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第六話「特別」


 デュランを経ってから数ヶ月は経過していた。

 イゴルさんが目を覚ましてからの旅の進みは三人だった頃より早い。

 ずっとエルを背負っているのも何だかな、ということで最寄の町にて甲馬を買った。

 俺が手綱を握っているのでエルが背にいるのは変わりないのだが。

 買ったのは三頭。

 乗馬経験があるランドルとイゴルさんは颯爽と甲馬を走らせていた。

 

 なぜ四頭ではないのかというと、そもそも俺は乗馬経験がないので、短絡的に誰かの後ろに乗せてもらうつもりでいたのだ。

 すると当然のようにエルの後ろを促された。


 ……ちょっと待てよ、と。

 俺は兄だぞ、と。

 一番甲馬に乗っていたのは俺なのに情けなくないか、と。

 昔、俺がクリストに抱きついていたのは、俺に左腕がなく、気性の荒い甲馬を扱いきれないだろうと判断されてのことだった。


 今なら……別にいいんじゃないか?


 というわけで、俺が意気揚々と甲馬に挑んだのだ。

 当初は甲馬との絆を深めるところから始めようと、鼻先を撫でるも腕を噛み付かれたり、乗れば暴れ、振り落とされたりと散々だったが。

 今ではすっかり「ふふ、乗りなエル」と手を差し伸べる余裕さえある。

 しかし偉ぶっている俺に妹は無表情に小首を傾げていた。

 馬に乗った程度で、何故鼻を高くしているのか理解できないらしい。

 

 ちなみにこの数ヶ月の間に、エルフの村に寄ったりもした。

 エルだけが村に入ることを拒絶し、愛らしい妹を一人置いて行く事は出来ず、結局俺一人で挨拶に赴いた。

 何でもフィオレの昔話を聞いたらしく、他のエルフ達にあまりいい印象を抱いていないようだ。

 悪い人達じゃないんだけどな、とフィオレが小馬鹿にされていたことに憤っているエルに説くのもおかしな話である。

 フィオレの件は、事実だしな。

 

 とにかく一人で挨拶に向かったのだが。

 族長の家を訪ねると、マルガレータは「頻繁に来るのね……」と半分呆れていた。

 問答は発生することなく、次に「フィオレを頼むわね」で終わった。

 何か、俺の思い描いていたイメージとズレていてしっくりこなかった。


 バーンの際もそうだが、もっとこう……「生きていたのね! よく顔を出してくれたわ! さあ、詳しい話聞かせてちょうだい! 今日は村でゆっくりしていくといいわ!」とか、ないのだろうか。

 

 いや、マルガレータはルクスの迷宮についてそれなりに知識を持っていたようだし、空に浮かぶ転移陣を見れば俺が生きていたと推測するのは容易なのか。


 彼女の立場はエルフの長だ。

 俺としては貫禄を保っているだけで、照れ隠しなんじゃないか? と訝しむ気持ちもあったが。

 マルガレータの態度は終始変わらなかった。

 彼女からすれば、『マジでこいつ頻繁に来るな。暇なのか?』ぐらいの感覚なのかもしれない。

 

 結局――仲間と別れてからはや十分程で、俺は仲間と合流していた。

 


 そこからは、特筆することもない旅である。

 くだらないことで俺とイゴルさんが笑ったり、エルとランドルがいつものを始めたり。

 俺達の戦闘力では魔物も脅威にはならず、レイラの出番もなく、精闘気はすっかりご無沙汰だ。

 

 そして、レイラと会話する俺に驚きを吐露しなかった人は今までいなかったのだが、イゴルさんだけは別だった。


 何でも、師は知っていたらしい。

 それはもう全員で驚いたものだが……。

 俺がレイラを認知していなかった頃から、人の身から離れた身体能力を発揮していたのを目にした者はイゴルさんとセリアだけ。

 それ以降は人より大きい闘気のせいで、精霊の加護だと気がつく者がいなかったのも当然である。

「教えてくれればよかったのに……」とぼやくと、「確証はなかったし」と苦笑いを浮かべていた。

 まあ、その通りだ。

 多分、少年時代に「精霊がついてるぞ」とか言われても俺は話半分で聞いていたと思う。

 すぐに話は完結し、旅は続いた。


 

 甲馬に乗り走り続け、今――。


 俺はイゴルさんが目覚める直前と同じぐらいの緊張感に包まれていた。

 目の前に広がっている幻想的な森は、精霊の森だ。

 仲間と共に足を踏み入れる。


 魔族でもなかなか立ち入らない、神秘的であり聖域のような空間なのだろうが。

 俺としては、ここに入ることの心持ちはもはや観光スポット巡りぐらいの感覚である。

 

