第二十六話「暗躍」
ローラとの立ち合いがあった次の日。
俺は再び流水流の道場に赴いていた。
門下生達は俺を訝しげな目で見ていたが、流帝とローラは歓迎してくれた。
最初は視線が気になったが、しばらく剣を振っていると気にならなくなった。
門下生達も自分達の稽古が始まると俺に見向きもしなくなった。
俺は満足するまで剣を振り終わると、礼を言って道場を後にしようとしたのだが。
「アルベルさん、良かったら町を案内しましょうか」
「え? いいんですか」
「はい、失礼のお詫びもありますので」
「イグノーツさんの護衛はいいんですか?」
「私が護衛に就くのはイグノーツ様が城下町に下りてくる時だけですよ。
今は先日のことでしばらく王城から離れられないでしょうし、
しばらく私の仕事はないでしょう」
なるほど。
それならお言葉に甘えるか、俺も色々気になる場所があるし。
しかし横にいるエルを見ると、あまり気が進まなそうだ。
昨日のことでローラは俺を認めてくれたし、エルも満足していた様に見えたが。
まぁいいか、二人にも仲良くなってほしいし。
短い付き合いになるとはいえ、エルにも同年代で同姓の友達が居たほうがいいだろう。
エルには聞かずに、言った。
「それではお言葉に甘えさせてもらいます」
俺がそう言うとローラは満足気に微笑んだ。
「はい、すぐに準備をするので少し待っていてください」
そう言うとローラは背を向けて道場の奥の部屋に入っていった。
横にいるエルを見ると、俺を見上げながら少し強い口調で口を開いた。
「お兄ちゃん、浮気はだめだよ」
気が進まないのはそういう理由か。
出会ったばかりでそんなことに発展する訳もない。
俺も何とも思ってないしローラもそうだろう。
大体、セリア以外とは考えられない。
もし俺がセリア以外の女の子とそういう関係になることがあるとしたら。
それはセリアと再会できた時に、セリアが他の男と幸せになっていて俺を拒絶した時だ。
正直、そんな想像したくはないが。
「考えすぎだよエル。僕にはそんな気持ちはないよ。ローラさんにも失礼だよ」
俺がそう言うと、ローラが走り気味に戻ってきた。
「お待たせしました、町で気になる場所とかありますか?」
「全然分からなくて、全ておまかせしますよ」
「分かりました、行きましょうか」
俺とローラは横に並んで談笑しながら歩き始めた。
それに続くように俺の後ろからエルが追いかけた。
俺の背中越しにエルが何か呟いた気がした。
「お兄ちゃんには、ね……」
しばらくすると俺の横にエルが来て、三人横並びで歩き出した。
俺達は歩きながら色々な話をした。
あまり踏み込みたくなかったが、正直どうしても気になっていたことがあった。
「イグノーツさんはなんでローラさんがいたのに誘拐されたんですか?
