たった一つの行動原理
「『ジーニ』『カットライム』『トニックアップ』──【ジン・トニック】!」
ソウは突然現れた弟子の姿に、一切の反応を示さない。
正しくは、その時間がない。
超高速で宣言された【ジン・トニック】は、的確にスライムを抉る。
今まさに、ツヅリに向かって放たれようとしていた、槍を打ち消すように。
「ツヅリ! 逃げろ!」
だが、ツヅリの反応は鈍い。
もともと、体術が苦手なのだから当然である。
だが、それは今の瞬間においては致命的だった。
「邪魔をするなぁ!」
一撃を邪魔されたが、バランはすぐに二撃目をツヅリへと向ける。
ツヅリは固まっている。
そんな彼女を、抱きかかえて跳ぶ影があった。
「リナ!」
それは、ソウの見知った女教師の姿であった。
リナリアは、抉られたスライムの胴体を抜けて、ソウのすぐ隣に着地した。
抱きかかえていたツヅリを降ろすと、ティストルとソウを庇うように立つ。
「生きてます?」
「一応な」
リナリアはそれだけソウに尋ねると、涼しい顔をしたままバランに言った。
「さて、バラン先生。あなた、その姿はなんですか? イメチェン?」
「これはこれは。見ての通り、実験の成果というやつですよ」
リナリアが現れたことで、バランはそれまでの鬼のような猛攻の手を休めて、慇懃に応える。
「そう? それは良いんだけど、どうしてあなたがこんな所に居るんです?」
「それはこちらのセリフだね、ダイヤモンド君。なぜ一介の女教師風情が、この地下通路の存在を知っている?」
「噂で聞いたんですよ」
リナリアはにこりとした笑みで、適当な返答をした。
だが、お喋りはこれまでとでも言うように、バランもまた笑みを漏らす。
「それで、残念だがここを知られた以上は、君にも消えて貰おう」
「ひどいです。新任教師いじめ、ここに極まれり、ですねぇ」
「御託はいい!」
バランはそこで、いい加減に進まない話に激昂する。
直後には、スライムの胴から、凄まじい速度で槍が射出された。
ガキン。という音がする。
槍は、側に立っていたソウが銃で叩き落としていた。
「ソウ。動けます?」
「お前こそ、鈍ってないか?」
「まさか」
ソウとリナリアは、それだけの言葉を交わす。
そしてリナリアは、自身のスカートをたくし上げた。
「なに?」
バランは目を見張る。
そのスカートの中、白い太ももに、小型の銃と弾薬ポーチが巻き付けられていた。
「いやん。えっちぃ」
リナリアはわざとらしく言って、しなを作ってみせる。
その態度に、当然のようにバランは怒りを浮かべた。
「貴様ぁ! バーテンダーだったのか!?」
「だったら何です? 惚れちゃいますか?」
「殺す! 殺す殺す殺す! バーテンダーは殺す!」
直後に、バランは先程のソウへの攻撃に比する猛攻を繰り出した。背後にいるティストルの存在を忘れているかのように、その声は理性を失っていた。
だが、それは決してリナリアの体には触れない。
避けるときは避け、迎撃するときは迎撃し、
どうしても無理なものはソウが弾いた。
「二人とも下がってろ! こいつは俺たちが食い止める!」
その攻防の最中、ソウは背後で惚けている二人の少女へと言った。
ツヅリとティストルははっとしたようにその場を離れようとする。ここに居ては、戦いの邪魔になるのだと。
だが、ソウの言葉には続きがあった。
「それでツヅリ! お前が撃て!」
「……え?」
「【マティーニ】だ! お前が『作れ』!」
ツヅリの心臓が、どくんと跳ねた。
【マティーニ】
つい先日教わったばかりの、新しいカクテルだ。
『ステア』という技法で作られる、『カクテルの王様』
練習では、まだ一度も成功したことのない、そんなカクテル。
「……む、無理です!」
「無理じゃねぇ! 俺が言うんだから信じろ! お前ならできる!」
