第十二話「決意の末に」
イゴルさんの首は他の守備隊の首と共に順番に墓地近くで焼かれた。
その後、墓地に埋められた。
森に残っていた遺体は腐敗が激しく、村に戻って燃やして埋めたらしい。
魔物に荒らされたのか、ひどい状況だったらしい。
説明した戦士は遺体の詳しいことは語らなかった。
首を見る限り明らかに、剣で斬られている。
鋭すぎる切り口。
どんな状況だったのか想像もつかない。
何が起こったのか、それを語れる人は誰一人いなかった。
捜索隊が村に着くと村人は全滅していた。
村人の遺体は何者かによって斬られていた。
遺体の処理をして捜索隊の進んだ足跡などを頼りに進むと、守備隊の遺体が転がっていたらしい。
イゴルさんを含め十人の守備隊、行方不明者一名、何故か子供の死体。
村は全滅、この事件を知る者は誰もいない。
行方不明者も生きていないだろう。恐らく魔物に食われたのだと推測された。
そして子供の遺体は血に塗れていたが、何故か傷がなかったらしい。
俺はイゴルさんの首を見た時。
悲しいと思う前に信じられないという気持ちだった。
俺の中でイゴルさんは最強の剣士だったから。
イゴルさんに勝てる人なんていないと思っていた。
死を実感すると、俺は涙を流した。
セリアの父であり、剣術の師匠であり、俺にとっても父親のような存在だった。
もう、二度と会えないのだ。
しかし俺は深く沈んでいる訳にはいかなかった。
セリアが心配だった。
俺と俺の家族が涙を流す中、セリアは違った。
首を見ると、目が限界まで開けられ驚愕の顔をすると。
そのままセリアは下を向いて何も言わなかった。
少し伸びたセリアの髪で隠れ、その瞳は見えなかった。
強く噛み締めた唇からは血が流れていた。
セリアはどんな気持ちなのだろうか。
セリアにとってイゴルさんはたった一人の家族で、師匠だった。
その悲しみは俺には想像もつかない。
骨が埋められたのを見守った後。
俺は並べられた遺品の中からイゴルさんの剣を探し、手に取った。
その場で立って動かないセリアに差し出すと。
セリアはしっかり両手で受け取って手の中にある剣を見ていた。
表情はなかった。
いつも輝いているように見えるエメラルドグリーンの瞳は、
色を失ったように透明になった気がした。
何も言わないまま放心しているセリアに。
俺も何も言えないでいると、エリシアが重々しく口を開いた。
「セリアちゃん、家で一緒に暮らしましょう」
悲しさを隠さないで、心配そうに言った。
俺もその方がいいと思った。一人にする訳にはいかない。
セリアの耳には何も入ってなかったのか、その顔と体は微動だにしなかった。
エリシアとエルには先に帰ってもらった。
エルも駄々こねることなく素直にエリシアに手を引かれて帰っていった。
俺はセリアを墓地の柵を背にして座らせると、横に座った。
何時間、そうしていただろうか。
お互い何も言わず、ずっと座り込んでいた。
セリアは今何を考えているだろうか。
思考することなんてできる状態じゃないだろうか。
俺にできることはずっと横にいることだけだった。
陽も完全に落ち、辺りが暗闇に包まれた頃、さすがに俺は立ち上がった。
セリアの腕を優しく引いて立ち上がらせる。
セリアはまるで人形のように俺が力を入れるとその通りに動いた。
手を握り、歩き出す。
セリアは手を握り返すことはなかったが、
下を向きながら足は俺に引っ張られるようにゆっくり歩いていた。
家に着くとセリアをルルのベッドで横にした後。
俺も椅子を持ってきてベッドの隣で座った。
着替えもせず、ひたすらそうしていた。
エリシアも何も言わずそっとしておいてくれた。
眠れないまま朝が来ても、セリアは何も言わないまま動かなかった。
日課の剣術の稽古もしなかった。
俺もやらなかった。
セリアが水も飲まなければ俺も飲まない、何も食べなければ俺も何も食べない。
ずっと、色が失われたセリアの瞳を見て過ごした。
少しでも目を離すとセリアが消えてしまうような気がして、離れられなかった。
二日目の夜。
一睡もしていなかった俺は気付けば少し眠ってしまった。
目を開けると焦り、即座に意識が覚醒した。
一切動かなかったセリアの姿がベッドから消えていた。
