第五十二話「コンラット大陸」
雷竜の巣を抜けてから五ヶ月程が経過している。
俺達が今歩いているのは、険しい山脈だ。
もうここに踏み込んでから五日は歩いている。
たまに炎竜が襲ってくるが、規模は違うが何度か竜の巣を通過した俺は何とも思わなくなった。
数体程度の固体に苦戦する訳もない。
俺とクリストが闘波斬を放てば即死してしまう。
むしろ、食料が向こうからやってきたと喜ぶ状況だった。
そして。
いよいよ、これを抜ければコンラット大陸だ。
長い旅だったが、寄り道した割には本来の予定より早い。
まだ一年も経っていない。相当無茶したからだろうな。
フィオレの足も相当速くなったし、俺とクリストが睡眠時間を削って背負って走ることもあった。
剣術の腕も、クリストも自分でまだ上達していると言っているし。
全員が、進化を遂げている。
フィオレの成長は正直、俺より速い。
それも当然だ、自分で言うのもなんだが俺はかなり強くなっている。
教えるのもイゴルさんの教え方と自分の考えを複合させて、合理的だと思う。
何よりの理由は、ドラゴ大陸の魔物だった。
フィオレは、普通では経験できない実戦経験を積んでいた。
俺達のサポートを信じて剣を振るから尻込みすることもない。
「フィオレ、言葉はもう大丈夫?」
「はい! まだ理解できない部分もありますけど」
「ある程度話せたらすぐ慣れるよ」
ある時から、俺達は魔族語で話すのをやめていた。
俺はもう魔族語をしっかり理解しているし学ぶ必要もない。
しかし問題は、フィオレだった。
俺とクリストと違って、フィオレが人種の言葉を話せるわけがない。
さすがにすぐには覚えれなかったが、次第に日常会話ができるようになっていた。
これでコンラット大陸でフィオレが一人話せない悲しい思いはしないで済むだろう。
そして、俺ももうすぐ十六歳だ。
背は伸びたし、筋肉も更に逞しくなった。
まだまだ伸びそうだが、もう今では昔と違って外見で舐められることはないだろう。
腰に掛かっている剣も神級の剣だしな。
しばらく歩いた頃、クリストが口を開いた。
「見ろよ、いい眺めだぜ」
その言葉に、俺もクリストの視線の先を見ると。
壮大な景色が広がっていた。
遠目に見えるのはイーデン港だろうか。
山頂から見下ろすコンラット大陸は、美しかった。
多分、一番近くに見える町はサウドラだ。
コンラット大陸の冒険者の町だ。
「初めて見る大陸だから思ってたより帰ってきた感覚はないなぁ……」
「わぁ! ドラゴ大陸より何だか綺麗ですね!」
「ドラゴ大陸は荒れた道が多いしね」
しかし、達成感はある。
ライニールと相打ちになって世界の果てとか言われた時はどうしようかと思ったが。
本当に、クリストに感謝だ。
「後数日歩けばサウドラに着くぞ!」
「よし!」
思わず拳を作ってガッツポーズしてしまう。
ここを抜けるのは一年かかってないが、それ以前のことも考えると感慨深い。
そんな俺を見てクリストは嬉しそうな表情を見せた。
「アルベルは出会った時より男らしくなったな」
うんうんと満足そうにクリストが頷いていた。
確かに、結構変わった気がする。
しばらく、敬語すら使ってない気がするぞ。
仲間以外で目上の人と話すこともなかなかなかったからな……。
それどころか昔は一人称が僕だったが、もう完全に俺になっている。
エリシアが見たら野蛮になってしまった俺を見て悲しむだろうか。
いや、それ以前に俺の失われた左腕を見たら発狂するぞ。
一生これは治せないんだろうか……。
剣を片手で振るのにはもう慣れた。
もちろん、両手で剣を振れたらといつも思っているが。
一番困ったのは、たまに寄った町での食事だった。
普段の旅路では、調理といっても調理道具も皿も何もないのでそのまま齧りつけばよかったのだが。
皿に出されると、どうしても行儀が悪くなってしまう。
フィオレがいつも介護してくれようとするのだが、断り続けた。
この旅の中で師匠の自覚は十分ついた。
そう思うと、フィオレに世話になるのは何か情けなかったのだ。
そして、クリストはそもそもそんな俺を気遣う優しさを持っていなかった。
いや、クリストに甲斐甲斐しく世話を焼かれるのを想像すると少し気持ち悪いが。
そんなことを考え、山脈を下っていった。
数日経つと、山脈を抜けた。
久しぶりに人種の大陸を踏んだと思うと気持ち良かった。
フィオレも少しドキドキしているように見える。
この大陸でエルフは目立つだろうな。
フィオレは美少女だし、モテモテになるの間違いなしだ。
師匠として、野蛮な輩からは守ってやらないと。
しばらく歩くと、サウドラに着いた。
町を歩いてる人間を見ると、やっと懐かしい気分になる。
ドラゴ大陸で人種は一人も見なかったからな。
マールロッタまで一直線で行っても良かったのだが。
ここに寄ったのはもちろん、情報収集だ。
ここまで来たらあれから何があったか知ってる者も多いだろう。
俺達は一直線で冒険者ギルドへ向かった。
ルカルドと同じくらいの大きさの冒険者ギルドに入ると。
周りを見渡すともちろん、冒険者達がいっぱいいたのだが。
驚いた。
知っている顔があったのだ。
何故だ? ここに居るはずのない人がいた。
エルトン港から経由した事を考えるとここにいるのは有り得ない。
もしかして、海竜王が移動したのか?
