噂の終着点
地下通路の死闘から、およそ一週間が経過していた。
ソウはその間、大事をとって急激な運動は避けていた。正確に言うと、運動をツヅリとフリージアの二人掛かりで止められた。
そして、大事ないと考えられた今日、ようやくソウは準備を整える。
考えれば、期間が開いたのは好都合でもあった。
もしかしたら、リナリアと戦う可能性もあるのだ。体調は万全に限る。
「いらっしゃいティスタ! 楽しみにしてたよー!」
ティスタとリナリアが『瑠璃色の空』本部を尋ねたのは、夕方になってからだ。
いま現在ここには、ツヅリとソウ、フリージアの姿しかない。
フィアールカは、あの日以来、少しだけ忙しくなっている。
その原因は、ソウとティストルにあるのだった。
ソウとティストルが魔法で飛ばされたあと、ツヅリ、フィアールカ、リナリアの三人は話し合った。
その結果、リナリアは『一番可能性が高い場所に自分とツヅリ、それ以外の全ての場所をフィアールカ』という区分で分けることを提案した。
その『一番可能性の高い場所』を知っているのはリナリアだけ。それ以外の場所を一手に引き受けられるのは『地位』のあるフィアールカだけ。それが最善の分け方だった。
そして、リナリアが何故か知っていた場所に向かったところ、戦闘音が聞こえ、慌てたツヅリが独断で突っ走ったのだった。
それがツヅリから説明を受けたソウの知っている顛末だった。
「ツヅリ」
「はい?」
ツヅリとティストルが他愛ない話を咲かせているところで、ソウは少し突き放すような声音で告げた。
「俺はちょっとこのリナリア先生に話しておくことがあるから、少し留守番しててくれ」
「…………はい」
ツヅリは突き刺すようにソウを見つめていたが、ソウは意図して無視し、リナリアへと目配せする。
「仕方ないですね。わかりましたよ」
約束した手前、リナリアもしぶしぶとソウへと付いて外に出た。
「それで、話ってなんです? まあ、愛の告白ですよね」
「ふざけんな。というかこの場で誤摩化そうってもそうは行かねえぞ」
人気のない路地に入って、ソウとリナリアは睨み合った。
リナリアは周りに人間が居ないことを念入りに確認したあと、ソウに尋ねた。
「それで、本当に聞きたいんですか? 私たちがなぜ『ティストル・グレイスノア』を狙っているのか」
「ああ」
もったいぶった言い方をするリナリアに、ソウははっきりと頷いた。
「絶対後悔しますよ?」
「ああ」
「聞かなきゃ良かったって思いますよ?」
「分かってる」
「……まぁ、私的にはソウを巻き込むのも嫌じゃないんですけどねぇ」
リナリアは、そこでこほんと一度咳払いして、言った。
「ソウは、こんな噂を聞いたことがありますか?」
「噂?」
「実は騎士団長は同性愛者だったっていう」
その話題の振り方に、ソウは少々苛ついた。
「おい、ふざけてんのか、そんな下らない噂に──」
「あれ、本当ですよ」
「は?」
「だから、騎士団長、ホモです。ゲイです。同性愛者です」
「……まじかよ」
リナリアが大真面目に言うのに、ソウはげんなりした。
もちろんその事実についてもだが、その話の誤摩化し方についてもだ。
「いいからさっさと本題を──」
「だから、最初から本題ですよ。もう、黙って聞いてて下さい。私が尋ねたこと以外は答えちゃだめです」
リナリアがピシャリと言い切った。
その目が真剣だったので、ソウも気を引き締めなおす。
「ま、それくらいならただの宗教の違いなんで良いんですけど、それが『ニュース』じゃなくて『ゴシップ』になったのは、相手が悪いからなんですよね」
「相手?」
「ディケントラ・キルシウス・エクシミア・エルブ・アブサント。って誰のことだか分かります?」
「……ディケントラ……待て、エルブ・アブサント?」
「はい」
「それはつまり、この国の第一王子じゃねぇか」
この国。
正式名称をエルブ・アブサント王国。
その名を持つのは、この国には一つの一族しかいない。
王族である。
「冗談じゃねぇだろ。第一王子がそんな、なんてよ」
