第十七話「初めての酒と発散」
「暇だなぁ……」
「あぁ」
俺は正面にある森以外何も見えない穏やかな平原を見ながら一人呟いた。
しかし俺の横で堂々と座り込んでサボっている巨体の男に聞こえたらしく、返事が返ってきた。
しばらく無言のまま呆けていた。
すると、巨体の男は座り込んだままつまらなそうに口を開いた。
「もうじき日も暮れるし俺一人帰ってもバレねえだろ」
そう言ってだるそうに地面に置かれていた斧を握るとのっそりと立ち上がった。
そして当たり前のように背を向けて歩き出そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 僕を一人置いていくつもりか」
そう言って背中を向けている男の軽装の薄い鎧を掴む。
俺が掴んで手に力を入れて無理やり足を止めさせると、顔だけ振り向いた。
俺を見るその顔は苛々とした表情をしている。
「別にお前一人で問題ねえだろ」
「そりゃそうだけど、色々と問題はあるよ」
確かに魔物が現れようが別に俺一人で問題はない。
しかし労働時間というものは守らないと……タイムカードなんてないけど。
いやまぁ、この世界に精確に時間を測る技術なんてないし陽の落ち方が目安だけど……。
いやいや、一人にまかせて仕事を終えて同じ賃金をもらうなんてダストさんが許す訳がない。
と思ったが考える。
ダストさんは結構大雑把だし、残ったのが俺なら何も言わない気がする。
隊長が気にしないなら……問題ないのか?
俺が考え込んでいると男は俺の手を力強く振りほどいた。
「ほらな、問題ねえじゃねえか」
そう言ってまた歩き出そうとする男の鎧をまた掴む。
「しつこいぞ!」
そう言って俺を睨む顔は、常人が見たら思わず有り金を渡してしまいそうな恐ろしい形相だ。
しかし俺はこの顔を日頃からよく見ている、慣れたものだ。
「いや、一人になったら僕が暇でしょ」
「別に俺がいても暇なのは変わらねえだろ」
「一人になったら話し相手もいないじゃん」
「俺とお前に暇だと思えないほどに会話があったか?」
そう言う男の顔は怒りの形相から、呆れ果てているような、今にも溜息を吐きそうな表情になっていた。
確かに仲良く世間話なんてしたことなんてない。
そもそも男から会話をしようという気を感じない。
無言の空間にたまに俺が、いい天気だな。あぁ。このくらいだが。
「寂しく呟く独り言を聞いてくれる奴がいなくなるのは寂しいもんさ」
「なんだよそれ」
そう言ってまた俺の手を振りほどこうとするが、俺は闘気を手に送って外させない。
「お前、いい加減に――」
男がキレる寸前、いやもうキレていたが。
森でガサガサと音がし、ウォーン! という犬の鳴き声が広い平原に響き渡った。
ヘルハウンドだ。
一匹のヘルハウンドが鳴くと、森の中から更に三匹のヘルハウンドは姿を現す。
四匹のヘルハウンドが少し離れた森から俺達に向かって突進してくる。
「ほら、暇じゃないじゃん! 戦え!」
「チッ……」
魔物が向かってくるのを見ると、舌打ちをしながらも斧を構えて闘気を纏った。
俺も腰から剣を抜いて構え、迎撃の構えを取る。
「ギアアアアア!」
ヘルハウンドが飛び掛ってくるが、それに合わせて男が斧を力強く振ると先頭のヘルハウンドが縦に真っ二つに裂けた。
俺は一瞬遅れて飛び掛ってきた三匹のヘルハウンドに自分から踏み込んで行く。
傍から見れば囲まれたような状況に見えるが。
俺が剣を一振りすると二匹のヘルハウンドが裂ける。
そのまま斜めから俺に飛び掛っていたヘルハウンドの眉間に拳を叩き込むと、頭蓋がグチャと砕けた音がした。
そのまま地面に叩きつけると、数回転地面を転がった。
男が振り下ろした斧を再び持ち上げる時には全てが絶命していた。
男はそんなヘルハウンド達を見ると、呆れたように俺を見た。
「やっぱお前一人でいいじゃねえか」
「戦闘より片付けが大変だし。手伝ってよランドル」
「はぁ……」
ランドルはめんどくさそうに溜息を吐く。
