自分に正直であれ
テラス席は四人がけのテーブルが三つほどあった。他二つの席には書類整理中らしい男女と、ゆっくりお茶を楽しんでいる風の男性二人がいた。
そして、ソウとツヅリの目の前には、少し髪が荒れているが育ちの良さそうな若い女性と、顔に疲れが見えるが目に力がある男性が座っている。
二人との話は三十分ほど前から始まり、たった今終わったところである。
「本当にすみません、バーテンダーさん」
「何から何まで、感謝致します」
喫茶店で当事者二人との会話が終わり、家出した二人はペコペコとその場で頭を下げた。
その二人に対して、ソウは常とは違う人の良さそうな顔で、静かに返す。
「いえいえ。それじゃ、上手く行く事をお祈りしてます」
ソウの言葉を受け、二人は再度頭を下げる。そのあと伝票を持って会計を済ませ、そそくさと店を去っていった。
「……良いんですか、お師匠」
「何が?」
「あんなこと言って」
あんなこと、とは先程までの会話内容のこと。
そもそもソウは、ツヅリが手がかりを探している間に、さっさと二人を見つけ出していた。そして、当主が二人を探すために方々に依頼を出していることまで教えた。
そんなソウの話を聞いて、二人は逃げるのを諦めかけたらしい。しかしソウは状況を打破する方法があると言って、二人をこの喫茶店に呼んだ。
そして、ツヅリの目の前でソウが語った方法とは、当主である令嬢の父親の弱みを握って、二人の仲を認めさせるというものだった。
そのまま、ソウが軽く調べていたという、依頼主である当主の情報を渡して、腕利きの情報屋と連絡を取る方法まで教えたのだ。
人探しの依頼を出した相手に、牙を向くようなことを平然とやってのけたのだった。
「何が悪いんだか分かんねえな。見つけてくれって依頼は果たしたし、なんなら自分らから出向くようにまで仕向けてやったんだぜ?」
「それは……そうですが」
ソウの言った通り、ソウは依頼者の要望そのものには応えている。その点に関してはツヅリも言えることがない。
問題は、その依頼主の不都合になるような解決法をあえて選んだこと。
「ウチの信用問題になりそうな感じですけど」
「信用問題……か」
ツヅリの指摘に、しかし、ソウは面白くなさそうに唇を歪める。
「そもそも、俺はこの依頼主が最初から気に入らねえんだ」
先程までとは違う人の悪そうな師の顔に、ツヅリは不思議と少しだけほっとしつつ、しっかりと苦言を呈す。
「私怨じゃないですか、でもなんで?」
「そりゃあ、なぁ」
ソウは気のない返事でツヅリに相槌を打ちながら、行儀悪く椅子にもたれかかる。
その視線の先でちょうど、近くの席に座っていた男性二人が会計を済ませようとしていた。
ツヅリはなんとなく師の目線を追った後に、師へと視線を戻す。
だが、戻した先では、ソウが目つきを鋭くして、自身の腰に挿している銃に手を伸ばしていた。
「お、お師匠!? 何を?」
ツヅリが突然の師の行動にギョッとしたところで、ソウは立ち上がり、
「依頼をしたバーテンダーに尾行を付けるような依頼主を、俺はあんまり信用できねえって話だ」
そうはっきりと言い切った。
「……尾行?」
とツヅリの思考が追いつく前に、それは起こった。
ソウは腰に付けていたポーチからいくつかの弾丸を抜き取って、それを恐るべき早さで銃のシリンダーへ詰め込む。
ソウの視線の先にいた男達は、ただ茶を楽しみにきた、という態度を一変させた。
乱暴に会計カウンターに銀貨を叩き付け、そのまま急ぎ足で逃げ出そうとする。
このまま人ごみに紛れ込み、二手に分かれてやり過ごすつもりであるように。
だが、そんな男達の行動よりもよほど早く、ソウはその身を翻しながら宣言していた。
「基本属性『テイラ45ml』、付加属性『シロップ1tsp』『アイス』、系統『ビルド』、マテリアル『オレンジジュース』アップ」
それは、カクテルを発動させるための呪文の詠唱のようなもの。
銃へと詰め込んだ弾丸には、それぞれ元になった物質がある。
基本属性と呼ばれる『属性の魔力』を持った弾丸と、付加属性と呼ばれる『魔法の定義』を行う弾丸。