正直ローラさんがあの盗賊達に後れを取るように思えないんですが」
俺がそう言うと、ローラは少し下を向いてしまった。
その顔は悔しそうな顔だ、失礼だっただろうか。
「あの日、私はこの町に居なかったんです。それで私の代わりに他の護衛が。
初めて護衛から離れた日にあんな事が……」
そう言うローラだが、偶然じゃなさそうだな。
ローラは嵌められたと思っていなさそうだが、何故だろう。
普通考えると思うが。
「何で町に居なかったんですか?」
「ここから少し西に行った所にもセルビア王国の都市があるのですが。
そこにも流水流の道場があるのです。そこに用がありまして」
「その用ってローラさんじゃないとダメだったんですか?」
「どうでしょうか、内容はお母様の手紙を届けるだけです。普段は冒険者ギルドに出すのですが、今回は急を要するとのことで足の速い私が赴くことになりまして」
手紙か。
確かにこの世界での連絡方法は手紙だけだ、
基本的に町の施設に頼んで手紙を出すが、結局手紙を運ぶのは馬車だ。
大金を積めば、一枚の手紙の為に身軽に馬に乗って運んでもらうこともできるが。
それは途方もない金額だ。
要するに、ある程度足に自信がある者なら、施設に任せるより自分で向かうほうが早いのだ。
俺も一応ルカルドにセリア宛の手紙を出したが、手紙より俺の到着の方が早いだろう。
もちろん、しばらく帰ることができないカロラスの場合はまた別だ。
俺は定期的にエリシア宛に手紙を書いて送っている。
エルも俺ほど頻繁ではないが、たまに書いて送っているところを見る。
俺達は同じ所に滞在していないので一方的に送るだけだ。
エリシアは返事を書けない苦い思いをしているかもしれないが。
というか、ローラの話だ。
もしかしてだけど。
「えーと、誰に頼まれたんです?」
「もちろんお母様ですよ」
背筋からツーっと嫌な汗が流れた。
「そうですか……」
あの物腰柔らかく常に微笑みを崩さない流帝が関係している可能性があるのか。
ローラが疑わないのも無理はないか。
自分の母親が関係してるとは考えないだろう。
正直より一層巻き込まれたくない気持ちになる。
あの流帝が俺達の前に立ち塞がってきたら、勝てないからだ。
今の俺では、到底及ばない。
想像して少し背筋が凍った。
そんな恐ろしい想像を頭を振って振り払う。
いや、そもそも俺の考えすぎかもしれない。
偶然の出来事かもしれない。
俺達は気にしないで礼を受け取ったら帰ればいいのだ。
俺は話しを変えた。
「ここ以外にも道場ってあるんですね」
「もちろんそうですよ。コンラット大陸にもありますよ。
カルバジア大陸が一番多いですが」
「流帝以外の肩書きってあるんですか?」
「基本的に流帝以外は門下生になります。
唯一あるのは、他の道場内で一番強い剣士が流水流師範と呼ばれます」
「どうやったら流帝になれるんですか?」
「今ですと、お母様と立ち合い、倒した流水流の剣士が流帝になりますね。
そうなるとお母様の肩書きは流水流師範になります」
「挑戦する条件ってあるんですか?」
「流水流師範だけですね。
一年に一度だけ立ち合う権利があり、時期は自由です」
ローラは俺の質問攻めを気にすることなく、すらすらと答えてくれる。
そのおかげで流水流についてかなり理解できた。
流帝であるアデラスさんを倒したら他の道場に流水の肩書きが移るのか。
特にここが流水流の総本山というわけでもないらしい。
ここの道場に、流水流の一番強い剣士がいるだけだ。
「やっぱり流水流師範の人って強いんでしょうか」
「ええ、とても。道場にもよりますが、お母様に近い実力の者が何人かいます」
あんな人と同じぐらい強い剣士ってどんだけだよ。
今まであまり考えてなかったが、俺より強い剣士はやっぱりごろごろいる様だ。
上を見たらキリがないが、見ないといけない。
セリアの足を引っ張らない為にも、闘神流の剣を振るからには誰にも負けてはいけない。
もっと強くならないとな。