そして何も言わずにヘルハウンドの死体を乱暴にまとめ始めた。
割と素直である。
俺も吹っ飛ばしてしまったヘルハウンドを回収しにいく。
ヘルハウンドの首を雑に掴むと、横目でランドルを見る。
もうあれから結構な時間が過ぎている。
あの日、ランドルを助けた日から一年の月日が流れていた。
あの日以来、ダンテとクルトは仕事に来なくなった。
二人の心境を想像するのは簡単だろう。
自分より強い奴を殺そうとして殺せなかった。
相手はランドル、報復で殺されると思われるのは当然だ。
他の守備隊にいた奴らはビビりながらも数日後、仕事に顔を出した。
残念なことに他に仕事がなかったんだろう。
仕事がなければどちらにしろ飢えて死ぬ。
しかし、ランドルがそいつらに無関心だと分かると安堵していた。
意外とあの時の俺との約束を守っているのか、ランドルは何もしなかった。
手を出すこともしなければ声を掛けることすらしなかった。
俺はランドルだったら真っ先に復讐だ! と言うと思っていた。
そして連中に斧を振り回しているのを想像していたのだが。
とにかく、その時は止めようと思っていた俺の心配は杞憂だったのだ。
しかしさすがに、そいつらはランドルと一緒の見回りになることを嫌がった。
そして全員でダストさんに懇願した。
その結果、そいつらのグループは解散。
他の大人のグループと混ざって仕事をすることになった。
そうなるとランドルはどこのグループにも入れない。
ランドルは孤立したが、本人は全然気にしていなかった。
それもそうだ、今まで実質ランドル一人で魔物を倒していたのだから。
しかし一人だと何があるか分からない。
ランドルが不意をつかれて仲間達にやられていた所を俺は見ていたから。
九割俺のせいなのは置いといて。
少しだけ責任を感じた俺はランドルと一緒の見回りでも構わないと言うと、ダンテさんは助かると言って安心していた。
大人にも嫌われているかと思ったがそういう訳でもないらしい。
そんな訳で稽古が終わるとランドルと仕事をする日々になったのだが。
最初は正直嫌だった。なんでお前なんかと、とか色々言われるんだろうなぁと思っていたが、ランドルは意外にも何も言わなかった。
俺も仲良くするつもりはなかったが少し拍子抜けだったのを覚えてる。
そして、俺が見る限りランドルは真面目に仕事をしていた。
たまに今日のように早めに切り上げようとすることもあるが。
特に悪いことをしている様子もなさそうだし、俺が思ってるほど悪い奴じゃないんじゃないかと少しずつ思い始めた。
それから、たまに俺は声を掛けるようになった。
もちろん会話が弾んで二人で笑いあうなんてこの一年で一度たりともなかった。
俺が口を開くと相槌を返してくる、その程度。
ランドルが心を開いているかは分からないが、俺は少しずつ心を開いていった。
会話は一年経っても少ないが、俺が聞くとうざがりながらも答えてくれるのでランドルについて分かったこともある。
歳は俺より一つ上の十四歳。
本当かよ、と思いたくなる。
十四歳の体つきではない。
俺もかなり背が伸びたがランドルの肩くらいしかない。
体も筋肉質で、太っている訳でもないのに俺の体二個分くらいある。
親は? と聞くと、いねえ、とだけ答えた。
これについては深く聞かなかった。
どこ住んでるの? と聞くと、端。と言っていた。
会話のキャッチボールをする気がないのはセリア以上だった。
そしてこれが一番距離が近付いた話なのだが。
闘気について聞いた。
独学ですごいなーとかそんな感じに。
すると、闘気ってなんだよとか言い出したのが衝撃的でいまだに覚えている。
ランドルは闘気について知らなかった。
驚くべきことに戦闘の際に自然に纏っていたのだ。
闘気について教えると、ランドルは意外にも食いついてきた。
珍しいランドルの姿に俺も少し嬉しくなってレクチャーした。
もちろんイゴルさんに教わった物を破壊しまくる試練を与えた。
精々苦しむがいいと心の中で笑っていたが、ランドルは一日でマスターした。