その師の言葉に、肯定も否定もできず、ツヅリは距離を取った。
「なぜだ! 何故当たらない!?」
バランの声に、苛立ちの他に焦りの色も交じり始める。
ソウ一人なら、追いつめられていた攻撃である。そこに一人の女性が加わっただけで、欠片も当たる気配がしなくなったのだ。
「だって、こんな攻撃温いですし」
「そう言われると、俺の立つ瀬がないな」
「ソウのが鈍ってるんじゃないです?」
二人は軽く言い合いながら、澱みのない動きで回避を続けている。
それは、とても急ごしらえのものではない。お互いがどう動くのかを知り尽くしているが如く、お互いをカバーし、時には牽制の『カクテル』を放ち、まったくバランの攻撃を寄せ付けない。
しかしそれでも、有効打がないことには変わりはない。
「ふ、ふふ! だが良い! どうせお前等の体力もそのうち尽きる。あんな小娘に何ができると言うのかね?」
だからこそ、苛立ちながらもバランには余裕がある。
だが、余裕という言葉を使うのならば、それはソウやリナリアも同じだった。
「それでソウ。あの子、本当に大丈夫なんです?」
「さぁな」
「ちょっと!」
ソウの投げやりな言葉に、リナリアの動きが止まった。
それをチャンスと見たバランの槍をものぐさに叩き落としながら、ソウは付け足す。
「だが、あいつは課題を出すと大体合格するもんだ」
「……全然、不安晴れないんですよねぇ」
「ま、時間稼ぎくらい付き合ってくれよ」
「もう! 昔からソウはそんなんばっかりです!」
降りしきる必殺の雨の中。バランの存在を完全に蚊帳の外にして、二人は言い合いを続けるのだった。
「つ、ツヅリさん?」
「だ、大丈夫。大丈夫だから」
ツヅリはティストルに守られるようにしながら、震える手をなんとか抑え付けようとしていた。
飛び込んだときは無我夢中だった。
ソウを助けるために必死だった。
それが今になって、命の危険を実感して手が震え出していたのだ。
失敗すればどうなる?
逃げる?
いや、それならば何故、今は逃げずに戦っているのか?
私が足手まといで逃げられない?
押し付けられた重責から逃げるように、ツヅリの思考が現実逃避を始めていた。
ソウが殺されかけていたあの瞬間、感じた恐怖が、心を縛り付けていた。
自分が失敗すれば、ソウが、いや、全員が殺されるのではないか、と。
「ツヅリさん」
震えるツヅリの手をティストルが優しく包んだ。
じんわりとした人肌の柔らかさが、ツヅリの手の甲に広がる。
「ティスタ……?」
「大丈夫です。あの人は、出来ないことをやれと言ったり、しますか?」
「……冗談でなら」
「じゃあ、今のあの人は冗談を言っているように見えましたか?」
「……見えない」
ツヅリの返事に、ティストルは小さく頷く。
「そうです。ツヅリさんなら出来ると、ソウさんは言ったんです。今日、言ってたじゃないですか」
「……へ?」
「『私は……お師匠以外の言葉を聞く気はありません』って」
「…………それは、確かに、言ったけど……」
「やれって言われたんですから、やりなさい」
そしてティストルはパンとツヅリの手を叩いた。
その後に、ツヅリの頭をポンポンと叩く。
「頭が軽くなるおまじないです。大丈夫です。ツヅリさんならできます」
ティストルは微笑む。血色は悪いが、それでも充分に優しい笑顔だった。
ツヅリは一度目を閉じ、深呼吸をして、銃を抜いた。
「了解。お師匠の弟子は、やる時はやるって見せてやります」
そして、ツヅリはポーチから弾薬を引き抜いた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
本日五回更新予定の三回目です。
三時間おきに更新予定です。
次回の更新は、二十一時ごろの予定です。




