不意打ちの再会
「それで今やけ酒ですか?」
「だから、ふられてねえっての」
ソウはじろりと、目の前のバーテンダーを睨みつつグラスを傾ける。
現在時刻は午後十時過ぎ。場所はソウ行きつけのバーの一つ『システム・ナイン』だ。
白を基調とする落ち着いた内装の店内、そんな小綺麗な店のバーカウンター中ほどにポツンと座るソウ。
現在、客はソウしかおらず、バーテンダーであるラバテラとソウが一対一で話している状況である。
「でも、今日あの女狐とデートだったんすよね? で、この時間にバーに居るってなったら……ですよ」
「てめえはどこからそんな情報を仕入れてきたんだよ」
「いやははは。これも人脈ってやつですかね」
快活に笑う男にソウは呆れつつ、流石はラバテラだとも感じている。
一週間前に女狐と約束をしてから、ソウは今日のことを基本、誰にも話していない。ギリアも誰かに言いふらすことはあるまい。
だというのに、この男は知っている。つまりは、二人が一緒に居た『今日の光景』を、どこかから仕入れてきたということ。恐るべきスピードだ。
ソウも情報に関しては広く浅くをモットーとしているが、ラバテラの情報網には到底及ばないとしみじみ感じた。
「ま、良いけどよ」
「じゃじゃ、詳しく教えてくださいよー。あの女狐の情報は全然入ってこないんで、何か弱みでもあったらなー」
「知らねえし、知っててもお前には教えねえ」
「そんなご無体な」
ソウは、ニヤニヤと笑っている態度の軽いバーテンダーに軽い苛立ちを覚える。この軽さの癖に肝心なところで口が固いのが尚更に苛立つところでもある。
しかし、そんなソウの心情を察すれば、ラバテラは即座にそのフォローに回るのだ。
「まま、今日は二人きりなんで、特別に一杯サービスしますから」
「……くそ。何でも良いか?」
「ええ、ええ。いったい何が良いです?」
まだ燻っている感情はあるが、ソウとしてもあまり金に余裕がない今、その提案は大変魅力的であった。
少し迷って『テイラ』で一杯を頼み、それが届いた頃合い。
カラン。二人きりだった店内に鈴の音が響いた。
「失礼しますね──いらっしゃいませ!」
ラバテラはソウにひと言断ってから、来店した新たな客へ声をかける。
ソウはそちらを見る事はせず、目の前の一杯に意識を向けた。
頼んだのは【マタドール】というカクテル。
テイラをベースに、ライムとパイナップルジュースを副材料に使う、情熱的な印象のあるフルーツ系のカクテルだ。
テイラとパイナップルの組み合わせは中々に相性が良く、ライムの酸味とも相まって、口の中をスッキリさせたいときに程よい。
「お疲れさまです。今日はどう致します?」
「いつもの、頂戴」
「ふふ。かしこまりました」
来店したのはどうやら女性のようだ、二つ席を離れた場所に座っている。とソウは頭の隅で考える。
結構キツめの声質に思えるが、かなり疲れている。何か仕事で、大変なことでもあったのだろうか。
そこまで無意識で思ってから、あまり詮索しないでおくか、とソウは頭の中で考えを打ち切った。
今日は、女性を口説く予定はない。
しかし、その声に少し聞き覚えがあるような気もしていた。
「お待たせしました。【ジン・リッキー】です」
「ありがとう、いただきます」
ラバテラに礼を言って、女性はその一杯を口に含んだようだ。
どうしても聞こえてしまう会話に、考えまいとしているのに職業柄、ソウは意識を傾けていた。
「お疲れみたいですね。どうしました? ちょっと前には、ようやく書き上がって、あとは印刷を待つだけと仰っていましたが」
ラバテラが、ソウに対する接客とはまるで違う真摯な態度で声をかけている。
その声に少し安心したように、女性が喉を震わせる。
「……それがね。この土壇場で上から掲載NGが出たって。意味分からないわ」