壁に立掛けていたイゴルさんの剣も風鬼もなかった。
まさか、何も言わず町から出ていってしまったんだろうか。
そんな気がして俺は白桜を乱暴に手に取ると慌てて家を飛び出した。
町にいるとしたらあそこしかないと思って全速力で駈ける。
そこに居なければ二度と会えない気がして。
セリアがいることを願って、走り続けた。
着くと、セリアがいて安堵した。
セリアは自分の家の壁を背にして座り込んでいた。
月灯りに照らされた彼女の瞳からは、涙が流れていた。
俺はこの時、初めてセリアが泣いている顔を見た。
セリアは泣いている自分を見られたくなかっただろうか。
俺はゆっくり歩いてセリアに近付いた。
俺が横に座ると、セリアは袖で涙を拭った。
「アル」
久しぶりに聞いたセリアの声からは、いつもの力強さは感じられなかった。
「お父さん死んじゃった」
そう言って下を向いてしまった。
何も言わず抱きしめたかった。
「セリアは一人じゃないよ、俺はずっとセリアと一緒にいるから」
本心だった。
今までセリアに助けられ続けてきた。
俺にできることは何でもするつもりだった。
少し間が空くと、セリアは少し顔を動かした。
「なんで、アルはそんなに優しいの」
沈んだままそう呟くセリアは今にも壊れてしまいそうだった。
俺はそこまで優しい人間じゃない、大切な人を大切に思っているだけだ。
「セリアだからだよ」
俺が言うとセリアは黙り込んでしまった。
「セリアは、今どうしたいと思ってるの?」
もしセリアが町を出ると言い出したら俺も決心しないといけない。
一人で行かせる気はない。
しばらく経つと、セリアの口が開いた。
「分からない、自分が今どうしたいのか分からないの」
セリアには今色々な道がある。
町を出て夢を追いかけるか、俺達と一緒に穏やかに暮らすか。
一番考えたくないのは。
イゴルさんを殺した相手を探して仇を取りにいくだろうか、危険だ。
俺としてはいつ死ぬかも分からない困難な道を行くより、
一緒にこの町で暮らしたい気持ちはある。
俺は素直に気持ちを伝える。
「セリア、母さんも言ってたけど一緒に家で暮らそうよ、きっと毎日楽しいよ」
セリアは何も言わなかった。
少しでも穏やかな生活を考えてくれているだろうか。
こんなことを言う俺にがっかりしただろうか。
とにかく一緒にいたいという気持ちは伝わっただろうか。
「アルは……なんで剣術以外何も持ってない私のことなんか」
セリアは途中で声を出すのをやめてしまった。
俺は伝える、もっと強くなってから言おうと思ってたこと。
今言わないと一生言えない気がする。
「セリアは何度も俺を助けてくれた、今度は俺が支えたい」
少し息を吸い、セリアを見つめると、意を決して言った。
「俺は、セリアのことがす―――」
最後まで言う前に、俺の口は塞がった。
俺の開ききった瞳に写ったのは俺の大好きなセリアの顔だった。
合わさった唇から伝わるセリアの熱は、俺を溶かすように熱かった。
どれくらいそうしていただろうか。
一秒が数分に感じられそうな濃密な時間は。
セリアが唇を離し、目蓋を開いて大きな瞳を見せると終わった。
暗闇の中輝くエメラルドグリーンの瞳は、やっと透明から色がついた気がした。
俺が熱い顔のまま惚けていると、セリアは立ち上がった。
「アル、来て」
これからの旅に一緒についてきてということだろうか。
相変わらず言葉足らずだが、そんな所も好きだ。
俺も立ち上がり、行くよと言おうとすると。
セリアは地面にイゴルさんの剣と風鬼を置いたまま歩き出した。
え?と思いながらセリアの背中に続く。
すると、いつも稽古している広い場所に出ると止まって振り向いた。
「お願い」
それだけ言うと、セリアはいつも腰に掛けている剣を抜いて構えた。
セリアの抜いた剣は真剣だ、いつも稽古で使う木刀ではない。
これはもちろん、戦えということだろう。
もしかして俺は試されているんだろうか。
一緒についてくる力があるのか、と。
本気で殺し合いをする訳じゃない。
しっかり寸止めをすれば大丈夫だ、そんなことセリアも分かっているだろう。
俺は腰からアスライさんからもらった白桜を抜く。
