第二十八話「ローラvsザエル」
王城から立ち込める煙に気付き民衆が騒ぎ立てる中、私は走っていた。
間違いなくイグノーツ様の身が危ない。
イグノーツ様は私にもう守る必要はないと言ったが、そんな訳にはいかなかった。
一度命に代えても守ると誓った存在を見捨てるのは流水流の剣士として、流帝の娘としての誇りが許さなかった。
私は闘気を足に全力で注ぎ込み、走った。
王城に着くと、普段は見張りのいる閉ざされた大きな門をジャンプして飛び越えた。
すると、そこは地獄絵図だった。
普段綺麗に彩られている緑の庭園は至るところが燃えていた。
そんな状況なのに生きている兵士の姿が見えない。
兵士どころか、処刑の為に待機させられていた盗賊団の姿もなかった。
そしてそれを見張っていたはずの兵士の死体が十程転がっている。
兵士の腰に掛かった鞘からは剣だけが抜かれていた。
辺りを見回しても剣が落ちている訳ではない、奪われている。
一体誰が……。
盗賊団の死体が見えないことから、誰かが開放したのは間違いない。
そしてその盗賊団が今どこにいるかを考える。
さすがに城を正面から出て町を横断していたら物凄い騒ぎになっているだろう。
ここに来る間に民衆の声を聞いていたから分かる。それはない。
逃げるとしたら、セルビア王国の城壁の裏門……か?
裏門は普段は使われてなく、分厚い鉄の扉で塞がれているが。
しかし今は盗賊団の行方よりイグノーツ様の身が気がかりだった。
私は城の中に飛び込むように入っていく。
すると、入ってすぐに王国兵の亡骸があちこちに散らばっていた。
五十人は死んでいるだろうか……。
王国兵の中にも未熟な者もいれば手錬もいる。
二十人程の盗賊団ではこんな光景を作り出すのは無理だ。
ラルド王子の配下の者にもそんな手錬がいた記憶はない。
やはり、異常だ。
灯りが消えているはずの城内の廊下が赤く染まっている。
死体の数はイグノーツ様の部屋に向かうほど増えていった。
長い階段を上り、廊下を駈ける。
それを繰り返す。
長い距離を走っているはずなのに、その間生きている人間の姿は見えなかった。
イグノーツ様の部屋の前に着くと私は扉を壊すかのように乱暴に開けた。
そこには何もなかった。
血の匂いもしなければ、暴れた形跡すらない。
イグノーツ様の姿も、なかった。
この状況でイグノーツ様が逃げ出せたとは思えない。
ならば、再び誘拐したのか?
考えるより速く、私はイグノーツ様の部屋の窓から飛び降りた。
外壁に沿うように走り、裏門の方へ駈ける。
すると、城にきてから初めて生きている人間の姿を見た。
二十人程の盗賊達。
その男達は裏門の鉄の扉をなんとか壊そうとしているようだった。
それを止めようとする兵士の姿は周囲にない。
異質だ。
私は駆け寄ると、口を開きながら周囲を見回した。
「イグノーツ様はどこですか」
私の言葉に、扉を壊すことに夢中だった盗賊達の数人が振り向いた。
私は剣を抜いて構える。
「おい! 話が違えじゃねえか! 誰だよこいつ!」
「知るかよ! いいから扉をさっさと壊せ!」
「チッ! 首領が戻ってこねえとこの扉は……」
私の質問など答える気がないように焦りながら怒鳴り声を上げる男達。
私は苛立ちを隠さないまま怒鳴り声を上げた。
「イグノーツ様をどこにやったかと聞いている! 答えなさい!」
私が声を上げると、男達は険しい顔をしながら少し笑って言った。
先程までの焦りが嘘のように男達は落ち着いていた。
「王子なら今頃首領に殺されてんよ。大体お前自分の状況分かってんのか?
おい! お前ら!」
先頭に立って私を睨んでいた男が叫ぶと、裸の剣をぶらさげている男達が前に並んだ。
首領?
確か前にお母様が何者かを捕らえたという話を兵士から聞いた気がする。
この男達がイグノーツ様と共にいないということは、まだ城内にいる可能性があるのか?
