第五十三話「六年振りの背中は」
本日二話更新の二話目です。
私はずっと家から出なかった。
剣術の稽古もしなかった。
あの日、家に帰って剣を床に投げ捨ててから一度も触れてなかった。
私の大事にしていた二刀は少し埃が被っている。
何も知らない前の私が見たらそれはもう怒りを露に殴り掛かってくるだろう。
しかし、どうでも良かった。
何も食べないで過ごしていると、死を感じた。
ある日、姿を見せない私を心配してニコラスが家に入ってきた。
扉は壊れているし、それはもう慌てた様子だったが。
崩れて固まっている私を心配して声を掛けてくれたが、返事はできなかった。
それから頻繁に家にやってきては、食べ物を置いていくようになった。
いくら餓死しそうになっても食欲は出なかったが、食べた。
時期が来たらラドミラを斬らなければいけない。
私が死んでもレオンが斬ってくれるだろうが。
アルの仇は、私が取りたかったから。
私は待つのが苦手だったが。
私の時間は止まってしまっていて、待っている気分にならなかった。
一日過ぎたのか一月過ぎたのか分からない。
そんな生活を送っていた。
ある日、この町で親しくしていた女の仲間達もやってきた。
皆私を心配していたが、何やら文句を言っては勝手に私の体を拭いた。
それで私は自分があの日から水浴びも着替えも何もしていないことに気が付いた。
セリアのこと好きな男に幻滅されるよ、と皆で言っていた。
皆がアルのことを言っていないのは分かったが。
確かに、アルがもしどこかから見ていたらこんな私を見られたくない。
そう考えると、たまに水浴びをする為にベッドから降りた。
それらのこと以外は一切私は動かなかった。
もう、何ヶ月経ったのだろうか。
それとも、数日しか経ってないのだろうか。
何も分からなかった。
またしばらく経つと、ニコラスが現れた。
この日は、珍しく返事を返さない私を気にすることはなく話しかけてきた。
「僕、雷帝になったんですよ」
祝いの言葉を言うことも、労うこともなかったが。
少しだけ、興味を持った気がする。
「まだまだブラッドさんには敵わないんですけどね。
そのうち超えるだろうからいいって言われまして。
相変わらず適当な人ですよね」
そんなことを言って笑っていた。
ニコラスの腕は私と近いがまだ私より弱い。
ブラッドの考えはよく分からなかった。
「やる事があるとか言ってすぐに旅立っていきましたよ。
本当は、雷帝に縛られるのが嫌だったのかもしれませんね」
ニコラスはそう言っていたが。
ブラッドは剣術に対して誰よりも真剣に見えた。
自分より劣る相手に肩書きを譲るのも、何か考えがある。
私の脳の端っこで勝手に思考がはしっていた。
ニコラスは一人で勝手に話していくと、まだ家から出て行った。
彼は私に何があったのか聞くことはなかった。
その気遣いには、少しだけ感謝した。
またしばらく経つと、今度は初めて来た来客だった。
レオンだった。
金髪の剣士は、固まってしまった私の心を少し動かした。
「アルベルの事で聞きたいことはあるか?」
挨拶も何もする事はなく、一言目でそう言った。
私は、あの日以来初めて口を開いた。
「知ってること、全部教えて」
私の知らないアルの時間を、全部知りたかった。
どんな成長をしていたのか、どんな生活をしていたのか。
私の弱い声に、レオンは初めて見せる顔で微笑んだ。
「もちろんいいぜ、俺が一緒にいたのは二ヶ月くらいだけどな」
そう言って語り始めたレオンの話は、興味深いことばかりだった。
正直、エルは一緒にいたのだろうと分かっていたが。
ランドルの名前が出てきたのだ。
すぐに忘れてしまう私でもランドルは覚えている。
アルと出会うきっかけになった男だ。
しかし、一緒に旅をしていたのは予想外だった。
一体、何があったというのだ。
「何でアルとランドルが一緒にいたの?」
「え? いやそれは分からないけど、おかしい事か?」
「初めてアルと会ったのはアルがランドルに襲われてた時だったから」
「え、まじか! それは知らなかったなぁ、でも――」
「何?」
「あいつらはお互いが大好きで、信頼し合ってたよ」
「そうなの……」
本当にあれから何があったんだろうか。
知りたいが、もう聞けそうにない。
いや、エルとランドルに聞けば分かるだろうか。
ここでの用が終われば、二人を訪ねるのもいいかもしれない。