「そうですね。それが発覚したのが三ヶ月前ですが、事が事ですから、情報は厳重に封印されました。もっとも、漏れ出した部分もあるようですが」
「それで、騎士団長だけが、噂になってるのか」
確かにそれは驚くべき情報だし、聞かなきゃ良かったってレベルの話であった。
「ま、そうは言っても人の口にはなんとやらで、一部の老人達は騒ぎ立てるわけですよ。ディケントラ様は王に相応しくないとか、第二王子はどうとか、ここは第一王女でどうだとか」
「おいおい、第二王子も第一王女もまだ十とちょっとくらいだろ。ハニートラップの心配もないし、第一王子で良いんじゃねえの?」
「それがそうでもないんですよ」
「あ?」
「本当の第一王女は、現在十六歳になっています」
「…………」
ソウは思考する。
リナリアはいったい何を言っているのかと。
そもそも、自分は何の話をしていたのかと。
ソウが聞いたのはリナリアがなぜ『ティストル・グレイスノア』を狙っているのか。
だが、リナリアが言い出したのは『第一王女』の話である。
「……おい、まさか」
「さぁて、ここからが重要な所です。ティスタちゃん本人も知らない『本名』です」
「待て! 知りたくな──」
「ティストル・キルシウス・グレイスノア・エルブ・アブサント。要するに、ティスタちゃんって、妾との間に生まれた第一王女なんですよね」
「……聞いちまった」
ソウは耳を押さえるのだが、そんなことで誤摩化し切れないことは分かっている。
対してリナリアは、ソウを巻き込んだ事にご満悦な表情をしていた。
「ま、そこまでは良くある話ですが、どうやらその第一王女の噂も、なんでか漏れちゃったんですよね。これは大変、もしもティスタちゃんに悪い手が伸びたらどうしよう。あらら? こんな所に都合よく、昔から王家と繋がりがあるバーテンダー協会『賢者の意志』があるぞ?」
「もういい、もう分かった」
「では、この中で一番適任な『魔術師の素質』があるリナリアさんに、依頼をしよう。『第一王女』の護衛をお願いします。引き受けましたー」
「…………」
「はい。私の任務も、私達の目的も分かりましたね?」
ソウは頭を抱えた。
完全に、深読みしすぎの心配しすぎであった。
ソウはてっきり『賢者の意志』が『シャルトリューズ』や『ティストル』そのものを狙っているのだと考えていた。
だが、実体は全くの逆であった。
『ティストル』を狙っているものを、あぶり出すのが仕事だったのだ。
「ま、そんな折に『学徒行方不明事件』とか起きて、ティスタちゃんが調査するってなって、内心ふざけんなって感じだったんですけど。どこかでプラプラしてたソウがなんか事件に関わってくれるじゃないですか? これはもうチャンスだと思って、そのまま護衛に付いてもらうことにしたんですよー。格安で」
「……金貨、二十枚だったか?」
「そうですね」
リナリアのにこりとした笑顔に、ソウは声を荒げた。
「ふっざけんな! なんだその重大すぎる護衛任務は!? その十倍貰ったって足んねぇぞごら!」
「そもそもおかしいと思わなかったんですか? かたや魔道院の最高魔導士が『えこひいき』で一学徒の護衛に高額の報酬を払う、だなんて」
「……最近、ある奴のせいで金持ちってのはそんなんだと思い込んでたんだよ」
言いながら、先日の捜索に人員を導入したツケが回って忙しい筈のフィアールカに、ソウは怨嗟の念を送った。
「ま、ソウが付いてくれたお陰で、私も調査がしやすかったです。その過程でバラン先生が『第一王女派閥』の息がかかった人間ってのも分かったので、あとはタイミングだったんですよね」
「地下通路どころか、研究室まで調査済みだったのか」
「もちのろんです」
はぁ、とソウは深いため息を吐いた。
何もかも、リナリアに良いように利用された形だったと知ったのだから。
「でも誤算もありますよ。ティスタちゃんに、私がバーテンダーだってバレました。もう本格的にスパイだと思って貰うしかないですよー」
「シャルトリューズのことも調べられたし、良いんじゃねえの」