私は男達を放って城内に戻ろうとするが、男達は私を囲んだ。
「へっ、よく見たらまだガキだが上物じゃねえか」
「連れて帰るか?」
「おう、殺すなよ」
「さっそく楽しみが出来たな」
そう言って私を見る男達の目は吐き気を催すものだった。
私は下衆な笑い声に包まれる。
理解した。
この男達は根っからの悪党だ。
逃がすとまたどこかで悲しみが生まれるだろう。
こんな奴ら、一瞬で斬れる。時間は掛からない。
私が男達を斬ろうと覚悟を決めると、後方で怯えたような声が上がった。
「な、なぁ。確かにガキだが、俺達はガキにやられたんだぞ」
「相変わらず弱気だなダンテ。あんなガキ他にいねえよ」
「ほらお前ら! さっさと―――」
男は最後まで声を上げることはなかった。
私は声を上げていた男の首を飛ばした。
その光景に、男達は呂律が回ってない怒鳴り声を上げながら私に飛び掛かってくる。
流水流は受け流す技を究極まで追い求める。
しかし、受ける必要はなかった。
男達の剣は遅く、その剣が私に降りかかる前に首が、腕が飛んでいった。
一瞬で囲んでいた十程の男の命を奪う。
その光景に、残っていた男達が私が今殺した男達の剣を拾い向かってくる。
私は向かってきた男達を全員簡単に斬った。
悪党を斬ることに迷いはなかった。
視線を横に移動させると、最後の集団が戦っている間に逃げていた二人の男達がいた。
真っ先に逃げた先程私を警戒していた賊は既に遠くにいたが、もう一人は逃げ出すのが遅かった。
私は賊に向かって踏み込むと一瞬で距離が詰まり、その情けない背中を斬った。
男は前から倒れて絶命する。
私は遠くにいる男に向かって駈ける。
男は顔だけ振り向き追いかける私の姿を見ると、恐怖に歪んだ表情を見せた。
その直後、男は足を絡めて無様に地面に転がり込む。
私は容赦なくその背中を叩き斬ろうとするが。
ガキンッ
鉄がぶつかり合う音と共に、私の剣は阻まれていた。
巨大な鉄の塊によって。
私は自分の剣を阻んだ正体を確かめるように上を見上げる。
その男の顔は見上げないと見えない程、巨体の男だった。
その顔は、イグノーツ様を迎えに向かった時から何度も見た顔だった。
「ラ、ランドル……? なんでお前……」
「知らねえよ」
賊と会話を交わし、機嫌を悪そうにしている男はアルベルさんの仲間だった。
私が剣を引くと、男はその巨体程もありそうな大斧を重さを感じさせないように構えた。
「何のつもりですか? そもそも、何でここに」
「俺にも分かんねえよ」
「は? 貴方は何をしてるのか分かっているのですか。
その賊と顔見知りのように見えましたが」
「昔の仲間だ」
その言葉に私は悩んだ。
賊を守って、そして昔の仲間と言った男。
普段ならば迷わず斬り捨てる。
しかしその男は何より、アルベルさんの仲間だった。
アルベルさんの仲間だと思うと斬っていいのか分からなかった。
「その男は悪党です。今逃がせばどこかで人を不幸にするでしょう。
そこをどいてください」
「あぁ、そうかもな」
「なら―――」
「俺も昔は悪党だった。こいつも変われるかもしれない」
そう言って巨体の男は賊を守るように斧を強く握り締めた。
仕方ない。悪を逃がすというなら斬るしかない。
アルベルさんもきっと分かってくれるだろう。
私は再び剣を構えた。
あまり時間を取っている訳にはいかない。
私は相手の攻撃を待たないで踏み込む。
油断はしない、相手は私が負けたアルベルさんの仲間。
弱い筈がない。
そして想像通り、私の中段から突いた剣は大斧によって受けられた。
何キロあるか分からない斧を振り回してる割りに速い。
私は何度も斬り掛かるが、通る攻撃は肌を薄く裂く程度だった。
相手になかなか致命傷を与えれないのは二つ理由がある。
一つは私が本気でこの男を殺そうとしていないこと。
賊を守れなくなる程の傷を与えればいいと思って急所は避けている。
その過程で死ぬなら仕方ないと思っている気持ちもあるが。
もう一つの理由は。
この巨体の男は一切反撃してこなかった。
反撃する隙を与えていない訳ではない。
流水流は受け流す剣術だ、むしろ反撃を誘う動きをする。
この男は流水流の技を警戒しているというより、私を斬ろうとする意思がない様に見えた。
「何で反撃してこないんですか」
「俺だって間違ったことをしている自覚はある」
「ならなんで……」
「俺だって分からねえよ」
もういい。
私がこの男を本気で殺そうと斬り掛からないと勝負はつかないだろう。
手加減しながらではすぐには無力化できない強さをこの男は持っている。
そして今は時間を気にしなくていい状況ではない。