それらはそれぞれ、四大スピリッツと呼ばれる『ジーニ』『ウォッタ』『サラム』『テイラ』という基本材料と、レモンやライム、オレンジといった副材料に対応している。
ベースを決め、それに合わせる材料を選ぶ。それが基本的な『カクテル』の形だ。
その完成系を思い浮かべ、混ざり合った『カクテル』を正確にイメージするため、素性を宣言する。
そのイメージに従い、指先から魔力が送り込まれると、銃は魔法発動の準備を終えて、その身を震わせる。
ソウは銃身を逃げる男達のやや前方に合わせて、静かに宣する。
「【アンバサダー】」
その宣言と共に、銃口から黄色い光が放たれた。
それは最初にソウが狙いを付けた通りに、男達の前に着弾する。するとその地点から伸びるように岩の柱が出現した。
男二人は突然出現した岩の柱に対応できず衝突する。体勢を崩して倒れ込んだところ、後ろから追いついたソウにそのまま蹴り飛ばされる。
「ぐぁあ!」
「がっ!」
二人がそろって少し地面を転がったあと、ソウは二人まとめて足で踏みつけて地面に縫い付けた。
「ツヅリ。拘束するの手伝え。話が聞きたい」
「……あ、え、ええと、はい」
呻いている男達を見て少し戸惑ったツヅリだったが、周りからの目もあるし、師を置いて逃げる訳にもいかないので、大人しくソウの言うことに従うことにした。
その後、ごく一般的な喫茶店で手に入る道具を使った、至極人道的なソウの拷問によって男達は口を割った。
「つまり。俺達を付けていた理由は、金が惜しいからと」
「…………」
「返事がないぞー」
「……そ、そうだ」
二人は依頼主の屋敷で働いている私兵のようなものだった。彼らは依頼を引き受けた者達を、依頼主の指令で尾行していた。
その目的は、分りやすく言えば、依頼を受けた者の手柄を横取りすることだろうか。
この依頼の前金は微々たるもので、成功報酬の形式での支払いとなっていた。
報酬は、依頼の達成が確認された段階で初めて与えられる。
そこで依頼主は考えた。
依頼を受けた者──この場合はソウ達を尾行させ、ソウ達が探し人を見つけたところで、ソウ達よりも先に依頼主へとそれを迅速に伝える。
ソウ達が依頼を達成したつもりで依頼主のもとへ向かえば『君達が遅いから、私の私兵が既に目的を達してしまった。君達に払う金はない』という計画なわけだ。
どこまでもバーテンダーを見下した計画であった。
「くだらねえこと考えるなぁ。自分たちはプロだから、バーテンダーごときにはバレねえとでも思ってたか?」
「…………それは」
「そういう浅はかな考えをするから、こういう目に合う」
口答えしようとした一人に銃口をゴリゴリと押しつけながら、ソウは思案する。
「なぁツヅリ。この件をどう利用すべきだと思う?」
「……どうってなんですか?」
ソウが酷く嫌らしい顔をしているので、ツヅリは嫌な予感を感じつつ尋ね返す。
ソウは、くくと喉で笑ったあとに、面白そうに続けた。
「だからさ、この件を正しくバーテンダー総合協会に通報して、依頼主にペナルティを負ってもらうのと──このネタをそのまんま依頼主にぶっつけて『報酬』を上乗せしてもらうのと、どっちが良いかとね」
「……はぁ」
相変わらずのソウの見下げた提案に、ツヅリはため息を吐いた。
「馬鹿なこと言って無いで早く通報しましょう」
「おいおい。良い子ちゃんだな」
「そんなのバレたら、私達だって目を付けられますよ。アサリナさんがぶち切れます」
アサリナの名前を出すと、ソウは僅かに怯んだ。
アサリナとは、ソウとツヅリが所属するバーテンダー協会『瑠璃色の空』を仕切っている女性の名前だ。会長というわけではないが、実質的には会長のようなものである。
そんな口うるさい女性を思い起こして、ソウは顔をしかめる。
「バレなきゃ良いんだよ。上乗せした分はそのまんま懐に入れちまえば」
「どうしてお師匠は、人間の悪い部分を煮詰めたみたいな発想しかできないんですか」
「自分に正直であれ。行動する自由はつねに自分にある。と、昔の偉い人が言ったという説が残っている」
「それは絶対、欲望に忠実に生きろって意味じゃないです」