俺より早くて少しショックだったが、考えてみれば元々使っていた訳だし当然なのかもしれない。
そして俺と違うのは物を少々壊したところで何も気にしてないところだった。
俺と違ってハートが強い。
そんな訳で、ランドルは闘気の扱いを覚えて見違えるように強くなった。
グリフォンだって倒せるだろう。
俺のいない朝方に何かあってもランドルが始末してくれてるようだ。
そのおかげで、俺の剣術の稽古を中断されることもない。
なんだかんだランドルの存在に助かっている。
そんなことを思い返すと、集めた魔物を燃やして交代になり仕事が終わった。
門に着くとエルの姿があった。
外見は可愛く成長していても中身はあまり変わっていない。
俺の姿を見ると、いつも通り可愛らしく微笑んでいた。
「お兄ちゃん、お疲れ様」
「うん、エルも」
そう言うと手を繋いだりすることはなくなったが、俺の腕にぴったりと体をくっつけている。
そのまま俺からランドルに視線を移すと、急に不機嫌な表情をする。
「早くどっか行って」
ランドルに対するエルの態度は一年前から変わってなかった。
俺とランドルの距離は近付いても、エルは嫌っていた。
むしろ俺達の距離が近付くほどランドルを更に嫌いになっていくように感じる。
ランドルも慣れた様子で無表情でエルを見る。
「だから言われなくても行くつってんだろ」
そう言うとランドルは背を向けて去っていく。
その背中に少し大きい声で。
「おつかれ! また明日!」
もちろんランドルは振り向くこともない。
しかし、手を軽く上げる仕草を見せるとそのまま消えていった。
俺が声を掛ける様子を見てエルは更に不機嫌になっていた。
どうすればいいんだ……。
家に着くと夕食を食べ、いつも通り床に毛布を敷いて横になった。
眠りに着く前にセリアの剣を小さな鞘から抜いて天井に掲げる。
輝く刀身が月明かりに反射し、暗い部屋でうっすらと俺の顔を映した。
セリアのことは毎日思い出す、でもそれだけだ。
もちろん今でも好きだし、今すぐにでも会いたい。
セリアのことを想っていながらここで立ち止まっている俺。
会いたいと思いながらここで止まっている俺を見られたくない気持ちもあった。
今の自分はセリアから見ればきっと情けないんだろうと思ってしまう。
セリアが本当はどういう気持ちなのかは分からないが。
そして、一番嫌なのは。
目が覚めると昼まで剣を振る。
ランドルと仕事して、エルと仲良く家に帰り、家族と穏やかに過ごす。
セリアがいない日常が少しずつ当たり前になっていく。
俺は立ち止まってしまった後悔を置いて、歩いていた。
あの日の後悔をなかったことにするかのように。
そんな自分が、気に食わなかった。
いつも通りの平原。
いつもの風景だが、いつもと違うものがあった。
普段はランドルだけが座ってサボっているが。
今日は俺が草原に背中を預けて横になっていた。
そんな俺を気にしてないかのようにランドルは横で突っ立っていた。
昨晩のようにセリアの剣を眺めていた。
セリアのことをもっと考えていないと、消えてしまうような気がして。
もしセリアと一緒に居れたら今頃どうなっていたのだろうか。
恋人のようなことをしていたのかな、とか考えてしまう。
ふと、気になった。
「ランドルって彼女いるの?」
俺を遥か上から見下ろすランドルは少し驚いていた。
「は? いねえよ。お前いきなり何言ってんだ」
「へぇ、顔だけ見ればモテそうなのにね」
実際、ランドルの顔は整っている。
短い黒髪に黒い瞳も整った顔を際立てているし。
巨体と筋肉は分からない。
異世界だし細い男よりランドルのような巨体のほうがモテるのだろうか。
そんなことを考えている俺の横でランドルは無表情に戻っていて、口を開いた。
「お前もいなさそうだよな」
珍しい。
ランドルが会話を続けてきた。
初めてのことかもしれない。
「そうだね……」
ランドルが珍しい行動を起こしたのに、俺がキャッチボールを止めてしまった。