「セルビア王国内の道場に流帝がいるので、ここの道場は国からかなり優遇されているんです。私なんかがイグノーツ様の護衛の仕事ができるのも、普通なら有り得ないことです」
「なるほど、でもローラさんの腕前なら有り得ない事じゃないと思いますけどね」
俺がそう言うと、ローラは少しだけ頬を染めた気がした。
純粋にそう思う。
ローラの剣術の技は素晴らしいものだったから。
「アルベルさんのほうが強いじゃないですか」
「純粋に剣だけで打ち合ったら勝てなかったでしょうから」
そう思っているのは本当だ、俺も腕を磨かないといけない。
しかしこの世界の強さの指標は剣ではなく、剣術だ。
闘気に体術もその中に含まれている。
ただ、俺もその中で負けた部分があるのは悔しいものだ。
こんなこと言っても嫌味に聞こえるかなと思ったが。
思いのほか、ローラは嬉しそうに微笑んでいた。
ちゃんと褒め言葉を受け取ってくれたらしい。
その様子を見て、エルは少しむくれていたが。
しばらく歩くと、興味深い建物を見つけた。
これはまさか……。
俺は思わず立ち止まってしまう。
「どうしました?」
「あ、いやここって……」
「銭湯ですね、初めてですか?」
「そうですね……」
この世界に銭湯があったとは。
どういう仕組みなんだろう、魔術師とか魔道具が仕事しているんだろうか。
もちろん、この世界に入ってから風呂という存在に入っていない。
エルが水浴び用の桶に、水魔術と火魔術で温かいお湯を作ってくれてはいるが。
正直、風呂に体を沈めたい願望はずっとあった。
たまには俺も我儘を言っていいだろうか。
「ちょっと入ってきて……いいかな?」
恐る恐る言う俺の言葉に、二人は何も気にしていないようだった。
「稽古が終わってそのまま来ましたし、私は構いませんよ」
「私も入りたい」
二人も入るようだった。
そりゃそうか、俺が出てくるのを待っている筈もない。
銭湯の入り口から中を覗くと、ちゃんと男湯と女湯で別れているようだった。
「じゃあ行こうか、出たら店の前で待ってるよ」
そう言って二人に背を向けて男湯のほうに歩いていくが。
なぜか俺の後ろからついてくる足音があった。
「ちょっと! 何考えてるんですか!」
振り向くと、何故か俺の後ろを歩いているエルの腕を掴んで顔を真っ赤にしているローラの姿があった。
「え?」
「そっちは男性です!」
「お兄ちゃんと入りたいんだけど」
「その歳で何言ってるんですか!」
ローラは俺の思っていた通り常識人らしい。
というかエル、何してるんだ。
「エル、入ってるのは僕だけじゃないんだよ。
ランドルに裸見られた時のことを忘れたのかい」
貸切だとでも思っていたのだろうか。
俺がそう言うと青い顔をして震えていた。
嫌な思い出を呼び覚ましてしまったらしい。
「ローラさん、エルをお願いします」
「はい……」
そう言って青い顔をしたままのエルの腕を無理やり引いていった。
エルは大人しくローラに引きずられていった。
腰の剣を店主に預けると、俺は勢いよく裸になって風呂場に飛び込んだ。
そこには掛け湯があり、奥に二つの大きい風呂があった。
昼だからか、客はほとんどいなかった。
俺は掛け湯で軽く体を流すと、風呂に飛び込むように入った。
「最高だ……」
一度この感覚を思い出してしまったら、もうやばいかもしれない。
少し熱めの湯が俺の体を芯から温めていく。
出来ることなら、毎日入りたい……。
今までの町では銭湯なんて見たことがなかった。
王国ぐらいにしかないのだろうか。
一瞬、ずっとここに滞在したいとすら思ってしまうほどの感激。
俺は、この十四年間抑えてきた気持ちを発散し、風呂を楽しんだ。
一方女湯では。
二人の少女が湯に浸かっていた。
「気持ちいい……」
「冒険者だとなかなか入る機会はないでしょうね」
二人は特に会話が弾む訳ではないが、銀髪の少女は湯を楽しんでいた。
しかし青い髪の少女は激しいコンプレックスを感じていた。
視線を下に向けると、自分のなかなか育たない胸元。
視線を横に移動させると、少女の歳に似合わない豊かな乳房。
この差は一体何なんだろうかと。