アルベルさんの仲間と争っているような時間はない。
「もういいです。勝手にしてください」
「悪い」
私は呆れたようにそう言うと、背を向ける。
すると、その視線の先から歩いてくる人物がいた。
ぼさぼさの灰色の長い髪。
老けて見える男は薄汚れたボロボロの服を着ていた。
そして腰にはその身なりに似使わない綺麗な双剣をぶらさげていた。
恐らく業物だ。
明らかに異質である人物に警戒し、剣を構え威圧する。
しかし、その男は私なんか眼中にないようで全く見てなかった。
ずっと、つまらなそうな顔をしていた。
すると私の後ろに視線を向けてやっと表情が変わる。
「お? ダンテじゃねえか。生きてたのか」
「首領……?」
後ろの賊が首領と呼んだ男は、賊のほうを向いて少し嬉しそうに語り出した。
「それがよー、城のどこ探してもイグノーツの野郎がいねえんだよ。さすがにこれ以上時間掛けるのはまずいから先にお前ら逃がそうと思ったんだけどよ。様子見に行ったらあいつら死んでんだわ」
そう言って途中からつまらなそうに話した男は続けた。
「生きてるのはお前一人みたいだが、まぁいいんじゃねえか。
また一からやり直せばいい」
この男の話が本当なら、まだイグノーツ様は生きている。
何があったのかは想像できないが。
恐らくどこか見つからない場所に隠れることが出来たはずだ。
こんな男の言葉、到底信用していいものではないが。
男が語る言葉に嘘は感じなかった。
私の後ろの賊は何も言わなかったが、男はそのまま言った。
「それでこいつら―――敵か?」
その瞬間、つまらなそうにしていた男の表情が変わる。
鬼のような形相をして私達に殺気を向けてきた。
私は睨み返すと、剣の柄を強く握りしめた。
恐らくこの男は強いのだろう。
城内の兵士を斬ったのは多分この男だ。
だからといって盗賊なんかに私が負ける話にはならない。
男は私を見ると、たった今気付いたように言った。
「ハッ、あの女の面影があるな。構えも同じ、娘か?」
「………流帝のことを言っているならその通り――」
私は途中までしか言えなかった。
私が言った瞬間、男の闘気が爆発した。
禍々しい黒い闘気が深夜の暗闇を更に黒く染めるように男を包んだ。
その闘気は、巨大だった。
今の私では到底届かない量の闘気だった。
呆気にとられる私に男は言った。
「流帝と殺りあえなかったのは残念だが、今日のところは娘で我慢しよう」
殺気を放ちながら腰の短剣を抜いた。
男は先の短い二振りの剣を両手に構える。
私も闘気を全力で身に纏う。
男には届かないが、私には流水流の技がある。
闘気の差なんて技で覆して見せよう。
受け流す構えのまま敵を待ち構えると、男は予想外の行動を取った。
「さて、楽しみの前に邪魔者を片付けるか」
男は嬉しそうにそう言うと踏み込む姿勢を見せた直後、消えた。
消えたように見える程、速かった。
まずいと思った瞬間。
斬られていたのは私ではなかった。
私の後ろにいる、巨体の男だった。
「ガ……ハッ…」
小さく呻き声を上げながら巨体の男から鮮血が噴出した。
肩から腹に向かって皮膚を斬り裂かれていた。
そのまま吐血しながら地面に倒れる。
傷は深く、内臓まで傷付いている。
恐らくもう助からない。
「あぁ? 思ったより分厚いな」
私の真横でそう言う男に私は我に返り、男の首に向けて剣を振った。
しかし、キィンと音が鳴り響くと片方の剣で簡単そうに私の剣を受けていた。
「じゃじゃ馬だな。お前はちょっと待ってろ」
その瞬間、私の腹が潰れる。
蹴りを食らった、と思った瞬間、私は城壁に背から張り付けられていた。
肺から空気を吐き出し、背が砕かれたような痛みが私を襲った。
内臓も潰れてしまったかもしれない。
そのまま膝をついて立ち上がろうとするが、立ち上がれない。
そんな私を無視して、男は息も絶え絶えの巨体の男に止めを刺そうと剣をゆっくり振り上げた。
「ま、待ってくれ首領! こいつは違うんだ!」
そう言って巨体の男の前に、賊が立ち塞がった。
「あぁ? ダンテ、お前何言ってんだ」
「こいつは今、俺を守って……」
「知るかよ。こいつは俺の部下を殺したんだろ?」
「そうだけど、でも――」
「お前は死んだ仲間とこいつどっちが大事なんだ? 言ってみろ」
「………分からねえ」
「そうか」
その瞬間、立ち塞がった賊の腹に剣が突き刺さった。
驚愕の表情を見せる賊に、剣を突き刺した男はつまらなそうな顔をしていた。
男が剣を引き抜くと賊は大量の血を吐き出しながら後ろから倒れた。
巨体の男が体を引きずりながら賊の下へ地面を張って近付く。