俺はセリアの剣に映る自分の顔を見た。
情けない顔だな。
「お前、セリアのことがまだ好きなのか?」
ギクッと効果音がでそうなぐらい体が跳ねてしまった。
何でランドルがそんなこと知ってるんだ。
「いきなりなんだよ」
「そりゃ、俺がお前のキレたところを見たのはセリアのことくらいだろ」
いつもよりよく喋るな。
でも自分から振っておいてあまりこの話はしたくない。
ランドルもあの時のことを思い出したのか、あまりいい表情はしていなかった。
俺が沈黙していると、ランドルは苛々と話した。
「あんな女、どこがいいのか……」
そう言うランドルは不機嫌だった。
セリアには散々やられてたみたいだし、いい思い出はないのだろう。
俺は真逆だ。
「いいとこしかないよ」
俺が言うと、二人で無言になった。
平原に風を切る音だけが流れる。
しばらく風に吹かれるまま横になっていると、ランドルがまた口を開いた。
「お前は毎日退屈そうだな」
本当に、今日はどうしたんだこいつは。
普段は俺が話しかけて相槌を打つだけなのに。
「魔物が出ない間は僕に限らず皆退屈でしょ」
俺がそう言うとランドルは何故か少し苛々したのか、声に力が入っていた。
「そういうことじゃねえよ、お前はなんていうか……退屈そうに生きてる」
「哲学?」
「ちげえよ、俺は生きることに必死だ。このつまらねえ世界で本気で生きてる」
何が言いたいのだろうか。
俺は何と返したらいいかわからず、考え込んでしまう。
するとランドルは続けた。
「お前からは生きることに熱を感じねえ、淡々とジジイみたいに生きてやがる。
いや、ジジイのほうがマシだ」
正直、かなり腹が立った。
いきなりこいつは何を言い出すのだ。
家族と毎日穏やかに過ごすのがそんなに悪いことかよ。
俺は家族に愛されてるし俺も愛してる。
大体、ランドルにそんなこと言われる筋合いはない。
俺は苛立ちを隠そうともせず口を開いた。
「うるさいなランドル。そうだとしても俺の勝手だろ。ランドルには関係ない」
いつもの様に行儀の良い言葉使いを止めて苛々と言った。
ランドルは、ハッと俺を馬鹿にするかのように言うと腕を組みながら凄んで俺を見下ろした。
「そっちがお前の本性だろ。
毎日演じた自分で何かを押さえ込んで生きてやがる。
それが気に食わねえ」
こいつは喧嘩がしたいのだろうか。
俺はセリアの剣を鞘に戻すと立ち上がり、ランドルを睨みつける。
喧嘩が始まれば俺が勝つ、そんなことはランドルも分かっているだろう。
それでもランドルは態度を変えなかった。
「そうだとしても、何回も言わせるなよ。ランドルには関係ない」
俺が言うとランドルは腕を組みながら無表情で俺を見下ろしていた。
「前にも言っただろ。俺が気に食わねえって思ってることが関係あるってよ。今まで我慢してやってたんだ」
一年前のことを思い出すと俺の眉間に皺が寄った。
自分から掘り返してくるとは、殴られたいのか。
ランドルは腕を組んでて腹はがら空きだ。
一発食らわしてやろうか、そんなことを考えていると。
「なぁ、何があったか知らねえけどよ、発散しろよ。
そうすりゃ今より少しくらい楽しく生きれるだろ」
そう言うランドルの表情はもう怒りの表情ではなかった。
周りから見れば無表情なのかもしれないが。
俺には少し優しい顔をしているように見えた。
毒気は、抜かれてしまった。
「発散って言われても何すれば……」
「酒でも飲めばいいだろ」
「酒なんて飲んだことない」
「は? 本気で言ってんのか」
いや、まだ十三歳なんですけど……。
この世界の基準がおかしいのか、ランドルがおかしいのかいまいち分からない。
ランドルは少し考るような表情を見せると、言った。
「今晩空けとけ。酒ぐらい付き合ってやる」
借りもあるしな、と小声で言ったのが聞こえる。
え、まじで飲みにいくの。
酒なんて前世の時も飲んでないんだけど……。
でも落ち着いてみるとランドルの言葉は腹が立ったが、俺の心を荒らした。
