【マティーニ】
(あれ、こんな感触だったっけ?)
ツヅリが最初に思ったのは、そんなことだった。
ステアの難しさ。
それは、繊細さとも言えた。
ただ、混ぜ合わせるだけ。ただ、二回やるだけ。
単純に考えればそうなのだが、そうではないのだ。
なぜ、その作業が必要なのか。
それは、より完成されたものを、誰もが欲しているからだ。
「基本属性『(ヴォイド)』、付加属性『ウォーター』『アイス』、系統『アイシング』」
ツヅリの声が、凛と響いた。
その声に、ソウやリナリア、バランも顔を向ける。
しかしツヅリはそこに意識を割くことはない。緩やかに、銃を二回ほど回転させた。
それに応える銃の振動に笑みを浮かべ、ツヅリは放つ。浄化の魔法を。
しんと静まり返るような空気、静寂が、自分を中心に広がったように錯覚した。
だが、当然そんなことはない。
周囲を少し探れば、ツヅリの周りに暴風のような攻撃が来ていて、それをソウとリナリアが防いでいるのが分かる。
ツヅリは少しの感謝をしながら、手早くもう一組の弾薬を詰め込んでいた。
「基本属性『ジーニ45ml』、付加属性『ドライ・ベルモット15ml』『アンゴスチュラ・ビターズ1dash』、系統『ステア』、ガーニッシュ『オリーブ』、スクウィズ『レモンピール』」
言葉の意味を覚えようとすると失敗する。
だからツヅリは、その材料を、作業で覚えた。
ミキシンググラスという、液体を冷やすためだけのグラスに『ジーニ』『ドライ・ベルモット』『ビターズ』を注ぎ込む。
ステアが始まる。
未熟なのは分かり切っている。今は精一杯、優しくその中身を混ぜ合わせる。
壊さないように、殺さないように、完成へと導いて行く。
終われば、グラスに注ぐ段だ。だが、ただのグラスではない。
その中には、カクテルピンに差したオリーブが乗っている。それこそが【マティーニ】のためだけの場所だと言わんばかりに。
最後にレモンピール、レモンの皮の薫りを、グラスに付着させる。きゅっきゅっきゅ、回すように三回。最後に空間に向けて一回。
出来た。これが【マティーニ】だ。
ツヅリに出来る、精一杯のイメージである。
ここまではいい。ここまではいつものことだ。
だが今回は違う。今までの練習とは、違うことがある。
それは、ツヅリにこの『カクテル』を注文した人間がいることだ。
ツヅリは最後に思い浮かべた。このカクテルを頼んだ人の顔を。
『良く出来たな』と言って笑ってくれる、大切な師の顔を。
ブンという鈍い音が、白銀の筒から漏れ聞こえた。
ツヅリはようやく、自分のイメージから現実へと視点を戻す。
目の前の倒すべき存在、そんなものはどうでもいい。
ちらりと、ツヅリはソウの姿を見た。
(あっ)
ソウと目が合った。
その顔は、笑顔だった。
今にも『良く出来たな』と褒めてくれそうな笑顔だった。
ツヅリは銃のグリップをもう一度力強く握り、言った。
「お待たせしました! 【マティーニ】! 召し上がれ!」
ツヅリは引き金を引いた。
ズンとした衝撃が、銃を通してツヅリの体にまで駆けてきた。
変化はすぐに訪れる。
目の前に、光が落ちた。
音よりも速く、何よりもしたたかに、目の前の緑色のスライムの中を駆け抜ける。
その後、空間を揺るがす轟音が続く。
目の前のスライムが、ぐにゃりと音も無くだらけた。
それは死んだわけではないらしい。核が雷に撃たれて意識を失ったので、本来のスライムに戻ったというところだ。
だが、攻撃は止んだ。
もう、命の危険を感じることはない。
「ツヅリ!」
実感がようやく体にみなぎってきたあたりで、ツヅリを呼ぶ師の声。
そちらに顔を向けると、ソウはいつものにやりとした笑顔で言った。
「上出来だ」
ツヅリは、それに何て答えたものか迷って、結局素直に返事をする。
「当たり前です! もっと褒めてください!」
「調子に乗んな」
ソウが近づいてツヅリの頭をこつりと叩く、それがツヅリには少しだけ嬉しかった。