素振り以外で使うのは初めてだった。
まさか初めてこの剣を向ける相手がセリアだとは思ってなかった。
俺が構えると、セリアは闘気を爆発させた。
溢れ出る闘気を全身に乗せていく。
その青い闘気は、体を燃やし尽くすようにセリアの体を包んでいた。
予想外だった、セリアは本気だった。
稽古の時は闘気をある程度セーブする。
周りにも被害が出るし。稽古で全開の闘気を纏う意味もあまりない。
それで闘気が増えなかったり強くなれなかったりするわけじゃない。
闘気を全開で纏うのは敵を倒す時。
俺達の体で無限に使える訳でもないので体に負担もかかる。
初めてみた全開のセリアの闘気は巨大だった。
青い闘気を纏い、揺れる金髪の髪から覗く瞳は真剣だった。
セリアを見て、俺も覚悟を決めた。
俺もしばらく全開で使ってなかった闘気を限界まで爆発させる。
五年の訓練により鍛えられた俺の闘気はセリアに届くだろうか。
引き出しを開ける、そこから溢れる光を全て体に纏う。
俺の体は赤く燃えているように包まれていた。
ザァーと強い風が吹いて辺りの木の葉を揺らした。
少しずつ風が弱くなり、無音の世界になった。
お互いの気合がぶつかるかのように俺とセリアは踏み込んだ。
セリアから振り下ろされる一撃は、受けきらないと致命傷になる一撃。
ここにはエリシアもエルもいない。
一瞬遅れれば致命傷をくらい簡単に絶命するだろう。
セリアが俺を倒すように繰り出される一撃から伝わるのは、信頼だった。
何度も何度も剣がぶつかり合い、火花が散る。
この攻撃を俺が受けきれないはずがないという俺への信頼だった。
その信頼は、容赦なく首を刎ねるように振りかざされた。
その攻撃からは寸止めなんて言葉は感じない、俺が捌けないと首が飛ぶ剣筋。
セリアの気持ちは分かっている。
俺も攻撃を受け流しながらセリアの急所に向かって剣を振る。
ギリギリの所で回避される、分かっている。
剣がぶつかりあう度に、衝撃で突風が吹いた。
剣を合わせる度にセリアから伝わってくるのは信頼と、迷いだった。
セリアは何か迷っていた。
闘気では拮抗できているが、本来俺とセリアの剣の実力には開きがある。
長く続く戦いが終わらないのはセリアの迷いの足枷のせいだった。
彼女は何かを確かめるかのように全力で剣を振っていた。
もし俺を試しているのであれば、俺は絶対に負ける訳にはいかなかった。
じりじりと減っていく体力。
集中力は切らさない。
精神を研ぎ澄ませ、セリアの些細な動きも見逃さないように対峙する。
俺は一瞬でセリアの間合いに踏み込み、下段から剣を斬り上げる。
上段からの振り下ろしによって剣が弾き返される。
普通の攻撃ではセリアに攻撃は通らない。
この戦いを終わらせる方法として俺の頭の中に浮かんだのは一つだった。
俺は後方に飛び距離を取る。
セリアが踏み込んで来るのを誘う。
闘神流は闘気のコントロールが極意。
基本的には踏み込む足に闘気を集中させ、斬る瞬間に上半身に移動させる。
この距離でセリアが多様する技、闘神流風斬り。
その瞬間を狙う、大博打だ。
セリアの闘気が一瞬で足に集まり、次の瞬間には距離が詰まっているだろう。
俺は腕と剣に全力を注ぎ込む。
問題なのは、速さ、剣に注いだ闘気のせいで数段俺の速さは落ちる。
俺の背中を力強い風が押してくれた。
セリアの踏み込みに合わせる、やはり風斬りの初動。
俺も同時に踏み込むとセリアは一瞬驚き、キンッと音がして体が交差した。
同時に踏み込み、風斬りの飛びの動きを狙った不意をついた攻撃だった。
見切れなかったらあっさり斬られていただろう、勝算はあった。
五年間毎日セリアの剣を見ていたから。
振り向くと、俺の全力を叩き込んだセリアの剣は折れていた。
セリアも振り向くと迷いは晴れてくれたのか、少し微笑んだ。
「強くなったね、アル」
嬉しい言葉だった。
今の戦いでセリアに認めてもらえただろうか。
とにかく、終わったのだ。
と思っていたのだが、セリアは腰に掛かっていた母の形見の短刀を抜いた。
焦って構えなおすとセリアを見失った。
油断だろうか、セリアが速すぎたのだろうか。
短刀の峰で俺のみぞおちを殴ったセリアの姿は。