思ってたより、俺のことをよく見ていてくれたのかもしれない。
俺を煽るような言い方はランドルなりのやり方で、気遣いなのか。
少し言う通りにしてみるのもいいか。
酒を飲んでこの情けない自分を発散できるならそれもいいかもしれない。
問題は。
エリシアの許可が降りればだが。
仕事が終わるとランドルは待機所の前で待ってると言い、別れた。
横ではエルが楽しそうに今日の出来事を話している。
エルにはまだ言ってない。
許可が降りたら絶対に自分も行くと言い出すのでエリシアに止めてもらう為だ。
妹は不機嫌になるだろうが許してもらおう。
エルには悪いと思いながら歩いているとすぐ家に着いた。
「おかえりなさいー」
エリシアが俺を見ると椅子に腰掛けたまま声を掛けた。
ただいま母さん、と返すとそれだけで嬉しそうに微笑んでいる。
酒なんて飲みにいくなんて言って本当に大丈夫なんだろうか。
この不良息子! とか叱られそうで少し怖い。
いや……別に夕食を食べにいくって言えばいいのか。
うーん、やっぱり嘘はつきたくないな。
「あの……母さん。仕事の仲間とお酒を飲みに行こうかと思うんだけどいいかな……」
そう言うと、エリシアは少し驚いた顔をしていた。
横にいるエルは、今にもはぁ!? と言い出しそうだ。
「まぁー! そうなのー、あまり飲みすぎないようにするのよー」
そう言うエリシアはいつも通り穏やかに、癒し系の顔だった。
簡単に許可が降りた。
やはりこの世界じゃ別に子供でも飲んでいいのか。
もう一つの問題はエルだが。
「私も行く」
分かっていた。
あらかじめ用意していた台詞を言う。
「今日はエルはお留守番しててほしいな」
俺が言うと見るからに不機嫌になって頬を膨らます。
怒っているのは分かるが可愛いが先に来てしまう。
可愛い妹を少し見ていると、エルが言った。
「もしかして……ランドル?」
それはもう嫌そうな顔で。
エルが唯一呼び捨てで呼ぶのはランドルくらいだろう。
「そうだよ、エルも嫌でしょう?」
エルは、うーんと本気で嫌そうに考えている。
そんなエルの様子を見たエリシアが椅子から立ち上がり、エルの手を引いた。
「ほらエルー、お兄ちゃんが仕事の友達とお酒飲むのを邪魔しちゃだめよー」
えぇーと抵抗するエルを他所に、俺は逃走した。
「じゃあ行ってくるね!」
それだけ言うと勢いよく扉を開けて逃げるように走り出した。
待機所に着くと、ランドルはいつもの無表情で立っていた。
俺の姿を確認すると。
「行くぞ」
それだけ言って歩き出した。
俺も何も言わずに背中を追いかける。
移動中、特に会話もない。
昼のことを思い出すと俺は少し気まずかった。
少し歩くと、見覚えのある道筋だった。
一年前、ストーキングしている時に歩いた道。
ま、まさか……。
「ここだ」
そう言い店に入ろうとするランドルを他所に、俺は視線を上げて店を見た。
間違いない、あの夜大乱闘があった店だ。
あんなことがあってよくまた来ようと思えるな…。
ランドルは立ち止まっている俺に気付き、振り返った。
「何やってんだよ」
「い、いや! なんでもない!」
慌てながら言う俺に、何だよ……と悪態をつきながら店に入るランドルの背中を追いかけた。
中に入ると、少し驚いた。
しっかり修繕されている。
それもそうか、あれから一年経ってるし。
前に所々開いていた穴も塞がっていて、むしろ前よりまともに見える。
誰も客がいないのは前と同じだが。
前と違う所もあった。
「なんじゃランドル、久しいの」
六十歳は超えているだろうか。
カウンターの先に置いてある小さな椅子に爺さんが座っていた。
長い白髪の髪を後ろでまとめている。
アスライさんとは違いあまり清潔じゃなさそうで、乱暴そうな雰囲気だ。
声を掛けられたランドルは返事もせず店を一回ぐるりと見回すと言った。
「何だ、ダンテ達は来てないのか?」
そう言うランドルに、少し苛々しながら爺さんは言った。
「一年前から来てないわい、帰ってきたら店はめちゃくちゃだし。