ツヅリが『テイラ弾』を込めて照射すると、シャルトリューズ草はその花を変化させていく。それはみるみる内にたわわな黄色い果実を実らせた。
「……本当に出来ちゃった」
ツヅリは目の前の出来事にぽかんとする。それはバランの研究室にあった予備の種から育てたシャルトリューズであった。
「でも『ヴェール』が緑色、風だったから、『ジョーヌ』は黄色、土だなんて、安直に過ぎませんかねぇ?」
「うるせえぞリナリア先生。出来たんだから良いだろ」
ソウはその果実を躊躇い無くもぎ取って『詠じる』。
《生命の波、古の意図、我求めるは魂の姿なり》
ソウが『弾薬化』の魔法を使うと、シャルトリューズの果実はみるみる内に淡い黄色の弾頭を持つ銃弾へと変化した。
そして、ソウはぐにゃりと伸びているスライムを見やる。
核となっていたバランはすでに拘束ずみだが、核が生きていることに変わりはないので、外側である粘膜はまだピクピクと動いていた。
「別に放置しても害はなさそうだが、ま、処理しないと気分悪いしな」
かちゃりかちゃりと、ソウは弾をシリンダーに込める。
三人の女性が見守る中、静かに宣言を行った。
「基本属性『ジーニ45ml』、付加属性『シャルトリューズ・ジョーヌ15ml』『アイス』、系統『シェイク』」
静かに宣言し、ソウはシェイクへと移った。
慣れた動作であろうと、込める心に変わりはない。常に完璧を目指し、常にその時最高の物を仕上げる。それが成長し続けるために必要なことだ。
イメージは軽やかに、さりとて少し蠱惑的に。
シャルトリューズは優雅であるが、同時に強烈なパンチを持つ。
その感覚を殺さないように、質実にシェイクを終え、ソウは震える銃をゆっくりと緑色のスライムへと向けた。
「【アラスカ】」
銃口から、不思議な魔力が放たれた。
それは、一見は氷のようだ。冷気を伴った勢いのある風が、吹き抜けるようにスライムを取り囲む。
その瞬間、周りの目から見て、スライムが瞬時に凍り付いたように映る。
「え? 基本は『ジーニ』ですよね?」
そうツヅリが首を捻る。
しかし現象には続きがある。カチコチの氷のように見えたスライムが、次の瞬間には砂のようにぽろぽろと崩れさっていったのだ。
それはさながら、風化した化石のようであった。
「『シャルトリューズ』のカクテルはな、一言で現すと『幻惑』だ。華やかで、香り高くて、そして『強烈』だ。この【アラスカ】だってな、一見凍らせたように見えるのも『幻覚』みたいなもんだ。実際は風が水分を奪ってカラカラにしちまうんだ」
ふう、と一仕事終えた顔で、ソウは言った。
その後に、ソウはツヅリとリナリアの姿をもう一度見る。
「どうしたんですか? お師匠」
「お前ら、なんでいるの?」
「ひどくないですか? その言い草」
「いや、純粋な疑問だろ。だってここ、最高機密レベルの場所だろ?」
そう。勢いで納得していたが、問題が解決されたら気になることがあるのだ。
ソウは、待っていてもここに救援は来ないと踏んでいたからこそ、危険な橋を渡らざるを得なかったのだ。
助けが来ると知っていたら、それこそ大人しく助けを待っていた。
だからこそ、二人の存在は、一言で言えば異常なのだ。
その質問に、リナリアはうーんと唸ったあと、言った。
「そういうの、もろもろ後でってことで良いですか? とにかく今は、このおっさんを突き出して、ティスタちゃんを休ませてあげたいし。一応あなたも怪我人です」
「……約束だぞ」
「はい」
色々と納得できない所はあるが、それでもソウは納得することにした。
今日は、珍しく疲れたのだ。
少しだけ、思考をまとめる時間が欲しいのも確かだった。
「それじゃ、お姉さんについてきてくださいねー」
「お、おー!」
軽いノリでリナリアがふざけると、それにツヅリだけが追従した。
ソウは疲れたため息を吐き出さずには居られなかった。
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