第三話「エルとセリアとの日々」
セリアと出会ってから半月ほど経過していた。
セリアに助けられたあの事件の後、エリシアの過保護っぷりが存分に発揮された.
その結果、四六時中エリシアの目の見える範囲に置かれていた。
以前の俺なら特に何も思わなかっただろう。
実際言われるまでもなくほとんどの時間を母親にくっついて過ごしていた。
だが今は少し問題というか悩みがある。
午後の昼下がり。
いつものように診療所で俺の肩にくっついているエルの横でアスライさんから借りた本を読んでいた。
「こんにちはー!」
すると、少女ながらも凛々しさを感じるよく通る声が診療所に響き渡った。
一応具合悪い人もいるし、あまり大きい声だしちゃだめだよと何度か言ったが。
その大きな声は改善されることはなかった。
元気が良いのはいいことだが……この診療所に来る人に大声出したくらいで怒る人もいないだろうからまぁいいだろうか……。
「セリア、こんにちは」
挨拶を返すと、俺の悩みの種の少女はいつ見ても姿勢のいい佇まいだ。
綺麗なサラサラの金髪を揺らしながら俺とエルのほうに寄ってきた。
少女はセリア・フロストル。
俺をヒーローのように救った彼女は、俺より二歳年上の七歳。
剣士の家系で、父親と二人で暮らしているらしい。
彼女の強さの秘密は父親との訓練の賜物らしい。
俺から見るとセリアの強さは化物の域だが、セリアの父親も相当な剣術の達人らしい。
セリアはお父さんはすごいんだから! とまだ成長していないぺったんこの胸を張っていたが。
どんな人なんだろうか……鬼軍曹のような人をなんとなく想像している。
セリアは、先日のような悪餓鬼を成敗しているのを繰り返す内に、他の子供達に恐れられていたみたいだ。
そのせいで、今までずっと遊んでくれるような友達がいなかったそうな。
確かに、遥かに自分よりでかい体の男をぶっとばせる少女は他にいないだろう。
俺はセリアを傷付けないように優しく説明してあげた。
最初は理解できていなかったようだが、次第に納得していった。
そんな訳でもはや第二の家ともいえる診療所で過ごしている俺の為に、セリアは足を運んできてくれるようになった。
今ではすっかりセリアも診療所の三人目のマスコットである。
エリシアもあらあらぁこんにちは~と少し離れた所から声をかけている。
「セリアお姉ちゃん」
隣にいるエルも同様だった。
家族以外に懐くのだろうか……とかなり心配していたのだが。
今では俺だけじゃなくセリアにも甘えん坊になっている。
もちろん最初は違った。
俺とセリアが仲良く話していると、エルは俺がとられると思ったようだった。
ずっと、むすーっとした表情でずっと俺の腕にしがみついていた。
機嫌が悪いエルの顔を見たセリアは一切気にした様子はなく、
どうしたの? と言いながらエルをひょいっと軽々持ち上げ、自分の膝に乗せた。
それを見た瞬間、泣き虫のエルがまた大泣きするのでは……と焦ったのだが。
当人のエルは意外と悪くない顔をしていた。
そこからは早かった、心を開きさえすれば甘えたがりのエルである。
「エル、今日も可愛いわね!」
そう言ってエルの頭をよしよしと撫でるセリアはすっかりお姉ちゃんだ。
まぁ、ここまではいいのだ、俺の悩みはここからだ。
最初うちこそ楽しく三人でお互いの家族のこととかを話していたのだが。
ずっと診療所の中にいると話も尽きる。
俺は別に本を読んでいればいいのだが他は退屈そうだ。
なので、読み書きができないセリアのために勉強をとでも思って提案して始めたのだが。
「セリア、今日も読み書きの勉強しようか」
そう言うとセリアはうっ、と顔をしかめた。
おいおい、可愛い顔が台無しだぞ。
「私剣士になるんだから読み書きなんてやっぱり必要ない!」