でも、エルは私を叱責するだろうか。
大好きな兄が私のせいで死んでしまったのだ。
私にとてつもない憎しみを抱いているかもしれない。
そう考えると、私は思った。
私にできる事が、あるのではないか。
アルは大切な人を守りたいと言っていた。
私が代わりにアルの大切な者を守る義務があるのではないか。
いや、義務ではない。
私が、アルの大切な者を守りたいのだ。
そう考えると、無色だった視界に色が戻ってきた感覚があった。
エルは嫌いになった私を嫌がるかもしれないが。
それでも、私はそれを受け止めなければいけない。
死んで楽になるなんて、許されないのではないか。
エルは南からコンラット大陸に渡るらしい。
時期を聞くと、私も用が済んで南に向かえば合流できるかもしれない。
新しい目的が出来た。
私はエルの憎しみを受け止め、守るのだ。
私に感情が戻ってくるとレオンは少し安心したように、話を続けていった。
私はただただ聞き続けた。
「それでさ、あいつ酒癖悪くて、ルカルドの看板の酒場壊したんだぜ」
「あの一番大きい?」
「そうだよ、最近になってやっとまた店が開いたよ」
「ふふ、そうなの」
私は久しぶりに少し笑ってしまっていた。
私には許されないことかもしれないが、微笑ましかったのだ。
アルは私が思っているほど完璧な人間じゃなかったのかもしれない。
ちゃんとアルにも、変なところもあったんだと安心してしまった。
アルがあれをしたこれをしたと、色々なことを教えてくれるレオンの話は楽しいものだった。
アルが何をしていても、微笑ましかった。
話が終わると、私は少しだけ穏やかな気持ちになっていた。
しばらくして、レオンは椅子から立ち上がると背を向けた。
じゃあなと去ろうとするレオンに声を掛ける。
「レオン、ありがとう」
「償いだ、自己満足だよ」
自分を責めるように言って立ち去っていったが。
私は彼に感謝していた。
レオンはボス部屋で何があったかは話さなかったし、私も聞かなかったが。
ボス部屋に入るきっかけになった話は聞いた。
そのことについては、ラドミラが悪い。
それにアルが守ろうとしたレオンを嫌いになれるわけがない。
レオンからもアルが好きだったという気持ちが伝わってくる。
きっとレオンも、アルにとって大事な人だったのだ。
しばらくすると、私は床に散らばっていた剣を丁寧に拭いた。
鞘から抜いて刀身に映る自分の顔を見ると、少しだけ前の自分に戻っていた。
これからはアルの代わりに頑張らないといけない。
そう思って、私は再び剣を振り始めた。
私が家から出るようになると、ニコラスは喜んでいた。
何故彼はここまで私の行動に一喜一憂するのだろうか。
分からなかったが、世話になった自覚はあった。
今までのことの感謝は伝えた。
もしかしたらラドミラが後悔すると言ったのはこの事だろうか。
あのままラドミラを殺して私が命を絶っていたら。
アルの代わりに剣を振れなかっただろう。
しかし、やる事は変わらない。
ラドミラを許す訳にはいかないのだ。
私は時に備えて、一日中剣を振り続けた。
時折嫌でも耳に入ってくるアルの噂は苦痛だった。
セルビア王国の王子救出、盗賊団の捕縛、首領の撃破。
それは誇らしいものだったが、どうしても最後は一緒だった。
ルクスの迷宮を攻略して死亡。
世界中でアルは有名になっていた。
故人として。
聞いてしまう度に、辛かった。
時期が近付いてきた頃。
私が町の外で剣を振っていると、異変が起こった。
遠くの空から近付いてくる群れがある。
最初は遠すぎて見えなかったが、次第に輪郭がはっきりしてきた。
竜だ。
青い鱗に包まれた竜の群れが、こちらに向かって来ている。
その数は百、二百、分からない。
数百の群れが徒党を組んでマールロッタに邪悪な瞳を向けているように見えた。
「何よ……これ……」
有り得ない光景に思わず声が漏れる。
こんなのに町を襲われたらひとたまりもない。
この町どころか、大国すら消し飛んでしまう。
私の後ろの町からすぐに悲鳴が上がる。
その悲鳴は連鎖していき、少し離れているというのに町中から声が上がった。
すぐに戦闘員達が呆けている私に並ぶように駈けてくる。
「有り得ない……ラドミラ様は、何で」
いつの間にか横にいたらしいニコラスの声が聞こえた。
そして、私も思い至った。
何故、ラドミラは何も言わなかったのか?