 心臓がドクドクと波打っている理由は、災厄との戦闘後に自らの身に起きた現象について、知れるのではないかという期待感。

 レイラは『教えてくれないよ』と断言しているから望みは薄いが。

 精霊は嘘を吐かない。

 でも、嘘を吐かないとすれば、今俺がここに存在しているということは不可解な事柄でもある。

 精霊王があの時、嘘を口にしたわけではなかったとすれば。


 多分、考えが変わったのだ。


 ならば訊いたら答えてくれるという可能性はゼロではない。

 何にしろ感謝は伝えるし、エルのお願い事もあるのだ。

 俺は精霊王の元へ、最短距離を抜けていった。


 

 広い空間にでる。

 大樹遮られている陽がなくとも、周辺が白光している不思議な場所。

 聳え立つ大樹の前には、頭からつま先まで真っ白な女性。


 エリサだ。


 切羽詰った俺が取った行動で彼女に与えた屈辱は計り知れないものであり、「死ね」と魔術を放られても文句一つ言えない。

 もしそうなれば避けることも憚れる。

 気まずく眉尻を下げる俺に、エリサは薄目を開いてこちらを見やった。

 彼女が口を開くのを待っているようじゃダメだと、強張った唇を開く。


「エリサさん、その節は……その、なんというか、すいませんでし――」


 俺が言い終わる前に、エリサの視線はエルの頭上へ移動した。


「ライト、久しいですね。……はい。……なるほど。以前の私なら小言を口にしたでしょうが、もう慣れました」


 む、無視だと。

 いや、無視されても仕方ないし、エリサはエルを守る精霊と話しているだけだ。

 ちなみにレイラの通訳を介して、俺もライトとは多少話したことがある。

 年配のおじさんのような口調だが、その声色をこれから聞けるのはエルのみだ。

 

 全員で押し黙り、待っていると、聖域に凛とした声が響く。


『エル。動かないように』


 精霊王は自己紹介も何もない。

 しかし今から加護を与えるということは分かる。

 俺も同じことを昔言われたからな。

 端的すぎるが、拒まれなかっただけで有難い。


 エルは身構える間も与えられず「うっ」と眉を寄せて表情を歪ませた。

 俺なんかは痛みには慣れっこだが、エルには辛いかもしれない。


「大丈夫?」

「うん……」


 堪えるように呻いたエルに、もう何も言うことはせず、見守った。

 時間にすると数分だろうか。

 以前、ここで災厄と対峙した際は途方もない時間に感じられたが、平常心でいるとあっさりしたものだ。


 痛みが消えると同時にエルは頭上に目を移し、見定めるように静止した。

 そこにレイラと同じように、居るのだろう。

 何か話しかけられたのか、「うん、うん」と相槌を打っている。

 気になるな……俺としてはもう一箇所も気になる。

 と思った途端、エルも気になったのか、ローブの首元を引っ張り、自らの胸元に視線を落とした。

 

「エ、エル……どうかな?」


 何でお兄ちゃんが私の胸の心配するの、と冷たい視線を投げられた手前、あまり口を挟みたくはないのだが。

 エルは気にした素振りも見せず、伸ばした首元を戻すと、飄々と言った。


「谷間で隠れてよくわかんない」


 恐ろしさから口をあんぐりとさせて俺の額から変な汗が滴った。

 なんということだ。

 なんて恐ろしい、妹なのだ。


 妹の豊かな胸に戦慄していた数秒の沈黙は、当人から怪訝そうな眼差しを浴びせられると、終わった。


 用は済んだのだ。

 後は礼を述べて帰るだけ。

 俺は大樹に向き合うと、口を開いた。


「えっと、ルクス様……ですよね? 生意気な口を叩いた俺に寛大な処置を――」

『人間の罵詈雑言を気にすることはありませんし、何より貴方は私を貶めたというより、喚いていただけでしょう』

「う……」


 目上の者に慣れない礼を言い切る前に、ぐさっと胸にくる言葉で両断される。

 エルも礼を言おうと頭を下げようとする動作を見せていたのだが。

 精霊王のイメージが予想と違ったのか、それとも妙な空気になったせいで入りづらくなったのか、微妙な面持ちで立ちすくんでいる。

 精霊王、多分呼び名はルクス……は、俺がここへ赴く度に態度が冷たくなっている気がする。

 何故だろうか……。

 その割りに俺しか転移させないぞ、と明言していたのに四人を鬼族の村へ転移させてくれたし。

 正直、掴めないな。


 いつもなら心の声を読み取り、訊く前に答えてくれるのに沈黙を保っている。


(ほら、聞いてるんだろ? 言いにくいことがあるなら俺だけに直接語りかけてくれてもいいんだぜ)

『…………』


 調子に乗ってみるも、返答はない。

 何だか恥ずかしくなり、薄ら頬に熱を帯びる。

 するといたたまれなくなったのか、ようやく声が響いた。

 仲間が一切の反応を示さないことから、恐らく、俺だけに。


『アルベル。貴方は報われてもいいと私が思慮してしまう程に、旅をしました』

(どういう事でしょうか……?)