「ソウも変なこと言いますね。あんな出来損ないの『シャルトリューズ』で何が出来るって言うんですか?」
「…………」
そこだけ、温度は冷たかった。
だが、ソウも【アラスカ】の感覚から分かっていた。
あの『シャルトリューズ』は、出来損ないの紛い物であることは。
何故ならば、あのカクテルはあまりにも、弱すぎた。
「というか、そんなことで『シャルトリューズ』の秘密が割れるんなら、もうとっくに『賢者の意志』が割ってましたよ。あれはフェイクです。他にも色々な条件があることは間違いないんです」
「じゃ、報酬として最高魔導士に要求してみたらどうだ?」
「面白いこと言いますね。良いですよ、あなたが責任をとって私を守ってくれるなら」
「…………」
これで話は、恐らく終わりだ。
ソウが気になっていたことは、だいたい全て綺麗に分かった。
だから、ここから先は、ただの個人的な誘いなのは、分かっている。
「ソウ。戻って来る気はないんですか?」
「何がだ?」
「だから、私達のところにです。『賢者の意志』所属バーテンダー、ソウヤ・クガイに戻る気は、ないんですか?」
リナリアの目は本気だった。
ソウはそれにどう答えたものか、やはり迷う。
だが、今の『瑠璃色の空』のことを思い出すと、首を縦には振れなかった。
「悪い。だけどもう一回言うぞ。ソウヤ・クガイは死んだんだ。俺はただのしがないバーテンダーの──ソウ・ユウギリだ」
「……そうですか……」
リナリアは寂しそうに目を伏せた。
そしてそれ以上、何も言うことは無かった。
「それじゃ、戻るか。アホ弟子が『心配してる』からな」
ソウは、話は終わりだと明るい声で言った。そして、やはり、リナリアに振り向くことなく、歩き去っていった。
「さてと」
一人残されたリナリアは、そう独り言を漏らし、すっと気配を消した。
そして、そこから結構離れた所に潜んでいた、一人の少女を捕捉した。
「盗み聞きはいけませんね。お嬢さん」
「へわっ!?」
ぽんと後ろからリナリアが肩を叩くと、少女──ツヅリが間の抜けた声を出した。
「な、なんで?」
「その位置からでは聞こえないだろうと、私もソウも無視してましたけど、バレバレでしたよ」
「嘘……」
リナリアが教えると、ツヅリはしょんぼりと肩を落とした。
その仕草が可愛くて、少しだけこのいじらしい少女にもサービスをすることにした。
「あなたが気になってたこと、教えてあげましょうか? 私とソウの関係とか」
「な、え?」
リナリアが言うとツヅリはばっと顔を上げ、しかし取り繕うように捲し立てる。
「あ、べ、別に気になんてしてませんよ! 私はただお師匠が不埒なことをしないか見張りに来ただけでして決して!」
「ふふ。本当に可愛らしい」
リナリアはそう言って、ツヅリの頭を撫でる。
ツヅリは少し不満げにしているが、リナリアは笑顔で言った。
「本当に、義兄さんは、可愛らしい弟子を持ったんですね」
「……え? 義兄さん?」
「そう」
リナリアはくすりと忍び笑いをした後に、服の中に忍ばせていた『仮面』を取り出した。
「私の本名はリナリアス・クガイ。ソウヤ・クガイの義理の妹ですよ」
ツヅリはそれを聞いてぽかんと口を開いた。
だがその直後に、安堵の息を漏らした。
「な、なんだぁ」
「驚かないんですね? ソウが『蒼龍』だと聞いて」
「え? あっ」
「もう、ソウも詰めが甘いなぁ」
クフフと面白そうに笑うリナリアに、ツヅリはまた少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「で、でも、安心しました」
「ん?」
「つまり、お師匠がリナリアさんと親密なのは、家族だからで、特に深い意味はないんですよね」
ツヅリはほっとしたように言う。
それにリナリアは、少しの悔しさと、ちょっとだけの嫉妬と、大いなるからかいの心で答えた。
「でも、私は義兄さんのことを、昔からずっと愛してますよ」
「……へ?」
「だって、血は繋がってないですし、ソウ以上の男性なんて知りませんし」