「えっ! そうなんですか!?」
「理由を聞いても、とにかくダメだの一点張りで。もう、訳が分からない」
「うわぁ。そういうの困りますよねぇ」
どうやら、彼女は何か、出版とかそういった関係の仕事に付いているらしい。
しかし、上から事情も分からずにNGを出された。
そこまで考えてから、ソウの頭の中に少しだけ像が浮かび始めた。その女性の声を、どこで聞いたのかが、ちょっとずつ鮮明になってくる。
そして、決定的なひと言が、ついに聞こえた。
ラバテラの、慮るような声音に、その単語が混じっていた。
「まぁ、確かにバーテンダーの中でも『ソウヤ・クガイ』は、なんかアンタッチャブルな扱いされてるところありますからね」
ソウはもう我慢できずに、行儀が悪かろうとその女性の顔を覗き込んだ。
その動きに合わせるように、先程までラバテラと話をしていた女性もまたソウをチラリと見やる。
そして二人の目線が、バッチリと合った。
「お前! あんときの出しゃばり女!」
「ああ! あんときの糞バーテンダー!」
「誰が糞だゴラ!」
「誰が出しゃばりよ、ちょっと!」
お互いがお互いを睨み合い、フーフーと荒い息を吐く。
そんな二人の様子を、ラバテラは珍しく困惑の表情で見つめていた。
「つまり二人は、街角の喫茶店で運命的な出会いを果たしたと」
「んなわけあるか」
「冗談言わないで」
「あはは。すみません」
ラバテラの言葉に、ソウとアカシアはそれぞれが否定的な言葉を返した。
そんな二人であるが、今は何故か、ほとんど隣り合う形に座っている。
アカシアが来店したあとに、団体客とカップルが少し連続して入り、席を詰めていった結果である。
ソウとアカシアはそれぞれ不服そうにしているが、二人ともこの店には協力したいと考えていたので、渋々と現状を受け入れた。
そして、それら来客の対応が一段落ついたところで、ラバテラはソウ達との会話をしにここに戻ってきたというわけだ。
「でも、珍しいですね。ユウギリさんがこんな綺麗な女性と揉めるなんて」
「お前は俺をなんだと思ってんだよ」
「もちろん、カッコいい男性だと思ってますよ」
ラバテラの完璧な笑顔に、ソウは何も言い返せない。だが、その言葉の裏には『女性に手を出すのが早い』とか含まれていそうだなと、感じていた。
隣に座ったアカシアは、ソウを半目で見下すように睨んでから、ラバテラに言う。
「この人のどこがカッコいいの? 私の集めた『ソウヤ』の資料を興味なさげに放り投げるし、金に汚いし、最低よ」
「確かに否定できませんね」
「おいバーテンダー、どっちの味方だ?」
さっきまでソウを褒めていた筈のラバテラの綺麗な手のひら返しに、ソウは少し呆れる。
だが、ラバテラは胸を張って言い切った。
「もちろん。綺麗な女性が最優先です。あとはお金を使ってくれる男性も優遇します」
ストレートに褒められて、アカシアは少し嬉しそうにする。
そんなラバテラの、いっそ清々しいまでのコウモリ発言に、ソウは文句の一つも言う気が失せる。
「たく。お前、俺が同業だからって……少しは取り繕ったらどうだ?」
「やだなぁ。ユウギリさんはそんなこと気にしませんって。あはは」
「…………」
ソウは、はぁ、とため息を吐いてから、グラスを傾ける。
だが、先程頼んだ【マタドール】はすでに空になっていた。
「お次、どうしますか?」
「……そうだな」
ソウは少しカウンター奥の酒棚に目を向ける。こんな軽薄な男がやっている店ではあるが、その品揃えには隙がない。
この店のオーナーはまた別に居て、その人が系列を含めて、統括していると聞いたことがある。
「……んじゃ、たまには変わったのでも頼むか」
「えぇ……こんな忙しい時に、面倒なのは止めてくださいよ」
「真面目に仕事しろ。……じゃあ【サラトガ・クーラー】で」
