくれる。
今回は珍しいケースらしいし、皆がいなかったらやばかったかもしれないと、舞う光達を見ながらほっと息を付く。
しかし、欲しい答えは返ってこなかった。
『治らん。しかし発症したのは昨晩のようだし、後二、三年は生きられるだろう』
淡々と言うライトに、僕は少し、いやかなり取り乱し始める。
純粋に、本当なのか? という疑問しか頭に浮かばない。
でも、二人が僕に嘘を吐いたことなんてないし、精霊は嘘を吐くような存在ではない。
では何で、ここまで冷たく感じるのか。
「え、本当に? さすがに信じれないよ。本当なら、何でそんな言い方するの?」
『本当だよ。人間が死ぬのがおかしいの?』
レイラが逆に確認するように言ってくるが。
初めて、少しだけ二人に腹が立ってきて、苛立つという感情を知り始める。
「僕のこと好きなんじゃないの? そんなどうでも良さそうに……」
『アレクのことは好きだぞ、だが、人間とはいつかは死ぬ生き物だろう』
「で、でも、僕はまだ十年ちょっとしか生きてないんだよ……」
『十年も百年も、そんなに変わらないと思うよ』
二人の言葉に段々と腸が煮えはじめ、声を荒げていく。
「そりゃ精霊はそうでしょ! 何で……!!」
もう、自分が一番傷付いていることは分かっていた。
世界を回る目的を果たせないことではない。
近いうちに自分が死ぬことでもない。
家族だと、仲間だと思っていた精霊達が、自分の死をどうでも良さそうに感じている。
もう死ぬ人間のことなんて、どうでもいいのか。
『別にアレクが死んでも、魂はなくならないから一緒にいられるもん』
「どういうことだよ……」
『アレクは知らないだろうが、我等は精霊王に頼めば死後も共にいられる。魂の形状は変わらないし、次の生を受けたとしても我々のことが見えるだろう』
「よく分からないけど、生まれ変わるってこと?」
『それは世界を管理している精霊王が判断することだ。どちらにしろ、我はアレクと共にいよう』
『私もついていくし、お別れするわけじゃないもん』
「生まれ変わっても皆のこと、ちゃんと覚えてるの?」
『記憶はなくなるだろうが、姿形が変わってもアレクには変わりない、我らはそんな事気にしない』
「そんなのって……」
もう、返事は返ってこなかった。
僕は沈黙したまま、動けなかった。
数日間、何も活動する気が起きず、ベッドに横たわったまま過ごした。
色んなことを考えていた。
今まで、精霊使いの力は僕を見守ってくれていた神様のような存在が与えてくれたものだと思っていた。
しかし、話を聞いているとそういうわけでもないらしい。
ただ、勝手に備えて生まれてきただけだ。
そしてもう、自分のやりたかった目標は達成できそうにない。
今からドラゴ大陸の北へ向かえる時間も残っていなさそうだ。
最後に思ったのは、故郷に帰りたいという気持ちだった。
僕を気に掛けてくれていた人達の元で、ひっそりと生を全うする方がいい。
そう思った。
しかし、自分の生まれてきた意味はあったのだろうか。
目的も達成できず、深く通じ合った友人もいない。
今思えば、精霊だけで十分だと思っていたのかもしれない。
本当に、自分とはどんな存在なのか。
何も残せずに、死んでいく。
レイラとライトは、僕を愛してくれているのは分かるが、この気持ちを分かりあうことはできない。
精霊とは、人間の考えとはかけ離れていると、初めて実感した瞬間だった。
しばらく考え込んでいると、珍しくレイラから声が掛かった。
『アレク、何でそんなに悩んでるの?』
「僕の気持ちは皆には分からないよ」
『そうなの?』
「そうだよ、僕の生に意味がないと思って傷付いてるのを、理解してるの?」
『何で?』
「だから――!」
またレイラに苛立つが、レイラは普段通り穏やかだった。
『私はどうでも良かったけど、アレクが居なかったら死んでた人間、たくさんいるよ』
「……」
『アレクよ、我らは好きになった人間以外がどうなろうと、どうでもいい。だが、何故か精霊とは他者を思いやる人間を好きになる』