「エルさん、貴方いくつでしたっけ」
「十四歳だよ」
自分より一つ年下の少女に、圧倒的な差を見せ付けられていた。
剣士である少女は、剣士であると同時に女の自覚もしっかりと持っていた。
青髪の少女はそんな悲しみを振り切るように頭を振ると、先程の出来事について追求した。
「エルさん、さっきのは何なんですか。
普段から一緒に入ってるような行動でしたが」
「そんな訳ないでしょ、お風呂入るの初めてなんだし」
「それはそうですが…兄弟とはいえ裸を見られて何とも思わないのですか?」
「思わないよ、お兄ちゃんは見るのも見られるのも嫌がるけど」
「それはそうでしょう……」
当たり前のように言う銀髪の少女に青髪の少女は動揺していた。
「最近は一緒に寝るのも、嫌がってはないけど、困ってるような気がするし」
「は? 一緒に寝てるんですか?」
「普通だよ」
「普通じゃないですよ……」
そのまま無言の時間が続き、青髪の少女が言った。
「エルさんはアルベルさんのことが好きなんですか?」
「好きに決まってるでしょ」
「いえ、兄弟としてではなく……異性として見てるんですか?」
「違うよ。別にお兄ちゃんがそういう事してきても嫌じゃないけど」
「え、そういう事って……」
「だから……」
「だめですよ! 兄弟でなんて!」
そう言って青髪の少女は顔を真っ赤にして立ち上がった。
いきなり大声を上げる少女に、周囲の客は驚いて二人を見ていた。
青髪の少女はそれに気付くと、更に顔が赤くなり再び湯の中に座り込んだ。
「お兄ちゃんは私にそんなこと絶対しないよ」
「それは、アルベルさんは常識人でしょうから……」
「お兄ちゃんはセリアお姉ちゃんしか見てないもん」
そう言って銀髪の少女は少し下を向いて口元まで顔を湯に沈めた。
青髪の少女は新しく出た女性の名前に動揺した。
「セリアお姉ちゃん? 誰ですか?」
そう言うと、銀髪の少女は少しだけ顔を上げて言った。
「お兄ちゃんの好きな人」
その言葉に、何故か青髪の少女はショックを受けていた。
青髪の少女は何で自分が傷付いているのか、自分で理解できていなかった。
少し固まり、取り繕うようにぎくしゃくしながら口を開いた。
「そ、そうなんですか……そうですよね。そういう人もいますよね」
動揺を隠せないぎこちない話し方に、銀髪の少女は少し強い口調で言った。
「あなた、お兄ちゃんのこと好きなの?」
「な、なにを!」
突然の質問に再び大声を上げながら立ち上がった。
そしてまた周囲の目を引き、顔を赤くして座り込む。
「いきなり何を言うんですか……」
「別に、そう見えたからだよ」
そのまままた無言になる。
少し落ち着き始めてきた青髪の少女が先に口を開いた。
「会ったばかりで、好きになるわけないじゃないですか」
「ふーん……」
「何ですかその目は」
「ううん、別に好きじゃないならいいよ」
「もしアルベルさんを好きって人がいたらどうするつもりなんですか……」
「別に、本当に好きなら何もしないよ」
「そんなの、本人にしか分からないじゃないですか」
「私は分かるよ。その人がどのくらいお兄ちゃんが好きなのか」
そう言いきる銀髪の少女に、青髪の少女はもう何も言えなかった。
しばらく押し黙った時間が続いて、銀髪の少女は立ち上がって言った。
「私と同じくらいお兄ちゃんが好きじゃないと、許さない」
少女は立ったまま青髪の少女を見下ろすと、そろそろ出よう?と声を掛けた。
青髪の少女はその威圧に少し押されて、口を閉じたまま立ち上がると先に進んでいる銀髪の少女の背中を追いかけた。
青髪の少女は銀髪の少女が言った言葉の意味を深く理解していた。
中途半端な気持ちで兄に手を出すな。
そう言われた気がした。
俺が風呂から上がって銭湯の前で待っていると、少しして二人の姿が見えた。
二人共少し髪を濡らしていて艶やかだ。
微かに温まった体から溢れている熱気を感じる。
エルは俺を見ると微笑んで近付いてきた。
「お兄ちゃんお待たせ」
そう言っていつも通り肩がくっつくような近い距離に立つ。