俺は考えるのをやめるように頭を振った。
とにかく、近付いた。
俺が椅子に座っている二人の前に立つと、二人は驚愕の形相で俺を見上げた。
俺は二人の様子はお構いなしに声を掛ける。
「久しぶりだね。リューク、リネーア」
俺の声を聞くと、他人の空似じゃないのを確信したらしい。
二人で一斉に立ち上がると声を上げた。
「生きてたのか! まじで、探しまくったんだぞ……」
「アルベルさん! 本当に、良かったです……」
二人共最初は大きい声だったが、次第に今にも泣きそうになる。
トライアルまで俺を探してくれていたのか。
かなり申し訳ないな、どれだけ探してくれても見つからない場所に俺はいたから。
そして、ふと思う。
「あれ、レオンとアニータは?」
もしかしてあの後何か亀裂を生んで解散したのだろうか。
それは嫌だ。
そう思ったが、俺の心配は杞憂だったらしい。
「レオンとアニータはマールロッタだ」
「四人で固まってても仕方ないので、私達は北で探してたんですよ」
「そうなんだ。ごめんね、迷惑掛けたね」
二人がマールロッタということは。
色々と考えが浮かぶが、聞いたほうがいいだろう。
「あれからのこと、詳しく教えてもらっていいかな?」
「もちろんです」
そう言ってリネーアが語ってくれた内容は、俺を刺激した。
エルとランドルは南から経由してコンラット大陸に移る予定らしい。
まだカルバジア大陸にいるのだろうか。
二人が知れば残念な思いをするのは、海竜王の話だろう。
数ヶ月前に海域を移動したらしい。
そして驚いたのが、俺達が精霊の森で災厄と戦ったのと時期が一致している。
多分、無関係じゃないだろう。
とりあえず、南に下れば二人とは合流できるだろう。
早く二人の顔が見たいが、今は我慢だ。
そして、レオンの話だ。
レオンはセリアと会って、全てを話した。
俺が死んだと思ってセリアは傷心したらしい。
セリアは何か決意したらしく、レオンはそれを見届ける為に残ったらしい。
その内容については、レオンは何も言わなかったらしいが。
ある期間が過ぎたら終わるとのことだった。
その期間と言うのは、俺達がマールロッタに着きそうな時期に一致している。
予見の霊人は、俺達が来るのを分かっている。
何故、俺が生きていると伝えてくれないのかは謎だが。
やはり、何かある。
そして、セリアが傷付いているというのに賑やかな仲間と旅していたことに罪悪感だった。
もちろん急ぎの旅だったが、そういう問題ではない。
早く、安心させてあげないと。
一通り話が終わると、俺の中に様々な考えが浮かんだが。
やはり目的は変わらない、マールロッタでとにかくセリアと再会する。
それが今、一番大事なことだろう。
俺が納得していると、次は二人が質問してくる。
「色々聞きたいことはあるが、お前あの状況で何で死んでねえんだよ」
「最後にセリアさんの所に転移したって皆が思ったんですよ。セリアさんも何も知らないし、本当にどうしてたんですか?」
確かに皆がそう思っただろう。
俺も最後の一瞬まで、セリアのことしか考えていなかった。
俺は苦笑いしながら言う。
「情けないんだけど、最後に死にたくないって思ってさ」
俺が言うと、二人はようやく納得したようだった。
「なるほど……死ななくていい所に転移したのか。
連れを見る限り、どこかは大体想像がついたが」
そう言って後ろにいるフィオレを見た。
クリストじゃ判断できないだろうが、フィオレを見ると一目瞭然だろう。
フィオレは視線に気づいてすぐに頭をぺこりと下げる。
「うん、ドラゴ大陸にね。世界の果てとか呼ばれてる所で、帰ってくるのに時間が掛かったんだ」
「端から帰ってきて一年経ってないんですね? ドラゴ大陸はもっと広いと思ってました」
リオーネはそんなことを言っているが。
ドラゴ大陸は広かった。
俺達はどんな道だろうと最短距離で突っ走っただけだ。
「随分近道したからね……」
言いながら竜の巣を駈けた時のことを思い出すと、体がぶるっと身震いした。
そんな俺の様子を見て二人は少し顔を青くしてしまった。