相変わらず、人間的な観点ではまともに尊敬できない言動を繰り返す師に、ツヅリは再び呆れた。
それでいながら、師の変に律義な部分もツヅリは知っている。
先程、家出した二人の力になるようなことを、率先して行ったのもまた、ソウだ。
ソウが本当にあくどい考え方をするのならば、尾行に気付いた時点で色々とやりようがあったはずだ。
だから、師が今ここで言っていることだって、きっと冗談なのだとも分かる。
分かるのだが、全部冗談だと言い切れないところもまた、ソウらしさである。
「な、なぁ、そ、相談なんだが」
ソウとツヅリが言い合いをしていたところで、拘束されていた男の一人が声を上げた。
「あ?」
「お、お前がさっき言っていた話なんだが。そうだ。私の方からも金を出す。あんたを雇わせてくれないだろうか」
「……何が言いたい?」
「お、俺達は、あんたの優秀さを見こんで、新たな依頼をするために尾行していた。そ、そういうことに……」
「…………」
捕まった男が何を言っているのかは分かった。
ソウが先程言っていた、報酬の上乗せという形でケリをつけたいと言っているのだ。
新たな依頼という形式であれば、追加報酬としてクリーンなお金になる。それでこの状況を、なかったことにしたいという申し出である。
バーテンダー協会としても、依頼主側にしても、今この現状に至ってはお互いに損をしない選択と言えるかもしれなかった。
「……どうしようかなぁ」
ソウは相手をおちょくるような軽い声音で、ニヤニヤと言った。
「い、いくら払えば?」
「そうだなぁ。最近金貨ちゃんと友達になりたいと思ってたところなんだよなぁ」
「わ、分かってる。三枚までなら」
「三枚だぁ? 俺ってば口が軽いからよ、その十倍は貰わないとうっかり口を滑らせちまうかもしれねえなぁ」
「ぐっ」
余裕のあるソウとは対照的に、男は唇を噛んで呻く。
ついでに、金貨一枚は、だいたい一般的な人間が一ヶ月働いて手に入る額だ。
ツヅリは、相手をいたぶるようなソウのやり口を半目で睨んでいた。
だが、そんなやり取りを唐突に、白い光が遮った。
パシャリ。
光に続いて、音が響く。
それは、この世界に普及しているカメラという、画像を記録する機械の音だ。
「いい加減にしなさい! このクズバーテンダー!」
若い女性の声だった。
そのストレートにソウを罵倒する声に、ソウは意外そうな顔をする。
「……誰だあんた?」
ソウとツヅリが声の主へと顔を向ける。
そこには、髪を短く揃えた神経質そうな女性の姿があった。三席あったテラス席の最後の一つに座っていた、男女のうちの女性のほうだ。
彼女は、手に持ったカメラをテーブルに静かに置き、いきおい椅子から立ち上がる。
もう一人の男性は、立ち上がった女性を必死に抑えようとしている。
「アカシア先輩! やばいっすよ!」
「黙りなさい。私はこういう人が大嫌いなの」
アカシアと呼ばれた女性は、堂々とした足取りでソウの前へと躍り出る。
そして、びしっと背筋を伸ばし、言った。
「私は、王都中央出版に務めている、アカシア・レミセスよ」
「おう。俺はソウ・ユウギリだ」
「そう。ではユウギリさん。一つ言わせてもらうわ」
アカシアはギロリとソウを睨みつけ、断言する。
「あなたのような、品性下劣なバーテンダーがいるから……『あの人』のような素晴らしいバーテンダーが居るにも関わらず、バーテンダーの地位が上がらないのよ」
脇で聞いていたツヅリは、アカシアの言った『あの人』という単語が引っかかる。
しかし尋ねるでもなく、アカシアはその正体を語った。
「『神機簒奪事件』を解決し、様々な報酬や賞賛の一切を辞退して姿を消した『英雄』──『ソウヤ・クガイ』の高潔さを、少しは見習ったらどうなのかしら?」
びしっと突きつけられた言葉を受け。
ソウは相変わらずの涼しい顔で、その言葉を受け流す。
脇で聞いていただけのツヅリは、自分の言うべき言葉が見つからず、ただただ笑みを浮かべていた。
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