 現段階でさえ、以前ここへ赴いた時から、あまり時は経っていないのだ。

 俺とセリアを闇の精霊が作り出した空間から移動させてくれた時にしても、精霊王の元で喚いてから、微々たる時間しか経過していなかった。

 すると、精霊王は微笑を浮かべたような声色を俺の脳内に響かせる。


『特別ではない貴方を特別扱いした理由です。今はそれで納得しなさい。貴方はこれからも様々な事を不可解に思うでしょうが、心の底から真実を望めば今のアルベルを形成する人格は崩壊し、日常には戻れなくなるでしょう』


 ぞくっと嫌な想像ばかりが頭に渦巻くが、気になるものは気になるし、どうすればいいのか。


『難しい事を考えなければいいのです。過去ではなく今日を過ごし、生きなさい』


 こういう時だけ無駄に頭が働き、察してしまうところはある。

 魂から、引き出しを開けるように闘気を纏うのと同じだ。

 いつか、真実の引き出しを見つけることもあるかもしれない。

 それを開けるか開けないかは俺次第であり、精霊王は開けるなと警告してくれているのだろう。

 

『しかし貴方を特別扱いするのは、今日が最後です』


 こんな事は金輪際教えないぞ、と言うことだろう。

 もう注意してあげるのは今日限りだからね、と。

 しかと受け止め、俺は頷いた。


「ありがとうございました」


 もう会うことはないのだろう。

 もしドラゴ大陸に赴く機会があったとしても、ここへ来る意味はない。

 通りかかったので挨拶しにきました、と顔を出したところでもう声を出してくれることはないのだろうな。


 最後に謝罪の気持ちを篭めて、エリサに頭を下げると、俺は背を向けた。

 エルはされるがままでしっくりこないようだったが「大丈夫」と軽く背を押して歩を進めることを促した。

 

 ――唐突だった。


 視界が眩いばかりの光りに包まれ、遮るように腕で目を覆うも、光は消えなかった。

 この感覚は、知っている。

 

 これは……。


 今日限りって、そういうこと?

 ここまでしてくれるの?

 

 最後に、初めて聞いた微笑むような笑い声が薄らと――耳に通った気がした。





 目を開けると、慣れ親しんだ風景だった。

 イゴルさん以外の全員にとっては。


 まだ陽は高く、さんさんと緑を照らしている。

 庭先で剣を振っていた少女と、それを見守っていた青年のような赤髪の男がぱっと振り返る。


 フィオレと、クリスト。

 というか、ここは自宅。


 目を丸くしている俺達に真っ先に駆け寄るのは、オレンジ色の髪を揺らした少女。


「随分早かったですね! セリアさんは皆さんが一年で帰ってくるって仰ってましたけど、それにしても……さすが師匠ですね!」


 なんか、持ち上げられているのは置いておいて。

 俺に限らず全員がふわふわしていて、現実を受け止めきれていない。

 とてもありがたく、いい現実なのだが。


 遅れてクリストがフィオレに並び、イゴルさんに目を向けた。


「目的は達成したみたいだな……行きは知ってたが、帰りも転移を使えたのか? それでも早いけど……」


 短絡的なクリストでさえ、腕を組んで思考しているのか視線を彷徨わせている。

 俺は途端に覚醒して目を見開くと、クリストの肩を掴んで取り乱す。


「俺の、こ、子供は!? もう生まれてるの!?」

「お、落ち着けって。まだ生まれてない。セリアなら部屋で……」


 それを聞いて、真っ先に動いたのはイゴルさんだった。

 玄関の扉を開き、娘の居所が分かるのか一直線に階段に向かう。

 慌てて俺も追うと、イゴルさんはガタガタと階段を登り、すぐの部屋で一度立ち止まると、勢いよく扉を開いた。

 その足は止まることなく、ベッドで横になっている、もはや少女では通らない発育をしている女の子に向かった。


 膨らんだお腹を労わるように、セリアは動かなかった。

 しかし顔は俺達の方へ向いていた。

 驚いた様子はない、彼女なら、俺達が現れた瞬間に察知していただろう。

 イゴルさんもそうであったように、セリアも父の気配を間違えたりはしない。


「お父さん」


 セリアはにっこりと笑った。

 しかしエメラルドの瞳は潤んでいき、ツーっと頬に雫が滴った。

 イゴルさんの顔は見えない。

 でも、娘の頭を優しく抱き、同じ金色の髪に顔を埋めた。

 爽やかながらに屈強な剣士の体が震える。


 ……俺は、後でいい。

 邪魔をしてはならない。

 二人はそんな事、思わないだろうけど。


 俺は背を向けるとそっと扉をしめて、階段を降りた。


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