いや、心配させたかったわけじゃない。苦労話を聞かせてもお互い気持ちのいいものじゃないだろう。
とにかく、俺を探してくれていた二人に感謝を伝えなければ。
「とにかく、今まで本当にありがとう」
「あ、いえ、当然ですよ。それと、まだ言えてませんでした」
「ん?」
リネーアとリュークは、いきなり俺に深く頭を下げた。
少し、困惑してしまう。
そのままの状態で、リネーアが言った。
「あの時、助けてくれてありがとうございました」
「感謝してる」
その言葉に、俺は慌ててしまった。
二人が気にすることじゃない。
「頭を上げてよ! ほんと、気にしなくていいからさ」
「でも……」
納得してなさそうだが、とりあえず頭は上げてくれた。
俺は安堵すると思い出して、言った。
「そういえば帰ったらレオンをぼこぼこに殴るって言ったなぁ。早く行ってやらないとね」
俺が懐かしむように微笑んで言うと、二人もやっと笑ってくれた。
「そうだな、俺も参加するぜ」
「いいですね。まぁ、事情はあったみたいですが」
「事情?」
「いえ、本人から聞くといいですよ。すぐに会えますから」
リネーアはそう言って微笑んでいた。
レオンが飛び込んだのには名誉や意地以外に理由があったんだろうか?
いいか、リオーネが言うように本人から聞けばいい。
「とにかく、すぐに移動しようか」
今はまだ昼だ、ここで一泊するのは時間がもったいないだろう。
俺は振り返って二人の顔を確認するが、肯定するように頷いた。
俺達を止めたのは、リネーアだった。
「もう出るんですか? 山超えで疲れてないんですか?」
確かに、前までだったら休息を取っていただろうが。
もう町で休むことなんて滅多になかった。
一年近い旅の中で、ベッドで眠ったのなんて数回だろう。
「町に寄ることが滅多になかったから慣れたよ。じゃあ、色々ありがとうね」
最後に礼を言って去ろうとするが。
「いや、私達も行きますよ。もうここに用はありませんし」
「あぁ、レオン達と合流しないとな」
そういえば、そうか。
別に一緒に行っても問題ないだろう。
二人はAランク冒険者だし、フィオレと足もそんなに変わらないだろう。
「よし、一緒にいこうか――あ、その前に」
二人にお願いしたいことがあった。
俺はサウドラに知り合いの冒険者なんていないが、ここに滞在していた二人なら顔見知りはいるだろう。
俺が死んだという情報を払拭してほしかったのだ。
俺が頼むと、二人は当たり前のように周囲の冒険者に噂を広めるように言ってくれた。
これで遅くなったが、安心させることができる人も少なからずいるだろう。
俺に視線が集まり始めると、居心地が悪くなったので冒険者ギルドから出た。
すると、俺達の空間は一気に賑やかになった。
成り行きを見守って黙ってはいたが、今の俺の仲間はお喋りだ。
リュークはそんなに口数は多くないが、リネーアは交流的だし。
お互いすぐに打ち解けたようで、俺は安心してサウドラを旅立った。
道中、初めて見る魔物達に襲われることがよくあった。
間違いなくカルバジア大陸の魔物より強い。
しかし、ドラゴ大陸で慣れてしまった。
俺は魔物が出ると即座に斬り捨てた。
「前も化物だったが、どんだけ強くなってんだよ」
「俺よりクリストの方が強いよ」
「え!? そうなんですか?」
クリストを見るリネーアの目がキラキラしている。
この色男め、褒めなければ良かった。
「もうアルベルの方が強いだろ。本気出したら」
精闘気のことだろうか。
確かに精闘気を使えば勝てるかもしれないが。
それでも簡単にはクリストを倒すことはできないだろう。
それに、これは反則みたいなものだ。
自分一人の力じゃないしな。
「本気って、普段手加減してるんですか?」
そんなことを言うリネーアにちょっとからかうように言ってみる。
「ドラゴ大陸を旅したおかげで変身できるようになったんだ」
「えぇー、ほんとですか?」
相当疑われていた。
いや、別にいいんだけどね。
「本当だよ、迷宮のボスもそれで倒せたし」
「そう言われると……確かに何かないと倒せない相手でしたけど」