迷いの足枷を外していたように見えた。
俺の呼吸が止まり目の前が暗くなる感覚と共に、簡単に意識を手放した。
意識を手放す瞬間、薄暗く映ったセリアの顔は泣き出しそうに見えた。
意識がぼんやりと戻ってくると、俺はセリアの匂いに包まれていた。
俺の大好きな少し汗が混じったような、鼻に心地よく透き通っていく匂い。
今、俺の傍にはセリアがいてくれるんだろうか。
もう少しこのままでいたい気持ちもあったが、少しずつ目を開けた。
普段とは違う天井だった。
でも、知らない景色ではなかった。
上半身を起こすと、その家は窓から差し込む陽によって明るく照らされていた。
俺のよく知るセリアの家だった。
俺はセリアのベッドで眠っていたらしい。
きっとセリアが運んでくれたのだろう。
上半身を起こすと体に激痛が走り、うっ……と一番痛みのひどい腕を握った。
初めての感覚だった、筋肉痛ではない。
闘気の負荷だろうか。
俺は堪えて起き上がった。
ベッドの横に立てられていた白桜を腰に掛ける。
そして体を引きずりながら玄関の扉を開けた。
視界には誰も映らなかった。
もしかしたらセリアはいつも通り素振りしているのかと思ったのだが。
セリアはどこに行ったんだろう。
昨日、想いは通じ合ったはずなのに。
少し待ってみるか、としばらく放置されて埃っぽい家の中に戻った。
椅子に座ろうと思ったら、机の上に紙が置いてあった。
その紙の上にはセリアの短刀が乗せられていた。
書かれた文字は普段より丁寧に書かれている、セリアの字だった。
俺は座りながら読もうとするが、固まって座りこめなかった。
紙と短刀を手に握り締め、俺は痛みを忘れて家を飛び出し、走り出した。
焦り、必死の形相で町の入り口へ向かう。
「アルベル様!?」
途中、大通りを歩いていたルルの声が聞こえたが。
そんなことで、立ち止まっていられなかった。
町の門につくと、誰もいなかった。
門からはただただ広大な景色が広がっている。
すぐに、俺も追いかけないと。
しかし、出る前に伝えないといけない人達がいる。
こんないきなり、一体何て言えば……。
立ち止まってしまい、思考していると、後ろから何人かが駈けてくる音がした。
俺は何も気にせず外を見つめていた。
すると聞き慣れた、しかしいつもと違う大声で俺を呼んだ。
「アル!?」
その言葉に我に返り、振り向くとエリシアとエルとルルの姿があった。
どうして……ここに。
「アル……どこに行くの……?」
エリシアの泣き出しそうな必死の顔に、思わず下を向いてしまった。
下を向いたまま、俺は口を開く。
「母さん。僕は、ここから……」
言葉が、出なかった。
何と言えば、皆を傷付けないだろうか、納得してくれるだろうか。
言葉が出ないまま顔を上げると、初めてみるエリシアの顔があった。
涙を流していた。
綺麗な赤い目に、手をやり、子供のように泣きじゃくっていた。
「エリシア様……」
心配そうにルルがエリシアの背中を擦っていた。
エルは泣いているエリシアの服の裾を引っ張り、顔を隠して震えていた。
その光景に、俺は言葉を失っていた。
エルはエリシアから離れると、少しずつ俺に近付いて来る。
そして放心している俺の胸に顔を埋めた。
小刻みに震えるエルの体から振動が伝わる。
俺の服を掴むその体温は、冷え切ったように冷たかった。
「お兄ちゃん……行かないで……」
そう言いながら顔を上げるエルの顔は、ひどい顔だった。
普段の可愛らしい顔からは想像できない、ぐしゃぐしゃの顔だった。
涙を流しながら俺を放さないエル。
子供のように泣くエリシアとそれを支えるルル。
俺は、ここまで想ってくれている家族を置いていけるのか。
答えは出ていたはずなのに、この光景に俺の心は締め付けられた。
この状況に、エルの訴えかける言葉に。
俺の脳は考えることを放棄してしまった。
何も考えることができず、心も体も立ち止まってしまった。
手の力が抜け、握り締めていた短刀が地面に落下し、紙が舞った。
ヒラヒラとゆっくりと落ちていく。
握り締められくしゃくしゃになった紙には短くこう書かれていた。
剣は貴方に
アルの幸せを誰よりも願っています
俺は、立ち止まってしまった。




