『ソウヤ・クガイ』について
この国の名前は『エルブ・アブサント王国』という。
設立より数百年の歴史を持つ由緒ある国であり、近隣諸国は元より、遠方に存在する国の幾つかとも強い繋がりを持つ。
しかし今現在、この国では様々な場所で再開発が進められている。
それは五年前に起こった『神機簒奪事件』によって、いくつもの都市が打撃を受けたからである。
事件を簡単にまとめると、クーデターだ。
王国の中でも力を持ったとある貴族が、王族へ反旗を翻し、国家転覆を図ったのだ。
普通ならすぐに王国の兵が向けられて鎮圧される事件であったはずだが、このクーデターは大きな事件となった。
それは『神機』と呼ばれる、王国の重要な『宝物』が、どういう訳か貴族側の手にあったためだ。
『神機』は王族の正統性を示すものとしても重要な役割を持っていた。
現在の王族に不満を持っていた層は、その『神機』を根拠に貴族側に付き、それまでの事件に比べても大きな騒ぎとなっていた。
その事件を、あっさりと解決に導いたのが『蒼龍』と呼ばれていたバーテンダー『ソウヤ・クガイ』である。
ソウヤがその事件において、いったいどのような働きをしていたのか。その全てを正確に知っているものは少ない。
しかし、彼の功績を知らないものは居ない。
ソウヤは、クーデター側が正統性の根拠としていた『神機』を、たった一人で取り戻したと記録が残っている。
その時『神機』は、厳重に守られていた。
ソウヤは単身で、百や二百ではきかない数の敵と相対し、それら全てを打ち負かした。
たった一晩でなされたソウヤの偉業に、押され気味であった王族側は盛り返した。
『神機』の護衛に当たっていた主要な人員もソウヤによって討たれた現状、クーデター側は碌な抵抗が出来ずに敗北した。
故にソウヤは『神機簒奪事件』をたった一人で解決に導いた男として、称されることになったのだ。
そして『英雄』と呼ばれるようになったソウヤは、忽然と姿を消した。
というのが、アカシアが取材したうえで書き上げた記事の概要である。
アカシアは、そんな『英雄』の話を、肯定的な美辞麗句で飾ったあとに、ソウを殊更に非難する。
「だというのにあなたときたら。目先の『金』の話ばかりで『正しさ』がまるで心にないのね。本当に軽蔑するわ」
「……はっ。俺はそんな『ソウヤ・クガイさん』みたいな『清い心』の持ち主には、一生かかってもなれないと思うね」
「……っ! 懲りずにヘラヘラと!」
ソウは、熱を持ったアカシアの語りを半笑いで受け流す。
煽るような言い方に、見ているツヅリと、アカシアの後輩が内心ヒヤヒヤする。
しかしそんな二人の心配をよそに、言い争う二人はエスカレートした。
「だいたい。お前の言ってた『ソウヤ・クガイさん』は、本当にそれで合ってんのかよ」
「馬鹿にしないで! 私はこの特集のために、自腹を切ってまで取材を進めてきたんだから!」
ソウの半笑いに、アカシアは少しムキになって手元の資料をかざした。
「ほら! 『彼』の来歴よ。『彼』がSクラスバーテンダー協会『賢者の意志』に所属して以降、公式な記録はもちろん。匿名でもその活躍ぶりから『彼』が遂行したと思われる任務まで、資料を洗いに洗ったんだから!」
「……ほーん」
アカシアが差し出した資料を軽く受け取り、ソウはその紙面を興味なさげに流し見る。
「で、これが合ってるって保証は?」
「……保証もなにも総合協会の情報提供よ。私はこれでも、ジャーナリストとして正確な──裏の取れた情報しか載せるつもりはないの」
「なるほどね。なるほどなるほど」
アカシアのやや神経質そうな物言いに、ソウは大袈裟にふむふむと頷いてみせる。
それからやはり、興味なさげにその資料を突っ返した。
「ま、良いんじゃねえの。つうか俺にはどうでも良いしな。見ず知らずの『他のバーテンダー』の話なんてよ」
丹念に調べた情報に一切の興味を寄せられず、アカシアは少しむくれたようにソウを睨む。