初めはやってみる! と意気揚々と挑んでいたのだが。
文字とにらめっこしていると目を回し、もうだめ、と机に頭から倒れてしまう。
セリアは根っからのアウトドアなのだ。
そして今の俺は悲しきかな、スーパーがついてしまうインドア……。
「知らないより知ってるほうが絶対いいって! ほら! 逃げない!」
立ち上がろうとするセリアの腕を掴み椅子に座りなおさせる。
すると、観念したかのように脱力した。
俺がセリアの為に紙に書いて作った文字の羅列を見るとげんなりして。
「外で遊ぼうよ……ねぇ、エルも外がいいよね?」
視線を向けられたエルはきょとんとしていた。
「私どっちでもいいよ」
可愛い声でそう言った。
エルは俺とセリアがいればどこでもいいのだろう。
それを聞いてセリアはうー、と唸っている。
うーん、読み書きができたほうがいいのは間違いないんだけど。
かといって無理に詰め込むのもよくないか。
きっとセリアも外で走り回りたいだろうに俺とエルに付き合ってくれてるし。
セリアの話によると朝早くから昼までずっと剣の稽古をしてるらしいが。
セリアの体力は底なしなんだろうか。
セリアをインドア生活に巻き込むのも簡単だ。
しかし、そのうちセリアがもう絶交よ!と。
飛び出していく姿をつい想像してしまう。
それは嫌だ、もちろんそんなこという子じゃないのはわかってるが。
さすがに俺からも動いてみるか……。
「わかった。お母さんに聞いてみるよ」
許可が下りるとは思えないが。
俺がそう言うとセリアはいきなり電源が入った機械のように再起動する。
一瞬で、えっ! と落としていた頭を上げた。
「やった! 私からもお願いする!」
そういうと立ち上がった俺についてくる。
セリアの後ろからエルもちょこちょことついてきている。
エリシアは丁度手が空いていたらしい。
俺達三人を見ると、あらぁどうしたのー?といつも通りののんきな声を出した。
「お母さん、三人で外に遊びにいってもいい?」
無理だろうな、まぁセリアも直接母さんの言葉を聞けば納得するだろう。
そう思っているとエリシアは少し厳しい顔をして
「ちゃんと日が沈む前に帰ってくるのよー?」
「うん……えっ!?」
俺の聞き間違いだろうか、後ろを見るとセリアがやった!とニコニコしている。
俺の耳がどうにかなってしまったわけじゃなさそうだ。
な、なんでぇ?
「ほ、ほんとにいいの?」
一応念押ししておくが。
「うんー……心配だけど、子供は外で遊ぶものだ。縛りつけたらいけないってぇ、コーディさんに怒られちゃってー」
俺は苦笑いしているエリシアの後ろをチラっと覗く。
視線の先には所長であるコーディさんが椅子に座っていた。
俺に気付いてこっちを見ると、フッと笑って親指をぐっと突き出した。
似合わないよお爺ちゃん……。
でも、ナイスだ! いや、ナイスなのか? 俺はインドアでいいんだけど。
しかし俺の後ろで今にも飛び跳ねそうに喜んでいるセリアを見る限りやはりナイスなのか。
エルはセリアの裾の掴みながらぼーっと成り行きを見ていた。
よし、こうなったら今日はセリアの為に外で走り回ろうじゃないか。
青空に向かって羽ばたこう。
「わかった! じゃあ行ってくるね!」
元気よくそう言うとセリアとエルを連れて診療所を飛び出した。
「よーし、何しようか?」
診療所を出て少し歩くと、後ろを振り返った。
そして姉妹のように仲良く手を繋いでいる二人を見て言った。
「あのね! 私の家に来てほしいの!」
いつものよく通る声で元気よくセリアが言う。
「家? 全然構わないけど」
いいよね? とエルに目をやるが、エルもコクリと頷いている。
正直予想外だ、セリアのことだし町の端から端までかけっこしましょう!