「……な、だって」
ツヅリが慌てふためくさまを見て、リナリアは少し大人げなかったと反省する。
だが、後悔は欠片もしていないのだった。
「だから、あんまり素直になれないと、後悔しますよ? 恋敵ちゃん」
リナリアはツンとツヅリのおでこをつつく。
そして、とても楽しそうにその場を去った。
「ティスタだけか?」
ソウが『瑠璃色の空』本部に戻ると、居間には所在なさげにしているティストルだけが居た。
「あの、さっき連絡が来て、フリージアさんはお届けものに」
「そうか。ま、リーは良いとして、ツヅリはあとでお仕置きだな」
暗い笑みを浮かべたソウに苦笑いをして、ティストルは聞いた。
「お話は、終わりましたか?」
「ああ」
ソウは少し複雑な気持ちでティストルを見る。
聞いてしまうと、ソウはそれまでとまったく同じでティストルに接する自信はない。
だがティストルはそうではない。むしろその垣根を取り払ったのはソウなのだから。
「……ソウさん?」
「ああ、いやなんでもない」
少しだけ上の空だったソウを心配そうに見上げるティストル。
そして、何かに気づいたようにハッとしてソウに近づく。
精一杯背伸びをして、ソウの頭をポンポンと叩いた。
「なんの真似だ?」
「頭が軽くなるおまじない、ですよね」
「……そうだな」
ティストルが、どうだと言わんばかりに微笑んでいるので、ソウは少し馬鹿らしくなった。
「なぁティスタ」
「なんでしょう?」
「俺がおっぱい揉ませろって言ったらどうする?」
「はへ!?」
難しいことを考えるのはやめて、とりあえずいつもの調子に戻すソウ。
だがそんなソウの心情を知らないティストルは、頬を染めて、ただただ困惑する。
「そ、ソウさんが望むのなら、その、時と場所を選んで貰えれば、お礼もありますし私のもので良かったらという気持ちもあるのですが、それにしてもいかんせん急でまだ心の準備がその」
ティストルが慌て、早口で焦っているのを見て、ソウは笑う。
ソウに笑われて、ティストルは更に赤くなった。
「悪い悪い、冗談だ」
「もう! いい加減にしてください!」
「揉むときは無許可で行くことにする」
「……もう!」
ティストルは、ばっとソウから距離を取って胸を隠す仕草をした。
それにソウはまたクククと笑みを漏らす。
「言っていい冗談を考えろって言ってるでしょうが!?」
「いてっ」
そんなソウに、背後から走り込んで行って頭を叩いたツヅリがいた。
「なんだよ、お前のは頼まれたって揉めねえから安心しろよ」
「頼みません! というか揉めねえってなんですか!」
「だって、無いじゃん」
「ちょっとはありますもん!」
そうやって、いつの間にかティストルを置いてけぼりにして、ソウとツヅリは言い争う。
そんな光景を眺めて、ティストルは安心する。一人で生きていたら、決して出会えなかった賑やかで大切なもの。それが、ここにはあるのだと。
少しだけ母のことを思い出すが、今だけは忘れて、ティストルは笑うのだった。
三章完
ここまで読んでくださってありがとうございます。
これにて、カクテルマジックの第三章が完結です。
最後はちょっと詰め込み気味になってしまいすみません。
これ以降の予定なのですが、活動報告でもちらりと述べたように、少々時間が開いてしまいます。
四章は、少なくとも二、三ヶ月は先になる予定です。
ようやくキャラが出そろって来てこれからという時なのですが、作者の他作品との兼ね合いが少々ありまして。
ご容赦いただけると幸いです。
その間ですが、思いついたように短編を投げることなどもあると思います。
正式な活動再開はあらためて活動報告で致しますが、気が向いたときに更新がないかなど確認していただけると嬉しいです。
もう一つの拙作の『カクテルポーション』はまだ連載中ですので、もの凄く暇でしたら、そちらもどうぞ覗いてやってください(露骨な宣伝)
それでは、今後ともどうぞ『カクテルマジック』をよろしくお願い致します。
※0126 誤字修正しました。