弟子から見た師の姿
ソウが人知れずに行動を起こしていた頃。その弟子のツヅリは、
「すいません。本当にすいません。二度とやりません。本当に申し訳ありませんでした」
銃をメイド長に取り上げられ、半べそをかいて平謝りをしていた。
カクテルの講義を行うということで陣取っていた裏庭。
その場は凄惨たる有様だった。
地面はびしょ濡れ、その場に薄く生えていた芝生は、見るも無惨に刈り取られている。裏庭の施設は焼けこげ、所々に煤が付き、極めつけに、裏庭と林の境界である木が数本、伐採されていた。
それは調子に乗ったツヅリと、そのツヅリへ無邪気に、そして大胆に指示を出し続けたルキの仕業だった。
ツヅリは乞われるままに調子に乗り、自身が習ったカクテルをほとんど出した。
水球の爆散を引き起こす【スクリュードライバー】。
小規模な風の刃を生み出す【ジントニック】。
炎の壁を作り外敵から身を守る【キューバリブレ】。
そして、指定された箇所に中規模な風の刃を生み出す【ジンフィズ】。
ここまで来たら敵を喰い、焼き尽くす【ダイキリ】を、と思ったあたりで、騒ぎを聞きつけたメイド長がその場に乱入。
正気に戻ったツヅリとルキは、盛大に怒られたということだった。
「……やっと……終わった」
場所は移り、居間に移動したツヅリとルキ。
数十分の説教の末、ようやく解放されるもツヅリの顔は暗い。
「ぐぅ。銃が……バーテンダーの命が……」
それもそのはず。結局ツヅリは銃を返してもらえなかった。
銃はバーテンダーの武器であり、相棒であり、まさしく命と言っても差し支えはない。
とはいえ、裏庭をあれだけ派手に荒らしたのだから、自業自得である。
「せめて、せめて銃の整備がしたい……使った後に整備もしないで放置なんてしたら……お師匠に殺される……」
ただでさえソウの大激怒は想像に難くない。
残量の少ない弾丸を大盤振る舞いし、屋敷の者に多大な迷惑をかけたのだ。
事情を聞いた家主のストックは、苦笑いで許してくれたが、それはそれだ。
「その、お姉ちゃん、ごめん」
トボトボと廊下を歩くツヅリに、ルキが謝罪する。
もともと、練習用の弾ではなく実弾を使ったのはルキが居たからである。
とはいえ、その決断をしたのはツヅリであるので、やはり責任の大部分は変わらない。
「……良いの。大丈夫。お師匠はあれで優しいところも……あったら良いなぁ……」
自分で言ってはみたが、ツヅリの中にソウが優しかった記憶はなかった。
ソウと一緒に居たおよそ一年の間。叱られたこと、怒られたこと、呆れられたこと、意地悪されたこと。そんな嫌な思い出の中に、少しだけある褒められたこと。
普段は厳しく、適当な師匠だ。どこをとっても優しくはなかった。だが、ツヅリが壁を越えた時には、自分のことのように嬉しそうだった。
「お姉ちゃんはさ」
「んー?」
少し思案に耽っていたところで、唐突に投げ掛けられたルキからの質問。
「あの、あんちゃんのこと、好きなの?」
「へ」
その質問がツヅリの頭に浸透するには、いくばくかの時を要した。
(私が……お師匠のこと……好き?)