「矛盾だね」
『偽善の優しさではないと精霊には分かる。最初はそれが自分に向けられることを考え、共にいる』
「なら今僕と一緒にいるのはおかしいでしょ、今、僕は皆に優しいと思う?」
『精霊の愛とは、人同士の愛などとは比べ物にならないほど、深いものだ。例え嫌われようと、永遠に共にいようとする』
「結局、何が言いたいのさ」
『人間の目から見ると、精霊が冷たい存在というのは理解した。実際その通りだろう。今からアレクの性根が変わり、目に入る人間を全員殺したいと言い始めても我らは従う』
「だから……」
『だから、私達は何があってもアレクと一緒にいるんだよ』
今まで腹を立てていた二人の愛を深く感じ、少しだけ、前より穏やかな気持ちになった。
そして、申し訳ない気持ちにもなった。
僕達は考え方が違うだけで、根っこはしっかりと繋がっている。
「そっか、ごめんね」
『何で謝るの?』
「ううん、相変わらずだね」
ライトと違ってレイラは、僕が二人に向かって怒りを向けていたことすら、気付いてないのか気にしてないのか。
もちろん、ライトも気にはしてないだろうが。
もう少し、残りの少ない人生を前向きに生きてみるか。
目的は達成できないだろうが。
これからどうしようかと、考えてみる。
皆が好きな僕は、人を思いやること。
別に自分がとても優しいとは思っていない。
だが、レイラやライトから見れば優しいのだろうか。
でも。
旅で偶然出会った困った人たちを助けるのではなく。
もっと大勢の人を助けてみたら、どうだろうか。
せっかく精霊達が力を貸してくれているのだから、人の役に立ったほうがいい。
あぁ。
レイラの言う通り、残せるものもあるではないか。
もし、一人二人と命を救えるような場面があれば。
その一人が誰かを救ったり、子供ができたり、無限に広がっていくのではないか。
それは、素晴らしいことだ。
僕が好奇心を満たすために旅をすることなんかより、よっぽど。
もしかしたらこの病気はこのことに気付かせるための、罰か何かだったのかもしれない。
精霊の力を、自分だけの為に使うなんて許されなかったのかもしれない。
そう思わないと、やってられないのが本音だけど。
しかし、具体的にどうすればいいだろう。
「ねぇ、これからどうすればいいかな?」
こんな事聞いても仕方ないか。
そう思ったが、ライトが答えてくれた。
『ここからアレクの足で二十日程歩けば、予見の霊人がいるマールロッタという町があるぞ』
「あぁ……そういえば最近よく聞くね。導きをもらえる対象が王族と貴族だけじゃなくなったとか」
予見の霊人は、何でも分かるという。
その者にとって、どれが最善なのか。
導きを与える人間を選ぶという話を聞いたことはあるが、残り少ない生の自分なら、導きをもらえるだろうか。
そう思うと、止まっていた時間がもったいなかった。
「行こうか、準備したらすぐに出よう」
『うん』
旅には慣れている。
二十日ほどの旅なんて楽ちんだ。
宿を出ると、普段通りの荷物を肩にかけ、すぐに旅を始めた。
精霊が力を貸してくれるから、人と比べて必要なものも少ない。
マールロッタまでの道のりは、それほど苦労しなかった。
二十日程掛け、マールロッタで着いた頃。
他の町より綺麗に見える町中では、様々な剣士や、魔術師がたむろしていた。
話を聞いていると、予見の霊人が拠点を移したことにより、予見の霊人を神格化している者や、仕事を探してやってくる戦士が集まっているらしい。
僕なんかが会うことができるのだろうか。
分かっていたが、予見の霊人がいると言われている建物。
元は貴族の屋敷だったのだろうな、と分かる大きい建物には行列ができていた。
しかし、その行列に並んでみると、意外と中に入り、すぐに出てくるものが多かった。
その顔は落胆している者、導きをもらえたのか歓喜の表情をしている者で様々だったが。
数時間程待っていると、自分の番になった。
ドキドキしながら案内されるまま長い廊下を歩くと、とある一室の前で案内人が止まった。