本当に未来が見えているのかと、疑ってしまう程に。
こんな状況、生き残れる者がいるわけがない。
これが分かっていたなら、もっと早くに避難させることもできたはずだ。
意味が分からない。
しかし、今はそんなことを考えている状況ではない。
追求するのは後だ。
いや、もう後があるかも分からないが。
私だけなら一人でこのまま逃げる事もできるだろう。
でも、そんな事は剣士として許されない。
世話になった仲間達、町の住民を置いて逃げ出すなんてできる筈がない。
私は降ろしていた腕に力を入れると、剣を構えた。
私が握っているのは、風鬼だ。
少し前から父の剣から風鬼に変えた。
もうこれを振る実力はある。
そして何故か、先頭にいた何頭かの竜達は私達を無視して、町へ向かった。
次の瞬間起こる惨事を想像すると悔しさに歯を強く噛みしめるが、それは起こらなかった。
町を破壊するわけでもなく、人を殺すわけでもない。
竜のくせに、視線を動かして空から町を見渡している。
何かを、探している……?
有り得ない、竜は凶暴で、何も考えずに暴れるだけの魔物だ。
しかしこの竜達がそうでないなら、もしかすると、このまま何事もなく去っていくだろうか。
そう一瞬、現実逃避をしてしまうが。
私が竜を睨みつけていると、数百の竜は辺りを埋め尽くすように地面に降りたった。
ドン! と順番にその巨体の重量で地面を揺らす。
その衝撃に、地面から少し体を浮かしてしまう。
竜の群れは全部が降りるスペースはないようで、残った固体は空から私達を見張るように飛んでいた。
そして私の楽観的な考えは間違いだった。
明らかに竜の群れは、私達戦闘員に敵意を持っていた。
誰かに、統率されている。
そんな私の考えは、竜のブレスで断ち切られた。
青い炎のようなブレスが私のいた場所に直撃する。
咄嗟に回避しながらブレスの先を見ると、地面が凍り付いていた。
炎じゃない、冷気だ。
食らえば身動きが取れなくなる。
蒸発するのと凍りつくか、どちらがマシだろうか。
いや、どちらも即死することには変わりない。
数百の竜に対して、こちらも戦える人間は二百人はいる。
一人一頭か、それ以上倒せればと思うが。
それは有り得ない、竜は本来数十人で一頭を倒すものだ。
私とニコラスでどれだけ倒せるかに掛かっているが、絶望的だろう。
私は覚悟を決め、全開で闘気を纏う。
仲間達を包むように闘気を爆発させると、周囲に青い闘気が漂った。
久しぶりの全開だ、長くはもたないだろう。
私の体が限界を迎えるまでに、何体倒せるか。
私は生きていないだろうが、もしかしたら生存者が出るかもしれない。
仲間の中で一番最初に動いたのは私だった。
「ガアアアァァアッアアアッア!!!」
咆哮を上げる竜に向かって風斬りを放つ。
私の闘気と風鬼の力が混じり合い、竜の硬い鱗は簡単に断ち切った。
一瞬で竜の首が飛ぶ。
その光景を目にした仲間達は、一斉に声を上げた。
そして、死闘が始まった。
戦況は常に劣勢だ。
私が十体葬ろうが、キリがない。
横目に映る仲間達の亡骸を見てしまうとラドミラに苛立った。
何故、言わなかったのか。
ふざけるな、そう思いながらひたすら剣を振った。
三十分は戦っただろうか。
私が殺した竜の数はもう数え切れない。
しばらく竜を殺していると、竜の群れは私を最優先で殺そうと動いているように見えた。