伸びてる奴が転がってるし、お前ら悪餓鬼はこなくなるし何々じゃ」
あの時いた面子は誰も来なくなったのか。
それもそうか、ランドルと顔を合わせる可能性を考えれば来ないか。
「ランドルも来てなかったの?」
「あぁ。なんだお前ここに来たことあんのか?」
「いや! ないよ! 気になっただけ!」
慌てて言う俺を一瞬見ると、まぁいいとだけ言って席に座った。
俺も対面するように座るとようやく俺に気付いたように爺さんが俺を見た。
「なんじゃ、新顔か。珍しいな、わしの名前は――」
「ジジイでいいだろ」
コントをやっているのか、ランドルが爺さんの言葉を途中で切った。
爺さんはケッと唾を吐くとカウンターに戻った。
自分の店で唾吐くなよ……色々と心配になるぞ。
「酒持ってきてくれ、あと適当に食うもん」
爺さんは返事をすることもなかったが。
酒瓶を手に取ると大きい木製のコップに注いで運んできた。
「もうツケは許さないぞ、ついでに一年前からのツケも払え」
「わかったよ」
そこら辺の爺さんでは出せない目力で凄みながらそれだけ言うとカウンターに戻っていった。
ランドルは酒を俺の前にドンと勢いよく置いた。
「飲めよ」
容器の中を覗くと、中から黄色い液体が少しシュワシュワしていた。
ビールみたいなものか?
俺は恐る恐る少し口をつけた。
「うっ」
思わず口を押さえた。
苦い、こんなのを美味いって飲むのか……酒なんてそんなもんなのかな。
苦渋の表情をしている俺を見るとランドルはぐいっと一気に酒をあおった。
「エールは味じゃなくて喉ごしを楽しむんだよ、一気に飲め」
まじかよ、と思いながら言われるままに思い切って飲む。
すると、さっきと比べて苦味が消えた気がした。
うん……これならなんとか。
「これはこれで……悪くないか……」
そう言うと俺はコップから酒がなくなるまで飲み始めた。
ランドルも巨体に酒を流し込んでいる。
途中料理が運ばれてきて、大丈夫かなと思いながら手をつけたが思ってたより美味かった。
家ではまず出ない油だらけの味が濃い料理。
少しファーストフードを食べる感覚に似ていた。
油がきつすぎて胃はもたれそうだが。
あまり会話もなく、俺は飲み続けた。
一時間後―――
それはもう酔っ払った男が出来上がっていた。
ランドルはそんな男を見て呆れている。
「なんでぇーセリアは俺を置いて行ってしまったんだ……」
酒をあおりながら泣きそうに飲む男は情けなかった。
そんな男を見ながら酒を飲むランドルは酒が強いのかあまり酔ってなく、呆れたように何度も言った言葉を言う。
「追いかけりゃいいだろ……」
もう五度程繰り返した応答。
「家族を置いていけるわけねぇだろー……」
男は酒が弱かった。
すぐに酔っ払うと、今までのことを全て語りだした。
最初はそうか、と聞いていたランドルだったが。
今となっては同じことしか言わない男に疲れていた。
「お前はこれからは飲まないほうがいいな……」
もうこいつには酒を飲ませないようにしようと心に誓うランドルだったが。
しばらくは解放されそうにない。
そこらへんの奴なら一発殴って店から放り出せばしまいだが。
残念なことに目の前の男はこの店の中で一番強かった。
そして男はたまに一人で勝手に苛立つと、拳に闘気を纏う動きも見せていた。
酔っ払って暴れられたらこんな店は吹き飛んでしまう。
はぁ……と溜息を吐きながら、しばらく付き合うしかなさそうな状況に嘆いた。
なんで自分はこいつを誘ってしまったのだろうと。
「俺はどうすればいいんだよぉ……なぁランドル、教えてくれよー」
「知らねえよ」
喉に勢いよく酒を流し込む。
自分も酔っ払えたらどれだけ楽か。
酔ったらこの情けない男に付き合えるほどマシになるかもしれない。
しかし、その巨体にはいくら飲んでも酔いはなかなか訪れなかった。
そして男はまた愚痴を言うように口を開く。
「家族を守ろうと思ったらぁ……セリアの所には行けないし……」
珍しく今までと違うことを呟いていた。