そのままの位置で立ったままのローラは、少し顔が赤くなっていて呆けているように見えた。
「ローラさん? のぼせましたか?」
俺が少し心配して声を掛けると、いきなり電源が入ったように動き出した。
「あ! いえ! 大丈夫ですよ」
そう焦ったように言うとすぐに普段通りの表情に戻った。
「ではまだ時間もありますし色々見て回りましょうか」
「はい、お願いします」
そう言うと、しばらくローラは何故かぎくしゃくしていた。
しかし町を歩いている内に、次第に普段通りのローラに戻っていった。
色々回って武器屋に入ると、上等な剣も結構並んでいて、思わず時間を忘れて見てしまっていた。
俺はアスライさんからもらった剣とお守りのセリアの剣があれば十分なので買うことはないが。
やはり剣は見ているだけでも楽しいものなのだ。
店から出ると、すっかり陽が暮れていた。
ローラはわざわざ宿まで送ってくれた。
普通は逆だろうが、気にしないでおこう。
「今日はありがとうございました。充実した一日でした」
「いえ、楽しんでもらえたようで良かったです。ではまた明日、道場で」
「はい」
それだけ言うと、ローラはエルに向きなおした。
「エルさんも、また明日」
「またね」
二人は仲良くなったんだろうか、銭湯から出てから雰囲気が少し違っていた。
なんとも説明しにくいが、何かが変わっていた。
ローラが少しエルに遠慮しているように見えた。
風呂場でエルがまた何か失礼なこと言ったんだろうか…ちょっと心配になる。
でも仲が悪くなった訳ではなさそうで、むしろ仲は良くなっている気がする。
不思議だ。
宿に入ると、ランドルの姿があった。
椅子に掛け、テーブルに運ばれてくる料理を待っているようだった。
俺とエルもランドルの正面の席に座った。
さすがにいつも一人で何しているか気になる。
心配だし、ちょっと踏み込んでみるか。
「ランドル、町で何してるの?」
俺が言うと、ランドルは表情は変わらなかったが、少し困っている気がした。
「何もしてない」
「そんなことないでしょ」
「嘘じゃねえよ、本当に何もしてねえ。適当に町を歩いてるだけだ」
まだ考え込んでしまっているのだろうか。
少し気分転換した方がいいのではないかと思って俺は言う。
「じゃあ僕達と一緒に動かない?銭湯とか見つけたんだよ。
国から謝礼金もらったらランドルの装備を一新してもいいだろうし、
鎧見に行ったりとかも――」
「アルベル」
俺が捲くし立てていると、ランドルが真剣な表情で俺の名前を呼んだ。
苛々させてしまっただろうか。
しかし、ランドルから出た言葉にいつもの強気なランドルは感じられなかった。
「俺はお前みたいに器用じゃねえ。
自分がどうすればいいのかも、どうしたいのかも分からねえ。」
「だったら尚更、気分転換とかさ」
「いい。俺がここに来た理由は分かってるだろ。
俺の事情に付き合わせたのは悪いと思ってる。
俺のことは気にせずにお前らは楽しめばいいさ」
「付き合わされたなんて思ってないよ。でもさ――」
「お兄ちゃん」
「え?」
俺の言葉を止めるように、エルが俺を呼んだ。
「放っとけばいいよ」
そう言うエルに、俺は少し怒る。
仲間が悩んでいる時にそんな突き放すようなことを言ってはいけない。
俺は少し強めの口調で言う。
「エル、いくらランドルが嫌いだからってそんな言い方――」
「私は今、ランドルじゃなくてお兄ちゃんに怒ったんだよ」
「え?」
「一人になりたいって言ってるんだから放っとけばいいんだよ。ランドルが楽しくなって、嫌なこと忘れちゃうような奴じゃないって知ってるでしょ」
「そうかもしれないけど、でも――」
「アルベル」
「何?」
また言葉の途中で今度はランドルが口を挟む。
「さすがに俺だって、お前に気遣われて悪い気はしねえさ。
でもな、今回はエルの言う通りだ」
そう言われて、俺は何も言えなくなってしまう。
俺よりエルのほうがランドルのことを考えれていたんだろうか。
二人から責められるような空気に、少し居心地が悪くなってしまう。
いや、これは前世からの俺の悪い癖か。