「……これだから、金に汚い薄汚れたバーテンダーは」
「綺麗事だけで食っていけるほど、世の中甘くないんでね」
「それで品性まで売り払うのが、薄汚れていると言うのよ」
ソウは相変わらず飄々とした態度を崩すことはなく、アカシアの目はどんどんと釣り上がる。
その段階に至って、ようやく二人の様子を見ていたツヅリが割って入った。
「お師匠、いい加減煽るようなこと言うの止めてください。すみません、えっとアカシアさん? 師が無礼を」
「おいツヅリ。なんで俺は悪い事してねえのに謝ってんだよ」
「思いっきり喧嘩ふっかけるようなこと言っといて、何言ってんですかダメお師匠」
不満げに口を尖らせたソウを一睨みして、ツヅリはもう一度アカシアにペコリと頭を下げた。
アカシアは、ソウとツヅリを交互に見たあとに、少し疲れた息を吐き出す。
「あなたは、この男の弟子なのかしら」
「はい。すみません、お師匠も普段は……えっと、普段はあの、任務に真面目……だったりもするはず、なんですが……たまにこう、えっと、ダメな時もありまして……」
「良いのよ。無理にフォローしなくても」
ツヅリのつっかえつっかえな擁護に、アカシアは少し毒気を抜かれたように微笑んだ。
「反面教師という言葉もあるものね。あなたはまだ素直で真面目そうだから、この男の悪い所を見て、そのまま成長していってね」
「あ、はい」
「おい」
うっかりと素直に頷いていしまったツヅリに、ソウは鋭い視線を向ける。
だが、その視線をまるで意に介さず、ツヅリはひとまずこの場をさっさと収めることにする。
「と、とりあえず、私達はこの人達を総合協会に突き出して、そのあとの処理がありますので、このあたりで」
「……そうね。くれぐれも変な考えは起こさないようにね」
チラッとアカシアはソウを一瞥する。ソウはそれを面白くなさそうに見たあと、けっ、とそっぽを向いた。
そんな師の様子にツヅリは再びため息を吐く。
それから喫茶店の店主に遠距離連絡用の通信機械『コールヴィジョン』を借りて、バーテンダー総合協会まで連絡したのだった。
ツヅリが連絡を終えて戻ってくると、見張りをしていたソウが、去っていくアカシアとその後輩に向けてシッシと手を払っているところだった。
そのあまりにもな態度に、ツヅリの口から何度目かの呆れ声が出る。
「お師匠。大人げないですよ」
「ツヅリ。俺はつまらない大人になるくらいなら、子供の心をもったまま生きていたいと思うんだ」
「カッコいい風に言ってますけど、行動が全然カッコよくないですから」
言いつつ、ツヅリは捕まえた二人組の男の方をチラリと見る。いつの間にか、喋れないように猿ぐつわを噛まされた上に、一人で逃げられないように二人まとめて縛られていた。
「……ここまでする必要あります?」
「むしろ軽いくらいだろ。このくらいで逃げ出せないんなら、最初からバーテンダーを相手にしようと思うなって話だ」
「いやいや、普通のバーテンダーこんな風に縛りませんから」
言いつつ、普通のバーテンダーってどんなだろうと、少しだけツヅリは悩む。
ツヅリが一緒に行動しているのは基本的にソウだけだ。他の『瑠璃色の空』との共同作戦任務があっても、単独行動かソウとのツーマンセル。
それ以外に一緒に行動したバーテンダーと言えば……フィアールカという、ソウとはまた違った意味で普通とは言えない少女だけである。
当然、考えたところで答えが出るわけはなく、ツヅリは早々にその思考を打ち切って師の様子を見た。
あまり、機嫌が良さそうには見えなかった。
「……あの、お師匠、怒ってます?」
「ほぉ?」
ツヅリが尋ねると、ソウは常と変わらないどこか人を小馬鹿にしたような顔をした。
「……いえ、さっきの人と会話してて」
「別に。ただ、弟子が師匠のことをどう思ってるのかは分かったけどな」
「うぐ」
それはあの場を収めるための処置だった。と言っても意味はないのだ。
ソウはもちろんそんなことは分かり切った上で、意地悪くツヅリに言っているのだから。