ノックをして扉を開けると、正面の大きい机を前に、座り込んでいる黒髪の女性がいた。
その後ろには護衛だろうか、屈強な戦士が二人真剣な面持ちで佇んでいる。
少し威圧されるような気持ちになり、ぶるっと体が震えるが、すぐに女性に視線を戻す。
第一印象は、綺麗な人だなぁと少年ながらに思う女性だった。
しかしその表情は何か憔悴しきったように、疲れているように見える。
目の前の女性は僕に微笑みを見せることはなかった。
少し怖いなとも思うが、聞いてみる。
「初めまして、僕はアレクと言います。体調が優れないようですが治癒魔術を掛けましょうか?」
もちろん体力的なものは治らないし、病気もそうだ。
ただ導きをしすぎて疲れているだけだとは思うが。
しかし僕の気遣う言葉に、女性はやっと薄く微笑んだ。
「大丈夫。私はラドミラよ。何か道に迷っているの?」
「ラドミラ様、あまり無駄な会話をしていると時間が……」
「いいのよ、たまには気分転換させて」
ラドミラという女性がそれだけ言うと、護衛は黙り込んだ。
基本的に会話はないのだろうか。
確かに、他の者の出てくるスピードを考えるとかなり早く捌いているように見える。
ほんとに僕なんかに時間を取らせていいのかな、と緊張は収まらない。
「人の役に立ちたいと思っているんですが、具体的に何処にいけばいいのかも分からなくて」
「それは素晴らしいことね、治癒魔術を使えるみたいだけど、魔術師かしら?」
普段なら、そうですと答えるところだ。
精霊使いです、とはなかなか言わない。
実際、人の前で魔術を使う時もなるべく精霊から魔力をもらい、行使するようにしている。
しかし、今は隠すような状況でもないだろう。
「そうですね、魔術師ですが、精霊使いのほうが正しいでしょうか」
僕が言うと、ラドミラと護衛の二人が驚く表情を見せた。
やはり精霊使いは珍しいらしい。
「精霊使いの者は初めて見るわ、心優しい者が精霊に好かれるというけど、本当みたいね」
そう言って微笑んでくれるが、僕はそんなたいそうなものじゃない。
「そう伝えられているだけですよ。自分を優しい人間だとは思っていませんから」
「きっと、そういうところよ。今私の元へ来ているのもそう、何も考えなくてもいい暮らしができるでしょうに」
「死ぬ前に、何か僕に残せるものがあるなら、一番何かを成し遂げるところへ行きたいんです」
「死ぬ前にって、まだ貴方は若いでしょう」
「精霊達が言うには、僕は病でそろそろ死んでしまうらしいです」
僕が苦笑いしながら言うと、ラドミラはまた驚いた顔をすると、少し悲しい表情になった。
この人も、きっと優しい人だ。
しかし、未来が見える割に驚いたりするんだな。
僕が来ることも分かっていそうなものなのに。
「予見の霊人と聞いていたので、あまり感情を見せない人だと思ってました。って、失礼ですね、すいません」
「最近は自分の未来を見ることも疲れて止めてしまったの。そう思われるのも当然でしょうね」
「未来が見えるというのも、大変でしょうね」
僕達にとってみれば、それはありがたいことだろうが。
これから自分の身に何が起こるか分かっているなら、それは本人にとってはつまらないことかもしれない。
僕は、あまり羨ましくは感じない。
導きをもらいにきていて、何様だと自分でも思ってしまうが。
「それなりにね、貴方の未来を見るから、もう少し近くに来てくれるかしら」
「えぇ、もちろん」
僕が机に近付くとラドミラは右手を机の上に差し出した。
特に何も考えずに左手を差し出すと、握手するようにラドミラが軽く僕の手を握る。
そうすると、まるで治癒魔術を掛けるように手が発光しはじめた。
きっと、魔力が働いている現象ではない。
これも僕の知りたかった未知の何かだ、凄いな……。
ラドミラは僕の未来を見ているのか、薄く微笑みながら目蓋を閉じていた。
しばらく経つと、発光は終わり、僕の手を手放した。
「そうね、貴方は何処にいっても人から感謝される行いをするわ。大勢の人の命を救う未来もある」