二人は何か会話をしているようだったが、二人共死ぬ間際のような微かな声で聞こえなかった。
「俺の部下だったお前に選別だ。別れの挨拶くらいさせてやるよ。
今から楽しんだ後に楽にしてやる。ま、放っておいても死ぬだろうが」
そう言って男は私を見た。
相変わらず禍々しい闘気を周囲に撒き散らしている。
私は少しだけ回復したのかなんとか立ち上がり、剣を構えた。
しかし、先程受けたダメージのせいで剣がぶれる。
痛みのせいで集中できていない。
「あぁ? なんだ、さっきのがそんなに効いたのか?」
不思議そうに言う男に私は口を開かない。
ただ、相手の動きを観察して備える。
「がっかりさせんなよ。楽しませてくれ」
そう言って男は踏み込んでくる。
さっきは予想外の速さに見失ったが、今回は相手の速さが分かっている。見えた。
剣を受け流すことはせず、私は体を回して剣先を躱した。
そのままの勢いで後ろに飛んで少し距離を取る。
壁を背にして戦いたくなかったからだ。
次は受け流す。
私が剣を構えて男を睨みつける。
しかし男は私が攻撃を避けたのがそんなに嬉しかったのか、いやらしい顔でニヤけていた。
次の打ち合いはすぐにやってきた。
男が踏み込むと、私のとった距離は一瞬で縮まった。
振り降ろされる剣をギリギリの所で受け、流す。
そのままカウンターで男を斬ろうとするがもう片方の剣で受けられる。
まずい。
私の闘気を乗せた攻撃は男の片腕によって軽く受け止められる。
闘気の押し負けによって、二刀の弱点であるはずの力が拮抗していた。
いや、私の方が力負けしている。
私はまだ冷静だった。
男の次の攻撃が飛んでくる間にすぐに打開策を思い浮かべる。
私に休む暇を与えさせない様に男は再び片方の剣を振り上げる。
私は男の上段から振り下ろされた初撃を紙一重のところで躱す。
しかし、完全に躱したつもりが、私の肩口を軽く裂いた。
血が滲む間も、痛みを感じる間もないまま男の二撃目が飛んでくる。
私はその剣を受け止める。
そのまま流すと、敵の首を狙う。
全力の一閃。
高速で男の首に迫る自分の剣筋に、私は首を飛ばしたと確信した。
しかし、男は体を少し後ろにのけぞらせ首を後ろにひっこめた。
私の剣は男の鼻面を通過していく。
その隙を逃がさないように、男は下がったままの右手の剣を振り上げた。
瞬間、鮮血が舞う。
私の剣を握っていた右腕が斬られていた。
腕が千切れるほど深くはない傷。
だが私の指先は感覚を手放し、剣が地面に突き刺さった。
焦って左腕で剣を抜こうとするが、それは許されなかった。
男が私の胸を蹴り潰すように足裏から叩きつけた。
胸骨が砕ける音と共に私の体は一メートルほど勢いよく飛び、地面に叩きつけられる。
今になってやってきた腕の痛みと共に胸に激痛が走る。
息を吸う度に激痛が走り呼吸することも難しい。
剣を失い、立ち上がることもできない私に男はもう闘気は必要ないといった様子で、巨大な闘気を静めながら楽しむようにゆっくりと歩み寄ってきた。
「ガキにしては楽しめたぜ」
私は苦痛の顔を隠せなかったが、それでも男の顔を睨みつけた。
何なのだこの男は。
たかが盗賊団の首領。
しかしこの男のいる領域は盗賊などに身を落とすようなものではなかった。
私は今まで道場で剣術の腕を磨いている者しか強い者はいないと思っていた。
冒険者を見ても、私が強いと思うほど大した剣士はいなかった。
しかし、突如現れた少年によってそれは打ち砕かれた。
肩書きは関係ないのだと知った。
それでも、私はまだ舐めていた。
悪に身を落とすような人間に私が勝てない程強い者はいないと思っていた。
これは私の中の狭い世界で、周りを見下し生きてきた罰なのかもしれない。
男が私の前で右腕を振り上げ、その剣が私に迫ってくる刹那、そう思った。
しかし、その瞬間はいつまで経ってもやってこなかった。
気付かない内に死んでしまったのか。
そう思ったが、腕と胸の痛みは健在だった。
死の世界にいるようには思えなかった。
そんなことを考えていた私の体感時間は、時間にしてみれば数秒、一秒、いや一秒もなかったかもしれない。
いつの間にか強く閉ざしていた目蓋をゆっくり開けた。
目の前に映ったのは、先程まで楽しそうに私に斬り掛かっていた男の姿ではなかった。
赤い闘気を纏いながら私を守るように私の前に立ち、私に背を向けている剣士だった。
赤みがかった茶髪に、赤茶色の剣士服に身を包んでいた。
私の代わりに男の剣を受けている刀身は月明かりに照らされ、白く美しく輝いていた。
その剣士は数日前、私の狭い世界を壊してくれた。
私より一つ年下の、剣士だった。