「……!」
ソウの注文を聞き、ラバテラは少しだけ驚いたように眉を動かす。だが、すぐに「かしこまりました」と返事をして作業に入った。
「……へぇ。聞いたことないカクテルね」
自分の知識外の注文だったらしく、アカシアが感心したように声を漏らす。
ソウは皮肉たっぷりの笑みを浮かべてアカシアに言い返す。
「ま、これでもバーテンダーの端くれなんでな。『ソウヤ・クガイさん』みたいな綺麗な人間じゃねえけどよ」
「いつまで根に持ってるのよ。あの時は確かに私も悪かったわよ。事情も知らないで」
言いつつ、アカシアは二杯目である【ジン・リッキー】を傾ける。グラスへ向ける視線は、やはり沈んでいた。
ソウは少し悩んでから、気遣うように声をかける。
「……どれくらい、取材してたんだ?」
「半年くらいかしらね。いえ、企画を出したのが更に前だから、もっとか」
「……それが、直前でボツ、か」
一週間前は派手にやり合った関係ではあるが、そのやり合ったネタが原因で沈んでいるとなると、流石のソウもあまり迂闊なことは言えない。
それが例え、自分に深く関係している事柄だったしても。
「なぁ、えっとアカシア……なんだっけ?」
「アカシアで良いわよ」
「じゃあアカシア。あんたはなんで『ソウヤ・クガイ』のことを調べようと?」
アカシアは尋ねられて、少しだけ表情を曇らせる。
その理由に関しては、流石のソウも察せられない。
しかし、曲げたくない思いでもあるかのように、酔いを感じさせないハッキリとした声で言った。
「……憧れだから。自分の力で、正義を貫き通した、憧れの人だから」
「…………正義、ね」
そこで会話は途切れた。
遠い目をしているアカシア。その話題はきっと彼女にとって、一種の聖域のようなものなのだとソウには思えた。
このまま続けるか話題を変えるべきか、ソウが少し悩んでいたところで、ラバテラの声が滑り込む。
「お待たせしました【サラトガ・クーラー】……って、なんかお邪魔しちゃいました?」
「してねえって。ありがとよ」
「いえいえ」
ラバテラの介入に少しだけ感謝しつつ、ソウは出てきたグラスを傾ける。
【サラトガ・クーラー】に含まれるジンジャーエールの炭酸が、程よく口内を刺激していった。
「ラバテラさん」
ソウの隣で、アカシアが静かにラバテラを呼ぶ。
注文だろう、とにこやかな笑みで続きを待つラバテラ。
そして、その後に続いた言葉に、ソウとラバテラは仲良く背筋を凍らせた。
「テイラ、ショットで。奢るから付き合ってくれない? ユウギリさんもね」
ソウとラバテラは器用にアイコンタクトで意思疎通を図り、ラバテラが代表して恐る恐る申し出る。
「あのアカシアさん。あまり無理はしないほうが……」
「何言ってるんですか。いつもだったら率先して飲む人が」
「いやぁ。ほら、今日は人が多いですから……あはは」
アカシアは、言われてチラと店内の様子を確認する。
先程の連続来店で店は忙しそうだ。この状態でラバテラが酔っぱらったら目も当てられない。
しかし、今のアカシアはそんな殊勝な気分にはなれなかった。
「一杯だけなら大丈夫でしょ。ね、ユウギリさん?」
「……いや、実は『テイラ』が苦手で」
「さっき【マタドール】を飲んでた人が?」
「ぐっ」
テイラベースの【マタドール】を飲んでいて、テイラが苦手と言っても筋は通らない。
ソウはちょっと前の自分の迂闊な注文を呪った。
「……仕方ない」
「……逝きますか」
「なによ二人して! ボツ食らった私より辛気くさい顔しないでよ!」
そうして覚悟を決めたソウとラバテラ。
アカシアの奢りのもと行われたソレによって、三人合わせて合計十二杯のテイラショットを流し込むことになったのだった。
個々まで読んでくださってありがとうございます。
少し遅れてしまってすみません。