少しだけ納得してくれたリネーア。
さすがに今ここで、かもんレイラなんて言っちゃってこれが精闘気だ、だなんて。
精闘気を披露するほど俺は芸人ではない。
クリストの影響で少しぐらいふざけるようになったとしてもだ。
すると、声が掛かった。
『変身って私のこと?』
「もちろんそうだよ」
『闘気が変化しただけで体は変わってないよ』
「変に真に受けないでくれ」
しばらくレイラと話していると、リュークとリネーアの視線が刺さった。
「やばいな」「やっぱり後遺症が残ってるんじゃないですか?」
小声で二人が言い合う声が聞こえてくる。
思えば、クリストとフィオレは事情を分かっているが。
今まで俺が出会った人達はそう思ってしまうのか。
それもそうか、いきなり精霊使いになる人間はいない。
俺はちゃんとした精霊使いではないけど。
危ない奴を見る目はかなり居心地が悪かったので、二人には軽く説明した。
多分あんまり理解してなかったと思うが、変な視線を向けられることはなくなった。
俺達は、順調に旅を進めた。
さすがにリュークとリネーアもいることもあって、睡眠もしっかり取りながら旅を進めた。
フィオレも普段より口数が少ないし、相当疲労が溜まっているだろうから丁度いいだろう。
しかし、それでも俺が早くセリアに会いたいのと早く安心させたい理由により、常人よりかは遥かに早いペースで旅を進めてしまったのだが。
そして二十日程経った時。
マールロッタを知ってるクリストが声を出した。
「もうすぐ着くぞ」
「え!? 今日着く?」
「おう! 余裕で着くさ」
俺は歓喜の表情を隠せない。
やっと、セリアと会えるのだ。
セリアと別れてから六年近い。
成長したセリアを見てみたいし、成長した俺も見てほしい。
心臓が早鐘のように打つと、空に異変が現れた。
前にも同じような光景を見た。
あの時はドラゴ大陸ならこんなこともあるのか、なんて思った。
でも、ここじゃ有り得ない。
「え?」
俺の視線に気付いたフィオレが困惑の声を出し、全員で空を見上げる。
位置的には俺達とかなり離れていて遠目に薄ら見える程度だが。
それでも異常だと分かってしまう光景だった。
青い空と同調するように、青い鱗に包まれた竜が飛翔していた。
その数は、数え切れない。
分かったのは、魔竜の時よりも遥かに多い。
全員が驚愕に足を止めてしまい、誰もが押し黙る。
その空間を壊したのはクリストだった。
「海竜が海域から出るなんて有り得ない……」
その言葉にも、既視感があった。
まさか。
「災厄が、動き出した?」
「こっちに戻ってきたみたいだな……狙いは、多分……」
クリストが思い至る瞬間、俺はレイラの言葉を思い出した。
災厄は精霊の森で話を聞きに来たと言っていた。
障害になりそうな人物を排除する為に。
もしかして海竜の向かっている方向は。
「予見の霊人……?」
俺が言うと、クリストは頷いて足に闘気を纏った。
「アルベル! 着いて来い!」
「分かってる!」
俺達の会話が理解できていないリネーアとリュークを置いて、俺は闘気を纏う。
フィオレは俺達の速度についてこれないだろうが。
緊急事態だ、後から三人で来たらいい。
正直予見の霊人なんてどうでもいい。
セリアが、心配でたまらない。
いくらセリアが強くても、竜の数が多すぎる。
「レイラ!」
俺が大声で名前を呼ぶと、レイラは何も言わず俺の中に入ってくる。
すぐに精闘気を感じ、引き出す。
俺の体は白く発光する。
瞬間、駈けるクリストの背中を追いかける。
後ろから俺達に続く足音が聞こえたが、すぐに離れていった。
近いと言っていたが、さすがに一瞬では着かない。
俺とクリストは走り続けた。
町が見えると、数百の竜を相手に町の外で剣士や魔術師が戦っていた。
戦況は悲惨なもので、至る所で戦士と竜の死体が並んでいる。
その異質な空間に、俺は視線をさっと動かし、探す。
俺は、一瞬で見つけた。
闘波斬を放ちながら風斬りの姿勢で踏み込み、一瞬で距離を詰めると。
俺の大好きな女の子の前に、飛び込んだ。