なんて言い出してぶっ倒れるまで走らされると思ってたんだけど。
場所が変わっただけで室内なのか。
「友達ができたってお父さんに言ったら、見てみたいって言ってたの!」
「そ、そうなんだ……」
あぁ、そういうことか。
セリアのお父さん……恐ろしく強面で無愛想なイメージだ。
こんな軟弱者に娘はやらん!とか言われてしまうのだろうか。
もちろんそんな関係ではないが。
ぶるっと身震いしながらセリアに声をかける。
「確かセリアの家は町の南西のほうだっけ、遠いの?」
町の中央の大通りに診療所があり、そこから南東に下っていくと俺の家だ。
方角が違うだけで診療所から自宅に帰るのと変わらないくらいだろうか。
「走るとすぐよ!」
セリアはどや顔で遠くを指差す、その方角に家があるんだろう。
というか走るのか、別に俺は走ってもいいんだが。
エルはあまり活発に動き回るタイプではない。
本人も、う~と可愛らしく喉から声を出している。
「エルは走るの得意じゃないだろうし、歩いていこうか」
俺がそう伝えると、セリアは大丈夫よ! と言ってエルの前に立った。
そしてエルに背を向けて屈むと言った。
「ほら、おいでエル」
完全におんぶの構えだった!
エルもエルで何も気にせずセリアの背中にもたれかかる。
セリアはエルの体重を支え、重量を感じさせないかのようにすっと立ち上がる。
すげえな……。
「じゃあ出発!」
そう言って駆け出した。
その速さは俺でもついていけるスピード。
エルの体重分だろうか、さすがにセーブしてくれているんだろうか。
セリアの少し後ろを走っていると、セリアが俺を確認してにっこり笑った。
次の瞬間、セリアはスピードを上げた。
セリアの背中が離れていくのを見て、俺も足を速くする。
「ちょ、ちょっと!」
必死にセリアとの距離を縮めると、セリアは更に速くなる。
どんだけだよ! どんな体の作りをしているんだ。
七歳の少女が、エルは五歳とはいえそこまで体格の変わらない人間を背負いながらこんな速度で走れるのだろうか。
気合で俺も更に足に力を入れる。
近付くとまたセリアは少し驚いた顔をするとまた速くなる。
彼女の限界はどこにあるんだろうか……。
というか俺も速くないか?
五歳児の体なのに前世の全力疾走より速い気がする。
やっぱりこの世界の人間は体の造りが根本的に違うのか?
何故か、速くなればなるほど、何かが俺を押しているような気がした。
そういえば、この速度で走っていてエルは大丈夫なんだろうか。
今まで走ることに精一杯ですっかりエルのことを忘れていた。
エルに目をやると
「わぁーーーー」
とっても楽しそうだった! いつも割と静かなエルがはしゃいでいる。
恐さや苦しさは感じていないようだった。
俺の想像と真逆にセリアジェットコースターを満喫しているらしい。
俺のほうはというと体力も限界にきていた、というかもう限界を超えていた。
この速度で五分以上走ってないか……。
俺が思ってるよりセリアの家はずっと端にあるらしい。
もう無理! と足を止めそうになると、前にいるセリアがぴたっと綺麗に静止した。
「ここよ!」
セリアはそう言うと、きゃっきゃしていたエルを降ろす。
すると、はぁーはぁーと肩で息をしながら地面に尻からへたり込んでいる俺に笑いかけていた。
「驚いた! アルったらすごく足速いのね!