「ま、俺みてえに薄汚れたバーテンダーが師匠じゃ仕方ねえか」
「だから! もう……」
このまま反論しても手玉に取られるだけだと、ツヅリは言いたいことをひっこめた。
もちろん気になることがないでもない。それはソウが『ソウヤ・クガイ』についての資料を眺めていたときの表情。
いつも一緒に居るツヅリだからこそ、分かった。
ソウがその資料を、どこか苛立ち気味に眺めていることが。
「おっ、随分早いな」
そんなソウは、既に先程のやり取りを忘れたかのように、早速かけつけたバーテンダー総合協会の役員に手を振っていた。
「……とにかくお師匠。変な考えは起こさないでくださいね」
「分かってるって。ああ、金が……」
「…………お師匠」
「冗談冗談」
それから、到着した役員に簡単な事情を説明し、その後の処置を任せる。
当然ながら、そこにはアカシアの名前が出ることはない。彼女はこの件には関係はないのだから。
ただ、ツヅリには少しだけ、モヤモヤが残る。
彼女はこの『ユウギリ・ソウ』こそが、アカシアが紹介していた『ソウヤ・クガイ』その人であることを知っている。
そしてソウは、ツヅリがその事実を知っていることを知らないのだ。
顔に出すようなへまはしないが、ツヅリは不自然にならない程度にソウの様子も窺ってしまう。
役員が男達を引き連れて去っていったあと、ソウが独り言のようにボソリと言った。
「……お前も、本当は『ソウヤ・クガイさん』みたいな師が良かったか?」
「へ?」
間違いなく、純度の高い戸惑いの声がツヅリから漏れた。
まるで、ツヅリが様子を見ているのに気付いて、ソウがタイミングを合わせたような言葉だった。
ソウはそれから、ツヅリに目線を合わせ、まっすぐと彼女を見る。
とんと肩に置いた手が、ツヅリにはやけに熱く感じた。
「ツヅリ。ちっと今から、俺個人に関する、重大な話──いやお願いをしたい」
「……な、なんですか改まって」
モヤモヤしていたツヅリの心情を塗り替えるほど、ソウは真剣な目をしていた。
もしかして、とツヅリは緊張しながら言葉を待つ。
これでもかと言うほどに心臓がドクドクと鳴っている。
そしてソウは、ゆっくりと口を開いた。
「……今度、良い女とデートする約束があんだけど、少し金貸してくんない?」
その言葉が、ツヅリの頭に染み渡ってくるのに、相当な時間を要した。
そしてようやく、ツヅリはソウが、自分が思ったような話題とは全く関係のない話をしていることに気付いた。
気付いた瞬間には、ツヅリの胸のモヤモヤやドキドキは、露と消えた。
「…………嫌です」
「そこをなんとか! ほら、さっき罰ゲームって!」
「……罰ゲームはしても良いですけど、絶対に貸しません。死んでも貸しません。むしろ死んでください」
「お前は! 尊敬する師匠がデートに失敗しても良いってのか!?」
「はい」
ツヅリはもはや、ソウが真面目な話をする気などないのだと悟った。
不機嫌を隠そうともせずじと目でソウを睨むツヅリ。そのツヅリに、ソウは相変わらずヘラヘラとした笑みを浮かべる。
「なんだよ、拗ねてんのか?」
「軽蔑してるだけです」
「おいおい、マジに聞こえるぞ」
「マジですから」
なんて弟子だ、とわざとらしく零すソウの臑に蹴りを入れたい衝動にかられるツヅリ。
しかし、それをしてもどうせ避けられるだけだと、自分に言い聞かせて衝動を抑えた。
そのかわり、ソウを置いて一人スタスタとその場を離れることにした。
だから後ろで、ソウが髪の毛を掻き乱しながら、安堵と寂しさを混ぜたような顔をしていることには気付けなかった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新が遅れて申し訳ありませんでした。
それと誠に勝手ながら、次回から更新を二十二時に変更しようかと思います。
よろしくお願いします。
また、作中の『事件』については、設定が少し変わる可能性がございます。
その場合はご容赦ください……