全ての人が辛い時に慰めてほしい訳じゃない、助けてほしい訳じゃない。
特にランドルなんてその見本みたいな奴だろう。
少し、自分の偽善を押し付けてしまったかもしれない。
「そっか、ごめんね。ちょっと押し付けがましかったね」
「お前が悪いことは一つもねえよ」
「そうだよ。悪いのは情けないランドルだから」
「お前は一々うるせえんだよ」
そうやって二人でいつも通り口喧嘩を始めていつも通りの風景に戻った。
俺に出来る事は、ランドルが躓いた時に手を差し伸べることだろう。
ランドルがその手を取るかは分からないが。
まだランドルは転んですらいないのだ、歩いている。
その足取りは重いものかもしれないが、迷いながらも自分の足で歩いている。
もしランドルが転んだ時が来たら、その時にまた言うことにしよう。
エルとランドルのおかげで俺の作り出した気まずい空気は壊れた。
俺達は普段通り食事をした。
セルビア王国の王城の一つの空間。
普段は煌びやかな美しい城内だが、その城内にも暗く、荒んだ空間があった。
そこは城の地下にある牢屋だった。
普通なら、罪人が入ってもすぐに処刑されて空になる牢屋だが。
異常に長い期間、その牢に入れられている男がいた。
四十歳程に見える男だ。
その髪は暗く灰がかったねずみ色で、男にしては長く肩まで伸びていた。
しかしそれはただ手入れをしていないだけで、その長い髪はボサボサで汗が染み込んでいた。
平均の成人男性より大きい体は、長くろくな食事も与えられてないのにも関わらず衰えていなかった。
手足には分厚い鉄の錠が嵌められているが、男にとってはそんな物は飾りとしか思っていなかった。
その男がいる牢に向かって、その男と対照的な二十歳ほどの男が歩いていた。
その男は暗い空間に似合わない、煌びやかな服を着ていた。
しかしその男の容姿は、髪は手入れされている綺麗な黒髪だったが、顔は少し美形から離れていた。
その豪華な服には似合わない、平均的な容姿だった。
細すぎる体には筋肉はなく、全く鍛えられていなかった。
細身の男が牢の前に着くと、牢の中の男は細身の男に背を向けて、壁を見て座り込んでいた。
「ラルドか」
背を向けたまま一切動かないで口を開く男に。
ラルドと呼ばれた細身の男は、男の言葉に少し苛立っていた。
「何度言っても王族に対する礼儀がなってないな。ザエル」
ザエルと呼ばれた男はハッと一瞬笑うと言った。
「盗賊に礼儀を期待してんじゃねえよ坊ちゃん。
お前自ら処刑の日を言いにきたのか?」
自分が死ぬことなんてなんとも思っていない男。
そんな男にラルドは淡々と言った。
「少々事情が変わってな。お前自ら動いてもらうことになった」
「知ったこっちゃねえよ」
「お前の意思など関係ない。
元はといえばこんなことになったのはお前の部下のせいだ」
何も言わないザエルに、ラルドは苛立ちを隠さずに鉄柵を蹴りながら言った。
「あのままイグナーツを殺しておけば、こんなことにはならなかったのだ。
予定にない誘拐で、お前との交換などとふざけた事を……」
「ハッ、本当に馬鹿だぜあいつらは。
ま、俺はお前と違って慕われてるってことだな。
お前が直接言えば自殺してやったんだけどな」
「あの時はここまで自由に動けなかった」
「そりゃ残念だったな」
そう言って馬鹿にするように笑っていた。
ラルドはそんな男の態度に体を震わせ怒鳴り声を上げそうになるが、先にザエルが言った。
「大体、都合のいい様に言ってんじゃねえよ。
お前が最初から流帝に手回ししてりゃ、
俺がイグノーツを殺して終わってんだ」
「ふん、流帝に負けた分際で何を偉そうに――」
「あんな化物に勝てる訳ねえだろ。潜入しても一瞬で見破られるしよ。
それにしてもあの女、強かったなぁ。どうせならあの女に殺されたかったぜ」
そう言って自分の世界に入るザエルに、ラルドは口を開いた。
「今回は流帝が手を出すことはない。
お前が見破られ捕らえられたのは予想外だったが。
既に手回しは済んでいる」
「あんな化物がお前みたいな奴に従うようには見えねえけどな」