楽しくなっちゃって結構本気で走っちゃった!」
ニコッとセリアは満足気な顔で微笑んでいた。
すごく可愛いけど……。
「あれで、結構なのか……」
息も絶え絶えでなんとか返事を返す。
まだ速くなるらしい、エルを背負ってたことなんて関係ないのだろうか。
まだ息が整っていない俺の所にエルが心配そうに顔を近づけてきて
「お兄ちゃん、大丈夫?」
不安気に顔を傾ける、エルよ、お兄ちゃんはもうだめかもしれない。
もうだめだと言いながら倒れたくなるが妹に情けない姿を見せたくはない。
今も十分情けない気はするが。
「はは……大丈夫だよ、エルは大丈夫だった?」
「うん、面白かった。また乗りたい」
「はは……ははは……」
俺が壊れたように笑うとエルも微笑んでくれる。
とても愛らしく可愛い妹だ、でも次は勘弁してほしい。
この体の足は速いらしいが本が友達のインドア生活を送っていた俺に体力はないのだ。
ようやく息が整ってきたところで俺は周りを見渡す。
家同士の感覚がかなり広い。
かといって家が大きい訳でもない、俺の家の半分ぐらいの大きさだろうか。
人気もなく、町のどこで見た場所よりも緑が多い。
ここまで町の繁華街より離れていると色々と不便ではないだろうか。
いや、セリアのことだし走ればなんの問題もないのか。
へぇ~とセリアの家を眺めていると、家の中からガタガタと音がした。
しばらくして、中から扉が開いた。
「セリアー? 帰ってきたのか?」
中から出てきたのは、三十前半くらいの男だろうか。
セリアと同じ金髪の髪は短く切られている。
セリアと似たデザインの剣士服の上からでも筋肉質なのがわかる。
そして俺が勝手に想像してた強面の大男とはまるっきり違う。
その男はとても爽やかな顔をしていた、そしてかなりの美形だ。
セリアは母親に似ているんだろうと思っていたがそういうわけではないようだ。
セリアの可愛らしい顔に感じる凛々しさは確かにこの男からの遺伝だろう。
俺が脳内で勝手な分析をしているとセリアが扉を開けてきょとんとしている父親に駆け寄っていく。
「お父さん! 友達のアルとエルよ!」
と、手を広げた腕を俺たちに向けて言った。
そうすると男は興味深そうに俺達に近付いてくる。
ほぉーと品定めするかのように俺とエルを見つめ続ける。
すると、いきなりエルの脇に両腕を差込みエルをひょいっと高く持ち上げた。
何事!? と思ってる間もなかった。
「君がエルかー! 聞いてた通り可愛いなぁー!
魔術使えるんだって!? すごいなー!」
と、笑いながら、はははーとエルを持ち上げたままその場をぐるぐる回る。
その隣でセリアは腕を組みながら微笑み、顎を上にあげて満足気な表情をしてる。
どや顔する所でもないと思うが……。
無愛想な人を想像していた俺はぽかーんと口を半開きで眺めていたが。
「お、お兄ちゃん……」
困ったようにエルが回されながら俺に視線を送ってきた。
どうすればいいのかわからないんだろう、俺もわからない。
少し呆けていた頭が覚醒し、エルを助けようと声を出すが
「ちょ、ちょっと……」
困ったように言う俺に気付き、動きをピタっと止めると目を回しているエルをそっと降ろした。
そしてとてつもない速さで俺の脇に両腕が差し込まれる、なんだこの既視感。
待って、という暇もない間に俺を自分の頭より高く持ち上げ、再び回り始めた。
「君はアルだなー! セリアがいつも嬉しそうに君のこと話してるぞ!
その歳で読み書きできるって天才だな! 俺よりかしこいぞ!」
「え、えっと……」
助けて、と今だポージングとどや顔を崩していないセリアに視線を送る。
視線に気付いたセリアは満足気に口を開くと。
「アルはすごいのよ! 闘気を纏ってないのに私と同じぐらい速いの!」
闘気ってなんだよ初めて聞いたぞ、というかどこが同じぐらいだ。
俺とセリアの身体能力は物凄い開きがあるだろう…。
しかしそれを聞いた俺をおもちゃにしている男はぴたりと動きを止めた。
その腕は相変わらず俺を高く掲げたままだが、セリアのほうに顔を向けた。
「え……まじ?」
「まじよ!」
えぇ、と驚いた表情をしている男は俺に向き直る。
そして、ほぉーーと俺の顔を訝しげに眺めていた。
何に驚いているのかもよくわからない俺はとにかく。
「あの……降ろしてもらっていいですか……」
困った顔でそう言う俺。
男は、「あぁ、ごめんごめん」と言いながら俺を地面に降ろした。
「そうだな……とりあえず家入る?」
そう言って開けたままの扉から見える部屋の中を指差した。