竜の群れが何か統一された意思を持っているのが謎なのに、何だこれは。
常に何体もの竜が私を囲み、視界はどこを向いても青い鱗で埋め尽くされている。
集中力の切れ目だろうか。
底を尽きてきた体力のせいだろうか。
憔悴しきった心のせいだろうか。
私を襲ったブレスが足元に直撃する。焦って横に飛んだが。
完全に回避したと思ったが、その冷気は私の足の自由を奪った。
両足の血液と肉が薄く凍り付いていく感覚。
痛みを感じないほど、足の感覚がなかった。
着地した瞬間、私の動きが止まり、膝をついてしまう。
すぐに空から私を囲むように竜が降ってくる。
竜達は牙を見せながら口を大きく開けると、青いブレスが収束し始めた。
「くっ……」
私の足は活動をやめてしまったように、動かなかった。
私は、死ぬのか。
まだ、何も目的を果たしてないというのに。
アルに対する償いも、できていないのに。
でも、死んだらアルに会えるかもしれない。
そう思ってしまうと、全力で生き残ろうしない自分がいるのが分かった。
「セリアさん!!」
遠くから叫ぶニコラスの声が聞こえる。
最後に聞くのはニコラスの声か。
竜の咆哮よりマシかもしれない、そんなことを思った。
私は死の覚悟をした。
目は、瞑らない。
私を殺す竜達を最後まで睨みつける。
竜からブレスが発せられる瞬間、口元を少し動かした。
「アル、ごめんね」
私は決意とは裏腹に、何故か満足して目蓋を閉ざしてしまった。
最後にアルの顔を脳内に描いた。
六年経った今のアルはきっとこんな顔をして、こんな体をしているだろう。
そんな幸せな想像をしたのは一瞬だろうか。
もう私は死んでいるのだろうか。
音は閉ざしてしまい、視界も真っ暗だ。
足以外の感覚があるのが不思議だが。
いや、闘気を纏っている感覚があった。
私は気付いたように闘気を静めると、激痛が走った。
「っ……!」
激痛と共に自然に目が少し開くと、有り得ない光景が広がっていた。
最初に映ったのは、首から上を失った竜達が崩れる姿。
そして次に視界に映り、私が釘付けになった者は。
闘気ではない、不思議な闘気を身に纏っていた。
私を守るように背中を向ける剣士は、神々しく白く発光していた。
キラキラと輝くコートは、白い闘気のせいか真っ白に輝いているように見える。
右腕に構えられた刀身から真っ黒の剣は神級の代物だった。
そんな業物の剣を、体に溶け込ませるように使いこなしていた。
不思議な闘気のせいで、少し白がかって見える剣士の髪を、私は知っていた。
顔は見えないが、何故か分かってしまった。
背が随分と伸びていて、もう私は彼の肩くらいの背丈しかないだろう。
私は、震えが収まらないまま唇を動かした。
「アル……?」
背中から掛かった私の声に反応して、剣士は顔を少し振り向かせた。
その横顔は優しく、穏やかな顔立ちだった。
私の大好きだった彼の顔は素敵に成長していた。
彼はこの惨状の中、優しく微笑んで言った。
「セリア、待たせてごめんね」
声色は変わってしまっていても、私の耳に心地よく入ってくる優しい声は昔と何も変わっていなかった。
私の視界が歪み何かが滲んでいくと、決壊した。
その雫は私の頬を濡らし伝っていった。
私が人生の中で三回目に流した涙は、うれし涙だった。