「流帝がいくら強かろうが、道場には門下生が大勢いるからな。
剣を振ることしか脳がない奴らを食わしてるのはセルビア王国だ。
流帝を従わす材料など、いくらでもある」
「はぁん」
「実際、イグノーツを誘拐した時は指示通り動いていた。
私が流帝に命じたことは手を出さないことだけだ。
それならば後から問題になることもあるまい」
「まあ、なら俺はここで死を待つことにするぜ」
「は? 何を言っているのだ」
「もう一度流帝と殺し合って死ぬなら行ってやってもいいけどよ。
あの時は俺が戦う前にあっさりやられたからな」
そう言ってザエルはつまらなそうに欠伸をしていた。
そんなザエルを見て、ラルドは自信気に言った。
「いや、お前は私の命令を聞く」
「聞かねえつってんだろ」
「お前はイグノーツが戻ってきて、部下が全員死んだと思っているだろう」
「そりゃそうだろうが」
「生きているぞ、二十人程。すぐに処刑されるがな」
そのラルドの言葉に、終始つまらなそうにしていたザエルが一瞬反応した。
しかし、ザエルから発せられる言葉は変わらなかった。
「そうだとしても、結局何も変わらねえだろ。俺はもう動かねえよ」
ザエルのその言葉に、ラルドは口が裂けたようにニヤけて言った。
「変わるさ。お前をここから出した後、部下を解放するといい。
お前なら一人でできるだろう。そしてイグノーツを殺したら去っていい。
王国兵も極力動かさないようにしよう。」
ザエルは背中越しからでも分かるほど、その言葉に興味を示していた。
そして今までやる気のなさそうな声に、覇気が宿っていた。
「嘘はないな?」
「あぁ、ない」
「もし後から裏切りが発覚したら――」
ザエルが言いながら、初めて顔だけ振り向いた。
その形相は鬼のような血気迫る顔だった。
「お前を殺す」
低く、強く発せられたその声に、ラルドは少し足が竦んだ。
しかし、ラルドの王族のプライドが盗賊に屈服する訳にはいかなかった。
「威勢がいいのは結構だが、仕事をしてから言え。
今は、お前もお前の部下の命も私が握っているのだからな」
そう言うラルドに、ザエルは少しも引かなかった。
むしろ嬉々として言った。
「お前が? 俺の命を握ってる? ハッ、面白えこと言ってんじゃねえよ」
「そんな状態で強気な態度を取っても無様なだけだ」
そう言ってザエルの手足の自由を奪っている分厚い鉄の錠を見た。
ザエルはそんなラルドの言葉を一蹴した。
「ハハ! こんなおもちゃで俺を縛ってるつもりだったのか?」
ザエルは笑いながら続けた。
そして急に低い声になり、ラルドに殺気を向けて言った。
「何なら今、殺してやろうか――?」
ザエルがそう言った瞬間、ザエルの闘気が爆発した。
牢屋の中では収まりきらず、地下一帯が黒い闘気で埋め尽くされる。
ラルドは目に見える禍々しい闘気の本流に、数歩後ずさりするが、狭い通路ではすぐに背が壁に当たった。
ザエルが軽く手足に力を入れると、鉄の錠は簡単に割れ、崩れ去った。
そのまま立ち上がるとラルドに向かい歩み、鉄柵の前で止まった。
その鉄の柵もザエルにとってはただの薄壁だった。
震えているラルドを睨むと、闘気を鎮めた。
そして普段通りのつまらなそうな声で言った。
「ハッ、安心しろよ。依頼主の命は取らねえ、取引内容も漏らさねえよ。
だからここで大人しくしてやってんだ」
そう言ってラルドを見るのを止めると、再び振り向いて壁に向かって歩きながら言った。
「裏切らねえ限りはな」
そう言うと、久しく手足の拘束が解けたというのに、同じ体勢で座り込んだ。
ラルドはようやく我に返って震えが止まると、取り繕いながら言った。
「仕事は明日の夜更けだ……また来る」
「おう」
そう言うとラルドは速い足取りで逃げるように荒んだ空間から去って行った。
牢に残されたザエルは、ラルドの足音が聞こえなくなると、少し笑った。
「少しだけ面白くなってきたな」
そう呟くザエルの声を聞ける者は、その暗く荒んだ空間には誰もいなかった。
明日は二話更新します。