頭の中でその言葉が咀嚼できた瞬間、先ほどまで怒り狂っていた脳内のソウが、にこやかにツヅリに笑いかけた。
「そ、そんなわけないじゃん! あんな、お師匠のこと……す、好きだなんて!?」
そのありえない光景に、ツヅリの脳は魔法で湯を沸かしたように茹だつ。
「説教くさいし、適当だし、意地悪だし、面倒くさがりだし! 料理にはいちいち注文付けるし、美人にはだらしないし、セクハラするし! ダメダメだよ! そんなダメ人間……す、好きになるわけないよっ!」
自分でも驚くほどの勢いで、ツヅリはソウに対する不満をぶちまけた。
「そ、そうなんだ。あんちゃん……やっぱりダメ人間なんだ……」
「そうそう。ほんとあの人は社会不適合者というか、私が居ないと暮らすお金にすら困るんだから。生活力ゼロだよ。放っといたら酒場で生き倒れるよ」
「じゃあ、お姉ちゃんは、嫌々あんちゃんと一緒に居るの?」
「……え」
自分で言いたい放題言ったにも関わらず、ルキの中のソウの評価が見るからに下がって行くのを察して、ツヅリは慌ててフォローに入った。
「そ、そうは言ってもちゃんと良い所もあってね!? えっとカクテルとか凄くて……あとは……その……たまに、ほんとたまに、優しく褒めてくれて、それで──」
それで、ちょっとだけ格好良い。
その言葉をツヅリは半ば無意識に呑み込んだ。
「と、とにかく、ダメなところもあるけど、お師匠はすごい人なんだよ!」
力説に力説を重ねるツヅリの姿に、呆気にとられるルキ。
「やっぱり、好きなんじゃん」
「……ち、違うもん」
言い切ってから、自分の言葉を省みて、再びツヅリは頬を朱に染めた。
ルキの純粋な子供の目には明らかに見えるその答え。だが、ツヅリの複雑な心境が、それを是とはしない。
尊敬しているのか、と問われれば間違いなく頷ける。
それなのに、そこに慕情のようなものが含まれているのか。その答えを出すことを、心はどうしても拒否していた。
「変なの。好きだったら、好きで良いのに」
もじもじ、うじうじとしたツヅリを見てルキはぼそりと零した。
思わずツヅリは、ムキになって問いつめる。
「そ、そんなこと言って、ルキ君は好きな人とかいるの!? 居たらそんな簡単に──」
「いるよ」
「へ?」
しかし、ルキはあっさりと、肯定した。
ツヅリが開いた口を塞げないでいるうちに、あっけらかんと言う。
「母さん」
「………………はぁぁ」
長いため息を吐いて、ツヅリはさっきまでの自分の焦りっぷりを恥じた。
「どうしたの?」
「ううん。そうね、そうだよね」
少年の言う『好き』に、いったい何を考えていたのか。
さっきまで微笑んでいた頭の中のソウが、散々踊っていたツヅリを指差して笑う。
うん、やっぱりお師匠なんて嫌いだ。と、ツヅリは心で呟いた。
「あーうん。そういうアレだったら、別に嫌いじゃないよ……」
「やっぱり」
ルキの笑みを見て、ツヅリは自分の心が汚れているような気さえした。
重たい胸をなで下ろしていると、ルキは少しの思案顔になり、言った。
「……あの銃がないと、あんちゃんに嫌われちゃうよね?」
「……嫌いはしない、と、思うけど……怒られはするよね。確実に」
もっとも、既に怒られるのは確定だ。それがどれだけ続くかの差しかない。
そこから更に長い沈黙。その終わりに、覚悟を決めた顔でルキは言った。
「じゃあ、僕があの銃を取り戻してきてあげる」
その提案に、ツヅリは面食らった。
「できるの?」
「うん。メイド長、怒ってるけどいつものことだし。僕がちゃんと言う事聞いたらすぐ機嫌直すから。頼み込んだら返して貰えると思う」
「そ、それなら!」
ツヅリとしても願ってもいないチャンスだった。
師のことを抜きにしても、銃の整備ができないというのは、気持ち悪い。魚の小骨が喉に引っかかった感覚に似ている。出来るというなら、是非ともお願いしたところだ。
「弾は良いから銃だけでも!」
ツヅリが乗り気になったのを見て、ルキはうん、と頷く。
「オッケー。ちょっとここで待ってて? 少ししたら戻ってくるから」
「おっけー!」
ルキが親指を立て、ツヅリも笑顔で親指をぐっと立てる。
そのまま、ルキは振り返り、部屋を出て行った。
ツヅリは、部屋を出る間際のルキの曖昧な笑顔に気付いたが。
怒られるのを覚悟で行くのだから当たり前だと、気にも留めなかった。