その言葉に、ほっとする。
何か僕にとって、誰かにとって価値のある何かをすることができそうだ。
「具体的に何処へ行くのが一番でしょうか」
ラドミラは少し考える素振りを見せるが。
「ねぇ、貴方は自分の幸せって考えたことがある?」
「もちろんありますよ、病にかかるまでは、世界を歩くことしか考えてませんでした。でも、それは叶いそうにありませんしね」
「今までの貴方が歩いてきた道も見たけど、貴方は自分の事よりも他人を優先していたように見えるわ」
「そんな事ありませんよ、自分の歩いた道に偶然困っていた人がいただけでしょう。僕でなくても、普通の人だったら助けますよ」
「そう思い込んでいるのも、貴方のいいところかもしれないわね」
正直、よく分からないが。
結局、何処へ行けばいいのだろう。
あんまり追求するのも失礼かと思って言葉を選んでいると、ラドミラが先に答えた。
「ここから南のバルニエ王国は分かる?」
「もちろん、魔術大国と呼ばれている所ですよね」
「そこにね、とても綺麗な花園があるの。それを眺めながら、穏やかに過ごしてみたらどうかしら」
「えっと……それは素敵なことかもしれませんが、僕の目的とは外れてませんか?」
「そんなことないわ、貴方がそこに行けば、誰よりも幸せになれる人もいるのよ。これは本来起こる可能性が低い未来だから、貴方が私の元に来てくれて良かったと思えるわ」
そう言われれば、あまり躊躇する理由もないが……。
綺麗な風景を眺めているだけで、本当に救われて幸せになれる人がいるのだろうか。
僕が少し訝しげにラドミラを見てしまうと、彼女は今度は大きく微笑んだ。
「そこで、自分が本当に幸せになれることを考えてみなさい」
「その、よく分からないんですが」
「そうね、貴方はそこに行けば悩むことになる。貴方にとって、貴方の周りにとって、とても大きなことでね」
わざわざ残りの時間が短い自分に悩んでしまう場所に行けと言っているのか?
少々、話がおかしな方向へ向かってはいないだろうか。
せめて。
「その悩みの解決方法は教えてもらえないんですか?」
さすがにそこまで未来を伝えることはできないだろうか。
そう思ったが、意外にもラドミラはあっさりとしていた。
「貴方が最終的に取る行動は一つしかないから、問題はないでしょう。具体的なことは言えないけど」
「はい、それでも構いません」
僕が言うと、ラドミラは微笑みながら、言った。
「自分の気持ちに正直になりなさい。貴方の幸せが、相手の幸せに代わることもある」
僕は少し考え込むが。
「やっぱりよく分かりませんね」
苦笑いしてそんなことを言ってしまう。
導きをもらったうえに他の人より長い時間を取らせてるのに失礼かなと自分でも思うが。
「その時になれば分かるわ。迷う時が来たら、この言葉を思い出しなさい」
ラドミラの表情を見るに、導き通りに行動して僕が悩んでしまう未来だとしても、とても大事な事なんだと思える。
僕は残り少ない時間で満足に生を全うすることができるのだろうか。
もう、迷うことはないか。
「分かりました。ラドミラさん、ありがとうございました」
「えぇ、貴方が最後の瞬間、良かったと思ってくれますように」
未来を見たというのに祈るような言葉をかけてくれるラドミラに、深く頭を下げ礼をする。
顔を上げて微笑みかけると、背を向けて扉を開いた。
建物を出ると、一人だけ長く喋っていたせいで順番待ちの人に睨まれ、少し体がぶるっと跳ねてしまったが。
町を歩きながら、小声で二人に聞く。
「バルニエ王国って、コンラット大陸の最南だよね?」
『そうだよ』
『アレクの足なら急いで一年くらいだろうな』
そう言われると、残り二、三年しか僕の時間はないというのに、目的の場所に辿り着くまでに半分近く使うことになるのか。
まぁ、考えても仕方ないか。
「行こうか、皆と一緒なら長旅も楽しいしね」
僕の頭上でその言葉に反応するように精霊達が舞う。
何度見ても見飽きない綺麗な光と共に、バルニエ王国への長い旅路を歩き出した。