似ているが、少しニュアンスが違った。
置いていきたくないと、守らなければいけない。
その二つはランドルの中で全然意味が違った。
「なんで守る必要があるんだよ」
ランドルは純粋にそう思った。
何故、目の前の男は自分の家族を守らなければいけないと思い込んでいるのか。
「お前の家族は守る必要があるくらい弱くねえだろ」
母親の稼ぎは大きい、使用人もいる。
妹の魔術も優秀だと自慢しているのも男から直接聞いた。
「エルとか……俺にべったりだろー、置いて行ったらどうなるか……」
ランドルは男の妹の顔を思い出した。
ランドルには生意気な顔しか浮かばなかった。
「連れて行けばいいだろ」
ランドルが言うと、男は更に酒を流し込んだ。
口元から溢れて流れた酒が服を濡らしている。
「あんなお淑やかなエルを連れて危険な旅に行けるわけないだろぉ。
お前ばかかよランドル」
少しイラつくことを言っている男を無視して、ランドルは冗談だろと思った。
あの妹がお淑やか。
この男の中ではどれだけ脚色されているんだろうか。
ランドルは自分が嫌われていることを抜きにしても、それはないと思った。
もちろん妹に溺愛されているのは普段の様子から分かる。
しかしそれは兄にだけだ、あの妹が狂ったように愛情を向けているのは兄だけ。
それ以外の人間には、男が言っているようなお淑やかな女では間違いなくない。
机に頭を乗せながら聞こえない声量でウダウダ呟いている男を見ると。
呆れたようにランドルも呟いた。
「お前の妹は、お前が思ってるほど弱くねえよ」
ランドルの呟きは男には聞こえなかったようだ。
そして男はまた同じことを繰り返す人形になっていた。
ランドルは何度目か分からない溜息を吐くと、男が動けなくなるほど酔っ払ってくれるのをひたすら待った。
意識が戻ってくると、足を動かしてない自分以外の足音がする。
重い目蓋を開くと、地面が勝手に動いていた。
どうなってるんだ……少し頭を上げると、頭が少し朦朧として頭痛が襲った。
「うっ……」
指でこめかみを押さえると、真上から声がした。
「起きたか」
頭痛に悩まされながらも頭を上げると、ランドルの後ろ姿が見えた。
少し意識が覚醒すると、自分の状況にやっと気付いた。
俺はランドルの肩に担がれていた。
まるで狩られた動物のように。
そこで俺はようやく意識がなくなる前のことを思い出してきた。
意識がなくなるほど飲んでしまったのか。
というか、色んなことぶちまけていた気がするぞ……。
やっちまったと思いランドルの肩の上で頭を抱えた。
「お前もう酒は飲むな」
そう言ってランドルは歩き続けた、
過ぎ去っていく町並みを見ると、どこに向かっているのか分かる。
ランドルは俺を家まで運んでくれているのか。
俺は相当悪絡みしていたと思う。
店から放り出されて放置されても文句は言えなかった気がする。
やっぱこいつ悪い奴じゃないな。
「ランドル」
「なんだよ」
「お前いい奴だな」
「殺すぞ」
その言葉には殺意は篭っていなかった。
いや、篭っていたら困るが。
照れている様子もないし顔も見えないが。
ランドルなりの照れ隠しだと勝手に思っておこう。
可愛いじゃないか、なんて思っていると、俺は勢いよく地面に投げ飛ばされた。
「痛え!」
「じゃあな」
そう言うとランドルは無表情で去って行った。
そして俺は家の玄関の前だった。
俺はふらつきながらもそーっと扉を開くと、家の中は無音だった。
皆、もう寝ているらしい。
俺は何時まで飲んでたんだろう……明日ちゃんと起きれるだろうか。
音を立てないようにこそこそと家の中に入った。
いつも寝ている場所にさっさと毛布を引くと、横になった。
普段は色々なことを考えてしまい、寝付きがあまり良くないのだが。
今日は何故か目を瞑ると、すぐに意識はまどろみの中だった。
この日、この町に二人の冒険者が移り住んで来ていた。
その二人との出会いがアルベルの人生を変える。
21:00にもう一話あげます。




